episode2

「遊佐さん、太刀川さんと付き合ってるんだってね」

ラウンジで向かいの席に腰掛けた王子からそう言われ、美也子はあんぐりと口を開けてしまった。

遠征部隊が基地を発ったのはつい二日ほど前のことだ。美也子は太刀川と暫く会えない日々が来ることを素直に寂しいと思っていたが、周囲には口が裂けても言わなかった。誰にも勘付かれぬよう普段と変わらない態度でいることを心掛けていたつもりだ。
そうやってラウンジでこっそり遠征部隊に思いを馳せていたところへ王子がやってきて「座ってもいい?」なんて言うものだから、どことなく沈んでいた気持ちが華やいだのも束の間、どこか確信めいた表情をする彼を前に心臓の鼓動が早まる。

どこだ?どこでバレた?と思考を巡らす。真っ先に浮かんだのは太刀川だった。彼には釘をさしたはずだが、挨拶のノリでバラしていてもおかしくはない。正直ボーダーで一番口が軽いのは太刀川だと思っている。
何か話せば普通に次の日には全員知っているので、もし美也子が太刀川以外のボーダー隊員と付き合うなら明日死ぬとしても彼にだけは教えたくなかった。しかし彼には何度も何度も何度も口を酸っぱくして秘密にするよう伝えたので、今回ばかりは容疑者から外して良いだろう。
となると、まさか出水か?と容疑者リストの二番目に名を連ねる後輩の顔を浮かべるが、行司を務めてくれた彼にもちゃんと口止めはしている。出水が自分との約束を破ることは絶対にないと美也子は長い付き合いでよく理解していた。
その次に浮かんだのは穂刈だったが、彼は相手の候補は絞れていても特定できていないはずだとすぐに打ち消す。もし特定できているなら、今頃美也子は荒船影浦村上から三者三様の冷やかしを受けているだろう。
最後に浮上してきたのは遠征直前に遭遇した二宮だった。あの日恐らくバレてしまったが、彼がそれを言い触らすとは思えなかった。いくら「こいつ趣味悪いな」と思っていたとしても他人の恋愛事情を許可なく勝手に語るような人ではない。
そうなると口を割りそうな者は見当たらないが、王子は本人が気が付いたというより誰かから聞いたような口振りなのが引っ掛かった。

「なん……どこの誰がそんなことを…?」

美也子は決して肯定しない様に気を付けながら恐る恐る情報源を探る。
まさか噂になっているのだろうか?すぐに確かめたかったが、知りたくないという思いも同じくらい大きかった。もし広まっているのなら恥ずかしくて死ぬ。本当に無理もうボーダー辞める、などと想像して美也子が吐きそうになっていることなど勿論知らない王子は、彼女の反応に少し意外そうな顔をしてから何てことのないように言った。

「スミくんが言ってたよ?二宮さんがそれっぽいこと話してたって」

二宮匡貴、意外と口軽い説。
一番可能性が低いと思っていた人物の名を告げられ、絶望で頭を抱えたくなったが必死に堪えた。とはいえ、二宮がド直球に「あいつら付き合ってるっぽい」などと話すわけがないことくらい美也子もわかっていた。
恐らく彼は先日太刀川と美也子に会ったという情報を口にしただけだろう。それを聞いた犬飼がここ数日の美也子達の様子から隠された関係を察した、というのが一番現実的であり得そうなバレ方だった。
問題は、彼からすればまだ推測に過ぎないその説を王子に話していることだ。なんてことをしてくれるんだ、と美也子は犬飼に対して怒りを覚えた。彼のことは好きでも嫌いでもなかったが、たった今殺してやりたいリストへ新しく名前を加えた。このリストには太刀川が入ったり消えたりする。

出来れば王子にだけは知られたくなかった――というのが彼女の本音である。何故なら彼が好きだからだ。
別に今更本気で王子とどうにかなるとは思っていない。朝は八枚切り食パン、馬に乗ったこともなければ綺麗な缶に詰まったお高い茶葉と安売りされているティーバッグの紅茶の違いもわからないような自分が名が体を表す彼についていけるとは、ハナから思っていない。
それでもやっぱり王子は初めて出会った時からずっと特別で、彼以外の人に夢中になるのは裏切っているような心苦しい気分になるのだ。何故か勝手に気まずくなった美也子は「いや、その…」と目を逸らしつつ口ごもる。肯定したくない、でも否定するのも太刀川に申し訳ない。
王子はその態度を『イエス』と回答したと受け取ったらしく「やっぱり本当なんだ」と言った後、にこりと人好きのする笑みを浮かべた。

「残念だな、ぼくも遊佐さんのこと好きだったのに」

え、ええ〜!?!?!?
爆弾発言に美也子は目を見開く。ドコドコ鳴る和太鼓と軽快な笛の音による祭り囃子が何処からか聴こえてきた。幻聴である。
す、すき好き隙透き空き鋤須木スキィ!?今私のこと好きって言った!?美也子は喉元まで出かかった台詞を根性で呑み込んだ。油断すると「私も好き!」と言ってしまいそうなほど興奮していた。うそ、両想いじゃん…と心が大きく揺れ動く。

当然それが王子なりのジョークなのは十分すぎるほど理解していたのだが、あまりの衝撃に脳はおかしくなり美也子のキャパシティを超えた。
好きって、好きって言われた。好きって!好きだって!!みんな今の聞いた!?瞬間、美也子は目だけ動かして広いラウンジの中で海老名隊のオペレーターである武富桜子の姿を探していた。今の録音していないだろうか。目覚ましにしたい。桜子のことを歩くボイスレコーダーか何かと勘違いし始めるくらい美也子は混乱していた。
それでも無駄に頭は働き、下手に間が空くと自分の気持ちがバレると危惧した彼女は「またまた〜!」と大袈裟な手振りで冗談めかした。自分でやっておいて「またまた〜」じゃないわコラ、と思った。

たとえ冗談でも好きと言ってもらえたことはこれまでの美也子の生涯でもベスト5に入る嬉しい出来事であり、まさしく天にも昇る気持ちだった。我が生涯に一片の悔いなしとばかりにここで死んでもいいとまで思ったし、この一瞬で九割本気で太刀川と別れようとまで考えた。
美也子は太刀川のことはちゃんと好きだが圧倒的にタイプなのは王子である。そればかりはずっと変わらない。好きになった人がタイプなんて絶対に言えない。それとこれは別だ。

頭の中では大混乱だというのに精一杯動揺を隠して茶化す美也子に対して、王子は余裕のある様子で「本当だよ」と笑う。本当だって!!みんな今の聞いた!?本当だって!!?

「ぼくがもっと早く告白してれば君と付き合えたかな」

死ぬ…………。
これでもかと畳み掛けられ、美也子は今度こそ本当に死んで良いと思った。良い人生だった。
近界民の問題が解決していないことは気掛かりではあるが、ボーダーには強くて頼りになる人がたくさんいるので何とかなるだろう。

ここまで言われると流石の彼女も感情を抑えきれずに「ふ、ふふっ、ふ…」と照れ笑いをしてしまった。咄嗟に顔を見られないよう両手で覆ってうつむく。王子はウケたと思ったのか小さな子供のように明るく笑うと楽しげな声色で「本気なのになあ」と言った。
決してそんなことはないのだが、美也子はトリオン供給機関が破損したように感じた。まずい、このままだと緊急脱出になる。

もちろん王子は誰彼構わずこんなジョークを口にするわけではない。彼の特色とも言える他者への癖強めなあだ名だって、年上には付けないという線引きをしている。基準は不明だが彼なりに人を選んでいるはずなので、勘違いされる可能性がないと確信した上で美也子に言ったのだ。
つまり美也子の本音を隠す高度なスキルは王子を完全に騙しきっているわけである。冗談が通じる相手として信頼されている自分を褒め讃えた。流石は王子の真似をして追尾弾まで使い始めた女だ。学校でただ黄色い声を上げるだけの可愛い女子とは面構えが違う。
しかし、冗談のつもりでもこんなことを平然と口にできるなんて王子は恐ろしい。美也子がそっと顔を上げれば頬杖をついた彼と目が合って、分かっていたのにドキドキした。
名前負けしない彼から放たれた言葉は「ユーモアがある」の一言で片づけるには刺激が強すぎた。こんなの勘違いされても文句は言えないだろう。同じことを言われたら一体何人が耐えられるのか。本気にして彼氏と別れようとする女子が続出するはずだ。現に美也子がそうである。

冗談にしても若干やり過ぎな部分はあるな、と彼女は感じた。彼のように容姿端麗で人から好かれやすい要素を沢山持つ人間は、気の置けない仲だとしてももう少し異性との距離感には気を付けているものだ。
普通はそうだが王子は決して『性格が良い』わけでもないので悪気なくこういうことをしてしまうのだろう、と美也子は思った。気は遣えるが絶妙に空気が読めないというか、相手にどう思われるかを気にしないで我が道を進んでいく。そういうところはちょっと太刀川に似ている気がしたが、彼へ抱いたような強い殺意は芽生えない。

やはり顔が良い。それだけで何でも許せる――しみじみと思った美也子が若干身を乗り出して内緒話をするように口に手を添えると頬杖をやめた王子もテーブルに手をついて先程より顔を近づけた。

「じゃあ私が太刀川さんと別れたら付き合ってね」
「あはは、楽しみに待ってるよ」

平静を装いながら半分本気で言えば、ノリの良い王子はそう返してきた。
彼の顔を見るだけで幸せになれる美也子はつい「どうやって太刀川さんと別れようかな」なんて馬鹿な事を考えてしまうのだった。

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