03

明日からイベント戦だから20時にゲームにログイン、でもキーホルダーは見つからない、明日は朝から防衛任務、でもキーホルダーは見つからない――授業中にも関わらず美也子は視界が滲んでいくことに気が付き、両手でそっと顔を覆った。自分はまだ学校にいなくてはいけないのか。もう今すぐ帰りたい――それが彼女の現在の心情である。
帰るのがダメならせめてキーホルダーを探しに行かせてくれ。それがダメなら家に帰らせてくれ。自分は大人しく授業を受けている場合ではないのだと美也子は消えたキーホルダーと王子に思いを馳せた。

………………王子君の顔が見たい……。涙を拭った美也子は机の中に手を入れると教壇からは見えないよう注意しながらスマホを弄る。国近や烏丸で埋まるカメラロールの中から、たった数枚しかない王子の写真を見つけた彼女の心は徐々に落ち着きを取り戻していった。しかし、足りない。正直言って画像よりも本人に直接会える方が何倍も嬉しいし、何なら喋りたい。

そう思った美也子は授業が終わったら隣のB組へ顔を出そうかと考えた。別に何の用もないが、だからと言って遊びに行ってはいけない、なんて事もない。そうだ、会いに行けばいいんだ。とんでもない妙案を思い付いてしまった……と美也子は自分の聡明さに恐れ慄いた。彼女はどうやらおかしくなっているようだ。

先程同様、授業が終わるなり席を立った美也子は廊下に出ると一度深呼吸してからB組へ足を向けた。すると殆ど同時に、B組の教室内から見知った大柄な男子生徒が出てきた。ぱちりと目があったその生徒は北添で、美也子に気が付くとすぐに性格を表すような温和な笑みを浮かべる。

「あれ、遊佐ちゃんじゃん。やっほ〜」

そのまま軽く手をあげたので、美也子もひらひらと右手を振って応えた。狭い廊下だと北添はいつも以上に大きく見える。彼ほど体格の良い者は、学校は勿論ボーダーにも中々いないので何処にいても目を引く存在だった。
同学年なら穂苅や当真も長身だが、恰幅の良さから抱く印象が異なり、北添はこうして向かい合うと何とも言えない迫力がある。半面、彼の口から出る言葉はどれも適度に緩くて優しいものだ。

「遊佐ちゃん、猫のキーホルダー探してるんだって?見つけたら教えるね」
「ああ、倫ちゃんから聞いたの?ありがとう」

どうやら加賀美はあっという間に情報を共有したらしい。有能という単語が浮かんですぐに美也子はB組の面子、というより今まさに彼女が会いに行こうとしていた人物を思い出して「あっ」と引き攣るような声を発した。
日常で中々聞くことが出来ない種類の声色に北添が「な、なになに?」と驚いた顔をする。美也子は彼の背後に見えるドアの向こうの教室に一瞬目をやってから、恐る恐る口を開いた。

「その話って摩子とか、王子君には言った……?」
「ああ、人見ちゃんは聞いてるけど、王子は午前中防衛任務だからいないよ?」
「えっ、そうなんだ……」

王子隊って防衛任務だったんだ――美也子は身体から力が抜けていくのを感じた。同じ学校に通っているというのに王子だけは何故か遭遇率が低かった。かれこれ、もう一週間も会っていない。
美也子が最後に王子を見たのは、先月末に開催された全学年合同の球技大会の日だ。彼はその日の為だけに結成された実行委員会の副委員だったらしく、当日その事を初めて知った美也子は「もし王子君が委員長だったら極上めちゃモテ委員長になっちゃうところだった……危ない……」などと訳の分からないことを考えて興奮していた。その結果とても良いプレーができて、好成績を残すことに成功したので彼女は思いを力に変えることが出来るタイプらしい。
気分はすっかり沈んでいたが、あからさまに反応するようなことはせずに美也子は「なるほど」と呟いた。何がなるほどなのかさっぱり分からないが北添はあえて突っ込まなかった。

「そうだ遊佐ちゃん、その無くしたキーホルダーの写真ってある?」
「キャラクターの画像ならあるよ。でもネットで探せばキーホルダーも出てくるかな」

実物の写真はないが、キャラクターのグッズで検索すれば同じものが出てくるだろう。スマホを取り出すと北添は人の良さそうな笑みを浮かべた。

「ほら、どうせなら人手は多い方がよくない?3年のグループに写真載せて情報募れば?」
「ダメ。そんな公開告白みたいなことしたら明日から外に出られなくなっちゃう……」
「キーホルダーを無くしたんだよね……?」

北添が言う3年のグループとはボーダーに所属する高校3年生のみが参加しているグループチャットのことで、当然ながら王子もいる。恐らく彼は美也子にキーホルダーを渡したことなど忘れているだろうが、もしも覚えていたら、そこで好きな人から貰ったものだと暴露されたら、もう目も当てられない。美也子はボーダーを辞めて引きこもりになる自信があった。
北添は何故彼女がそこまで追い込まれているのか全く理解できなかったが、その只ならぬ様子に「ごめんね、やめておこうね」と出来るだけ刺激しないよう優しく言った。遊佐ちゃんって時々扱いが難しいな、と北添は冷や汗をかいた。


結局、何の成果も得られず教室に戻った美也子は授業開始まで残り4分にも関わらず昼食として持ってきた弁当箱の蓋を開けた。徐に箸を手に取ると何の躊躇もなく中身を口に運ぶ。
突然の早弁に動揺を隠せないクラスメイト達からの「すげえ堂々と食うじゃん……」という目など気にせず美也子はひたすら食べ進めていった。

「うっそ、遊佐もうご飯食べてるの?」
「昼休みは丸々捜索時間に当てたいからね」
「本気じゃん。これが恋の力か〜、わたしも恋した〜い」

近寄ってきた国近は下敷きでパタパタと仰ぎながら「ていうか、暑くない?」と天井を見上げた。エアコンが壊れたのではないかと疑っているようだ。
彼女のその発言で美也子は外も探しに行かなくてはならないことに気が付き、今日の最高気温を思い出して眉を顰めた。

***

昼休みになると美也子はまず下駄箱の周りを探した。正直一番可能性のありそうな場所だったが、ゴミしか落ちていない。
時間は限られているのですぐに捜索を打ち切って外へ出た美也子は、手で日差しを遮りながら思い出せる範囲で三日前に通った道を辿った。
昼休みに入ってまだ半分も経っていないが、校庭では数人がボールを蹴っていた。気温を考えると遊びというより部活の練習なのだろう。

花壇に沿って校舎の側を歩いて行く。土に紛れて、という可能性はありそうだが、花壇の中に落ちているのなら日頃から手入れをしている美化委員が見つけていそうなものだ。
ここを探すより別の場所へ行くべきかもしれない――半分諦めかけた美也子が何気なく上を見ると各教室のベランダが目に入った。この暑さの中、わざわざ窓を開けて外に出てくる者はいないようで、どこにも人影はない。
と思いきや、二階のベランダで黒髪の少年が何やら作業をしているようだった。一瞬見えた手元には美化委員が使用する如雨露を持っていた。クラスによってはプランターが置いてあり交代で手入れをしているので、恐らく彼もそうなのだろう。
二階ということは2年生だな、とぼんやり考えていると美也子は少年の横顔を見たことでそれが三輪であることに気が付いた。

三輪君だ――と暫く眺めていれば、ふと彼の目がこちらを向く。三輪も気がついたようで、美也子はへらりと笑って軽く手を振った。三輪はどう返すべきか少し迷ったような素振りをみせてから、小さく頭を下げた。
その直後、窓を開ける音と共に彼の表情が露骨に歪む。美也子が不思議に思うよりも前に、三輪の肩を掴みながら仁礼が下を覗き込むように顔を出した。
美也子の姿を見つけるなり仁礼は喜色満面な様子で手すりから身を乗り出す。

「美也子ちゃーん!!」

三輪が煩わしそうにしている横で誰よりも元気に大きく手を振る彼女に、美也子も釣られて笑い出す。

「三浦ー!三浦も来いよ!美也子ちゃんがいる!」

仁礼は手すりを掴んだまま後ろを向くとそう叫んだ。
彼女に呼ばれたのは香取隊の三浦雄太で、控えめに下を覗き込んだ三浦は美也子を見つけるとはにかみながら手を振ってきた。
たれ目で優しげな風貌の三浦は、見た目通り穏やかな気性の持ち主で美也子は彼が怒るところを見たことがない。後輩からの慕われ方は来馬に似たところがあるくらい人格に優れる彼は、攻撃手の中でも機動力が高く味方へのフォローも上手いがどうにも自信がなさそうで美也子は勿体なく思っていた。

さらには騒ぎを聞き付けた彼らのクラスメイトもわらわらと集まり出す。ざっと十数人だろうか、よく分からないまま仁礼に倣って手を振る彼らに「三輪の先輩こんにちは!」「いつも光達がお世話になってます!」「うちの雄太をよろしくお願いします!」と挨拶をされたので、無視するわけにもいかず美也子は何故かずらりと並んだ二年C組の面々に向かって手を振り続けることになった。これは何のイベントなのだろう。

「美也子ちゃん、そこで何してんの〜!?」

こんな状況を作り出した張本人が教室内に戻ろうとした三輪の腕を掴みながら笑顔で聞いてきた。
聞こえるように手を口元に当てて「探してるものがあるのー!」と叫べば、仁礼どころかベランダの面々から「な〜にィ〜!?」と元気よく返ってきて、美也子はバラエティー番組で屋上から悩みを叫ぶ少年少女の姿を思い出した。立ち位置は違うが状況はほぼ同じである。絶対に解決しないと分かっていたが美也子は藁にも縋る気持ちで「私のキーホルダー見なかった〜!?」と2年C組のベランダに向かって問いかけた。

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