episode7
※Telescope本編前の話です。三輪が中学三年生の頃となっています。
個人ランク戦のロビーでソファに腰掛けた美也子は、モニターに映し出される模擬戦ではなく自分の手元にある小さな水色の紙を眺めていた。駅前のドーナツ屋で使えるセットメニューの半額券だ。この一枚で二名まで対象となるらしい。
それはつい先日、小南が「ダイエット中だから」と譲ってくれたものだった。折角だから誰か誘って行こう、などと考えている間に期限は刻々と迫っていた。絶対に行きたいというわけではないが、このまま使わずに終わるのも勿体ない。
誰を誘おうか頭を悩ませていれば、ブースから出てきた大学生の正隊員が「そろそろ帰れよ」と美也子に声をかけてきた。時間を確認すると22時を回ったところだ。やばい、帰らなきゃ、と半額券を上着のポケットに突っ込む。荷物は作戦室に置いたままなので一度取りに戻らなくてはいけない。
防衛任務や緊急時を除き、本部に自室を持たない18歳未満の隊員は22時半まで――正確にはその10分前まで――に基地を出るように定められていた。一般的に23時以降は補導対象とはいえ三門市ではボーダーに所属する者ならその限りではない。それでも変わらず時間に厳しいのは、批判される口実を与えないためだ。
ボーダーはまだ設立から二年程度の組織で、機密事項が多く内側が見えないせいでまだまだ世間の風当たりが強い。メディア対策室が頑張ってはいるが、トリガーはおろかトリオン器官のことも殆ど明かされていない中、学生中心の組織体制に批判が生まれるのは当然のことで、重箱の隅をつつくような者も多かった。
防衛任務だって深夜帯の勤務体制が公表されたら相当な物議を醸すだろう。一応中学生の隊員には出来る限り回らない様に配慮されている――そもそも親が許さない隊員も多い――が、人が足りないんだからある程度は仕方がないのに、なんて思ってしまうのは美也子が中立ではないからだ。
それにしても時間が足りない。最近新しいトリガーを使い始めた彼女は、年齢のせいで訓練時間が制限されることに不満を感じていた。
勿論ボーダーも色々考えているようで、イメージアップのために噂ではどこかの部隊を広報担当に据えるつもりらしい。確かにスーツを着た大人がつらつら語るよりも現場に立つ隊員の飾らない言葉の方が世間も受け入れやすいのかもしれない。美也子もドキュメンタリーは好きだ。つい応援してしまう。
これを機にボーダーの支持率が上がれば隊員数も増えるし、煩わしい制約も減り今よりもう少し融通が利くようになるだろうか。
いまいち想像がつかないまま辿り着いた作戦室へ入る。二時間振りに戻った作戦室には誰もいなかったが、太刀川の荷物が残っていた。当の本人はどこに消えたか知らないが絶対に施設内にいるはずだ。いいな、18歳。なんて思いながら美也子は荷物を手に取るとすぐに外へ出た。
丁度下階へ向かうエレベーターが到着していたので慌てて走る。中には既に三輪が乗っていて、彼は走ってくる美也子に気が付くとボタンを押して閉まりかかっていた扉を開いた。
「お疲れ様です」
「ありがと、お疲れ様」
とん、と跳ねるように乗り込みながら美也子も挨拶を返す。
時間帯から考えて目的地は地下通路で間違いないと思っているのか三輪は行き先を聞かずにそのまま開閉ボタンを押した。
「ねえ、訓練時間足りないと思わない?」
「なんだ急に」
扉が閉まるなり、ずいっと近付いてきた美也子に三輪は眉を潜めた。
この二人はほぼ同期入隊だ。美也子の方が一学年上だが三輪は初めの頃彼女を同学年だと勘違いしていたので今でも先輩とは呼ばないし、一応敬語は使うが二人きりの時は同級生を相手にするような砕けた口調になる。現ボーダーが設立されてすぐ、人数が少なく隊員達の距離が今よりももっと近い時期に入隊したからこその特殊な間柄だった。
不服を唱える美也子に、三輪は怪訝な顔を見せた。彼女がそこまで訓練に熱を入れる性質でもないことを知っているからだ。
決してサボり魔ではないし、掲げた目標への努力も惜しまないが、観たいドラマや遊びの約束があるなら迷わずそちらを優先させるようなボーダー以外にも大切なものが沢山あるタイプ――というのが三輪から見た美也子の印象だった。彼の疑問に答えるような形で美也子は「新しいトリガー使いたいからさ」と続けた。
「せめて土日くらいは許して欲しいよね」
「そういう規則なんだから仕方がないだろ。破るなよ」
「別に破らないよ。ただの愚痴」
「一人でも守らない奴が出てくるともっと厳しくなる」
「破らないってば」
自分を何だと思っているのか、美也子は横に立つ年下の中学生を肘で小突く。到着音と共にエレベーターの扉が開き、同時に外へ出た二人は迷わず地下通路の方へ足を向けた。目指す場所が同じなので自然と肩を並べることになる。通路を進んでいれば「新しいトリガーって」と三輪が口を開いた。
「射撃トリガーか」
「そう。三輪君も拳銃型使い始めたよね」
「出来ることは多い方がいいからな」
三輪が銃型トリガーを入れたのは太刀川との模擬戦がきっかけであると美也子は何となく察していた。彼に対抗するにはブレード一本では限界を感じたのだろう。それは美也子も同じで太刀川の真似をしていても彼には敵わないと悟った。本当はスコーピオンを使いたかったのだが横から謀反だなんだと言われるのでやめて、代わりに手を出したのが射撃トリガーだ。
そのまま美也子の悩みに三輪が答えるような形でトリガー構成の話が始まる。結局のところ防衛隊員の間で一番盛り上がる話題はこれだった。
彼らの入隊当初、射撃トリガーを使うと言えば射手一択だったが、取り扱いの難しさから新たに銃手というポジションが生まれた。射手は弾丸の威力や射程をその都度調整でき、多角的な攻撃が可能だが使いこなすにはセンスが必要で向き不向きが激しい。銃手が使用する銃型トリガーは扱いがシンプルで安定性があり、攻撃までのモーションが短いので出会い頭での撃ち合いならこちらに分がある。しかし射手と比べて弾丸の種類など攻撃の自由度は低い――といった具合にどちらにもメリットとデメリットが存在するし、同じトリガーでも人によって使い方は様々だ。
美也子は鍔迫り合いになった際に隙を埋めることが目的だった。あくまで攻撃手としてブレードでの戦闘がメインで、派手な撃ち合いをする気はなく補助程度に捉えている。そのため銃は使わずに射手と同じスタイルで練習中だ。
対して三輪は、近接寄りの万能手としての活用を考えているようだった。彼から銃型トリガーの利点を聞かされ、美也子は若干心が揺らいだ。まだ軽く触れた程度だったが、早くも射撃トリガーの難易度の高さに躓いていたところだったのだ。
発射する弾をその都度調整できる、ということはつまりそれだけ意識を割かなくてはいけないわけで、攻撃手の間合いで弧月を振りながらの操作は想像以上に難しかった。慣れないせいもあるが、焦ると明後日の方向に弾を飛ばしてしまうのだ。アドバイスをしてくれる出水は十分センスがあると言うが、彼は美也子に甘いところがあるので信用できない。
やっぱり銃型の方が良いのかもしれない、と思い直す。今のままでも慣れれば形になるだろうが効果的に使えるかは分からない。三輪は出来ることは多い方がいいと語ったが、器用貧乏になるくらいならやめた方がいいと思っているはずだ。
とりあえず出水に相談することにし、すぐに結論は出さなかった。
「ねえ、三輪君は作戦室のトレーニングルーム使ってる?」
「まあ、それなりに。でも一人の物でもないし、正直使いづらい」
「一番年下だもんね」
美也子は彼のチームメイトを思い浮かべながら納得したように頷いた。至る所に弟子がいるせいであまり作戦室に立ち寄らない東はともかく二宮や加古が使うと言ったら彼らが優先になるだろう。
チームとして上手くやれているのは知っているが、学生にとっての年齢差はたとえ一つでも大きなものだ。年の近い戦闘員二人も三輪からすれば三つ上で、彼らと二つ違いの美也子でも遠慮があるのだから、どうしたって気を遣うだろう。何より二宮も加古も先輩として尊敬に足る人物だが、決して親しみやすいタイプではない。
勿論、彼らは後輩が訓練をしたいと言えば快く協力してくれるだろうが、チームでの訓練と個人での訓練は違うし、三輪は出来れば攻撃手を相手にしたいはずだ。太刀川に対抗したいと考えているなら尚更。
夢中で話していれば、あっという間に地下通路の出口まで辿り着いた。扉を開いて外へ出ればひんやりとした風が頬を撫でる。昼は汗が滲むほど気温が高いというのに、夜になると少し肌寒い。本来なら二人はここで別れ道になるはずなのだが、その場で立ち止まって話し続けた。
美也子が基地の通路で三輪を呼び止めたのは、それから二日後のことだった。
じゃーん、とわざとらしい効果音を口にしながら彼女が見せたのは銀色のカードキーだ。意図が分からず「なんですか」と訝し気に問う三輪に、美也子は「第三訓練室の鍵」と簡潔に答えた。カードキーの表面には03と印字されている。
「どうしたんだそれ」
「忍田さんの名前で借りたの。私も作戦室のトレーニングルームは使いづらいから」
「……それで?」
明るい調子で続ける彼女に、三輪は何と返せばいいか分からず反応が遅れる。そもそも訓練室を個人で借りるなど聞いたことがなかったからだ。美也子は忍田に稽古をつけてもらう時はいつも訓練室を使用していたので、それが特殊なことであると自覚していなかった。
若干のすれ違いに気が付かないまま美也子は「もっと練習したいって話をしたでしょ?」と先日の会話を振り返る。
「射撃トリガーを使うなら個人ランク戦のブースより細かく設定弄れる訓練室の方がいいかなって」
「……」
「それで、一人でやるより対戦の方がいいと思ってて」
美也子ははっきりと口にはしなかったが、ここまで来ると三輪にも彼女の真意は伝わっていた。彼が眉根を寄せるのを見て、お節介だったかもしれないと美也子は少し後悔した。
自隊のトレーニングルームが使いにくいのは方便ではないし、三輪の為という恩着せがましい言い方をするつもりもない。単純に、これなら自分も三輪も思う存分訓練が出来ると思ったのだ。名案かも――と美也子は調子に乗ってここまでスキップで進んできたわけだが、いざこうして声をかけてみれば、三輪はなんとも形容しがたい微妙な顔をしている。
段々と己の行動に自信がなくなってきた美也子はこの空気に耐えられず彼から目を逸らした。先程とは打って変わって小さな声で「良ければ一緒にどうですか…」と絞り出す。断られたら仕方がない。
手元に向けていた視線を恐る恐る戻せば、口を真一文字に結ぶ少年とばっちり目が合った。数秒見つめ合ってから、三輪は小さく息を吐くと頭を下げた。
「お願いします」
それを聞いて美也子は胸を撫で下ろすと笑みを浮かべた。
***
翌日の午後、今度は三輪が呼び止める形で二人は基地の通路で対面した。
三輪は手に持っていた紙袋を美也子が何か言う前に「これを」と差し出した。それがどこの店のものかすぐに分かった美也子は目を輝かせる。
「わー、いいとこのどら焼きだ」
「昨日のお礼です。前に一人で一箱食べたいって言ってたから」
「結局怒られたんだから別に良いのに」
「訓練出来たことに違いはないので」
ただ事実のみを告げる、といった感じで三輪は年頃の中学生とは思えないほど淡々と続けた。美也子は昨夜のことを思い出し、困ったように笑う。
訓練室で射撃トリガーの練習を始めた二人は予想外に熱が入り、基地で定められている帰宅時間を大幅に過ぎてしまったのだ。二人がまだ残っていることに気が付いた忍田に怒られ、最終的に彼の車で家まで送ってもらった。
ボーダーでは優等生の美也子と三輪だったので厳重注意で済まされたが、次回からは反省文と何かしらのペナルティを課すことになると告げられ、ひやりとしたものだ。
しかし三輪の言う通り訓練できたことに違いはなく、有意義な時間だった。美也子もそれは分かっていたので受け取った紙袋を持ち直すと「またやろうね」と明るく口にした。
「俺達じゃ訓練室は暫く使えないだろ」
「場所と時間変えればいいんじゃない」
何とも適当な答えに初めから期待していなかったのか三輪はフン、と鼻を鳴らすだけだった。
美也子は何気なく空いている手を上着のポケットに入れると何かが入っていることに気が付いた。出てきたのは駅前のドーナツ屋で使えるセットメニューの半額券。期限は明日の14時までだ。
忘れてた〜!と友人達の顔が浮かんでは消える。どうしよう、空いてる人いたっけ、と必死で考えていれば目の前の三輪が「で?」とこちらを見た。
「なに?」
「次はいつ集まる?」
「ああー……」
その時、美也子の視線は意外と乗り気な彼ではなく手元の半額券に向いたままだった。一昨日確認した勤務表では、自分も三輪も昼に防衛任務のシフトは入っていなかったはずだと思い出す。
「じゃあ明日の正午に駅前のドーナツ屋ね」
「日曜の昼にそんなところに集まってどうするんだ…」
「いや、半額券があるから行きたくて」
はい、と半額券を手渡せば三輪はその水色の紙を一瞥してから「食べたら場所探すぞ」と呆れたように言った。美也子は無事に半額券を無駄にせずに済んだのだった。