当然ながら2年C組の面々が消えたキーホルダーの行方など知るはずもなく、外の探索を諦めた美也子が次に向かったのは図書室だった。読書好きも居れば課題のために立ち寄る生徒も多い場所だ。
人の出入りが激しい分、見落とされているかもしれない、と少しばかり期待をする。
三日前、自分が歩いたところを思い出しながら順番に本棚を回っていくと毛先の跳ねたショートヘアの少女――諏訪隊のオペレーターを務める小佐野がいることに気が付いて美也子はすぐさま彼女の傍へ寄った。手には弁当箱が入る保冷用のミニバッグを持っているので昼食帰りにそのまま来たのだろうか。読みたい本でも探しているのか本棚の前で腕を組んでいる彼女に「瑠衣ちゃん」と美也子が声をかければ小佐野はこちらへ視線を向けた。
「おっ、美也子せんぱいじゃん。おつかれ〜」
言いながら小佐野が手をあげたので、軽くハイタッチをする。小気味良い音が響くと美也子はいつになく嬉しそうに笑った。
元モデルという経歴を持つ小佐野のことを美也子は彼女がボーダーへ入隊する前から知っていた。小佐野が子供向けのローカル番組で「るいちゃん」としてアシスタントをしていた頃からずっと大ファンだったからだ。
小佐野がモデルを辞めた時はショックだったし、二度と彼女の姿を見ることが出来ないと思うと食事も喉を通らなかった。一時期、雑誌の切り抜きと一緒に寝てたくらいだ。
だからこそ、オペレーターとして小佐野がボーダーへ入隊としたという話を聞いた時は衝撃で熱を出して倒れた。そんな夢みたいな事があって良いのか、と涙まで出た。
当時の美也子は「安静にしなさい」と心配する忍田の言いつけを無視して喜びのあまり基地の通路を走り出すと真っ先に太刀川の元へ行き「小佐野瑠衣ちゃんが入隊したんですって!!」と彼に抱き着いたものだ。しかし太刀川が「誰それ?」と興味無さげに聞いてきた為、すぐに美也子は「小佐野瑠衣ちゃんを知らないんですか……!?うわぁ〜……」と原始人でも見るような目付きで彼から距離を置いた。三門市民で小佐野を知らない人間がいるなんてあり得ないと本気で思っていたのだ。
その後、どうしても小佐野と話がしたかったが一人で行く勇気がなく「一生のお願い」と太刀川の服の裾を掴みながら、憧れの彼女の元へ挨拶に行ったのだが、いざ本物の小佐野を前にすると頭が真っ白になってしまった。美也子は人見知りでも引っ込み思案でも何でもないが、雑誌やテレビの向こうにいた憧れの人物を前に、人が変わったようにすっかりアガッてしまったのだ。
結局緊張して上手く話せず、最悪の初対面に思わず泣きそうになる美也子を見かねた太刀川が「友達になってほしいんだって」と代わりに小佐野へ言ってくれたお陰で事なきを得たのだった。それは美也子が素直に彼へ感謝の意を示した稀有な例でもある。
太刀川が美也子に友達がいないと認識しているのはその出来事が強く影響しているのかもしれない。彼の中での美也子は友達作りが下手くそな奴としてその頃のまま止まっているのだろう。
懐かしい思い出にちょっとした気恥ずかしさを覚えつつ美也子は「瑠衣ちゃんは読書家だねえ」と感心したように言った。
「そーお?てか美也子先輩も本好きじゃん?」
「いや、そんなに」
即答した美也子に「そうなの?」と小佐野は少し意外そうな顔を見せる。
別に本が嫌いなわけでも全く読まないわけでもないが、読書が趣味と言える程ではない。何故本好きと思われているのか、美也子には心当たりがなかった。
「ほら、美也子先輩、去年はよく図書室来てたからさ」
「あ〜、去年は素敵な先輩がいたからね」
美也子が少し恥ずかしそうに笑えば小佐野は「え、それコイバナ?」と興味深そうに顔を近付けた。
「目の保養ってだけだよ。全然恋愛とかじゃないから」
「へー、ちなみにどの人だった?茶髪の背ェ高い人?」
「ううん、黒髪の眼鏡の人。眼鏡で分かりにくかったけど外すと綺麗な顔してるんだよ」
「出た、面食い〜」
小佐野の悪戯っ子のようなちょっと甘い笑顔を直視した美也子は「可愛い」とこっそり胸を押さえた。
その黒髪の眼鏡の図書委員は美也子の一学年上の先輩で、いかにも真面目そうな近寄りがたい印象を与える生徒だった。何度か話してみると案外気さくで物腰柔らかいタイプだったが、教師のような丁寧な話し方は少し疲れてしまう、とも感じていた。
しかし目にゴミが入ったのか眼鏡を外した彼の端正な顔立ちに気が付いた時、面食いの美也子は一瞬で「うそ、好き……」となった。ひょっとしなくても彼女は惚れっぽいのかもしれない。
「あの眼鏡の先輩ね〜、連絡先わかるけど紹介しよっか?」
「え、なんで!?友達!?」
「友達のお兄さんなんだ」
「友達のお兄さんなんだ!?」
自分の台詞をそっくりそのまま繰り返した美也子に小佐野は「ちょっと静かに〜」と口元に指を立てた。その妙に様になる姿にかつてのモデル時代の面影を見た美也子は「可愛い」と頷いた。話を聞かない女である。
「どーする?美也子先輩」
「ど、うっ………!お…う……ぐっ……!」
「いや、めちゃくちゃ苦しむじゃん」
連絡先、欲しい――と美也子は強く思った。目の保養だから、別に恋愛ではない、なんて言ったが正直物凄く好みのタイプだったのだ。それこそ何度か連絡先を聞こうか本気で迷ったのだが、流石に他の図書委員がいる前で堂々と私用の会話をするわけにもいかず、かといって他に接点もなかったので泣く泣く諦めたのだ。
その時、美也子の脳裏に浮かんだのは王子と彼から貰った猫のキーホルダーだった。美也子は様々な思考を巡らせた後、ぱちんと両手を合わせて小佐野へ頭を下げた。
「ごめん!やっぱり大丈夫」
「えっ、いいの?欲しそうだったけど」
「欲しいよ、すごく欲しい。でもね、今はダメなの。私には使命があって、だからキーホルダーを見つけるまで待ってて……!」
「そっか、なるほど。お薬出しておきますね〜」
北添曰く『扱いが難しい』時の美也子にすっかり慣れている小佐野は、そう言って持っていたミニバッグから棒付きキャンディーを一本差し出した。それはいつも彼女が舐めているバストアップすると噂のキャンディーである。
「先生、ありがとうございます…」と不治の病でも抱えているかのようなテンションでキャンディーを受けとる美也子に小佐野は名医の風格を出しながら「お大事に」と肩を優しく叩いた。
「あれ?お疲れ様です」
「おっ、ひさと。おつかれ〜」
本棚の影から、ひょいと顔を出したのは笹森だった。諏訪隊は読書好きが集まっているので彼が図書室へ足を運ぶのは珍しいことではない。
美也子は小佐野に続いて「日佐人君、お疲れ様」とにこりと笑う。笑い返した笹森も攻撃手として美也子とは常日頃から交流があり、彼女の扱いには慣れているのでキャンディーをやけに大事そうに両手で持つという不審な様子には触れず、別の話題を振った。
「遊佐先輩、探し物見つかりました?」
どうやら彼は同じクラスである半崎から話を聞いたようだ。悲しげに首を振る美也子を気遣うと「何々?」と不思議そうに尋ねる小佐野へ事情を説明する。
二人のクラスメイトである太一も探してくれているらしく彼がこれまで成した数々の伝説を知っている美也子が「くれぐれも無理はさせないでね…」と心配そうに伝えれば、察しの良い笹森は「よく言っておきます」と苦笑した。
昼休みが終わるギリギリまで図書室にいた美也子は急いで教室まで戻ると自身のロッカーから予備のペンケースと必要な教科書を引っ張り出して選択科目が行われる教室へ駆け込んだ。この授業では特に席順は指定されておらず各自好きな席に着くことになるが、予鈴が鳴り終わる直前にやってきた美也子に選択の余地は殆どなかった。
教室内をざっと見回すと空いているのは前方の席ばかり。しかし一つだけ後方に空席を見つけた。窓際の一番後ろに影浦が座っていて、その右隣だけがぽつんと空いていたのだ。
影浦が醸し出す尖った空気のせいで皆その席を避けているのだろう。美也子は一瞬悩んだが、担当教師が「ほら、座れ〜」と言いながら教室へ入ってきたことで慌てて影浦の隣席へ向かった。
そんな彼女を影浦は一瞥しただけで特に何も言わなかった。別に彼は隣に誰が座ろうと関係ないらしい。
荷物を置くと美也子は頬杖をついて未だ見つからないキーホルダーへ思いを馳せた。すぐに授業開始を告げる本鈴が鳴った。
「じゃあ誰か号令を」
教壇に立つ教師がそう言ったが、誰も口を開かなかった。数秒、間をおいてから教室内の視線が自然と美也子に集まる。教師は「誰か」と指名しなかったが、この選択授業ではなんとなく美也子がいつも号令をかけていたのだ。
しかし今日に限って美也子は黙ったままだ。何故なら彼女はそれどころではないからだ。控えめに向けられた視線に居心地の悪さを感じた影浦が、横から「おい」と小さく声をかける。
「きな子、おい」
呼びかけるが美也子はぼーっと頬杖をついたままだった。完全なる無反応に思わず舌打ちしたくなったが影浦はぐっと堪えた。教師の目が窓際の最後列へ向いたのは影浦が美也子の机に手を伸ばした時だった。
「じゃあ、影浦。号令頼む」
「は!?」
まさかの指名に影浦は普段の様子からは想像もつかないような驚いた声を上げた。数人の生徒がびくりと肩を揺らす。
エアコンが稼働する音しか聞こえないくらい静かな教室内で影浦は隣の美也子を「このきな子妖怪女が〜!」と恨めしげに見つめながら、不貞腐れたようにぼそっと「…起立」と口にした。それでも美也子が立とうとしないので、影浦は半分キレかけながら彼女の左腕を掴むと無理やり引っ張って立たせる。やっぱりこいつ苦手だ――と影浦は彼女への苦手意識を強めた。