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※Telescope本編前の話です。
「緑川が文句言ってましたよ」
昼休みに出会った出水から脈絡もなくそんなことを言われた美也子は、目の前の自販機のボタンを押しながら「何に対して?」と小さく笑った。中学生の緑川は不遜で小生意気だが愛嬌があり、周囲から可愛がられるタイプだ。その振る舞いは組織において多少目に余る部分もあったが若さ故のものだと皆分かっていたし、美也子は彼と攻撃手同士それなりに上手くやれていると自負していた。少なくとも文句を言われるような覚えはない。
「美也子さん、緑川にスマホ貸したでしょ?保存されてる写真が柚宇さんと京介ばっかでつまんないってごちゃごちゃ言ってました」
「ええ〜?別にいいじゃない」
「なんか彼氏の写真とかあるんじゃないかって期待してたみたいっすよ」
なんだそりゃ。美也子は購入した飲み物を取って、自販機の横にあるベンチに腰掛ける。
つい先日、緑川は顔を合わせるなり「美也子先輩!抜き打ちチェックするからスマホ貸して!」と手を差し出してきた。全くもって訳がわからなかったが特に見られて困るものはないので美也子は素直に従った。その時、確かに緑川は「ふぅ〜ん、なんだ〜」と納得していない様子で口を尖らせてはいたが、彼が見たいと言うから貸したというのに随分な言い種である。
「つまんないなんて言われる筋合いないんだけどなぁ」
「あいつ調子乗ってますからね。今度おれがシメときますよ」
「お願いね」
ボーダーの先輩って怖いな、と美也子は他人事のように思った。出水の言う『シメる』は『蜂の巣にする』という意味なのだろうか。
「つーか、なんで柚宇さんと京介なんスか」
「可愛いから」
美也子の短く簡潔な答えに出水は「はあ、なるほど」と口にしながら自販機でジュースを購入する。美也子は国近と烏丸をとても可愛いと思っていたので、常日頃から意識的に二人の写真を撮って保存していたのだ。
「もちろん出水君も可愛いよ」
「あざっす」
取って付けたようなフォローに、出水はへらりと笑った。撮ってあげる、と美也子がスマホを構えれば迷わずポーズを取るのだから写真慣れしている。撮った写真を確認した美也子は満足そうに頷いた。
「やっぱり出水君は絵になるな〜」
「そんなこと言って保存しないんだよな〜」
「いや、出水君も保存した。ちゃんと保存したよ」
決まり悪そうに言えば、出水の笑い声が響いた。目の前の後輩が「見せて」と差し出した手に、美也子は自身のスマホを乗せた。
今撮ったもの以外に他の画像も見ていいかと聞かれたので頷いて飲み物の蓋を開ける。
「ホントに柚宇さんと京介ばっかり。あ、王子先輩。仲良いんでしたっけ」
「うん、クラス一緒だったから」
美也子は一瞬ギクッとしたが、平静を装った。飲み物を流し込むと震える手で蓋をそっと締める。
仲の良い友人の一人として王子の写真も数枚保存してある。本当はもう少し残しておきたかったが、先日の緑川のように急に「スマホ見せて!」と悪気なく言い出す者もいるので、怪しまれない程度の枚数しか取っておけないのだ。
そんな涙ぐましい裏工作のおかげか、特に疑問を抱かなかった出水は「迅さん、嵐山さん、小南」と保存された写真に写る面々の名を口にする。
「よく見たら柿崎さんも多いっすね」
「仲良くしてもらってるからね」
そうは言っても柿崎は誰とでも仲が良いので美也子が特別なわけではない。出水も他の隊員も皆のスマホに柿崎の写真があるだろう。
「つーか太刀川さんの写真は無いんですか?」
「た…ち…かわ…さん……?」
「おれそんな変なこと言いました?」
その名をまるで初めて聞いたかのように動きを止めた美也子を前に、出水は「もしかして太刀川さんのこと知らない……?」と不安げな表情を見せた。自分達が部隊を組んでいた頃の記憶は幻覚なのだろうか。
美也子は別に太刀川のことを知らないわけでも忘れたわけでもない。ただ彼女のスマホに『太刀川の写真』は予てより存在しないものであり、それが普通だった。まさか在るはずのないものについて尋ねられるとは思わず、咄嗟のことで上手く言葉が出てこなかっただけだ。
そう、長い付き合いだと言うのに美也子は太刀川の写真を持っていなかった。彼を撮ろうと思ったこともないし、太刀川が映り込みそうになると「写真撮るので退いてください」と言って遠ざけ、頼まれて撮った写真は送った後にすぐ削除していたからだ。
しかしそんなことは口が裂けても言えない。美也子は「あの、容量がね……」としどろもどろになりながら続けた。
「容量の関係でよく写真消すから……太刀川さんも消えちゃったのかも……ね?」
「へえ〜、じゃあ元々そんなに太刀川さんとは撮らないんスね」
当たり前じゃん、と美也子は心の中で即答した。何が悲しくて苦手な先輩と写真を撮らなくてはいけないのだろうか。なんだそれ罰ゲームか?
曖昧に笑って「まあ、そんな感じ」と言葉を濁す美也子に、出水は「前に見せてもらったんすけど」と思い出したように言った。
「太刀川さんは美也子さんの写真いっぱい持ってましたよ」
「そうなんだ」
全部消してほしいな、と思ったが口にはしなかった。太刀川に撮られた記憶はそこまでないので、恐らく誰かが撮影した美也子の写真が彼の元へ送られてきているのだろう。何故なら美也子自身、他人が撮った太刀川の写真が当然のように送られてくるからだ。
それは美也子が参加していない飲み会の写真だったり、大学構内での写真だったり、毎度毎度「いるでしょ?」と回ってくる度に「いらない」と返したくなるのをグッと堪えている。彼女は結局一枚も保存していないが、太刀川は違うみたいだ。結構律儀な人なんだな、と兄弟子の意外な一面を知った気になった。
ちなみに美也子は、国近が『今日の遊佐』と題して定期的に太刀川へ写真を送っていることをまだ知らない。
「太刀川さんのSNS見てます?美也子さんめっちゃ載ってますよ」
出水はそう言って美也子にスマホを返すと彼女の隣に座った。ほら、と見せてきた彼のスマホ画面には太刀川のアカウントが表示されていた。
最新の投稿は二日前で、コメントには『美也子』とだけ書いてある。髪を結ぶ途中の美也子の写真だ。どうやら太刀川は肖像権というものを知らないらしい。
なんだこのつまらない投稿は……、と眉を寄せる。太刀川がSNSを始めたのはここ最近のことで、国近が誘ったらしい。
興味がないと言っていたはずの彼がアカウントを作ったことで完全に安息の地を失った美也子は「余計なことを〜」と頭を抱えたものだ。付き合いの為に一応フォローしているが、彼の投稿は非表示になるよう設定しているので今日まで殆ど見たことがなかった。
「どういうつもりで載せてるんだろ」
「柚宇さんが好きなものとか載せればいいってアドバイスしたからじゃないっすか」
「あー、だからうどんの写真ばっかりなんだ」
自身のスマホから太刀川のアカウントへ飛んで投稿内容を確認していた美也子は、その言葉に納得したように苦笑した。
確かに自分の写真も載せられているが、それよりも食べ物の写真が目立つ。五日前には『うどん』という簡潔なコメントと共に美也子も訪れたことのあるうどん屋の写真が載せられていた。
「好きなもの載せてるんすよ。好きなものですよ、美也子さん」
「わかってるよ、なに?」
「いや、まあ、いいんすけど」
出水は頭を掻くとそれ以上何も言わなかった。
うどんと餅と美也子。それが太刀川の投稿内容の八割だ。小学生みたい――美也子は小さく口元を緩めた。
「くだらない……ごめん、欠伸でる」
言いながら、美也子は口元を隠して欠伸をした。目の端に生理的な涙が滲んでくるのを感じて指で拭う。
「寝不足?」
「うん、昨日太刀川さんの課題見てたから」
「はあ〜?」
出水は呆れたような顔で、大袈裟な声を上げた。
「美也子さん課題手伝ってるんすか?ダメでしょ、甘やかしちゃ」
「手伝ってないよ。手伝えないし。期限ギリギリなのに手をつけてなかったから、サボらないよう見ててくれって忍田さんに頼まれたの」
「うわ〜、夏休み最終日の小学生じゃん」
その苦労が容易に想像できるのか出水は労いの言葉を口にした。
太刀川は典型的な溜め込むタイプで、今回が初めてではない。見張りが居ないと手が止まるのでその度に小会議室を借りて――自宅や作戦室では気が緩む為――忍田か美也子のどちらかが傍につくのだ。
昨晩は防衛任務の忍田に代わり、わざわざ許可まで取って基地に居残りをした美也子が入り口を塞ぐ形で見張っていた。終わったのは空が白み始めた頃だ。
途中「しりとりしよう」だの「BGMが欲しい」だの「何もしてないのにパソコンが壊れた」だの大騒ぎしてきたので、美也子は本当にうるさいなこの人と思った。
「なんで計画的にできないんだろうね。毎日ちょっとずつ進めれば良かったのに」
「いや〜、それはおれとか柚宇さんにも効くからちょっと……」
気まずそうにする出水を笑いながら美也子はSNSの通知をチェックする。彼女がフォローしている半数近くは同じ防衛隊員だった。
学生主体のボーダーにとってSNSは切っても切れないものだ。しかし当然ながらボーダーについての情報――基地内部の様子はもちろん戦闘体やトリオンに関するあらゆるもの――は全て規制対象となっている。隊員達を信頼して全面禁止には至っていないが、制限の多い中でのSNSの利用は難しいもので、一応アカウントは取得しているが投稿はしていなかったり、失言を恐れて一切触れない様にしている者も多い。
広報担当の嵐山隊などはイメージを損なう可能性がある、という理由で個人でのSNS活用は禁止されていた。失言をするようなメンバーはいないが他の隊員に比べて知名度と人気がある分、不要なトラブルに巻き込まれる恐れがあるため彼らが扱えるのはメディア対策室に管理されたボーダーの公式アカウントのみだ。
とにかく扱いが難しいツールだが、防衛隊員は皆世間から見られている自覚を持っているので普通の学生よりは余程しっかりしているだろう。少なくとも美也子はそれなりに上手く付き合えているし、最近はボーダーの女子と柿崎だけをフォローした鍵付きの裏アカウントに篭っているのでこれといった問題はなかった。
美也子がこっそりそちらのアカウントをチェックしていると隣の出水が何かに気が付き「あっ」と声を出した。
「大変っす。ベストオブ美也子さんを決める美也子さんオンリー写真コンテストが始まりましたよ」
いきなり問題が発生した。
出水に促されて美也子が表のアカウントへ戻ると何が切っ掛けなのか分からないが国近や仁礼、荒船など各々が持っている美也子の写真を挙って投稿し始めた。許可を取れ。
美也子が「私フリー素材じゃないんだけど……」と言っている間にも当真が『寝てる遊佐』とコメント付きで授業中に舟を漕ぐ美也子の写真を載せてきた。こんなのいつ撮ったの、なんて声に出して言ってしまう。さらには米屋や神田、宇井、犬飼、小佐野と防衛隊員達が続々と美也子の写真を投稿する。美也子は全員通報しようか本気で迷った。
「太刀川さんが審査委員長らしいです」
「普通私でしょ?どうなってんの」
よくよく見れば、各自様々な説明文と共に『太刀川さん評価お願いします』の一言で締め括られている。評価基準は何なのか。太刀川が気に入ったら優勝なのだろうか。
「おれも参加しよ。美也子さんポーズ下さい」
「カメラを向けないで?」
何て言いながらちゃっかり指でハートを作るのだから美也子は調子の良いところがある。
はあ、と深いため息をついた彼女は、恐らく発端であろう太刀川のアカウントを再度表示させると睨むように見た。
何が審査委員長だ、と遡って過去の投稿を見ていると何枚かある美也子の写真の一つに『太刀川の彼女?』とコメントがついているのを見つけた。アカウント名に見覚えがなく、美也子を知らないということはきっとボーダー外の友人なのだろう。
何となく返信を覗けば太刀川は『ボーダーの後輩』と返していた。それ以外に何の説明もない。
実際その通りだし、その表現に間違いは一つもない。太刀川にとって、自分はただの後輩だ。しかし、いざこうしてはっきり言われると何とも言い難い複雑な感情が込み上がってくる。
ふ〜ん……?美也子は自分がほんの少しだけ拗ねたような表情を浮かべていることに当然ながら気が付かなかった。