嵐山人形
※Telescope本編前の話です。
ボーダー本部メディア対策室に“それ”が現れたのは二日前のことだ。以前から隊員達の間で噂は流れていたが、仲の良い職員からついに実物が届いたことを聞いた美也子は、防衛任務帰りに偶然出会った後輩の菊地原を半ば無理やり引き連れてメディア対策室のあるフロアを訪れた。
職員達に挨拶をしつつ邪魔にならないよう静かにフロア内を進んで行くと目当ての物は遠目からでもわかるほど圧倒的な存在感を放ってそこにいた。設置初日にボーダーの公式SNSに写真が上がっていた“それ”は、モデルとなった人物と同じ大きさのせいか、決して精巧とは言えない絶妙なチープさを感じさせる造りのせいか、いざ目の前で見ると中々に不気味だった。
「うわ……、これ嵐山さんどういう気持ちなんですかね」
美也子の横に並んで“それ”を見上げた菊地原は、若干の同情を含んだ声で言った。二人の視線の先にあるもの、“それ”とは広報担当部隊である嵐山隊の隊長でボーダーの顔でもある嵐山の等身大人形だ。
美也子は、脳内で嵐山の顔を思い浮かべると自身の等身大人形を目にした彼がどういった反応をするのか想像した。否定するタイプではないが、控え目な部分のある彼なら「嬉しいけど気恥ずかしい」とかだろうか。
それをそのまま菊地原の呟きへの答えとして返せば、ひねくれ者で正直者な彼は「こんなの造られたら、ぼくならいっそ死を選ぶけど」と彼らしい感想を述べた。
この等身大人形は嵐山隊が広報担当に任命されてから迎えた最初の夏に制作されたもので、元々は入隊希望者向けの説明会や三門市民への定期報告会が行われていた市民ホールの入り口に、参加者への目印として展示されていたものだった。しかし今月から使用会場が変更されることになり、何故だかこの人形だけがメディア対策室へとやってきたのだった。
「おや、遊佐くんと菊地原くん」
楽しげな様子で話す二人に気が付き、フロアの奥から声をかけてきたのはメディア対策室長の根付栄蔵だった。美也子と菊地原が揃って頭を下げると根付は満足気に頷いた後、すぐ側に設置されている等身大の人形を一瞥した。
「もしかして、キミ達もこれが目当てかね」
「はい。一緒に写真撮ってもいいですか?」
「別に構わないけどね。手短に済ませてくれると助かるよ」
言外に邪魔だと滲ませながら放たれた言葉に美也子は特に不快な気持ちになることなく当然だと首を縦に振った。キミ達も、という言い方から考えるに、美也子達のようにこの人形を一目見ようとメディア対策室へ足を運ぶ者は少なくないらしい。
「遊佐くんはともかく、菊地原くんも興味があったのかね」
「まさか。ただの付き添いです」
悪質な勧誘を断るかのようにきっぱりと否定した菊地原に、根付は想定通りだと言わんばかりの顔で「だろうねえ」と返した。
「根付さん、さっき菊地原君が自分の分も造ってほしいって言ってましたよ」
「ねえ、殴りますよ」
茶化す美也子に、眉を顰めた菊地原が言った。そのまま肩甲骨の辺りにぐりぐりと拳を押し付けられ、美也子は擽ったさで声を出す。学校の休み時間中かのようにじゃれている二人を見て、根付は右手でこめかみを押さえると「邪魔だから撮ったら帰りなさいね」と今度ははっきり口にした。
菊地原の両手を掴んで彼の動きを止めていた美也子がすぐに謝罪をすると根付は大きなため息をついてからフロアの奥へと引き返した。
その後ろ姿を見送ってから、美也子はスマホを取り出すと早速撮影を始める。そんな彼女に向かって、興味なさげに立っていた菊地原が「ほら」と手を差し出す。
「一緒に写りたいんですよね?ぼくが撮りますから貸してください」
「いいの?ありがとう」
嬉しそうに笑う美也子からスマホを受け取った菊地原は内心、一体何が楽しいんだろうと思いながら「これ何が楽しいんですか」とそっくりそのまま口にした。彼は先輩相手でも言葉を濁すことなどしない正直者である。
「それはほら、菊地原君も一緒に写ればわかるよ」
「10億貰っても嫌です」
「流石、意思強いね」
「よく言われます」
菊地原が表情一つ変えずに言い放つと美也子は小さく肩を竦めた。
二人が後方に位置するフロアの出入り口から足音と共に親しげに談笑する男女の気配を感じたのはそのすぐ後だった。
「あっれー?美也子さんじゃん」
「おお〜、きくっちーもいるねぇ」
「げ……」
「陽介君と栞ちゃん」
背後から現れた男女二人に対して菊地原が面倒そうに顔を顰める横で美也子がひらひらと手を振る。それに応えるように米屋と彼の従姉にあたるオペレーターの宇佐美栞は、二人揃って大きく手を振りながら歩いてきた。
三門市は住民の地域定着率が高く、米屋と宇佐美に関わらず嵐山と小南や奈良坂と那須などボーダー内に親族がいることは珍しくない。この二人の誰とでもすぐに打ち解けられる明るい性格は血筋だろうか、と美也子は思っていた。
側までやってきた米屋は「これ目当て?」と等身大の嵐山人形へと視線をやる。美也子が肯定すれば彼は一緒に来た従姉と同じ顔で笑った。
「ですよね、オレ達も折角だし見に来たんすよ」
「じゃあみんなで撮ろうよ」
「いいね〜、きくっちー肩組もうか」
「は?絶対やだ」
断られた宇佐美が「照れちゃってもう」と気にせず肩に手を回すと菊地原はひどく迷惑そうな声色で「触らないでください」と言った。
その割に手を振りほどこうとはしないので、彼は本気で嫌がっているわけではないらしい。ボーダー隊員の中でも気難しいタイプと評される彼と遠慮なく付き合えるのはオペレーターでは宇佐美くらいだ。
そのやり取りをよそに米屋と美也子は等身大人形を見ながら「本人の方が男前じゃないっすか?」「そりゃ比べちゃダメだよ」などと言い合う。
「迫力あるっつーか、なんと言うか……オレこれ夜に見たら失神するかも」
「ライトアップされたら私も危ないかも」
「いやライトアップて!しないっしょ」
「ええー、アタシならさせるよ。両目光るようにするね」
菊地原の肩に手を回したまま、会話に入ってきた宇佐美が改造プランを語ると「聞いてみようぜ」と米屋はフロアの奥を指差した。この先にいるのは等身大人形の制作企画に携わったはずの根付だ。米屋は一人奥へと進むと目当ての人物を見つけて軽く挨拶をした後、全員の代表として臆することなく疑問を口にした。
「根付さん、嵐山さんの人形って目光ったりします?」
「はあ?…しないよ。なんだと思ってるんだい」
あまりにも下らない質問に根付が一瞬呆気に取られてからそう返したのは当然のことだった。米屋が人形の元に残っている三人に向かってその返答を伝えると美也子と宇佐美は「あら〜」と残念そうに顔を見合わせた。
それにより根付は先程注意した美也子と菊地原がまだ残っていたことに気が付き、再び奥から顔を出すとわざとらしく咳払いをしてから「キミ達ねえ…」と眉を吊り上げる。お説教の気配を察知した美也子は早くこの場を立ち去らなくては、と慌てて「写真撮ろっ!」と他の面々に声をかけた。
「つーかオレ、美也子さんと二人で撮りたいんだけど」
「うん?別にいいよ」
「よっしゃ」
米屋からスマホを託された宇佐美が「陽介は美也子さん好きだもんねぇ」と揶揄えば、彼女の腕から解放された菊地原が「趣味悪」と呟いた。
「って感じで撮ってきた写真がこれです。よく撮れてるでしょ」
「ハハ、こうして見るとちょっと恥ずかしいな」
美也子がスマホを渡すと自身の姿が象られた等身大の人形を画面越しに見た嵐山は照れくさそうに笑った。
例の等身大人形がメディア対策室に設置されて二週間弱。本部基地の通路で偶然嵐山と佐鳥の二人に出会った美也子は、話題の人形について本人と話をすることが出来た。
「皆やっぱり気になるみたいで、結構入れ替わり立ち替わりで見に行ってる人が多いらしいですよ。最近は大分落ち着いたみたいですけどね」
「いやぁー、オレも毎日行ってますもん」
「賢、通うのはやめてくれ」
嵐山が苦笑すると「つい…」と佐鳥は頭に手をやった。つい、で納得できる話ではない。
「いや、けど凄い話があって!オレ、あの嵐山さんにお願い事したら小テストの赤点回避したんすよ」
佐鳥はそこで思い出したように話し始めた。彼曰く嵐山の人形に向かって願ったら、苦手な科目の小テストで平均点を取れたらしい。興奮気味の彼とは違って、美也子と嵐山の反応は鈍いものだった。
「それは賢が頑張っただけじゃないか?」
「いやいや、オレその日小テストがあるって直前まで忘れてたんですよ。防衛任務中に思い出したんですけど範囲の書いてあるノートも学校の机に置きっ放しだったんでどうしようもなくて。それで、ダメもとでお願いしてから登校したら……」
佐鳥はそこで一旦区切ると先輩二人の顔を順に見た後、じっくり溜めてから既に分かりきっている結果を口にした。
「見事!赤点回避しました!」
「へー、やっぱり佐鳥君は頭が良いですね」
「ああ、賢は日頃から努力を欠かさないんだ」
「ちょっと、二人共!佐鳥の成績は真ん中より少し下ですよ!!」
パチパチと手を叩く先輩達に「胸を張るな」「大きな声で言わないの」と注意され、佐鳥は「はい……」と小さく頷く。
「置き勉してて困った末にどうして人形に頼ろうと決意したの?」
「迫力凄くて。不思議なオーラがあるっていうか、やっぱり嵐山さんだから何でも叶えてくれそうだなって」
「なんだそれ、適当な奴だな」
嵐山が可笑しそうに笑う横で美也子はふと、今の話に既視感を覚えた。よくよく思い返してみれば、同じ話を一昨日の夜に半崎から「さとけんが言ってた」とゲーム中にチャットで教えてもらったのだ。そういえば半崎君も言ってたかも、と美也子が口にすれば佐鳥は「狙撃手界では皆信じてますよ」と腕を組んで頷いた。流石に言い過ぎである。
佐鳥によると実は似たような事例が幾つかあり、既に狙撃手界隈では噂になっているらしい。美也子はあの何とも言えない存在感のある人形を思い浮かべた。
「まあ、嵐山さんがモデルだし、確かにご利益ありそうだよね。私も行こうかな」
「おいおい、遊佐まで真に受けないでくれよ」
嵐山に肩を叩かれ、美也子は「うーん…?」と曖昧に笑って誤魔化す。横で見ていた佐鳥は「これは行くな」と察した。
佐鳥の予想通り美也子は翌日、再び嵐山人形の前にいた。決して本気で信じているわけではないが、こういった遊び心のある話は嫌いではない。これで本当に願いが叶ったら、ちょっとした話の種にもなる。
「遊佐先輩?」
そんなことを考えていれば、背後から声がかけられた。振り向いた美也子は「染井ちゃん?」と後ろにいた人物の名を口にする。
お疲れ様です、と丁寧に頭を下げた彼女の周りには親友の香取やチームメイト達の姿はなく、どうやら一人でやってきたようだった。
「染井ちゃんがメディア対策室に来るなんて珍しいね。何か用事?」
「あ、いえ。わたしはちょっと……」
彼女にしては珍しく煮え切らない返事に首を傾げつつ、もしかして、と美也子は目を丸くした。自分と同じ目的だとしたら、かなり意外なことだ。染井のようなタイプはこういった話は信じないだろうと思ったからだ。
美也子が「嵐山さん?」と等身大人形を示しながら聞けば、染井は数秒迷った後、ほんのり頬を染めてこくんと頷いた。美也子は知らなかったが、彼女はボーダーに数多いる嵐山ファンの一人だった。
「あの、遊佐先輩も(嵐山さんのファン)ですか?」
「うん、私も(お願い事しにきたから)同じだよ」
その時、二人は肝心な部分を口にしなかったため認識に齟齬が生じていたが、全く気が付かず「へえ、意外」などと思い合っていた。なんとなくお互いに親近感を抱き、にこりと微笑み合う。ボーダーでも稀に見る平和な空間だった。
「私、先に良いかな?」
「はい、もちろん」
遠慮がちに尋ねる美也子に、写真を撮りに来たと思っている染井は撮影の邪魔にならぬよう下がった。染井の心遣いに感謝しつつ、美也子は等身大の人形を見つめると姿勢を正す。胸の高さに上げた両手を二回打つと静かに合掌した。
家族が健康に過ごせますように、受験合格できますように、太刀川さんが記憶喪失とかになりますように、太刀川さんが生活態度を改めますように――目を瞑り、合掌する美也子の願いは半分以上が兄弟子に関わる事だった。流石に生命に関わる様なことは願わないが、箪笥の角に小指をぶつけるくらいの痛い目は見てくれないだろうか。太刀川さんが脛とかぶつけますように、と日頃の鬱憤を晴らすかのように美也子はどんどん願い事を追加した。
その姿を後ろで見ていた染井は、拝んでる…ガチファンだ……と圧倒された。写真撮影どころか参拝に来たらしい同志の姿に、格の違いを見せつけられた気分だ。遊佐先輩は嵐山さんを神として崇めている――同じファンと言えど自分とはスタンスが全く違うと気がつき、先程までの平和な空気は何処へやら、染井は色んな意味で身震いした。ものすごい勢いでとんでもない勘違いが進行している。
しかし彼女は他人の話を軽々しく口外するような性分ではなかったため、この勘違いが広まることはなかったし、美也子本人はよく分からないが拝礼をきっかけに染井との距離がぐっと縮まったことで、以前よりも彼女と仲良くなれたと思い、嵐山人形に深く感謝をした。メディア対策室のあの等身大人形には、ある意味ご利益があるらしい。