08

自らで定めた罰則により一週間連続朝食抜きとなった美也子は、これ以上は身体が持たないと判断して早々に太刀川の名を禁止ワードから外した。人見の言う通り自分は普段から太刀川の話ばかりしていたのだと裏付けされる結果となってしまい、美也子の気持ちは複雑極まりない。
もやもやを吹き飛ばそうとランク戦に熱を入れて個人ポイントを9500付近まで回復させた彼女は、来月に控える入隊式の準備に駆り出されていた。資料の挟まったバインダーを片手に各所を回り、オリエンテーションで使用する訓練室などを押さえておく。
同日に行われる新入隊員への指導役は各ポジションでそれなりの実績があり、外向きの性格をしている手空きの隊員が持ち回りで担当するのだが、時間に融通が利き無駄に上からの信頼が厚い美也子は嵐山隊と共にほぼ毎回選ばれていた。

新入隊員の殆どが中高生とはいえ、ここでの指導は学校での委員会や部活動での後輩指導とはまるで違う。ボーダーは一般に公開していない情報も多いのでトリガーの扱いだけでなく隊員としての心構え、隊務規定についても訓練生のうちから厳しく意識させなくてはいけないのだ。
正直、自分のような適当な学生がやっていいことではないと美也子は思っていたが、現ボーダーは設立して四年程度の若い組織で、構成員の数に反して管理職と呼ばれる存在が殆どいないので仕方がない。初期に比べれば安定してきたとはいえ、まだまだ課題は山積みだ。結局今いる人間だけで助け合うしかない。
最初は戸惑うこともあったが回数を重ねれば自然と慣れてくるもので、初めて指導担当になった者から疑問点や当日の流れについて美也子はよく質問を受けた。困った時に使用する『入隊式の手引き(運営用)』と呼ばれる引継ぎ用マニュアルを作成したのも彼女である。
入隊式において顔を務める嵐山准や同じく指導役常連の東と肩を並べて前回との変更点や段取りを相談している自分を客観的に見つめると意外とこういう地道な仕事は向いているのかもしれない、と美也子は思った。


「今期は狙撃手の志望者が多いみたいですね」
「ああ、賢が喜んでいたよ」

嵐山隊の作戦室で、オペレーターの綾辻遥が作成してくれた新入隊員のリストを眺めながら美也子が言うと嵐山が笑った。室内には彼と綾辻と美也子の三人だけで、単純に人数が少ないからかチームでも特に口数の多い佐鳥賢が不在のせいか、いつもより静かに感じる。
嵐山隊は全員が入隊式の準備に関わっているので、特定の隊に所属していない美也子は自然とここで仕事をするようになっていた。毎度この時期は嵐山隊の作戦室に入り浸りすぎて自分もこの隊の一員なのでは?と錯覚するのがお約束である。
隊員リストを見ながら事前調査で選んでもらったポジションの確認をする。トリガーホルダーへ入れる戦闘用トリガーに間違いがないか綾辻とダブルチェックをした後、仮入隊中の者は現在までの訓練成績を考慮して個人ポイントを割り振った。
一通りの確認作業が終わると綾辻がタグ付けしたトリガーホルダーを仕舞った箱を抱えながら言った。

「じゃあ私が保管庫に戻してきますね」
「なら私は東さんにリストを届けに行ってきます」
「わかった。二人ともよろしく頼む」

席を立つ女子二人に嵐山がそう声をかける。
返事をして美也子と綾辻は共に作戦室を出た。時間的に恐らく東は訓練室にいるだろう。保管庫とは方向が真逆だったので綾辻と別れて美也子は一人訓練室へ向かった。


滅多に訪れない狙撃手用の訓練室の入り口からそっと顔を覗かせると壁際に東が立っているのが見えた。鈴鳴第一の別役太一と何やら話しているらしい。
狙撃手には知り合いが少なかったので美也子はこのまま勝手に入っていいのか躊躇したが、幸運にも訓練をしにやってきた荒船が声をかけてくれたおかげで彼と共に中へ入ることが出来た。
東は、美也子の姿を認めると軽く手を上げる。太一との話を中断させてしまったので、手短に用を済ませようと簡潔に説明して「あとで確認お願いします」とリストを渡した。
そのまま帰るつもりだったが「ちょっといいか」と東に引き止められる。美也子に話があるらしく、周囲に会話を聞かれないよう少し離れた位置まで移動した。

「最近どうだ?」

東らしくない抽象的な質問だったが、美也子は何となく彼の言いたいことが分かった。
恐らく人見から太刀川を斬ろうとしていた話を聞いたのだろう。東は面倒見の鬼――防衛隊員で彼の世話にならない人間の方が珍しい――なのでこういった時に必ず気にかけ、必要ならフォローしてくれるのだ。
美也子にとっては恥ずかしい話なので摩子め〜、と人見を若干恨みつつ「別に」と少し拗ねたように口にした。

「もう弧月で斬りつけようなんて思ってませんよ」
「ははは、そりゃよかった」

未遂に終わったことを聞いて笑う。
もう大丈夫なんだな?と念を押されたので頷くと彼は安心したように目を細めた。

「まあ、遊佐はなんだかんだ太刀川に懐いているもんな」

突如、美也子は宇宙空間に放り出されたような気分になった。まさか東がそんな事を言うとは夢にも思っていなかったので彼女は大きく目を見開いて固まってしまった。
人見がその事を東から聞いた、と知った時はてっきり変な噂が立ったりしないように気を回してくれたのだと思っていたが、まさか彼は本気で言っていたのか?あまりに衝撃的で美也子は信じていた人に裏切られた気分になった。映画ならここで暗転して悲鳴が聞こえるバッドエンドだ。
彼女が何を考えているか表情で分かったらしい東は、元チームメイトの三輪を見守る時のような柔和な目を向けた。

「いや、お前が大変だったのは知ってるよ。でも今は普通の先輩後輩だろ?」

それを聞いて、美也子は遠ざかっていた意識を何とか戻すことが出来た。東は全て分かった上で、それでも美也子は太刀川を慕っていると判断したらしい。
彼の言う通り今はもうパシリに使われることはないし、チームを離れたというのに物を貰ったりご馳走になる機会は多い。彼にとてもお世話になっている、という自覚はある。しかし慕っているかと言われると素直に首を縦に振ることは出来なかった。
美也子は自分が太刀川に対して抱いている感情がどういったものなのか最近よく分からなくなっていた。太刀川のことは別に嫌いではない。これは確かな事実である。でも嫌いじゃないから好きと言うわけではないはずだ。
口元に手を当てて考え込む彼女に東がふっ、と口角を緩めた。

「ボーダーは学校より距離が近い部分があるからな。突然そういう場所に放り込まれて、あの時はお互いどうしたらいいか分からなかったんだろう。太刀川に悪気がなかったのはお前も分かってるはずだ」

そう言うと東は美也子の肩を叩いた。
ボーダーは学生が多いので部活動のような側面もあるが、上層部から命令が下され、労働の対価が支払われるところは会社のようでもあるし、人によっては家族と同じくらい多くの時間を共に過ごす場所でもある。
美也子と太刀川には兄弟がいないので、突然同じ師匠の下で学ぶような近い関係になって接し方に戸惑った部分は大いにあった。美也子が何でも素直に従っていたので増長したのだろうが、太刀川自身、弟妹はパシリに使うものだと勝手に認識していたのかもしれない。東の言う「悪気はない」も迅が言っていた「可愛くて仕方がない」もそう思うと合点がいく。

でも私は三輪君をパシリにしようなんて思いませんでしたけどね?と美也子は心の中で言った。この辺りは性格の問題である。

***

戻りました、と報告すれば書類に向けられていた嵐山の顔が「おかえり」とこちらを向く。
作戦室に戻ってきた美也子を迎えてくれたのは出てきた時と同じく嵐山一人で、綾辻はまだ戻っていないようだった。彼女は優秀なのでもしかしたら途中で別の仕事を割り振られてしまったのかもしれない。

「使い走りのような真似をさせてすまない。助かったよ」

全くそんなことはないのに、わざわざこうして言葉をかけてくれるのは嵐山の性格がよく現れている、と美也子は思った。
彼が取り扱っている仕事は美也子が代わっても問題なさそうだったので残りは自分がやると伝えれば、彼女が自分に気を遣っていることを察した嵐山が「ありがとう」と笑った。
もし嵐山が兄弟子だったら毎日がすごく楽しかっただろうな、等と美也子は遠い目をした。少なくとも突然ドラマのネタバレをされることはない。
自分の何倍も忙しい彼に「遊佐は働き者だな」なんて感心したように言われるので擽ったい気持ちになった美也子はつい「慣れてるので」と口にした。

「太刀川さんは面倒ごとは全部私にやらせてましたから」

過去を思い返す。太刀川はこういう時こうした、ああした。色んなエピソードが詰まることなくスラスラと出てきた。
なんだか止まらなくなってしまったのは、付き合いの長い嵐山が相手だからかもしれない。暫く続けているとずっと相槌を打っていた嵐山が美也子を真っ直ぐ見た。

「そうか、遊佐は太刀川さんのことをよく見てるんだな」
「へぁ?」

予想外のことを言われて変な声が出てしまった美也子は反射的に口許を覆った。
ほぼ無意識だったし、本人は嵐山と比較して下げていただけのつもりである。彼はそんな彼女を見て優しい笑みを浮かべた。

「遊佐はよく太刀川さんの話をするから、きっとすごく大切に思ってるんだろう?嫌いだったり、どうでも良い存在なら普通は口に出さないからな」

雷に打たれたような強い衝撃を受けた。
美也子は太刀川が苦手だ。彼女に友達がいないと思い込んでいるところも変な気遣いをするところも強引でマイペースなところも全部苦手だ。
でも美也子の方向音痴を責めないで笑い飛ばすところや好きなものを食べさせてくれるところ、なんだかんだで気にかけて心配してくれているところは好ましく、いざという時に頼りになるところも魅力的に思っていた。自分に対してこんな風に接してくれる人は家族を除けば太刀川くらいなのだ。
どうでも良いと思っているなら、確かに口には出さない。

「遊佐、顔赤いけど大丈夫か?」

けど、それではまるで自分が太刀川のことを好きみたいじゃないか。
そう指摘されたように感じた美也子は、黙って机に突っ伏す。具合が悪いのかと心配する嵐山の声が聞こえたが暫く顔を上げられなかった。

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