episode8

※Telescope本編前の話です

基地に入るなり鼻歌交じりでトリオン体に換装した美也子は今にも踊り出しそうな軽やかな足取りで個人ランク戦のロビーを訪れた。彼女がいつにも増して上機嫌な理由は、太刀川が施設のどこにもいないことを知っているからだ。今頃大学で再試験中だろう。今回は3つある、とつまらなそうな顔で愚痴る彼と「ええ〜!頑張ってくださいね!」「お前はなんでそんなに嬉しそうなんだ?」というやり取りをしたことは記憶に新しい。
やはり太刀川がいないと気が楽だ。束の間の平和を噛み締めながら模擬戦の相手になってくれそうな人物がいないか辺りを見回すと同学年の攻撃手、荒船がソファーに座っていることに気が付いた。トレードマークとも言える帽子を被った彼は、何やらスマホの画面をじっと見つめている。
普段の快活な様子を思うと少し珍しい光景だが、美也子は特に気にせず声をかけた。顔を上げた彼は美也子を見るなり「丁度良かった」と持っていたスマホの画面を向けた。

「遊佐、お前このシリーズ全作観てるって言ったよな?」

画面に表示されていたのは、とあるアクション映画の公式サイトだった。二十年以上前に公開された一作目の大ヒットを受けてシリーズ化され、タイトルだけなら小学生でも知っているほど知名度が高い。癖のある設定と度々挟まる容赦のない残酷表現のせいでオススメはしづらいが根強いファンのいる作品で、先週六年振りに新作が公開された。
美也子はこのシリーズの大ファン――というほどではないが、面白いと思って観ていたし、今回の新作情報も前々からチェック済みで予定のない日に映画館へ足を運ぶつもりだった。

「新作まだ観てねぇなら一緒に行こうぜ」
「いいよ。いつにする?」
「明後日はどうだ?防衛任務もないだろ」
「うん。空いてる」

その誘いに頷きながら荒船の横に腰を下ろした美也子は、一呼吸置いてから「というか私達だけで行くの?」と腕を組んだ。

「今のところは俺とお前くらいしか観たい奴いねーぞこれ」
「まあ五作目だもんね」

美也子は新規ファンを一切獲得する気のない宣伝CMを思い出して苦笑する。一作目こそ何度もテレビ放映されたため世代を問わず人気だが、年齢制限付きのシリーズ物で主役は勿論、六年振りとは言え前作から続投のキャストが多く専門用語が遠慮なく飛び交うような作品である。美也子も荒船も自分達以外でこの映画を全シリーズ視聴済みの者とは出会ったことがなかった。
ここまで人を選ぶ映画となると親しい友人と言えど気軽に誘えない。荒船君と二人か〜、と美也子は頭を悩ませた。

「それは、ちょっとまずいよね……」
「何がだよ?」

美也子は一体何に引っ掛かるのか。別にいいだろと首を傾げる荒船に、渋い顔をする美也子は「いや……」と小さく口を開いた。

「荒船君と二人ってなると倫ちゃんに悪いじゃない」
「は?なんで加賀美?」

二人で映画に行くことの何が加賀美に悪いのか。予想外の名前が飛び出し、ますます不可解に思う荒船よりむしろ美也子の方が不思議そうに目を瞬かせた。

「だって、荒船君ってぶっちゃけ倫ちゃんと付き合ってるんでしょ?」
「なんでだよ。付き合ってねぇよ」

間髪を容れずに否定され、美也子は「ええ!?」と大袈裟に驚いた。確かに本人達に確認を取ったことはなかったが、彼女としては割と信憑性のある話だと思っていたからだ。その反応に、荒船はぴくりと眉を動かした。

「どこで流れてるんだその噂」
「なんか至るところで。ぶっちゃけ付き合ってるらしいって」
「ぶっちゃけ付き合ってねぇよ」

美也子の場合は菊地原とラウンジで休憩している時に彼の耳が拾ったC級隊員達の噂話が始まりだった。以降もちょくちょく聞こえてきたのでかなり広い範囲で流れているのだろう。そのまま伝えれば呆れたようなため息が返ってきた。

「くだらねぇな」
「同じチームで仲良いとどうしてもね。私も隊長とオペは大体デキてると思ってたし」
「お前そっち側かよ」

正直に白状すれば横から強い視線が突き刺さり、美也子は「噂は流してないよ!思っただけ!」と慌てて手を横に振った。彼女もまだ高校生だ。どうしたって他人の恋愛話は気になってしまう。

「ほら、弓場さんとののさんとか怪しくない…?」
「いやあの二人こそ戦友って感じだろ」
「影浦君とヒカリちゃんも」
「あれは悪友」
「荒船君と倫ちゃん」
「ぶっちゃけ付き合ってない。覚えて帰れよ」

きっぱりと否定され、美也子は「遊佐了解」と残念そうに答えた。結構本気で二人はお似合いだと思っていたのだ。
彼女の考えが読めたのか荒船はやめろやめろ、と参ったように顔を顰めた。

「つーか、お前が一番怪しいからな?わかってるか?」
「私オペでも隊長でもないよ?」
「そうじゃねぇよ」

このポンコツが、と軽く頭を叩かれる。荒船は何かにつけて美也子の頭を叩く癖があった。きっと身長的に丁度良い位置にあるのだろう。
訳が分からずに叩かれた箇所に手を当てた美也子を見て、何か思い当たったのか荒船はきょろきょろと辺りを窺った。

「どうしたの」
「いや、太刀川さんに見られるとまずい」

その割に荒船は焦る様子を見せるどころか口角を上げた。それは先程の仕返しの意味も込めた発言だからだ。しかし美也子は自分と太刀川が噂されるような仲だとは夢にも思っていなかったので全く通じていなかった。

「大丈夫!太刀川さん今日は来ないんだよ。ふふっ、再試だから……!」
「なーに笑ってんだお前は」

色々な意味で我慢できずに肩を震わせた美也子を見て、彼女のポンコツ具合を再確認した荒船は「嫌な奴」とおかしそうに笑った。

***

学校帰りに六頴館高等学校の方までやってきた美也子は、そのまますぐ近くのファストフード店へ入った。この店は学校から見て道路を挟んだ向かいに位置するので、下校時間の今は店内の殆どが六頴館の生徒達だった。一階の窓際に面したカウンター席に座った美也子はガラスの向こう側を歩く人々を眺めながら、注文したジュースを口にする。右隣の席に置いた鞄からスマホを取り出して荒船の連絡先を見つけるとここで待っているという旨のメッセージを送った。

今日は件の新作映画を観に行く日なのだが、荒船は委員会の仕事で少し遅れるらしい。二人が観る予定の上映回はまだまだ先で元々合流したらどこかで時間を潰すつもりだったので、美也子は特に気にしなかった。
目的もなくスマホを適当に弄る。SNSの通知が溜まっていたのでチェックをしていれば、コツコツ、とガラスを叩く音が聞こえた。反射的に顔を上げれば、目の前のガラス一枚隔てた先に制服姿の神田が立っていた。あっ、と声を上げた美也子を軽く笑って指差すと彼はそのまま店の出入り口の方へ歩いて行く。入ってくるかもと店内を振り返れば、すぐに鞄だけ持った神田が現れた。
注文カウンターに寄らず真っ直ぐこちらまでやってきた彼に、美也子は右隣の席に置いていた自身の鞄を取ると「どうぞ」と促した。神田はお礼を言いながら空いた椅子に腰掛けた。

「遊佐がいるのが見えたから入ってきちゃったよ。何してんの?」
「荒船君待ってる。映画観に行く約束なんだ」
「ああ、そこの映画館?」
「そう。広くて綺麗だから」

美也子の言葉に、神田は「大事なポイントだよな」と頷いた。ここからそう遠くない場所に新設された映画館があることは、六頴館に通う彼も当然知っていたようだ。
何を観るのか聞かれたので、美也子は先日の荒船のようにスマホで映画の公式サイトへ飛ぶと「これ」と言いながら神田に差し出す。

「なにこれ。…なに、これ……?」
「面白いんだよ」

画面を見つめて戸惑う様子に、美也子は眉を下げて笑った。こういった反応には慣れたものだ。
簡単に説明すれば、神田は一作目のタイトルとあらすじを聞いて「ああ、あれか!」と合点がいったようにぽん、と手を打った。

「俺も一作目は観たことあるよ。続きあったんだな」
「そう、二作目から監督変わって主演変わってタイトルも微妙に変わっちゃったから、みんな気付いてないみたい」

冗談っぽく語る美也子に釣られ、なんだそりゃ、と神田も明るく笑う。

「けど、遊佐と荒船って二人で出かけたりするんだな」

一頻り笑った後、手にしていたスマホを返しながら彼は少し意外そうに言った。
美也子にとって同学年の攻撃手の中なら荒船が一番気安い相手だった。付き合い自体は影浦の方が長いが、彼のことはずっと苦手だし、入隊して日の浅い村上とはまだ少し距離がある。そして王子は憧れの存在なので彼らと同列に扱うことは出来なかった。
自分と荒船が同学年の中でも親しい部類であることは神田もよく知っていることだと思っていたので、美也子は「そんなに意外かな?」と首を傾げた。神田は「いや、なんていうか……」と頬を掻く。

「お前は王子のことが好きなんだと思ってたから、他の奴とは二人きりにならないように気を付けてんのかなって」
「………………」

美也子はあまりに驚きすぎて、単語どころか声を発することさえ出来なかった。一時的に全ての言語を忘れたようだ。なんて言った今?
隣に座る彼の口から飛び出た発言を頭の中で反芻する。その意味をじわじわと理解していくと同時に何とも言えない不安と焦りが込み上げてきた。心臓がバクバクと五月蝿い。
走馬灯のように様々な思い出が脳内を駆け巡る。長い長い沈黙の後、彼女がようやく絞り出した一言は「なんで……」だった。

「あの……、何言ってるの……かな?」
「あれ?違った?」

違う――とは言えなかった。自らの首を絞めることになってもこの気持ちを否定したくない。それは複雑な乙女心である。
美也子は神田から静かに目を逸らす。ガラスの向こうを行き交う人々の中に、仲の良さそうなカップルを見つけて羨ましそうに目を細めた。見ていられなくなり、テーブルに向かって項垂れると観念したように小さく呟く。

「なんでもするから王子君には絶対に言わないで……」
「いや、別に言う気ないって」

横から届いた優しい声色に、弱々しく顔を向けると苦笑した神田と目があった。バレた相手が彼だったのは不幸中の幸いである。これが太刀川なら彼なりの親切心で本人にバラしていた。
今度は感謝の意も込めてなんでもする、と重ねて告げた美也子に対して神田は「あんまりそういうこと言うなよ」と窘めた。
確かに、以前太刀川の前で似たような発言した際は「なんでも?」と嬉々とした様子の彼によって酷い目に遭わされたものだ。気を付ける、と頷けば神田は満足そうに笑って頬杖をついた。美也子の心臓はまだバクバクと鳴っていた。

「そんなにバレバレかな……?」
「いや?確証はなかったけど、何となくかな」

かなり気を付けてると思うけど。そう続けると神田は少し考える素振りを見せた。

「一回気になることがあって、それから意識して見てみたら、王子のこと目で追ってたから好きなんだなーって」
「視線か〜」

やってしまった、とばかりに美也子は額に手を当てる。彼女は長年太刀川の相手をして培った高度なテクニックにより対面時に平静を装うのは得意だが、一度相手の意識から外れるとつい気が緩んで熱い視線を送ってしまうのだ。だってカッコいいんだもん、と心の中で言い訳のように呟く。美也子は王子の顔が好きなので、チャンスがあれば出来るだけ見ておくようにしているのだ。王子の顔を見ると元気になれる。

「目って正直だからな。隠そうとしても難しいし」

神田は頬杖をついたまま、そう指摘する。

「こいつあの子のこと好きなんだなっていうの、見てれば何となく分かるだろ」
「いや?私、王子君のことしか見てないからよく分からない」
「急にぶっちゃけるな〜」

認めた途端これである。堂々と言い放つ美也子を見て、神田は声を出して笑った。中々大きな声だったが、学生が多いせいか店内の喧騒にかき消される。おかげでこちらを気にする者はいなかった。
緊張ですっかり喉が渇いていた美也子は残っていたジュースを飲み干した。

「神田君ってボーダーの恋愛事情に詳しいの?」
「別に詳しいわけじゃないけどさ。あ、遊佐のこと好きなんだろうな〜って人なら当たりつくよ」
「えっ!それって王……」
「王子じゃない」
「そうですか……」

美也子があからさまに肩を落とすのを見て、神田は吹き出しそうになったが、流石に可哀想だと思ったのかぐっと堪えた。
暫し恋愛話を続けた後、時間を確認した神田が「そろそろ行くわ」と席を立ったので二人はそこで別れることになった。美也子のスマホが荒船からのメッセージを受信したのはその直後のことで、そこまで間を置かずに本人が現れる。待たせたな、と手を上げると彼は先程まで神田が座っていた椅子に腰掛けた。

「そこで会ったんだが、神田と暇潰ししてたって?」
「うん。恋バナしよって」
「女子会やめろ」

荒船がくつくつと笑うのを見て、ふと、美也子はあることに気が付いた。もしかしたら神田は美也子が王子に好意を抱いている、という話を学校でしているかもしれない。王子本人には言うつもりはない、と言ったが他の面々にはとっくに話しているのかもしれない。
落ち着き始めたはずの心臓の鼓動が再び早くなる。確かめなくては――美也子はごくりと唾を飲み込んだ。

「ねえ、神田君って普段学校で私のこと何か言ってたりする?」
「あ?何かってなんだよ?」
「……いや、まあ、言ってないなら別にいいんだけど」

忘れて、と口にする。何も出てこないなら、わざわざこれ以上掘り下げる必要はない。
曖昧に笑って誤魔化す美也子に対して、荒船は納得のいかない顔をしたが追及はしなかった。そのまま考え込むが、すぐに何か思い当たったのかハッとした様子で「おまえ、もしかして」と口を開いた。

「神田のこと好きだったのか」
「…………え!?違うよ……!?」

予想外の方向へ話が転がったものである。まさかそう来るとは思わず美也子はつい反応が遅れてしまったが、それが逆に信憑性を持たせてしまったらしい。やっぱり、と深く頷く荒船に、何がやっぱり!?と美也子は掴み掛かる勢いで否定する。

「いや、神田君のことは普通に好きだけど違うよ……!?」
「あー、なるほどな……。会長に協力してもらえよ」
「だから違うよ……!?」
「隠すなよ。話はわかった」
「わかってないよ……!?」
「そろそろ行くか」
「このタイミングで……!?」

言いながら立ち上がった荒船は、ごく自然な動作で美也子が飲み干したジュースのカップを持っていき、ゴミ箱へ捨てる。その後を慌てて追いかけると美也子は全て誤解であると強く訴えた。
驚くべきことにこの誤解は約二週間続いたのだった。

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