episode4

※Telescope本編前の話です

桜の花びらが舞う中、校門をくぐった美也子は昇降口付近で人だかりが出来ている一角を見つけると一度深呼吸をしてから神に祈るような気持ちで近づいた。4月、新年度と聞いて心躍るのは新入生や新社会人だけではない。クラス分けの掲示は無事に進級した在校生が迎える最初のイベントだ。
一年生の頃は防衛任務でまともに来ることができなかった高校もついに最後の年となった。ボーダーも人数が増え、昔に比べればシフト調整も楽になり学校行事にも参加出来るようになったのはありがたいことだ。太刀川や嵐山達など融通が利かず大変だった世代を間近で見てきた美也子は、彼らより遅く生まれたことに感謝した。

どうか王子君と同じクラスになれますように――掲示の前でまるで受験の合格発表のように一喜一憂する同級生達を見ながら、美也子はごくりと唾を飲み込むと彼らの後ろから貼り出されたクラス表をそっと覗き込んだ。王子君と同じクラスになって、一緒に文化祭や修学旅行へ参加できますように――淡い期待を抱きながら、A組から順に名前を探すと案外あっさり見つかった。自分の名前を見つけてすぐに王子を探すが、残念ながら彼の名前はどこにもなかった。上から下までじっくり見た後、ダメか〜!と分かりやすく肩を落とす。
美也子の期待はあっという間に打ち砕かれてしまった。これから一年を共に過ごす面々をもう一度確認していくと国近や今、鳩原、当真といった防衛隊員達の名前が見つかった。彼ら以外にも親しい友人が多く、過ごしやすそうなクラスだった。これで王子が居れば最高だったのに…と小さくため息をつく。王子は隣のクラスで人見や加賀美が彼と同じクラスになっていたので美也子は素直に羨ましく思った。
防衛任務のため新学期早々公休となっている国近に「わたしの分も見ておいて〜」と言われていたので、前に出て写真を撮っておく。同じクラスだよと送っておけば、すぐに喜びを表すスタンプと「毎日会えちゃうね」とハートマークが大量についたメッセージが返ってきた。任務中にしては反応が早すぎる。さてはちゃんと仕事してないな?と呆れた。


新しい教室で最初に行われたのは委員会決めだった。せめて委員会くらいは王子と同じものになりたい、と美也子は悩み抜いた挙げ句、二年生の時に彼と一緒になった委員会を選択した。王子も「結構楽しかった」と語っていたので、もしかしたらまた選ぶかもしれない。希望者が少なかったのでジャンケン大会にはならず、あっさり決まった。同時に王子本人に何を選ぶか聞いておけばよかった、と少しだけ後悔する。恐らく彼は普通に教えてくれるだろうし、勘で選ぶより確実だ。でも聞いておいて同じ委員会を選択するのはあまりに露骨すぎるので、きっとこれでよかったのだろう。

委員会が決まった後、担任の口から簡単に明日からの授業や今後の行事予定の説明が済むと今日はこれで終わりとなった。時刻は正午を過ぎたところでクラスメイト達は特に用はないが教室に残る者、帰りたいのでさっさと帰る者、部活動へ向かう者などに別れていた。美也子もボーダーへ行こうと帰り支度をする。

「遊佐〜、一年からご指名入ったぞ〜」

すると去年も同じクラスだった男子がドア付近から美也子に向かってそう声をかけた。窓際の席にいた美也子が「一年?」と言いながら近付くと彼は「廊下で待ってる」と顎を軽くしゃくって教室の外を示す。

「誰だった?」
「いや、知らんて。でもなんかイケメン」
「イケメンの一年…?」

今日入学したばかりのイケメンの一年が自分を呼んでいる?
全く心当たりのない美也子が首を傾げれば、側で話を聞いていたお調子者のクラスメイトが「告白じゃん!?」と合点がいったように大袈裟に手を付いた。その近くの席に座っていた当真が「お前もう一年落としたの?」と揶揄ってくる。ええ、うっそー、一目惚れ?困るなあ〜私には王子君がいるのに…と満更でもない美也子が教室の外に出れば、もさっとした男前と目があった。

「なんだ、京介君か」
「お疲れ様です」

一目惚れでも何でもなく、一年のイケメンは烏丸だった。教室から「はい、解散」という当真の声が聞こえたような気がする。
入学式後、クラスでのオリエンテーションを終えたその足で来たであろう彼は左胸に新入生の証とも言える花飾りをつけていて、手に小さな包みを持っていた。ボーダーでしか顔を合わせたことのない彼が同じ校舎にいるのは、なんだかとても違和感がある。烏丸が玉狛へ転属して以来会っていなかったので、美也子の中の彼は数ヶ月前の中学生の姿で止まっていた。そのせいか急に成長したようにも感じる。
三年生しかいないはずの空間に見覚えのない新入生が入り込むのはどう足掻いても目立つもので、廊下を行き交う同級生達はちらちらと烏丸を見ている。それは「なんで一年がここに?」という疑問と「イケメンがいる」という熱い目と「告白だ…」という好奇の視線の三つに別れ混沌を極めていた。少し離れた柱の影で先月まで美也子と同じクラスだった友人達が「彼氏?」「告白じゃね?」「告白だよ」などと全く隠せていない声量で話している。ここで告白は度胸がありすぎる。
美也子は烏丸がもっと幼い頃からの付き合いであまり意識したことがなかったが、彼は確かに万人受けする容姿をしていて「なんかイケメン」という言葉を使ったクラスメイトにも納得した。これだけ様々な感情が入り雑じった視線を一身に浴びても動揺一つしないあたり、烏丸にとって人の目を奪うことは日常のようだ。
美也子もボーダー内外で有名な太刀川が無駄に構ってくるせいで意図せず目立つことには多少慣れていたが、学校内となると話はまた別である。気まずく思いながら頬を掻いた。

「どうしたの?業務連絡?」
「いえ、先輩に返さなきゃいけないものがあって持ってきました」

何か貸していたものがあっただろうか。美也子は太刀川から受けた仕打ちだけはよく覚えているが、それ以外のことは割とすぐに記憶から消してしまうので覚えていない。烏丸は手に持っていた包みをこちらに差し出した。

「あの、去年貸していただいたものなんすけど妹が自分のところに仕舞っていたみたいで見つけられなくて、返すのが遅くなりました。本当にすみませんでした」

美也子が包みを受け取ると烏丸はそのまま頭を下げる。それがあまりにも深々としたものだったので「遊佐がイケメンに告白されている!なんか貰ってる!」と囃し立てていた友人や元クラスメイト達が「遊佐がイケメンに頭を下げさせた!?」とざわつき出した。やめろやめろ見せもんじゃないんだ。視線には慣れているはずの美也子でもこの注目のされ方は中々厳しいものがあった。今すぐ誰かボーダー隊員が通りがかってくれないだろうか。デカイ声で「あ〜!あれは遊佐の元チームメイトで後輩のとりまるだ〜!借りていたものを返したみたいだぞ〜!」とかわざとらしく説明してくれないだろうか。当真出てこい、出番だぞ。という美也子の願いもむなしく周囲にいるのはボーダーとは何の関係もない生徒ばかりだ。二人のことを知っている隊員達は野次馬などしないので当然である。

影浦の気持ちがほんの少しだけ分かったような気がする美也子が野次馬を一睨みして散らし、受け取った包みを開くと中に入っていたのはハンカチだった。去年、雨でびしょ濡れになった烏丸にこのハンカチを貸していた――らしい。自分がしたことなのに全く覚えていなかった美也子は頭の中で記憶を探りながら「わざわざありがとう」と口にした。ダメだ全然思い出せない、と顔に出ていたが烏丸は空気が読めるので突っ込まなかった。
覚えていないということは自分にとってさして重要な出来事ではなかったわけだし、数ヶ月振りに戻ってきたハンカチは特別大事なものというわけでもなかったので、美也子はむしろここまで届けに来させてしまったことを申し訳なく思った。完全に動物園のパンダ状態だ。
烏丸がもう一度頭を下げたので、美也子も釣られて頭を下げる。懲りもせず遠くで眺める野次馬達は「二人でお辞儀してる…!」と盛り上がっていた。最早何でも有りだ。
すると烏丸が周囲を窺いながら美也子に半歩近付くとこっそり耳打ちした。

「あと、ずっと聞きたかったんすけど、太刀川さんのこと嫌いって本当ですか」

唐突すぎる。あまりにストレートな質問に驚いた美也子はすぐ否定できず言葉に詰まった。普段の自分の振る舞いは完璧のはずだ。そうなると入隊時期の近い誰かが烏丸に教えたのだろう。美也子は額に手をやると数秒考えた後、先程よりも小さな声で言った。

「それは…どこ情報?」
「小南先輩が言ってました。二人は因縁があるって」
「桐絵ちゃんか…」

よく事情を知っている古参隊員の顔を思い浮かべる。当時から小南は美也子がやられっぱなしでいるのが我慢ならないようだった。何度やり返せぶん殴れと嗾けられたことだろう。
美也子が微妙な反応をするだけで否定をしないことから、それが紛れもない事実であると察した烏丸は「本当なんすか」とちょっと驚いた顔をしていた。ポーカーフェイスの彼には珍しい。そのくらい意外な事実なのだ。
美也子は斜め上を軽く見上げてから「嫌いっていうか……」と腕を組んだ。

「あの人って…ちょっとクセがあるじゃない?付き合い辛いというか、私以外にも苦手に感じる人いっぱいいると思うよ」
「そうっすか?太刀川さんは気さくだから慕われててもおかしくないと思いますけど」
「ふ〜ん、京介君は太刀川さん派なんだ……」
「いえ、俺はごりごりの遊佐先輩派です」

こちらを真っ直ぐ見つめながら所属派閥を明かした彼に対して、美也子はこいつ結構お調子者だな?と思った。前々からノリの良さは感じていたが、会わない期間があったせいか以前とはまた少し違った印象を抱いた。きっと玉狛でも上手くやれているのだろう。
これ以上太刀川の話を続けたくなかった彼女は「今日はもう帰るの?」と無理やり話を逸らした。

「予定が無いなら、一緒にお昼ご飯食べに行く?奢るよ」
「いえ、ありがたいんですが今日はこれからバイトなんで」
「バイトって、新聞配達の?」
「いや、スーパーも始めました」
「そうなの。働くね」
「あと来週からレストランも」
「ええ?死んじゃうよ…」
「死なないっすね」

ポロっと出た言葉に、酷く冷静に返される。
確かに高校に入学したらバイトを沢山したいとは言っていたが、掛け持ちするとは聞いていない。事情があるのは知っているが防衛任務もあると考えると働きすぎのように感じてしまった。
バイト先であるスーパーの店名を聞けば、美也子の家からは少し距離のある店だったが、車を使えば行けないところでもなかった。

「家族で買い物に行くね」
「待ってます。俺がレジ打ちますよ」
「お客様からのご意見に京介君は最高って書いておくからね」
「やめてください。スーパーに居場所無くなるんで」

真剣な顔で断られた。烏丸は先輩相手でもNOと言える男である。美也子は彼のこういうところが好きだし、見習いたいと常々思っていた。
嘘だよと笑う美也子に烏丸は「安心しました」と先程と全く変わらぬ表情で続ける。

「でもそれ、太刀川さんも同じこと言ってましたよ。息ぴったりっすね」
「は?」
「すいません、怖いんでキレないでください」
「ごめんね怖がらせて」

聞き捨てならない台詞に、美也子は笑顔を消すとつい威圧的な態度を取ってしまった。別にキレているわけではないが、自分でも意外に思うほど低い声が出たのでそう捉えられても仕方がない。けれど決して笑って流すことの出来ない発言だった。太刀川と同じ思考に至っていたことを思うと悔しいし、普通に腹が立つ。
湧き上がってくる怒りの感情を必死に抑えた美也子が「怖かったよね」と他人事のように気遣えば烏丸は「怖かったっす」と真面目な顔で続けた。絶対嘘、と思ったが面倒なので指摘しなかった。

「私は京介君のこと可愛いと思ってるから今回は許してあげるけど、もうそういうこと言うのやめてね」
「はい、今回は自分の可愛さに感謝します」
「そうして」

二人でうんうん頷く。言葉の通り、美也子は烏丸のことを昔から可愛いと思っていた。彼女に限らず太刀川隊の面々は唯我以外は皆そうだろう。控えめで礼儀正しくて隊の中では最年少、とくれば可愛いに決まっている。
基本的に逆らわないし、いつも自分の味方に回ってくれる良い後輩――と思っていたら、その後輩は結構なお調子者なのでたった今注意されたことを忘れたようにふざけたことを口にした。

「でも俺、二人ってお似合いだと思いますよ」
「は?」
「すいません、冗談です。キレないでください」
「自分の可愛さに甘えないでくれる?」
「はい、今後は自分の可愛さに甘えません」
「そうして」

多分フリだと思っているのだろう。相変わらず表情からは何も読み取れない彼に、もう一度だけ「フリじゃないからね」と念を押した。いつも返事だけは良かった。
冗談でもあり得ないので二度と言わないでほしい――なんて思っている美也子は約半年後、太刀川と付き合い始めるのだった。烏丸は先見の明がある。

TOP