episode3
外に出れば身を切るような寒さを感じて、美也子は思わず眉を寄せる。冷えた手を擦り合わせながら立ち寄ったコンビニで定番のクリスマスソングが流れていることに気が付き、時間経過の早さに驚いてしまった。いつの間にやら世間はクリスマスムード一色、近界民が出現する三門市も例外ではないようで意識して見てみれば、どこも活気づいている。
そんな一大イベントを忘れていたわけではないが、最近の美也子は大忙しで正直それどころじゃなかった。師走というだけあり「やることが…やることが多い…!!」と毎日慌ただしく過ごしていたので、他のことに目を向ける余裕がなかったのだ。
例年と比べても色々あったわけだが、幾つか挙げるなら一つは今期のB級ランク戦だ。
10月から始まったそれはソロ隊員の美也子には関係ないのだが、彼女は王子が出る試合だけは出来るだけ当日に観るよう心掛けていた。会場で観ることもあれば、わざわざ小会議室を借りて一人モニターで観ることもある。
さり気無く王子隊の試合の日に都合がつくようスケジュール調整をしていたら、なんとオペレーターの桜子に声をかけられ、東と共に王子隊が参加する試合の解説をすることになったのだ。まさか王子(アイドル)の試合(ライブ)を解説側で応援できる日が来るとは思わず、前日の夜は緊張で眠れなかった。
美也子はトリガーの性能や技の知識は豊富だったが、戦術はからっきしである。そのため解説の大部分は東に任せて、自分は経験から基づく予想をしたり各隊員の技術やC級隊員向けにポジションごとの立ち回りについての説明だけした。時折興奮して立ち上がりそうにもなったが必死に堪え、まあまあ形にはなっていただろう。
それでも王子隊の動き方には異常に詳しかったし、講評でも偏らないよう注意しつつもなんだかんだ王子のことだけ絶賛していたので、一部には怪しまれたかもしれない。少なくとも東は察したようで、思春期の娘を見る親の顔をしていた。解説者の音声が残らないのは不幸中の幸いである。
作戦室で講評を聞いていた王子に「光栄だったよ」なんて言われて暫く浮ついた気持ちでいた彼女だったが、イレギュラー門が多発する緊急事態により身が引き締まった。
これが『色々あった』中の二つ目である。三門市では誘導装置のおかげで近界民が現れる門は基地周辺にしか開かないようになっているのだが、ここ数日の間にいきなり警戒区域外に複数の門が立て続けに開いたのだ。そのうち1件は非番だった美也子が対処したが、警戒区域外で門を見るのは本当に久しぶりだったので普通に驚き「ええ〜?」と情けない声を上げてしまった。
原因は小型近界民のようで、あまりにも膨大な数が市街地に潜伏していたため隊員総出での駆除作戦が決行された。正隊員の殆どは部隊ごとに動いていたが、チームに所属していない美也子はC級隊員達の監督を任され、彼らに道が分からないことがバレないように気を張っていたため終了時には誰よりも疲労を感じていた。見栄っ張りである。
そして三つ目、現在進行形で抱えている仕事が、恒例となった入隊式の準備である。今回も指導役に選出されてしまった美也子はコンビニで買った栄養ドリンクを一気飲みしてから基地へ入った。前回と比べて入隊希望者の数が増えたので準備にも時間がかかる。やることが…やることが多い…!!
嵐山隊の作戦室へ向かう前に個人戦のロビーやラウンジを覗く。王子がいないか確認するのが癖になっているのだ。
冗談で好きと言われて以来、彼女は前にも増して浮かれている。あの日「太刀川とのことは内緒にしてほしい」と頼めば、王子はしっかり約束を守ってくれていた。問題は犬飼だ。犬飼にも口止めはしたが既に親しい何人かに拡散されていたため、美也子は関係者全員の元を回り頭を下げる羽目になった。お陰で噂は一旦止まってはいるが、犬飼は殺しても殺し足りない。
思い出すと腹が立ってきて、つい顔を顰める。ムカムカする気持ちを抑えるためにも王子を一目見たかったが残念ながら見つからず、諦めて仕事でもするかとため息をつけば後ろから何かで頭を軽く叩かれた。
振り向けば隊服姿の荒船がいて「ちょっと質問いいか?」とたった今、美也子の頭を叩いた資料を捲った。それは指導役に配られた入隊式の要項だった。
「荒船君、もう狙撃手の指導役なの?早くない?」
「そうか?別にそんなことないだろ」
そんなことある、と思った。彼が狙撃手へ転向したのは約半年前である。マスターになったことは知っていたが、それにしても教える側に回るには早く感じた。
やはり部隊の隊長だからだろうか。それに理論派だ。以前彼が完璧万能手を量産したいという話をしていたことを思い出した。理論が確立したら美也子を一期生にしてくれるらしい。上層部は彼が指導者向きであると評価しているのだろう。
感心した美也子が「すごいね。荒船君は頭良いもんね」とちょっとズレた発言をすれば、荒船はおかしそうに笑って「まあな」と返した。
「あれ〜?遊佐ちゃん浮気してる」
横から愉しさを滲ませた声が聞こえて美也子は今までの血が逆流するような感覚とは少し違うひやりとした怒りを感じた。にやにや笑う犬飼を見て美也子の脳内に最初に浮かんだのは「殺さなきゃ」だった。犬飼は名前を出さなければセーフだと思っているのか、美也子が男子と二人でいると度々こうして揶揄ってきた。殺さなきゃ。
荒船が呆れた様子で眉を上げれば、美也子が無言でトリオン体に換装した。不穏なものを感じ取ったらしい犬飼が逃げ出したのを見て迷わず追いかける。さらには話途中だった荒船が「質問だけ答えろ」と後に続くと犬飼を追いかける美也子を追いかける荒船という謎の連鎖が生まれ、狭い通路を駆け回る三人に他の隊員達は自然と道を開けた。
最終的に美也子はドロップキックをかまして犬飼の動きを止めた。
「これ規定外戦闘でしょ」
「武器出してないからセーフだよ」
などと宣い犬飼に馬乗りになって胸ぐらを掴めば、追いついた荒船が止めに入った。
彼に「お前は完璧万能手になっちゃいけねぇやつだ」と言われて理論を教えてもらう話は白紙に戻り、ショックを受ける美也子を見て犬飼は床に寝転がった状態でこれでもかと笑っていた。
そんな三人に声をかけてくる者は居らず、訓練生などは遠巻きに眺めている。全員受験でおかしくなっていると思われているようだ。美也子はこれが標準装備である。
そんなこんなで12月半ば過ぎには遠征部隊は帰還していたのだが、美也子が太刀川に会ったのはそれから四日も後だった。
入隊式のことで忍田に用があったので彼の部屋がある上層階を訪ねれば、入れ違いで太刀川が出てきたのだ。直接顔を合わせたのは遠征後、初めてである。彼は開口一番「迅がランク戦に復帰した!」と嬉しそうに美也子の両肩を掴んで揺さぶった。
予想通りの反応だったので「そうですね、よかったですね」と優しく返しておいた。迅が黒トリガーを本部に献上して、ただのA級隊員に戻ったことは美也子もとっくに知っていた。本人に聞いたからだ。
滅多に本部へ来ることのない彼が熊谷にセクハラしている姿を見かけたので慌てて蹴り飛ばしたら親切に教えてくれたのだ。ちなみに迅は美也子にはセクハラをしない。曰く「太刀川さんに怒られるから」で、昔の彼女は適当に流していたが、最近になってサイドエフェクトで何か視えていたのかもしれないと思うとちょっと気まずかった。
「遊佐ちゃんが風刃を使う日も来るかもね」
迅にはそう言われた。美也子も彼が使っていた風刃を起動することができる。上層部が迅の代わりに誰かに風刃を所持させるつもりなら、かつて争奪戦に参加した自分も候補の一人にはなるかもしれない。しかし風間や三輪を差し置いて自分が選ばれることはまずないだろう――と思っていたことを正直に告げる美也子に、迅は笑うだけだった。サイドエフェクトのせいで彼の言う事は冗談なのか本気なのかよくわからない。
「犬飼のことボコボコにしたって聞いたぞ」
「ええ……」
久しぶりに向き合った太刀川の言葉に、美也子はすぐに周囲を確認した。人の気配はない。
現在二人がいるのは本部職員用の簡易休憩所だ。建物内でも端に位置する上に、側には物置と化した倉庫しかなかったので他の休憩所と比べて利用者が限られていた。特に今日は時間が遅いので二人以外に誰もいない。職員も殆どが帰宅している頃だろう。
忍田への用が終わるのをわざわざ待っていた太刀川に連れられ、てっきり遠征の土産話でも聞けるのかと思いきや始まったのは説教だ。長椅子に座る美也子はボーダーの情報共有の早さを再確認した。組織としては優秀である。
「ダメだろ、友達とは仲良くな」
「別に友達じゃないんで…」
「友達じゃなくてもボコボコにするのは良くないことだろ」
凄く普通に説教されている。まさかの展開である。
諭すような言い方に「はい…」と素直に頷く。ボコボコにはしていないが、しようと思ったことは間違いないので反省した。荒船が止めなければどうなっていたかはわからない。
項垂れる美也子を暫く見て、太刀川はふと表情を緩める。それまで壁に背中を預けて立っていた彼は「俺がいない間さ」と美也子の隣に腰を降ろした。
「ちゃんと飯食ってたか?」
「はい。少し太りました」
「受験勉強は?」
「余裕です」
「お前は真面目だからな」
笑った拍子に肩が軽くぶつかったことで美也子は随分近い位置に太刀川がいることに気がつき、ドキッとした。
「俺がいなくて寂しかったか?」
「……寂しかったです」
やや間を空けて答える。彼のいない間、王子とか王子とか王子に向ける想いが膨らみ、美也子の心は色々と複雑な状態ではあったが、恋しく思ったのは事実である。
気恥ずかしくて伏し目になると髪がパラパラと落ちてくる。太刀川の手が伸びてきて、顔に垂れた髪を掬うと耳にかけた。そのまま頬を撫でられ、美也子は照れくさそうに顔を向ける。普段よりも近い距離で目があった彼は「寂しかったか」と独り言のようにもう一度繰り返して小さく笑った。じっ、とこちらを見つめる目から美也子も今度は視線を外さなかった。
ずっと絶え間なく話していたのに『そういう時』だけ時間が止まったように突然無言になっていくのが、たまらなく恥ずかしかった。近かった彼の顔がさらに近づくのを見て、美也子は誰も来ませんようにと願いながら自然と目を瞑った。
***
遠征部隊は今月に限り防衛任務に参加しないらしい。こんなこともあろうかと美也子は24日と25日に続けて休みを取っていたので、スケジュールの空いた太刀川と過ごすことになった。
そして24日の夜、美也子は太刀川と手を繋いで歩いていた。会わなかった期間の話をしながら、彼女はなんで手を繋いでるんだろ…と思っていた。学校での出来事を話しながらもなんで手を繋いでるんだ…と考えていたし、ボーダーでの事件を語りながらもなんで手を繋ぐんだ…と落ち着かなかった。
何故かという理由の答えにはならないが、そこに至るまでの経緯としては夜の寒さで震える美也子が手に息を吹きかければ、太刀川が「お前もしかして手袋って物を知らないのか?」と言いながら氷のように冷たくなった彼女の手をとった。そのまま離すことなく歩き続けているのだ。
あれだけ冷えていたはずの手が汗ばむのを感じながら、美也子は唇を軽く舐めた。未だこの距離感に慣れない彼女は若干の息苦しさを覚えたが、手を離そうとは思わなかった。
街灯に照らされた路上には自分達しかいないので、人目を気にする必要もない。そう考えていた美也子が進行方向に見えた人影にハッとするのと同時に、太刀川はそれが二人の共通の知り合いであることに気が付いた。
「おい、見ろ。来馬と村上がいる」
「いる」の「る」の字が発音される前に美也子は物凄い勢いで繋いでいた手を振りきった。こいつ、強い…!太刀川は確信した。
恐らくトリオン体より生身の方が強いと思われる美也子は、前方からやってくる鈴鳴支部の来馬辰也と彼を慕う村上の姿を確認すると「どうしていつもボーダー隊員に会うんだ」と若干泣きそうになっていた。どうしてもなにも隊員の大多数が三門市民なので市内に居れば遭遇率は高いに決まっている。特に最近はイレギュラー門の件もあって普段より警戒レベルが高くなっており、あまり遠出をすると招集がかかった時に戻れないため殆どの隊員は三門市内で休日を過ごしているのだ。
相変わらず相談をしない太刀川が二人の名前を呼びながら手を軽く振ると先に気が付いたのは、自転車を押しながら歩く来馬だった。カゴには中身がパンパンに詰まった大きなビニール袋が入っている。横を歩く村上も同じものを持っていた。個人の買い物にしては量が多いので、恐らく鈴鳴支部でパーティーでもするのだろう。美也子は学校で今がケーキを作ると話していたのを思い出した。
「よう、久しぶり」
「太刀川くん、遠征大変だったね。遊佐さんもお疲れ様」
一瞬驚いた表情を見せた後、いつもの穏やかな笑顔で声をかけてくれた来馬に美也子は頭を下げる。横では太刀川が村上に「お前背伸びた?」なんて遠い親戚のようなことを言っていた。
美也子も来馬に会うのは久しぶりだったが、村上とは終業式に会ったばかりである。太刀川と美也子を交互に見た村上がこちらを向くと彼が何を言うか予測して美也子は居た堪れなくなった。支部所属の村上は本部に来る機会が少ないこともあり、まだ美也子と太刀川の関係を知らない。犬飼によって拡散された噂は彼の耳に届く前になんとか食い止めた。
案の定、彼は防衛任務帰りとは思えない粧し込んだ美也子に何か言おうとしたが、さりげなく来馬が止める。彼も美也子達の今の関係性を知らないはずだが、24日の夜に二人で歩いてる時点で色々と察しているようだった。流石ボーダー随一の人柄の良さを誇る男である。人間が出来ている。
なんとなく理解したのか村上が控えめな視線を向けてきたが美也子が触れるな…何も触れるな…という目をしていたので空気を読んで黙っていた。今日のことは…誰にも話すな…と目で強く訴えかければ、感じ取ったのか彼は神妙な顔で小さく頷いた。ここで会ったのがこの二人で良かった、と美也子は胸を撫で下ろす。
本当は嫌だが、まだ太一じゃなくてよかった。太一なら「二人でお出かけですか!写真撮りましょうか!」と言ってこちらの返答を待つ前に撮った写真を五秒後には支給された端末にある正隊員の連絡用グループに誤爆している。悪意はなく、ただの事故だ。
美也子が最悪の想定をしている間、太刀川は今がケーキを作るという話を聞いて「マジかすげーな」と暢気に笑っていた。
「太刀川くん達はケーキ食べた?」
「いや、でも今日は時間も微妙だし、もう帰るかな」
「そっか。遊佐さんもいるし、あんまり遅くなるとね」
「あー、大丈夫。俺ら泊まりだから」
美也子はバッグの持ち手をしっかり握ると勢いよく振り回して太刀川を殴った。こいつ!!言わなくていい事をこいつ!!と怒りがこみ上げてくる。あまりにも突然のことに来馬と村上は固まっていたが、容赦なくボコボコに殴る美也子を見て我に返り必死に止める。
村上に後ろから羽交い締めにされながら美也子は「離して!ちゃんと殺すから!」と叫んでいた。危うく警察沙汰になるところだった。