07

美也子は激怒した。必ずかの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した――さながら今の彼女の心情はこれである。

約一分前の己の発言を後悔した美也子が半泣きで太刀川の背中を何度も叩いていれば、間の悪いことに出水が作戦室に入ってきてその現場を見られてしまった。高校はまだ授業中のはずだというのに今日に限って上層部に呼び出されたので早退けしたらしい。彼は二人の関係性をすっかり勘違いしているので「またイチャついてるんですか」と慣れた様子で言った。もうこの時点で美也子は諸々耐えられなかった。
太刀川は否定するどころか「美也子は俺が好きでたまらないからな」といつものように笑うので、彼女はより一層強い殺意を懐いた。お前を殺して私も死ぬ、とまで思った。『模擬戦を除くボーダー隊員同士の戦闘を固く禁ずる』を破って規定違反で罰せられる覚悟は出来ている。


「いや、ダメだって。落ち着いて」
「いつでも殺れる」
「落ち着け」

殺意高めな呟きをしながら、震える両手で顔を覆う美也子を止めたのは東隊のオペレーターで同級生の人見摩子である。
太刀川に攻撃を仕掛けるタイミングを計りながら殺し屋の目で施設内を彷徨いていたところを心配した人見に声をかけられ、東隊の作戦室に招かれたのだ。心を落ち着けるために人見セレクションの名作ホラー映画を二人で観始めたもののモニターに映るショッキングな映像によって美也子の殺意は逆に増していったので慌てた人見により中断された。英断である。
かれこれ数時間経つが、あの恥ずかしい台詞を思い返すだけで暴れ回りたくなるし、実際ここには気心の知れた人見しかいないので美也子は我慢せず床を転げ回った。東隊の作戦室は人見の手腕により片付いているので障害物がなく転がりやすい。また心臓の鼓動が早くなり、顔を隠していた手を離して胸をぎゅっと押さえる。

「そもそも何があったの?喧嘩でもしたの?」

腕を組んだ人見が見下ろしながら言う。彼女は『事情は知らないが美也子が太刀川を討つ気である』ということしか把握していなかった。戦国時代か何かか?というのが話を聞いた彼女の最初の感想である。
人見からすれば美也子と太刀川はボーダーでも特に仲が良いと有名だったので、まさか美也子が厳罰覚悟で弧月を抜こうとする日が来るとは思わず、二人の間に何が起きたのか予想もつかなかった。
横たわったままの美也子は説明しようとして口を開いたが、上手く言葉が出てこない。暫く悩んでから人見になら教えても問題ないと判断し、本当は太刀川が苦手だということを伝えた。
みんなには内緒だよ、と声を潜める美也子に、人見は意外そうな表情を見せた。自分が持っていた認識とは180度違うことを告げられればそんな顔にもなるだろう。

「美也子は昔から太刀川さんに懐いてた、って東さんも言ってたよ?」
「東さんがわざわざ他人の人間関係でマイナスになることを言うわけないって」
「それは確かに…」

容易に想像できるのか人見は何度も頷く。ボーダー屈指の人格者である東春秋は美也子が太刀川に『可愛がり』を受けていた時代を良く知っているので、余計な軋轢が生じないように気を遣ってくれたのだろう。ボーダーは狭い組織なので円滑な人間関係を築くことが何より重要になる。

「でもその割には美也子ってよく太刀川さんの話してるじゃない」

美也子は鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。冗談かと思いきや人見は真面目な顔をしていて、予想外のことを指摘された美也子は「え…」という小さな声しか出せず、動揺を隠せなかった。何も言えないでいる彼女に人見は「昨日太刀川さんとどうした、とか前にこれ貰ったとかそんな感じの」と続ける。
可能な限り記憶を遡った美也子は、いくつか友人達との会話内容を思い出した。もしかして自分は無意識のうちに太刀川の話ばかりしていたのだろうか。
その時、作戦室の扉が開く音がした。

「おわっ!すいません間違えました!」

入ってきたのは東隊のメンバーの一人、小荒井登だった。
彼は床で転がる美也子と目が合うなり、ぎょっとしてすぐ出て行った。一度外で自隊の作戦室であることを確認したのか疑問符を浮かべながらも再び戻ってきた彼を人見が「合ってる合ってる」と手招く。
彼の反応に、美也子は余所の隊の作戦室で転げ回るなんて失礼なことをしてしまったと今更ながら反省した。それもこれも太刀川のせいである。以前から行方不明になっている自転車の鍵が結局見つからず泣く泣く石で壊す羽目になったのも恐らく太刀川のせいである。

***

長期休暇に入ると本部基地は何処も彼処も学生達で溢れ返っていた。
ランク戦シーズン真っ只中ということもあるが個人ランク戦に参加する正隊員もいつも以上に多く、A級の三輪や米屋、草壁隊の緑川駿や加古隊の黒江双葉、喋ると必ず「カワイイ」と褒めてくれる生駒達人に最近また顔を見せるようになった村上等々ブース内は強者で賑わい、模擬戦の相手に困らなかった。嬉しいことに王子との遭遇率も高くなったので、美也子はどの場面で出くわしても大丈夫なように暇さえあれば国近と買い物に行って服や靴を新調して着飾った。浮ついた奴である。
当然単位を犠牲にして腕を磨く太刀川にもよく会ったが、人が多いおかげで彼の意識が美也子に一点集中することはなく、先日までの怒りは何処へやら、彼女は心穏やかに過ごすことが出来た。

……そう思っていたのだが、ランク戦も終盤に差し掛かると正隊員の間で遠征の話はすっかり広まっていて、美也子は誰かに会う度に太刀川の話を振られるようになり辟易していた。
どいつもこいつも髭野郎の話ばかり……とまたイラつきだした彼女が自販機を太刀川と見なして一発殴れば偶然通り掛かった風間隊の歌川遼にばっちり目撃されてしまい、優しい彼に「遊佐先輩大丈夫ですか…?」と気を遣われた。大丈夫ではなかったが何かと周りのフォローで忙しい彼にこれ以上苦労をかけたくなかったので笑って誤魔化せば、遠征の話を振られてしまい美也子はその場に膝から崩れ落ちた。後日、歌川が美也子を泣かせたと噂が立つのはまた別の話である。

人見によく太刀川の話をしていると言われてから美也子は彼の名前を自分の中で禁止ワードにして口に出さないよう注意してきた。だが、自分が言わなくても相手が話題として振ってくる今の状況をどう解決すればいいのだろうか。
ポンコツなりに一生懸命考えた結果、美也子は黙ることにした。寂しいでしょ?と揶揄われて下手に「寂しくないし!」なんて言おうものなら強がっちゃって…と犬飼のように生暖かい目で見られて無駄なやり取りが続いていくからだ。沈黙、それが正しい答えである。


「天ぷら…乗せ過ぎじゃない?」
「これ控えめな方ですよ」

オペレーターの宇井真登香が席に運んできた天ぷらたっぷりのうどんを見つめながら美也子が言えば、柿崎隊の照屋文香がくすりと笑った。宇井が「金欠なんで節約してるんですよ〜」なんて言うので洋服代(王子代)に給料を全て当てている美也子は己の財布が大分軽くなってきたことを思い出す。
お昼を過ぎて人が疎らになった食堂で、三人は少し遅めの昼食をとっていた。学年もポジションもバラバラだが、美也子は柿崎国治と親しかったので、彼と話すうちに自然とこの二人とも交流が生まれていた。
始めはテレビや学校の話をしていたのだが、基地にいると知らず知らずのうちに自然とボーダーの話になるのが防衛隊員の性である。思い出したように「もうすぐ遠征が…」と照屋が言いかけたところで、この後上がってくるはずの名前を察知した美也子はバッ!と掌を突きだした。突然の奇行にきょとんとする二人に美也子はゆっくりと手を引き戻す。

「ごめんね。私、太刀川さん禁止ワードなの」
「禁止ワード?」
「太刀川さんの名前を出したら次の日の朝食抜きの罰を自分に課している」
「ええ〜!攻めたゲームしてるな〜」
「朝食はちゃんととった方がいいですよ」

照屋が心配そうに言った。既に今日の朝食を抜いていた美也子はドキッとしたが、それを悟らせぬようにヘマはしないと語る。二人から「おお〜!」と拍手が送られ、心が痛んだ。
彼女達も美也子が太刀川を苦手としていることは知らないので、単にゲームをしていると捉えているようだった。

「どうしても太刀川さんの名前を出さなきゃいけない時はどうするんですか?」
「例のあの人か、名前をいってはいけないあの人で対処する」

真面目な顔で教えられた隠語に照屋と宇井は耐えられないとばかりに笑い出した。そんな二人を眺めながら美也子はなんだかんだで太刀川の話になっていることに首を傾げる。何故こうなるんだ…?
これ以上例のあの人の話が続くことを嫌った彼女は「それより私も最近金欠で〜」と無理やり話題を変えた。

「お休みだと色々買っちゃいますもんね」
「その割には美也子先輩こそ今日食べ過ぎじゃないですか?」

宇井に指摘された美也子の昼食は、本日初の食事だったので冷やし中華大盛りに小鉢三つとお盆に乗りきらない量になっていた。
躊躇うことなくもりもりと食べながら美也子は「問題なし」と親指を立てる。

「お金が足りなくなったら名前をいってはいけないあの人に奢ってもらうからいいの」
「太刀川さんのこと都合の良い男扱いしてるの先輩くらいですよ」

甘えた発言をすればしっかり者の照屋にもう、と諫められる。
結局いつも自分のせいで太刀川の話に戻してしまうのだが、それに気が付けないポンコツの美也子は少し口を尖らせた。この分では明日も朝食抜きになりそうだ。

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