06
早朝からの防衛任務を終えた美也子は学校へは行かず基地に残った。ただでさえ朝早くから活動して眠いのに、この茹だるような暑さの中を歩いて登校するなど考えられなかったからだ。
普段より空席が目立つラウンジで小さく欠伸をする。平日の昼間に人が少なくなるのは過半数が学生で構成される組織特有の光景だと思った。長期休みになればまた違うのだが、やはり学生の本分は勉強である。
美也子も一応受験生なので学校を優先するようにはしているが、成績は悪い方ではないので今のところそこまで危機感を懐いていない。自分より国近の進路の方が心配である。鈴鳴所属で同クラスの今結花から狙撃手の当真勇と共にスパルタ指導を受けていた姿を思い出す。
まあ、いざとなれば『ボーダー推薦』という闇の抜け道(使用例:太刀川)から三門市立大学へ入ることができるので受験生の隊員達は一部を除いてそこまで気負っていなかった。
飲み物を口にしながら、のんびり過ごしていると個人用の端末が振動したので確認する。授業中のはずの国近から「お仕事終わった〜?」とメッセージがきていたので、今日はもう学校に行く気のなかった美也子は「本部で待ってるね」とハートマーク付きのおちゃらけた返信を打った。
「あれ〜、学校サボってる悪い子がいる」
画面に集中していると軽い調子の声が降ってきたので顔を上げれば、朝から共に防衛任務に当たっていた二宮隊の犬飼澄晴が立っていた。一時間も前に任務は終わったというのに彼は隊服のままで特に急いでいる様子もない。
そんなの犬飼にも言えることじゃないか、と同じ台詞をそっくりそのまま返してやれば「うちは短縮だから午前で終わりなの」と言いながら許可していないのに美也子の向かいの席に腰掛けた。
美也子は犬飼とそんなに親しくなかった。学年は同じだが学校も入隊時期もポジションも違うので交流のしようがない。同性ならまた違っただろうが、美也子にとっては数多いるボーダーの仲間の一人で友達の友達程度の間柄だ。
だが犬飼はコミュニケーション能力が高いので、親しいとかどうとか関係なく同じ空間にいればよく絡んでくる。特別人格に優れているわけではないが嫌なタイプでもないし、共通点がなくとも話術が巧みな彼とは話題に困らなかったので別に苦手ではなかった。
そんな彼が選んだ話題は「太刀川さん、もうすぐ遠征だね」だった。またしても太刀川の名前を出されて美也子はほんのり機嫌が悪くなったが、洞察力に優れる犬飼には絶対に感じ取らせぬよう注意を払った。
「遊佐ちゃん、仲良いから寂しいんじゃない?」
「別に。全然平気だよ」
「そっかそっか、美也子ちゃんは強い子だもんね〜」
わざとらしく名前呼びをしてぱちぱちと手を叩く。まるで幼稚園児を褒めるような言い方だが彼は単にふざけているだけで悪意はない。
けれどこれでは本当は寂しいのに強がっているみたいじゃないか、と美也子は口をへの字に曲げた。それに気が付いて笑いながら謝ってくる彼は、まだ美也子が恥ずかしくてこんな態度を取っていると思っているのだろう。
「それから今日はごめんね。居心地悪かったでしょ」
前触れなくそう伝えられた。鈍い美也子でもそれが二宮隊との防衛任務のことを指しているのはすぐに分かった。確かに今日の防衛任務は地獄だったからだ。
何故かと言えば二宮の機嫌が物凄く悪かった。というか全体的に二宮隊の空気が死ぬほど重かった。
オペレーターの氷見亜希は要介護の美也子を前に必要最低限しか喋らなかったし、犬飼はいつものように軽口を叩かないし、辻は慣れない女子が近くに寄ってくるせいで別の意味で瀕死だった。
そんな中に一人放り込まれ、美也子は思わず心の中で太刀川に助けを求めた。今だけはあの物怖じしないマイペースさが羨ましくてたまらなかったし、あれほど頼りになる人はいないとすら思った。
二宮隊がお通夜のような空気になっていた理由を美也子は何となく分かっていた。恐らく狙撃手の鳩原のことでまだ整理がついていないのだろう。
美也子にとって鳩原は同じクラスで、何でも話せる大親友――というわけではないが時折休み時間に話したり、一緒に下校したり、お昼を食べたり、皆で集まってテスト勉強をするような友達の一人だった。
少なくとも犬飼よりは親しい相手だったので、彼女が周囲に何も告げずにボーダーを辞めていなくなってしまった事には美也子もショックを受けた。
自分でさえこれなのだから、平日も休日も雨の日も風の日も共に過ごしてきた二宮隊への影響は計り知れない。突然仲間が消えた上に鳩原は隊務規定違反で辞めることになったので、連帯責任として二宮隊はB級に降格処分となった。そりゃお通夜だ。
美也子には彼らの心情を全て知ることは出来なかったので、謝る犬飼に「まあ、皆さん大変でしょうから…」としか言えなかった。明らかに反応に困っている美也子に、向かいに座る犬飼はただ目を細める。
皆思うところはあるだろうが特に二宮はショックだったろうな、と美也子は思った。
彼は言い方が厳しいので誤解を招きやすいが、割と親切で面倒見の良い人なのできっと鳩原のことも可愛がっていただろう。
昔、美也子をパシリにする太刀川に「自分のことくらい自分でしろ」と一喝してくれた時のことは大感動したのでよく覚えている。その後に「お前も何でも言うことを聞くな」と怒られたものだ。あまり年上の男性に叱られた経験がなかった美也子は委縮してしまったのだが、そんな彼女を太刀川が「怯えてるだろ」とすかさず庇ってきた時は二宮と共に何言ってんだこいつと思った。
鳩原もそんな二宮を慕っているようだったし、もしかしたら裏切られたような気持ちになっているのかもしれない。そりゃ機嫌も悪くなるわ、と美也子は勝手に納得した。
***
「お前犬飼と仲良かったのか」
「別に…仲良くはないです。悪くもないけど」
太刀川にそう尋ねられ、美也子は正直に答えた。
それを聞いた彼は「うん…?」と首を傾げる。仲良いor悪いの二択しか許されないのか。
犬飼と話していたところを必修科目の単位を落としている疑惑のある太刀川に見つかり、勢いと謎の流れで太刀川隊の作戦室まで来てしまった美也子は、散らかりまくった室内を片付けていた。
昔と変わらず同じ部屋を使用しているはずなのに、自分や烏丸が居なくなるだけでこうも荒れるものかと不思議に思う。塵一つ残すなというわけではないが、脱いだ服くらい各自で仕舞ってほしいものだ。
手際良く片付ける美也子に、一切手伝う気のない太刀川は出水が持ち込んでいる漫画をパラパラ捲りながら話を振ってくる。
「楽しそうに喋ってただろ」
「ああ、太刀川さんの悪口で盛り上がってました」
「おいおい、俺も傷付くんだぜ?」
全く傷付いてなさそうな表情と声色でそう返され、もし自分がいなくなったら太刀川はショックを受けるだろうか、と美也子は考えた。
認めたくはないが美也子は太刀川が急にボーダーからいなくなってしまったら、きっと寂しく思う。
「太刀川さん、ボーダー辞めないでくださいね」
突然、脈絡もなくそんな事を口にしたものだから太刀川はページを捲る手を止めて目を瞬かせた。
完全に無意識だったので、我に返った美也子は反射的に口を抑える。自分は今とんでもなく恥ずかしいことを言ってしまったのだと理解した途端、顔に熱が集まるのを感じた。
上手い言い訳が見当たらずに「あの、その、いや……」と狼狽え、火が出そうなくらい赤面する彼女の肩にぽん、と太刀川の手が乗った。
「お前、俺のことホントに大好きなんだな…」
ふざけるな殺すぞ、などと美也子は出来もしないことを強く思った。