episode6

※Telescope本編前の話です。

甘い香りがする。そう感じた木虎の向かいでは美也子と綾辻がテーブルの上に並んだ宝石のような色とりどりのケーキを楽しそうに撮影していた。上手く撮れないのか「私がレフ板やるから」「この角度で挑戦します」などと試行錯誤をしながら何度もシャッター音を響かせる。少しして、ようやく満足のいく一枚が完成したのか二人はグッと親指を立てるとスマホからフォークに持ち替え「食べるぞ!」と意気込んだ。そんな先輩二人とは対照的に、ここまでずっと大人しく席に座っていた木虎はそっと紅茶に口をつける。正直見ているだけで胸焼けしそうだった。


「美也子先輩と私と藍ちゃんで打ち上げしない?」

自身が所属する嵐山隊の先輩である綾辻に作戦室でこっそり耳打ちされたのは四月の入隊式直後のことだった。打ち上げというのが入隊式のことを示しているのはすぐにわかったが、何故三人だけなのか。
チームメイト達の方を振り返る木虎に、綾辻は「嵐山さん達はまた別の機会にね」と口元で指を立てた。実は打ち上げとは関係なく美也子は美味しいと有名なホテルのケーキバイキングの予約を取っていたのだが、一緒に行く予定だった従姉妹の都合がつかなくなったらしい。誰か代わりに行ける人はいないかと探しており、その定員が丁度三名なので今期の入隊式に関わった女子だけで行こうという話になったのだ。
指定された曜日はボーダーの仕事も個人的な予定もなく、特に断る理由もなかったので木虎はその場で了承した。

しかし実際に来てみると噎せるような甘い香りと種類豊富すぎるケーキや独特の空気につい圧倒されてしまった。甘いものは人並みに食べるが、どちらかと言えば辛いものの方が好きだ。

「藍ちゃんは今回が初めての入隊指導だったけど、落ち着いてたね」
「本当にね。私なんてすっかり頼っちゃったよ」

先輩二人が揃ってそう言うと木虎はコホンと咳払いをしてから満更でもない顔付きで「どうも」と返した。今期の入隊式は嵐山隊に所属してから初めて指導役として参加した。一応彼女なりに緊張はしていたが予習も準備も完璧に整え、当日はやるべき務めを無事に果たすことができた。このくらい当然のことである。
木虎は小さく切ったケーキを口に運びながら、共にテーブルを囲む面々に目を向ける。髪型や服装のせいか綾辻も美也子も基地で会う時とはまた少し異なる雰囲気だった。こうしてボーダーの先輩方と外で会うのは初めてだ。
二人とも甘いものは得意なようでハイペースで食べ進めていた。これが美味しい、お気に入り!と語る美也子に、バレないよう控えめな視線を向ける。

ボーダーに入隊して間もない頃、木虎は美也子を嵐山隊の一員だと勘違いしていた。入隊式で彼らと共に面倒を見てくれたし、皆と気安かったからだ。
そのため五人目のメンバーとして勧誘を受けた時は混乱したものだ。佐鳥に訊ねてみたところ「遊佐先輩は幻のシックスマンだから…」などと意味不明な発言をしたので彼は木虎の中の敬うべき先輩ランキングで最下位に位置することとなった。

木虎は銃手としてB級に上がった為、嵐山隊に所属するまでは美也子とさほど関わる機会がなかったが、彼女のことをずっと羨ましく思っていた。何故なら自身が仲良くしたい黒江に慕われている(ように見える)し、尊敬する烏丸と特別親しい(ように見える)からだ。雨の日にずぶ濡れになった烏丸を甲斐甲斐しくハンカチで拭っている姿を見た時には「まさか……!?」とハラハラしたものだ。一部の先輩からは生意気と言われる木虎もまだ中学生の少女である。
ちなみに美也子からすれば木虎は礼を弁えている優等生といった印象だった。誰が相手でも臆することなく意見をするが、上の者を立てることも知っているし、闘争心の高さはボーダーでは重要だ。生意気などとは思ったこともない。

「そういえば、美也子先輩この間の合コンどうでした?」

綾辻の何気ない質問に、木虎はつい動揺して噎せてしまった。
「藍ちゃん大丈夫?」「気管に入った?」などとのんびりと尋ねてくる先輩二人と比較して、自分のその手の経験の浅さが浮き彫りになったようで恥ずかしく思う。
合コン?でも遊佐先輩って――と真っ先に彼女の頭に浮かんだのはいつも美也子の傍にいる人物だ。彼がいるから美也子は絶対そういった場には行かないだろうと思っていたし、烏丸とも普通よりちょっと親しい先輩後輩で、それ以上にはなり得ないと確信していた。木虎が誰を思い浮かべているのか知らない美也子は、合コンという単語に明らかな動揺を見せた中学生に対して何を思ったのか「合コンって言うか食事会だよ?」と言い訳のように手を振った。物は言いようである。

「加古さんの友達が彼女募集中……あの、ボーダーの子と友達になりたいらしくて誘われて参加したって話」
「はあ……」
「でも来馬先輩もいたし、本当にただの集まりって感じだったから。来馬先輩もいたし!」
「何なんですか、別に合コンでいいですよ」
「いや、なんか遊び歩いてるって思われるの嫌だし……来馬先輩もいたから……」
「来馬先輩はもういいです」
「美也子先輩、来馬先輩の名前出せばどうにかなると思ってるでしょ」

必死に謎の弁解をする美也子をおかしそうに笑った綾辻は、事情を知らない木虎へ簡単に経緯を説明をしてくれる。先月半ば、話の通り加古望が(美也子曰く)食事会を開くことになり友人の希望に沿うため後輩達に声をかけたそうだ。ボーダーでもトップクラスの人気を誇る綾辻も当然誘われたが、広報の仕事で参加できなかったらしい。最終的に集まったメンバーを聞かれた美也子は「国近と歌歩ちゃんと羽矢さんと〜」と指を折る。普段から加古と交流がある面々というより、人当たりの良い美人を集めたという印象だ。

「どうでした?イケメンいました?」
「いたいた。流石加古さんの友達はレベル高いよ」
「えー、私も行きたかったな〜」
「でも結構賑やかというか……私はあんまり好きなタイプじゃなかったかな」
「ああ、美也子先輩って物腰の柔らかい綺麗な役者さんみたいな人が好きですもんね」
「……そうなんですか?」

先輩二人のやり取りを聞いていた木虎は、ぽつりと呟いた。口を挟むつもりはなかったが、美也子の好みについては聞き流せなかったのだ。
意外だ――真っ先に浮かんだその言葉は口にしなかったし、表情にも出さなかったが、そう思っていることは声色や間の空け方で伝わってしまったらしい。美也子ではなく綾辻が「そうだよ」と木虎を見た。

「藍ちゃん聞いたことない?先輩の好きな芸能人」
「ええ、まあ」
「木虎ちゃんには言ってなかったかも」
「言ってやっちゃってください、美也子先輩」

綾辻に促される形で美也子は何人かの名前を挙げる。それは国宝級イケメンと持て囃されるモデルだったり、グループで二番目に人気のアイドルだったり、海外で高く評価されるアーティストの二世だったり、最近はバラエティー番組でも見かける舞台役者だったり。
しかし何れもいつも彼女の傍にいる人物――太刀川とは似ても似つかないタイプである。その事実に木虎はひっそりと困惑した。美也子は太刀川のことが好きなのだとばかり思っていたからだ。昔の出水と同じで、距離の近い二人は木虎の目にはカップルにしか見えなかった。
好みと実際に好きになる相手は違うとも言うが、こうも掠らないものなのか。木虎自身は好意を抱いている相手がそのまま好みのタイプだったので、余計に気になった。案外、太刀川のことは好きでも何でもないのかもしれない。気の合う兄妹くらいの感覚なのだろうか。ということは、美也子にとって烏丸は十分有りなのでは…?
木虎は突如としてそんな考えに至った。何故なら烏丸は同年代と比べてもかなり落ち着いた性格で、芸能人だと言われても信じてしまうくらい見目が良い。特定の異性と親しくすることのない彼も美也子とはよく話していたし、思い返せば彼が玉狛支部へ転属する前「何かあったら助けてもらえ」と美也子を『頼れる先輩』として名指ししたこともあった。その時は数少ない女性戦闘員で元チームメイトらしいので名前が挙がっただけだと思っていたが、こうなると話は別だ。
ちょっと待って、こっちなの……?そういう組み合わせなの……?と何とも言えない焦りを感じる。

「その人知らないかも。何に出てます?」
「今だと月9かな。脇役だけど存在感すごくてハマり役だよ」

一人そんな事を考えている間に、テーブルの話題はいつの間にやら新進気鋭の若手俳優へと移っていた。美也子はスマホを取り出すと画像検索をして「この人」と二人に見えるように画面を向ける。「カメラのCMの人だ」と手を合わせた綾辻に続き、木虎も見覚えがある顔に頷く。現在出演中の月9では、エンドクレジットで六番目に名を連ねる脇役だが、三話目にして一部の視聴者の間では主役を食う人気らしい。
興味を示した綾辻にドラマの視聴を勧めると美也子は木虎にも「田中役だよ。田中をどうぞよろしく」と自分のスマホを差し出してどの目線からなのか分からない紹介を始めた。
くすくす笑いながら綾辻は「二巡目行ってきまーす」と席を立つ。あれだけ大量にあったケーキは綺麗に無くなっていた。よく食べるな、と感心しつつ木虎は勢いで受け取ってしまった美也子のスマホ画面に映る俳優に目を向ける。同時に美也子の指が伸びてきて、俳優のインタビュー記事へ飛んだ。読んで、ということらしいので素直に従う。
所詮は画面の向こうの世界の住人なので実際どうなのかは知らないが、この記事を読む限りは頭の回転が速く、努力家で誠実そうな人柄が窺えた。彼のような人間は嫌いじゃない。

「遊佐先輩って、こういう人がタイプなんですね」
「うん。そんなに意外?」
「まあ…先輩はもっとだらしない人が好きなのかと思っていたので」
「私ってそういうイメージなの?」
「はい。興味のないことには無頓着で交友関係が広くて要領の良いタイプが好みなんだろうなって」
「誰のこと言ってるのそれ」
「別に誰でもないですよ」

今この場に綾辻が居ればすぐに太刀川のことだと分かっただろう。当の本人はわかっていないあたり、やっぱり美也子の中で彼は対象外なのだ。
ということは、先程の予想はありえなくないわけだ。うっ…と中々深刻なダメージを負いながら木虎は持っていたスマホを返した。それを受け取った美也子は数分前より沈んだ様子の後輩に目を瞬かせた。何を思ったのか周囲に聞こえないよう「ねえ」と声を潜める。

「木虎ちゃんにだけ教えちゃおうかな。私の好きな人」
「えっ」

予想外の展開に、木虎は緊張から急速に口が渇くのを感じた。まだ心の準備が出来ていない。慌てて「待ってください」と美也子を止めるとカップに残っていた紅茶を一気に飲み干した。
もしここで烏丸の名前を告げられたら、もう今日は帰るしかない。きっと烏丸も美也子のことを好きだろうからそのうち絶対に上手くいく。明日から素直に応援しよう――そこまで覚悟した木虎は「どうぞ」と震え声で続きを促した。

「私はね、チェスが出来て馬に乗れて、朝食はクロワッサンで紅茶党で、社交的で顔が綺麗な人が好き」
「……!………?……?いや誰ですかそれ…」
「うーん、名前は秘密」

照れくさそうに笑う美也子に、木虎は肩の力が抜けていくのを感じた。教えられたのは物凄く限定的だが、ボーダーに所属して一年未満の彼女では特定することが出来ないような偏った情報ばかりだった。個人の趣味嗜好まで把握していないし、そもそも防衛隊員ではないかもしれない。
だが確実なのは彼女の口から告げられた人物像に烏丸は当てはまらないということだ。それだけは間違いない。遊佐、烏丸のこと好きじゃないってよ。
その答えに辿り着いた木虎は分かりやすく安堵してしまった。その様子に美也子は微笑ましいものでも見るかのように口元を緩める。

「木虎ちゃんは京介君だよね」
「な!はぁ!?ち、違います!」
「そうなの?」
「違いますよ!違います…違………うこともない…こともなく……それも……ないです」
「なんて?」

焦って妙なことを口走ってしまった。今夜はこの失態を思い出して中々寝付けないだろう、と後悔する木虎に「あのね」と声がかかる。

「会う回数が多いと相手に好意を持ちやすいんだって」
「知っています…」
「だからたくさん会うと良いよ」

雑なアドバイスだ。恐らく単純接触効果のことを言っているんだろう。
烏丸は玉狛支部の所属になったので以前ほど気軽に会えないが、時々は本部に顔を出すと言っていたのでまだまだ機会は作れるはずだ。約束を取り付けて……ってそうじゃない。自らの邪な考えを打ち消すように木虎は頭を振った。

「べ、別に、私は烏丸先輩にそういった類の感情は持ち合わせていません。ただ尊敬できる先輩というだけですから」
「でも京介君は木虎ちゃんのことすごく誉めてたよ。きっと気に入っているんだと思う」
「えっ、……」
「飲み込みが早くて、素直で努力の仕方を知ってる子だからどんどん上に行くって」
「……ほ、本当に?」

うん、と優しい顔で頷く美也子に、木虎もつい笑みがこぼれる。
すぐにハッとして否定しようと思ったが、自身の頬が熱を持っていることに気が付いてやめた。赤い顔で言っても何の説得力もないだろう。
片手を額にやると木虎は観念したように小さく言った。

「諸々秘密にしてくださいね……」
「遊佐了解」
「本当にわかってます?」

茶化しているとしか思えない美也子に木虎はため息をついた。まあ、いいか。今夜はよく眠れそうだ、と赤い顔を誤魔化すようにケーキを口に入れた。

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