03
非番だった美也子は学校で授業を終えると帰宅せずに真っ直ぐ本部基地へと向かった。トリオン体に換装して訪れたのはC級用のランク戦ブースだった。B級ランク戦との差別化の為にC級用と言われているが、正隊員達が個人ランク戦をする際に利用される場所でもある。
基本的にボーダー隊員とは『街を守る』『打倒近界民』といった強い志を持つ者の集まりなので、非番であっても腕を磨くために自然と此処に足が赴くものだった。美也子も精進の身、己の技量を上げるために個人ランク戦をしに来た……わけではない。
彼女は従姉妹が勝手にボーダーへ履歴書を送ったので思い出作りのつもりで面接を受けたら運動神経の良さとそこそこのトリオン量を買われて、気づけば弧月を握っていたという某アイドル事務所のアイドル達を彷彿とさせるようなエピソードの持ち主である。本当はオペレーター志望だった、という裏話は美也子の方向音痴を知る者の間では必ずウケる鉄板ネタであり、太刀川などはこの話を聞く度に膝を震わせ小一時間立ち上がれなくなるほど笑うものだ。
つまり美也子はこれといった大きな目的はなく、ただ何と無くでボーダーに所属しているタイプだった。大規模侵攻で直接の被害を受けたわけではないので近界民に対してもさして恨みはない、という彼女のような隊員は一定数いるので別に珍しくはなかった。
ボーダーは徴兵された軍隊ではないし、何なら緊急脱出による『安全』を謳って隊員を集めているようなところもあるので、色んな背景を持つ人間が混在している。だが共通するのは街や家族を守りたいという気持ちである。
その意識が欠片もなければ、仮に入隊しても続かないだろう。B級からは賃金が発生するとはいえ学生のバイトにしては割に合わない部分もあるので、結局最後に残るのは個人差はあれど未知の襲来者に対抗する気概のある者だけだった。
要は、ボーダーに所属している時点で『良い人』と言っても過言ではない。その考え方でいくと一応『良い人』になる美也子は特にやる気に満ち溢れているわけではないが、非番の時は大抵個人ランク戦に顔を出していた。理由は一つ、ここにいれば王子に会えるかもしれないからだ。どうしようもない奴である。
学校が同じとはいえ別のクラスで選択科目も所属委員会も違うとなれば美也子が王子と会えるチャンスはボーダーしか残っていなかった。そんな彼女の思惑が透けて見えるのか運が悪いのか、実際にここで王子に会うことは滅多になく、誰か知り合いとランク戦をした後、肩を落としながらとぼとぼ帰宅するのが常である。
今日もまた例に漏れず王子の姿はどこにもない。彼だけでなく知り合いが一人も見当たらないので、やる事のない美也子はソファーに腰掛け画面に映し出されるC級隊員達による模擬戦をぼんやりと眺めていた。
元々正隊員による個人ランク戦は目が合ったらバトル!というよりは示し合わせてやるものが殆どなので、誰との約束も取り付けていない美也子があぶれるのは仕方のないことである。
それでもいつもなら同学年の影浦や理論派の荒船哲次、二人に比べると頻度は低いが鈴鳴支部の村上鋼あたりがいるはずなのだが、残念ながら今日は誰もいない。言わずもがな影浦は隊務規定違反の件で謹慎中だし、荒船はつい先日狙撃手へ転向してしまったので当然であるが、村上は何故だか最近ぱったりと顔を出さなくなった。忙しいのだろうか、と顔を思い浮かべる。
この間(太刀川にラーメン屋へ引っ張られた日)は後輩の熊谷友子がいたので相手をしてもらったが、彼女も今日はいないようだ。もう一度ロビー内を見回せば二宮隊の辻新之助を見つけたが、彼は女子が苦手なので美也子を見るなりびくりと固まった後、視線をさ迷わせてから会釈をして足早に去って行った。話してももらえない。
もう帰っちゃおうかな、などと考えていると最近入隊したばかりのC級隊員達が挨拶に来た。
フリーの隊員で他と比べて自由が利き、隊員としての歴も長い美也子はよく広報担当の嵐山隊と共に入隊式の手伝いをしていたため、入隊して日の浅い訓練生にも顔を覚えられていた。まだ右も左も分からない彼らに使用トリガーや訓練方法について相談を受けたので先輩らしくアドバイスをする。
そのうち一人が使用している戦闘トリガーがスコーピオンであることに気が付いた美也子は、自分のトリガー構成を見直すつもりだったことを思い出した。
美也子はメインの戦闘トリガーとして弧月を装備しているが、ずっとスコーピオンを使いたいと思っていた。
玉狛支部の迅悠一が技術者と共に開発したブレードは革新的で攻撃手のみならず大流行し、美也子も開発直後に説明を聞きに行こうとしたのだが太刀川に「お前それ謀反だぞ」と止められたのだ。今思い返しても何を言っているのか分からないが、当時の美也子は服従の呪文をかけられていたので素直に「はい」と頷いてスコーピオンを諦めたのだった。
今はもう太刀川の顔色を窺う必要はないし、何より王子が弧月とスコーピオンを装備しているので憧れは募るばかり。王子との話のネタにもなるかもしれない、という邪な気持ちもあるが実際自分は弧月よりスコーピオンの方が適性がありそうだと美也子は感じていた。
弧月は経験の浅い初心者でも一端の兵にしてくれる万能ブレードだが、女子が扱うには重量があり自由に出し入れができない不便さもある。
対してスコーピオンは軽量ブレードで耐久力は低いが、トリオンが多ければ多いほど自由に変形することが出来るので美也子には合っている。
スコーピオンを使用することでもしかしたら個人ランクでもっと上に行けるかもしれない。弧月より適性があるとすれば攻撃手の個人ランクで久しぶりの上位入りも夢ではないだろう。想像するだけで気持ちが高揚した。
それこそもう随分前の話だが、迅が黒トリガー持ちになりランク戦から外れて太刀川も意欲を失っていた時期に絶好調だった美也子はポイントを稼ぎまくり、最高で攻撃手3位にまで登り詰めたことがある。ほんの一瞬のことですぐに抜かされたが、忍田の弟子という肩書は伊達じゃない。
地図は読めないしサポートは苦手だが単純に一対一の勝負なら彼女はA級にも引けを取らない自信があった。一応A級経験もあるので当然の話だが。
そんな美也子だが現在弧月での個人ポイントは9851で攻撃手3位になった時以来、一度も10000に届いたことがない。
何故ならもう少しで10000ポイントに届く、というところでいつも太刀川がやってきて「勝負するか!」と美也子のポイントを奪っていくからだ。彼女は分かっててやってるとしか思えない兄弟子を心の中でポイント強盗と呼んでいた。
太刀川は純粋に稽古をつけてやっているだけで他意はないのだが、それを美也子が理解できない、したくないと思うほど二人の間には大きな隔たりがあるのだった。
しかし改めて確認してみれば10000ポイントはもう目前である。今ならちょっと試合をして勝てば、10000を超えそうな気がしてきた。
折角だから弧月のポイントを上げて、それからスコーピオンに手を出そう。
そう決心した美也子はよし、と拳を握る。訓練生とはポイントのやり取りは出来ないため、誰か暇な正隊員はいないものかと全員分の連絡先が登録されているボーダー用の端末を取り出した。
元太刀川隊の烏丸京介でも呼び出そうかと思ったが彼はバイトで忙しそうなのですぐに候補から外した。攻撃手か万能手で誰かいないだろうか、王子に連絡を取ってもいいのだろうか…などと迷い出したところで周囲がざわつき始めた。
美也子の側にいた訓練生達が彼女の後方に視線をやる。皆一様に驚いた表情をするので有名人でも来たのかと首を傾げる。もしかして……王子君!?
美也子が勝手な推測で期待し胸を高鳴らせたのと同時に彼女の両肩に後ろからトン、と誰かの手が置かれた。
「よう、美也子」
う、うわあああああああ!!!!
あまりに聞き慣れた声が背後から掛けられ、美也子は絶望から心の中で叫んでしまった。現れたのは待ち望んだ王子ではなく彼女を不幸にするポイント強盗である。取られる!ポイントが取られる!!
結果、太刀川にボコボコにされた美也子はポイントを根こそぎ奪われた。
彼女がスコーピオンを装備する日はまたも遠退いたのだった。