episode11

※Telescope本編前の話です。

今週末に控えた入隊式の打ち合わせで嵐山隊の作戦室を訪れた美也子を出迎えたのは、隊員の時枝充とソファーに寝転がる佐鳥の二人だった。
挨拶もそこそこに時枝が「その怪我どうしたんですか?」とやや驚いた様子で問えば、佐鳥が勢いよく上体を起こした後、美也子の左前額部に貼られた白いガーゼを見て「ええっ!」と目を見開いた。

「何々!?大丈夫っすか!?」
「全然平気。ちょっとバスケでやっちゃった」
「もしかして柿崎さんの?」

時枝の口から出た先輩の名前に美也子が頷くと「ザキさんのスポーツ会か〜!」と佐鳥が一人納得したように言った。
元嵐山隊の柿崎は自他共に認めるスポーツマンで、オフの日に運動好きのボーダー隊員や学校の同級生、その他予定の空いている後輩を集めては様々なスポーツに興じている。いつの間にやら『柿崎さんのスポーツ会』などと呼ばれるようになったそれに――有り難いことに柿崎が気さくに声をかけてくれるので――美也子も定期的に参加していた。

この傷を負ったのは約二週間前のこと。その日の種目はバスケットボールだったのだが、リバウンド時に柿崎の肘が当たり、美也子は左前額部に怪我をしたのだ。
直後こそ多少の出血はあったが幸いにも深い傷ではなく、消毒をしてガーゼを貼る程度で済むもので、殆ど治りかけている。接触の多いバスケの試合に怪我は付き物なので美也子自身は全く気にしていなかったが、柿崎は責任を感じているようで何度も謝ってくれた。
入隊式の準備で今月は嵐山隊の作戦室に何度も出入りしているが、生身で訪れたのは今日が初めてだったので時枝も佐鳥も美也子の額に傷があることを知らなかったらしい。簡単に経緯を説明した美也子は、荷物を持っている方とは逆の空いてる手で額に触れながら「バスケ楽しかったよ」と続けた。

「ザキさんも遊佐先輩もスポーツ万能ですもんね」
「私は別にそうでもないけど、身体を動かすのは好きかな」

美也子の運動能力は部活や趣味でスポーツに打ち込む面々と比べれば大したことはないが、仲間内で楽しむだけなら十分過ぎるものだった。昔は柿崎の同級生が殆どで美也子は少しばかり居心地の悪さを感じていたが、最近はボーダー隊員の比率が増えたおかげでそれもない。

「今度はサッカーやろうって話してるんだ。二人もまた来なよ」
「行きたいんすけど〜、うち広報担当になったじゃないですか〜」
「今の状況に慣れてスケジュール管理が出来るようになるまでは厳しいですね」

メディア対策室によって広報担当部隊に任命された嵐山隊は、テレビや雑誌での宣伝活動に加えて今回から入隊式の指導役も任されるなど大忙しだ。美也子が渡した入隊式マニュアルを手にしている佐鳥は「やること多すぎ」とかなり参った様子だった。
美也子はここでようやく持ってきたものの存在を思い出し「これ差し入れ」と人数分の飲み物が入った袋をテーブルの上に置いた。二人からお礼を言われて、返事の代わりに眉を下げて笑う。

「私はチームを抜けて時間もあるし、出来ることは全部手伝うよ」
「そう、それ!」

飲み物を選んでいた佐鳥が突然人差し指をピシッと立てたので、美也子は時枝と顔を見合わせた。

「遊佐先輩がフリーになったのって、やっぱり自分の隊を持ちたいからですか!?」

佐鳥はそのままテーブルの上に転がっていたペンを取るとマイクのように握って美也子へ向けた。

美也子は先月末、今期のランク戦を全て終えてから太刀川隊を脱退した。
チームのバランスも良く、ランク戦でも順調に勝ち進む中での突然の出来事だったのでボーダー内ではその理由について「意外と不仲説」「遊佐の反乱」「引き抜き」などと様々な憶測が流れる事態となった。
彼女がチームを辞めた理由としては不仲説が最も正解に近い。と言ってもチームメイトとは、国近はもちろん後輩にあたる出水や烏丸とも上手くやれていたし、彼らと共に居て嫌な事は一つもなかった。ただ隊長の仕事である月一回の報告書を纏めるのを手伝わされたり、美也子が朝食用に買っておいたあんぱんや月見から貰ったお菓子を勝手に食べたりする輩が身近にいたことは耐えがたい苦痛だった。

しかしそんなことを本人(太刀川)に馬鹿正直に伝えられるはずもなく表向きは「別の人と組んでみたいから」という形で脱退の話を切り出したのだ。
そんなふわふわした理由でも太刀川は追求することなく案外あっさりと承諾したので、美也子は拍子抜けしてしまった。彼は渋ると思っていたのに、残念がるどころか誰よりも明るく「ま、頑張れ」とだけ言うので美也子は思わず「もっと他に言うことあるんじゃないですか?」と食って掛かった。
そんな彼女に、太刀川は暫し考え込んだ後にポンと手を叩くと「俺と離れるのが寂しくても泣くなよ」と続けたので美也子は完全に頭にきて「うるさい!」と反抗期の娘のような態度で作戦室を出て行ったのだった。
彼女が具体的に何を言ってほしかったのかは本人ですらわからない。美也子は自分が太刀川に引き留めてもらえなかったことを拗ねているようだと気が付いていたが、その感情を認めたくなかったのでそれ以上は考えないようにして今日まで過ごしてきた。

「どうなんすか?遊佐隊作るんすか!」

嫌なことを思い出して少し眉を寄せれば、佐鳥が興味津々といった顔で聞いてきたので美也子は「まあ、そんな感じ」と適当に合わせた。

「もうメンバーは決めてるよ。まずオペレーターは国近」
「いや、太刀川隊じゃないっすか」
「射手も欲しいから出水君」
「太刀川隊じゃないっすか」
「あと京介君はなんでもできるから京介君」
「太刀川隊じゃないっすか」
「以上かな」
「太刀川さんだけハブにした太刀川隊じゃないっすか!」

ツッコミを入れる佐鳥の向かいの席で時枝が「強そうですね」と笑うので美也子は「A級一位目指すよ」と高らかに宣言しておいた。

「ていうかウチに来てくださいよ〜。ザキさんいなくて寂しいんですよ〜」
「私に柿崎さんの代わりは務まらないよ。ね、とっきー」
「そんな事はないと思いますけど」

話を振られた時枝は差し入れの飲み物の蓋を開けながら「でも柿崎さんと遊佐先輩は全く別の人ですから」と続けた。代わりとかそういう話ではない。
美也子が頷けば、佐鳥は「うう〜」と悩まし気に唸った。

「じゃあ、わかりました!遊佐先輩は幻のシックスマンってことで手を打ちます!」
「何を言ってるの?」
「すみません。彼はこういう人間なんです」

時枝は少し言いづらそうに頭を下げた。

***

一先ず今日やるべき仕事を全て終わらせた美也子は、早速個人ランク戦のブースへ向かった。
美也子の個人ポイントが10000の大台を超え、攻撃手で3位となったのはつい最近だった。美也子にとって、いや、攻撃手全員にとって最大の難敵でもある太刀川は、迅が黒トリガー使いになって以来、未だに個人ランク戦への意欲を失っており、ブースへ現れない日も多い。
代わりに台頭してきたのが小南と風間、そして美也子だ。トップクラスの弧月使いだった寺島雷蔵や元戦闘員の沢村など上の世代がごっそりと居なくなったことも関係しているが、現在攻撃手の中で勢いがあるのはこの三人で間違いないだろう。
小南と風間に比べれば経験もセンスも大きく劣る美也子だが、彼女は今とにかく『ノッている』時期で、二人と互角に渡り合えていた。そしてついに自己最高となる3位にまで上り詰め、チーム(というか太刀川)というストレスからも解放され、毎日が楽しくて仕方がない。

美也子は上機嫌で代わり映えのない通路を進んでいく。本部基地の通路はどこも似たような造りになっていて、入隊したての隊員は必ずと言っていいほど迷ってしまう。今でこそ問題なく進めるが、方向音痴の彼女も例外ではなかった。
しかし彼女は思いの外、早い段階で道を覚えることが出来た。それは柿崎のおかげであると美也子は思っている。

入隊して一週間経つか経たないかという頃、訓練室からラウンジに戻る予定だった美也子は勘で進んだ結果、道を間違えて迷子になってしまったことがあった。同じ通路を何度もぐるぐると回る美也子に気が付き声をかけてくれたのが、柿崎だ。
彼も入隊して日が浅く、完璧に道を覚えていたわけではないが親切心から彼女に声をかけ、目的地が違うにも関わらず「一緒に行こうぜ」と言ってくれた。
結局二人揃って迷ってしまったのだが、一人よりもずっと心強く、分かれ道に差し掛かる度に「左の道です。自信あります」と語る美也子を「そっちはまた今度行こうな」と柿崎が軽くあしらえるようになるくらいにはお互いについて知り、距離を縮ませていた。
最終的に柿崎は「私はもうだめなので置いて行って下さい」などと座り込んで動けなくなった美也子を背負って、ラウンジまで無事に連れて行ってくれたのだ。これは二人が親しくなったきっかけでもあった。
その日以来、柿崎は暇さえあれば道を覚えるために探検へ行こう、と誘ってくれたので美也子は方向音痴の彼女にしてはかなり早いうちに一人でも迷わず進めるようになったのだ。本当に、柿崎様様だ。


「よう、美也子」

背後から掛けられた声に、美也子は反射的に立ち止まるとすぐに振り向いた。たった今、感謝していた人物の姿を認めた彼女はこぼれるような笑顔を浮かべると「柿崎さん、お疲れ様です」と嬉しそうに口にする。

「基地で会うのは久しぶりですね。個人ランク戦ですか?」
「ああ、お前も最近頑張ってるみたいだな」

攻撃手ランクのことを言っているのだとすぐにわかった美也子は「ま、まあ、そうですね〜」と分かりやすく調子に乗った。柿崎の前だとつい素直に甘えてしまうのだ。すっかり慣れている柿崎に「偉い偉い」と褒められて、美也子はいっそう笑みを深くした。

「俺も久々に都合がついたから、今日は相手してくれよ?」
「もちろん。でも柿崎さん受験生ですもんね。勉強どうですか?」
「うーん、ぼちぼち、かな?」

柿崎は言葉を濁しながら頬を掻いた。
三門で進学する隊員の大半は、ボーダーと提携している三門市立大学へと進む。その殆どは推薦ではなく一般受験である。二人が通う三門市立第一高等学校からも推薦枠はあるのだが、条件がかなり厳しい。その厳しい推薦を使って無事に入学したのが太刀川だ。闇が深いな、と美也子は思っていたし、一部の隊員からは『意味がわかると怖い話』として扱われていた。
受験生は大変ですよね、と色々な意味で頷けば、既に身に染みているのか柿崎が苦笑する。

「まあ、次のランク戦までに準備しておきたいことも多いし、自分なりに管理はできてるよ。それにお前にも会いたかったからな」
「ええ〜、ホントですか?」

彼の冗談に気を良くした美也子はふふ、と照れ笑いをする。

「そういや、傷はどうだ?」

自身の額を指差して心配そうに伺う柿崎に、美也子は「もうすぐ治りますよ」と明るく言った。やはり相当気にしているのか、彼はこうして顔を合わせる度に傷の具合を尋ねてきた。
なので、美也子は病院で言われたことや傷の経過を事細かに伝えた上で平気であるとアピールした。実際大したことはないし、彼が責任を感じる必要は微塵もないからだ。
さらに「も〜、柿崎さんだけ特別ですよ」とおちゃらけて言いながら、ガーゼを少しだけ外して殆ど治りかけている傷を見せれば柿崎はようやく安心したように笑った。
彼はそのまま「ちょっといいか?」と美也子に許可を取ると、額に手を伸ばしてガーゼを貼り直してくれる。

「でも本当に良かったよ、痕が残ったりしたら大変だからな」
「別にそれでも平気ですよ。あ、でも売れ残ったらお嫁に貰ってくださいね」
「ははっ、しょーがねぇな」

お返しとばかりに冗談めかして言えば、柿崎は予想通りしっかりと乗ってきてくれたので、美也子は楽しそうに「やった〜」と胸の前で手を合わせた。

「でもこの約束、太刀川さんには内緒な?」
「なんでですか?」

明るい調子で尋ねると柿崎は「う〜ん、まあ…」と苦笑するだけだったので、美也子は「変なの」と笑った。


結局、柿崎は個人ランク戦の前に作戦室へ寄っていくと言うので、美也子は彼と別れて一人で通路を進んで行った。
今日は誰が来ているだろうか。忙しかった習い事が一段落ついた小南はいるとして、風間はどうだろう。目的の場所へ近づくにつれ、何とも言えない高揚感が湧き上がってくる。
そんな彼女の気分が奈落の底まで落とされるのは、そろそろトリオン体に換装しようかと思った時だった。

「よう、美也子」

背後から先程と全く同じ台詞をかけられた美也子は、反射的に立ち止まったが先程と違ってすぐに後ろを向くことが出来なかった。何故なら聞こえてきたその声は彼女が苦手とする兄弟子とそっくりだったからだ。そっくりというか、本人である。
しかし勤務表によれば彼は夜から防衛任務のはずなのできっと聞き間違いだろう。現実を認めたくない美也子が無視して歩き出そうとすれば、頭の上に大きな手のひらが乗る。追いついた太刀川に「久しぶり」と後ろから髪をくしゃくしゃとかき回されるとやっぱり聞き間違いじゃなかった……とげんなりした様子で美也子は「お疲れ様です」と弱々しく言った。さっきまであんなに楽しかったのに、もう帰りたくなってきた。

太刀川の手を頭に乗せたまま、美也子は軽く身体を動かして彼の方を見る。この春から大学生になった太刀川とは、チームを脱退して以来だった。久しぶりの対面だが、大人びたとかそんなことはなく高校生の頃と大して変わらない姿に、美也子は少しだけ安心する。久しぶりと言ってもせいぜい二週間程度――丁度バスケで傷を負った頃――なので当然である。

「あ?お前怪我してるのか?」

美也子の頭に触れている手の違和感に気が付いた太刀川は、彼女の前髪をかき上げるとそのまま顔を覗き込んだ。

「どうした?」
「まあ、ちょっと。大したことないので気にしないでください」
「ふーん」

白いガーゼで覆われた部分をまじまじと見つめる太刀川は、柿崎と違って美也子に触れるのに一々許可など取らない。まるで自分の一部のように遠慮なく手を伸ばしてくる彼に、いつもされるがままの美也子は不思議とそれを不快に思ったことはなかった。
興味がないのか傷についてそれ以上詮索してこなかった太刀川は「養生しろよ」と言いながら自身がぐしゃぐしゃにした美也子の髪を両手で綺麗に整えた。なされるがままの美也子は「どうも」と作り笑いを浮かべる。

「それより今日の太刀川さんのシフト、夜からですよね?何しに来たんですか」
「そりゃ個人ランク戦に決まってるだろ」

当然のように返され、美也子は心の中で「ええ〜」と顔を顰めた。彼が来てしまったら、また勝率が下がる。
以前より確実に個人ランク戦に参加する頻度は減っているというのに、太刀川の剣の腕が落ちることはなかった。黒トリガーに選ばれなくても個人ランクで1位じゃなくなってもなんだかんだで彼はボーダー随一の攻撃手なのだ。
もう辞めてしまった隊員が、太刀川はセンスの塊だと言っていたことを思い出した美也子は拗ねた表情で「やる気なくなったんじゃなかったんですか?」と少し意地悪な聞き方をした。特に気を悪くした様子もなく太刀川は「まあな」とあっさりと肯定した。

「でもどうせ防衛任務にはくるし、ならやっていかないと損だろ」
「そういうものですかね」
「それにお前にも会いたいし」
「そうですか」

私は会いたくないですけど、とは口にしなかった。言っていることは柿崎とそう変わらないと言うのに、美也子の感じ方が全く違うのは完全に日頃の行いのせいである。
それを分かっていない太刀川は「高校でも最後の方は全然会えなかったよな〜」と暢気に続けた。同じ高校へ通っていた二人の遭遇率が日を追うごとに徐々に下がっていったのは、美也子が意図的に避けていたからだ。廊下で鉢合わせそうになると咄嗟に道を変えたり、二階の窓から外の太刀川と目が合いそうになるとその場に伏せたり、帰る時間をわざとずらしたり。
勘の良い者なら気が付きそうなくらいあからさまな行動に、在学中も卒業後も全く気が付かなかった太刀川は、美也子の「学年が違いますから」という適当な説明に「あ〜、なるほど?」と若干の疑問を抱きつつも頷いた。美也子が恋した相手=自分の方程式が成り立っている太刀川の中で、彼女が嘘をつくことなどありえないからだ。そんな彼を大嘘つきの美也子は「アホだなぁ」としみじみ思うのだった。

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