episode9

※Telescope本編中「つるぎ」辺りの話です。


始業時間の20分前に学校へ辿り着いた美也子は下駄箱の前まで来たところで、何処からか香ばしい焦げの匂いがすることに気が付いた。きちんと朝食を取ってきたというのに食欲を刺激するその匂いは、どうやら一つ隣のC組とD組の下駄箱の方から漂ってきているようだ。上履きに履き替えた美也子がそちらを覗くと真っ先に目についたのは屈んで靴を仕舞う村上の姿だった。彼の使用する下駄箱は一番下らしい。
上履きを取り出してすぐ美也子に気が付いた村上が「おはよう」と口を開く。美也子は挨拶を返しながら、靴を履き替える彼が左手に持っているビニール袋へ視線を移した。この美味しそうな香りの発生源はあの袋のようだ。

「村上君でしょ。この匂い」
「ああ、ごめん。充満しちゃってるな」

恥ずかしそうに言いながら、村上は匂いを飛ばすように右手をパタパタと動かした。中身は焼き鳥で、学校に来る前にコンビニへ寄って買ってきたそうだ。

「朝食ってこと?」
「いや、カゲにあげようと思って。あいつ焼き鳥好きだし」
「へえ、優しいね」
「誕生日だからな」
「うん……え?誕生日だからな?」

突然耳に飛び込んできた単語に驚いた美也子は、村上の発言をそっくりそのまま繰り返してしまった。口を半開きにして固まる彼女を村上は不思議そうに見た。

「今日はカゲの誕生日だろ?」
「影浦君、誕生日なの?」

二人はほぼ同時にそう言った。美也子は慌ててスマホを取り出す。電源ボタンに軽く触れると明るくなった画面には現在の時間の下に小さく6月4日火曜日と表示された。

「本当だ。今日って6月4日……え、影浦君誕生日だっけ?本当に……?」
「ああ、俺の記憶が確かなら……」

美也子から疑いの眼差しを向けられた村上は若干自信を無くす。そう言われると違う気がしてきた。
二人は神妙な顔で揃って首を傾げる。暫しの沈黙の後、先に口を開いたのは美也子だ。

「なんで村上くんが知ってるの…?」
「俺が知ってちゃいけないのか…?」

謎の問いかけに村上は不安げな表情を見せた。親しい友人の誕生日を知っていることはそんなにおかしなことなのか。もしや自分が知らないだけで影浦の誕生日はボーダーで言うところの『流出した場合は記憶封印措置も適用される最高位の機密』に当たるのだろうか――などと考え出したのだが、別にそんなことはない。予想外の事実を教えられた美也子が一人で勝手に混乱しているだけなのだ。
すぐに我に返った彼女に「ごめん。知ってて大丈夫だよ」と優しく肩を叩かれ、村上は安堵の息をついた。ひどく無駄な時間である。

「遊佐忘れてたのか?それとも知らなかったのか?」
「しら…いや、忘れてた…祝ったことないし……」
「付き合い長いって聞いたけど」
「私、影浦君に妖怪だと思われてるから距離置かれてて」
「そうなんだ……?」

今度は村上が混乱する番だったが、彼は頭に浮かんだ様々な疑問を口には出さずに飲み込んだ。そんな事とは露知らず、美也子は「あー、誕生日。影浦君の誕生日ね、はい」と呟きながら何度も頷いた。
確かに同学年の中でも付き合いは長いが、お互いを苦手に思う影浦と美也子の間に友情なんてものは殆どなく、誕生日なんて個人的なイベントは無視して当然のものである。共通の友人も多いため一応知ってはいたが、美也子にとって今日という日は何の変哲もない平日だった。
しかし完全に忘れ去っていたならともかく一度こうして聞いてしまったからには、この一大イベントを無視するのも妙な感じだった。村上の言う通り影浦とは長い付き合いである。全く関りがないどころか選択科目は同じだし、ランク戦の相手もしてもらっている。

「…折角だし、私もお昼に何か買ってきて渡そうかな」
「ああ、カゲも喜ぶよ」

独り言のように呟けば、村上が笑った。影浦は現在隊務規定違反により謹慎処分となっており、学校には来ているがボーダーへの立ち入りは禁止されている。つまり彼に何か渡すなら学校にいる間しかチャンスはないのだ。放課後だとクラスの違う美也子では間に合わない可能性があるので、昼休みに外で買ってきて教室まで渡しに行くのが確実だろう。
よし、今回はちゃんとお祝いしよう!と決意した美也子は早速頭の中で計画を立てた。

***

「えっ、影浦君いないの?」
「逃げちゃったんだって」

昼休み、コンビニへ行ったその足でC組を訪れた美也子にそう答えたのはC組ではなくB組の北添だ。ドアの側に立つ北添が教室内にいる穂刈に同意を求めると彼は「早かった」と頷いた。

「探してくれ、あいつを」

などと語る穂刈の手には『影浦雅人生誕祭会場はこちら』と赤のマーカーで書かれたルーズリーフが一枚。
美也子は絶対にこれが原因だと察したが指摘しないでおいた。流石はお祭り男である。教室内に村上と水上の姿が見えないため聞いてみれば二人は防衛任務で早退したらしい。影浦はこの広い校舎のどこかに一人でいるようだ。
「カゲはシャイだからね〜」と北添が朗らかに言った。美也子は手に持った二つのビニール袋に目をやり、少し考える。

「えっ、もしかしてカゲいねーの!?」

不意に後ろからそんな声が聞こえて振り向けば、一学年下の少女が立っていた。

「ヒカリちゃん」
「おっす!美也子ちゃん!」

影浦隊のオペレーターである仁礼光はニッと笑うと「カゲに肉まん買ってきた!」と袋を持ち上げた。北添と穂刈にも同級生のような緩い挨拶をした彼女は、空いている方の手を伸ばして美也子と腕を組むとそのまま教室を覗き込んだ。

「なんだよ、ここが祭りの会場じゃねえの?」
「会場だぞ、カゲ生誕祭の」
「二人とも渡すものあるならカゲの机の上に置いておけばいいと思うよ。他のみんなもそうしてるし」

北添が示した方を見れば、既に彼の席はコンビニのお菓子や総菜パン、ジュース、ゲームソフトに何が入っているのか大きな紙袋やちょっとした花束で溢れ返っていた。机の中央にはポテトチップスが入っている筒状の容器に何故か『影浦雅人18歳』と書かれた紙が貼ってある。
それを見た美也子は「祭壇だ…」と真っ先に浮かんできた感想を失礼かと思い黙っていたが仁礼は「祭壇じゃん」と素直に口にしたし、穂刈も「祭壇だ、テーマは」と頷いた。祭壇らしい。
美也子は机(祭壇)を見ながら、どうしようかと頭を悩ませる。置いていくか、捜しに行くか。穂刈がお供え物は預かると二人に対して手を差し出せば、仁礼は「え〜」と不満そうな声を上げた。

「肉まんはあったかいうちに食う方が美味いじゃん」
「じゃあ電話して呼んでみる?」
「無視されるぞ、電話しても」
「今のカゲには全員敵だからね」

誕生日だというのに何故影浦はそこまで追い詰められているのだろうか。
彼のサイドエフェクトと性格を思えば、この状況はひどく居心地の悪いものなのだという事は美也子にもよく分かった。悪意あるものではないので、単純に照れているのだ。
なら、そっとしておいた方が良いかと思ったが捜す気満々の仁礼を見て美也子はつい「私も手伝うよ」と言ってしまった。彼女はオペレーター全員に大恩があるので、何かあれば必ず手を貸すようにしているからだ。
仁礼から「さっすが美也子ちゃん!」と嬉しそうに言われて撤回する気も起きなかったので、そのまま影浦捜索隊が結成された。

「よし、皆で手分けして捜すか!」
「じゃあ、私は体育館の方見てくる」
「アタシは中庭に行く!ゾエは保健室!ポカリは屋上だ!」
「ええ〜、ゾエさんご飯まだ食べてないからちょっと無理かな」
「行かないぞ、俺も」
「行けよ!!」

まさかの反抗である。美也子に宥められ、仁礼は揉めている時間が惜しいと思ったのか「しょーがねぇな!男共は留守を守れ!」と指揮した。
男共のやる気のない「了解」を背に、二人はそれぞれ影浦が居そうな場所へ向かう。



正直、連絡もつかない人間をたった二人で見つけられるとは思えない。美也子は無理だろうと半分諦めていたが、捜す気がないと案外見つかるものだ。
影浦が居そうな場所、として最初に考えた体育館には数人の生徒がいた。ボールが跳ねる音を聞きながら美也子は正面以外に四つある出入り口のうち、一つが閉まっていることに気が付いた。この四つの扉は、授業中は基本的に閉まっているが、それ以外の時間は換気のために全て開いている。昼休みに一つだけ閉まっているということは、開け忘れというより作為的なものを感じた。
何よりあの扉の向こうは丁度自転車置き場の陰になっていて、外側からだと見えないのだ。美也子は体育館の端を通ってそこまで近づくと勢いよく扉を開いた。
見覚えのあるボサボサ頭が階段に腰掛けているのを見て、美也子は思わず「見つけた!」と声を出してしまった。振り向いた当の本人は「げっ」と迷惑そうな顔をする。

「良かった会えて」
「んだよ……」

影浦は珍しく困惑していた。美也子が自分から笑顔で近寄ってくることなど今まで一度もなかったからだ。怖い。
若干の恐怖を抱いて分かりやすく警戒心を顕わにする彼は、まるで人に中々懐かない猫のようだと美也子は思った。

「今日お誕生日でしょ?はい、これ」
「あ?きな粉はいらねーよ」
「違うよ」

否定しながら二つある袋の片方を無理やり押し付ける。中身はコンビニで買った唐揚げだ。紙の容器にミニサイズの唐揚げが5つ入っている。昼食にしては少ないが、小腹を満たすには十分な量である。
「18歳おめでとう」と手を叩く美也子に、袋を覗いた影浦は煩わしそうに頭を掻いた。

「おめー……俺が言うのもなんだけどよ、誕生日なら普通ケーキとか買ってこねぇか」
「いやケーキは一つあれば十分でしょ。誰かが買ってくるだろうし、ならしょっぱいものが良いだろうな〜って」

ちなみに今のところは誰もケーキを買っていない。
扉のすぐそこに放置された上着を踏まない様に階段を下った美也子は、そのまま影浦の横に座る。そんな彼女を影浦は一瞥したが、特に何も言わずに唐揚げを食べ始めた。
美也子はスマホを取り出すと現在地と共に『無事に発見』と仁礼に連絡を入れた。

「おい、ヒカリ呼ぶなよ」
「ダメだよ。影浦君捜索隊の隊長だから」
「ふざけたもん結成してんじゃねーぞ」

横から画面を覗いていた影浦の文句とほぼ同時に仁礼から『すぐ行く!』とメッセージが届く。荒々しい舌打ちが聞こえてきたが、動く気配はなかった。素直じゃないんだな、と美也子は笑いそうになってしまった。

「飲み物も買ってきたけどいる?」
「貰う」

袋から出したお茶を影浦に手渡すと「今日暑いよね」なんて言いながら美也子は自分用に買っていたジャスミンティーの蓋を開けた。

「それ美味いか?くそ不味くね?」
「美味しくはないけどジャスミンティーを飲んでる自分が好きかな」
「あっそ」

なんかオシャレだよね?と続ける美也子を無視して、影浦は最後の一つとなった唐揚げを口に放り込む。
お互いを苦手に思う二人だったが、こうして流れる時間は案外穏やかなものだった。そもそも苦手と言ってもあだ名が気に入らないとか用途不明のきな粉を持ち歩いていて怖いとか、そういった類のもので生理的に無理なわけでも根本的な相性が悪いわけでもなんでない。ただ共通点が少なく、お互いに「ちょっと何話したらいいかわからない」という状態になりがちなだけなのだ。
影浦の手元に残った紙の容器を見て、美也子は空になったビニール袋を広げる。

「ゴミはここに入れてね」
「おー」
「甘いものもあるけど食べる?」
「いや」
「手はこれで拭いてください」
「ああ」
「こぼれてる。服汚さないようにね、太刀川さ……」

ごく自然な流れで影浦のシャツに落ちた食べこぼしを手で払っていた美也子は、己の行動と台詞にハッとした。

「…………」
「…………」

間違えた。
美也子は無言で影浦のシャツに触れていた手をすーっと離した。それは彼女の癖だった。昔から太刀川の側でひたすら気を回して行動していた頃に身についた癖だ。
影浦と数秒見つめ合った美也子は静かに俯くと両手で顔を覆った。体が燃え上がるような強烈な羞恥を感じた美也子は心の中で悲鳴に近い叫び声を上げた。死ぬほど恥ずかしい。

「ごめん………あの、教室帰るね…」
「お、おう……気ぃつけて帰れよ……?」
「ありがと…」

美也子はそのまま振り向きもせずに走って教室へ戻った。今日のことは全部忘れたい。
完全に自分のせいではあるが、美也子は影浦のことが更に苦手になってしまった。

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