05
全然遠征行かないじゃん、早く行けよ。
気温のせいでじんわりと額に汗を浮かべながら、せっかちな美也子は早くも我慢の限界を迎えていた。
もうすぐ遠征と聞いて一人でパーティーを開いたのは良いが半月経っても太刀川は本部に居るので、美也子は黒コート姿を見掛ける度に「まだ居る…」と壁に張り付き隠密行動を取っていた。あまりにも出発する気配がないので出水がデマを吹き込んだと疑う始末だ。
別にデマでも何でもなく出水ははっきり『ランク戦が終わってから』と言っていたので美也子が勝手に思い違えて期待していただけである。ランク戦終了後ということは今シーズンの全部隊の順位が確定するまでは出発しないということで、最短でも二ヶ月は先という計算になる。もしかしたら入隊式の方が先になるかもしれない。時折感じる強い日差しに呼応するように美也子の苛立ちは増していった。
「おい、きな子」
空調設備の整った基地内へ入るなり聞き覚えのある声がした。目を向ければ同級生の影浦がこちらへ歩いてきたので彼が自分を呼んだのかと理解する。
『きな子』とは影浦がつけた美也子のあだ名である。太刀川が所構わずひたすら餅を食べていた頃、彼の指示で美也子は常にきな粉を持ち歩いていた。「俺が餅でお前がきな粉な。役割分担、これが仕事の効率化ってやつだ」等と年上の高校生から真っ直ぐな眼差しで言われれば中学生の美也子はおかしいと感じても頷くしかない。
その後、太刀川が施設内でのきな粉餅禁止令を出されたことを長く知らなかった彼女は使われることないきな粉を常備し続けた。そのせいで面識のなかった影浦から『よくわかんねぇけど何故かきな粉を持ってる奴』として覚えられ、名乗るより前にきな子と呼ばれるようになったのだった。正式には『きな子妖怪遊佐』であるが長いので省略されている。
ここ最近、基地では見かけなかった人物の登場に美也子は一瞬面食らい、間を置いてから「あれ」と口を開いた。
「影浦君、謹慎解けたの?」
「わりーかよ」
「まさか。お勤めご苦労様です」
「バカにしてんのか?」
本気である。美也子は普通に労いの言葉をかけただけだし、事ある毎に「おら、ジャンプしてきな粉出せよ」とおちょくってくる影浦の方が余程自分をバカにしていると思った。
「お元気そうで何より」
「午前も会っただろうが」
まるで何年も会っていなかったかのような空気を出す美也子に影浦は呆れたような目を向けた。謹慎処分とはいえ、元々学校には来ていたので廊下ですれ違うこともあったし、今日は選択科目で隣の席だった。肩を竦めれば「これ返すわ」と授業中に貸していた赤ペンを手渡された。貸したことをすっかり忘れて失くしたと思っていたので影浦が持っていたのか、と納得して受け取る。
「…………」
「…………」
そのまま襲い来る沈黙。この二人はお互いに嫌いではないがちょっと苦手という気まずい関係だったので、油断するとすぐ間が持たなくなる。荒船や村上がいればこんな事にはならないのだが、彼らが今この場に現れる確率は奇跡に近いので自分達で解決するしかなかった。
じゃあ解散、と言えばこの場は終わるだろうかなどと美也子が考えていると影浦はマスクで口元が隠れていてもわかるほど表情を歪ませ、煩わしそうに舌打ちした。
「うぜーから帰る」
そのうぜーが自分に対して使われたものではないことは、ポンコツの美也子でもすぐにわかった。二人の側を通りがかった訓練生が影浦を見てあからさまに嫌そうな顔をしていたからだ。
美也子も詳しい経緯は知らないが上層部への暴力沙汰で8000ポイント没収、という話はあまりにセンセーショナルで四年ボーダーに在籍していても中々聞けるものではないし、普段影浦と関わりがない隊員からしてみれば確かに良い感情は懐けないだろう。
影浦は「じゃあな」と短く言うと美也子が来た方へ向かって足を進めた。ただでさえ彼は感情受信体質で自分へ向かってくる周囲の感情が分かってしまうので、謹慎明け直後で仕方がないかもしれないが相当居心地が悪いだろうなと美也子は気の毒に思った。
影浦のことは得意ではないが、師匠である忍田に「仲間とは助け合いなさい」と教えられてきた美也子は本心から「何か困った時は私もお手伝いするよ」と彼の背中に向かって声をかけた。影浦は一度振り向き、じろりと美也子を見る。
「じゃあポイント寄越せ」
「それはダメ。私今8700しかないから暫く負けられない」
「なんだ、おめーも誰か殴ったか?」
というか斬られた。そして持っていかれた。
***
影浦と別れた美也子はその足でまっすぐ個人ランク戦をしに向かった。太刀川のせいでごっそりと減ったポイントを元に戻して一日でも早くスコーピオンを使えるようになりたかったし、今日こそは王子がいるかもしれない。
打算的な気持ちでロビーへ入るとなんだかいつもより人が多く感じた。これは影浦は来なくて正解だったかもしれない、と賑わう空間を見回す。ちらほら知った顔を見つける中、滅多にここでは見かけない隊服が目についた。
うそ、まさか…と頬を紅潮させた美也子が声をかけるより前に、その人物が彼女に気が付いた。
「やあ、遊佐さん。お疲れ様」
ぎゃー!!王子君だ!!
こちらに笑いかけてきたのは紛れもなく本物の王子で、夢にまでみた彼との邂逅に美也子は床に倒れて転がり回りたくなる衝動に駆られつつもグッと堪えた。頭の中では法被を着て神輿を担いでいたがそんな素振りは一切見せずに軽く手をあげて「お疲れ様」と口にする。太刀川の相手をするうちに得た高度なテクニックである。
「なんだか顔を合わせるのは久しぶりだね。会えなくて寂しかったよ」
えー!?私も!!
サービス精神旺盛な王子の言葉に心の中で食い気味に返事をする。親しい仲なら女子相手でもサラッとこういう事を言ってしまうのは彼の悪い所だと思った。
すぐその気にさせちゃうんだから…などとその気になって法被を脱いで踊り出した美也子は「学校でもクラス違うと会えないよね〜」と明るく返す。
そのまま話に花が咲く。王子は社交的で話し上手だし、美也子も興奮してよく口が回った。影浦と二人の時とはえらい違いである。
ちょっと場所が殺伐としているが、今日はトリオン体に換装せず制服姿のままやってきたので、詰襟の隊服を纏う王子と並ぶ様は端から見れば高校生カップルのようだと勝手に思った。もしかして今の私達はお似合いなのでは?と浮かれる。
誰かこの場面を撮ってくれないだろうか。そして冷やかしてくれないだろうか。こんなことなら影浦と一緒にくればよかった。いや、写真を撮ってくれとか言えないし、言ったところで絶対撮ってくれないだろうが…と美也子がパパラッチを求めてさり気無く視線を動かしていると話題は遠征のことに切り替わった。王子が太刀川は遠征に行くのか聞いてきたので別に口止めされていなかった美也子は首を縦に振った。
「そう、太刀川さんは楽しい人だから留守だと寂しくなっちゃうね」
「えっ、うん、そうだね」
王子の言う事なら全肯定する美也子は思ってもないことを口にした。
美也子は太刀川が苦手であることを公言していない。隊の枠組みを越えて協力し合う場面も多い中でわざわざ人の好き嫌いを告げる必要はないと思っていたし、出来る限り態度に出さないよう気を付けていた。入隊時期の近い古参の隊員は知っているが、殆どの隊員は美也子と太刀川がとても仲の良い兄弟弟子だと思っているようだった。
王子もその一人で「遊佐さんは特に寂しいよね」と気遣うように言ってきた。全くもってそんな事はないし、何なら出発が遅くてイラついていたのだが美也子は「太刀川さんには良くしてもらってるから…」と悲し気な表情を作る。こうも平然と嘘がつけるとは、自分でも恐ろしいと思った。
「ホントすごく寂しいな〜!」
「なんだ、俺の話か?」
「うっわ………」
これは調子に乗り過ぎた罰なのかもしれない。横から乱入してきた声に、美也子は今朝の星座占いが最下位だったことを思い出した。
ずっと避けていた黒コートの登場で一気に盛り下がる。王子によると太刀川は美也子が来るより前からずっと個人ランク戦をしていたらしい。流石戦功で単位を買っていると噂される男だ。
「太刀川さんが遠征に行っちゃうのが寂しいって遊佐さんが」
「そうかそうか」
うわ、うわぁやめて…。事情を知らない王子に正直に会話内容を話され、美也子は頭を抱えたくなった。そんなこと言わなくていいから、それ嘘だから。
嘘を見抜けない太刀川が「可愛い奴め」と満足そうに美也子の頭に手を乗せてきたので、作り笑いを浮かべながらさり気無くその手を退かした。一番聞かれたくない台詞を一番聞かれたくない人に聞かれ、もう死んでしまいたいとさえ思ったが両親が悲しむのでやめた。
「ところで美也子、お前昨日の月9観たか?」
突如投げかけられた質問で嫌な流れを思い出し、冷や汗が出る。なんで…そんなことを聞いてくるんだ…?
緊張しつつ昨夜は防衛任務があり放送時間に間に合わなかったので素直に「観てませんけど…」と伝えると太刀川は王子にも確認を取った。王子はそもそも今期の月9を観ていないらしい。
二人の回答に黒コートは「そうか…」と暫し悩む様子を見せる。
「めちゃくちゃ凄かったからネタバレしたいんだけど、二人とも観てないか…」
「やめてください、本当に。やめてくださいね」
「わかった、じゃあ一つだけ言わせてくれ。田中が生き返った」
太刀川ー!!
美也子は反射的に手が出そうになったが、王子の顔を見ることで何とか抑えた。王子がいなかったら多分堪えきれずに殴っていた。一つだけ、で一番言ってはいけないことを言うとは何事だろう。
個人総合2位の二宮匡貴や美也子と同じく付き合いの長い三輪が、時々物凄い目で太刀川を見ていることを思い出した。きっと彼らもこんな気持ちになっていたのだろう。よくわかった。
言うだけ言って満足したらしい太刀川は美也子に早くスマホを買い替えるよう注意してから去って行った。昨日も彼は美也子に連絡を取ろうとしたようだが相変わらずブロック中であるし、解除するつもりもない。
思いがけず衝撃のネタバレを食らった王子が楽しそうに笑って「ぼくも観てみようかな」と言ったので美也子は拳を震わせながら「うん、すごくオススメ…」と必死に笑顔を作った。頼むから早く遠征に行ってくれ、と心底思った。