小南と少しばかり話をした後、徒歩で本部基地まで辿り着いた美也子は真っ直ぐ東隊の作戦室へと向かった。キーホルダーを無くしたと思われる三日前、はっきりと出入りした記憶のある場所だった。その日は、まだ不穏な空気を漂わせていた美也子を落ち着けようと気を遣ってくれた小荒井の提案でツイスターゲーム――美也子に武器になり得るものを持たせたくないと人見が主張したため――をしたのだ。とにかくよく動いた日だったのでキーホルダーに限らず何かしらの私物が転がっていてもおかしくはない。
ほんのり期待しつつ美也子が通路を進んで行くと途中でオペレーターの制服に着替えた人見と出会った。
加賀美からキーホルダーの件を聞いていた彼女は美也子の顔を見るなり「あんた自転車の鍵も無くしてなかった?」と呆れ混じりのため息をつく。指摘された美也子は「あれは太刀川さんのせい」と口を尖らせた。そんな事実は全くないのだが、彼女の中ではそうなっている。
行き先は同じなので二人並んで歩き始める。キーホルダーの安否が気になって仕方がない、と不安げに語る美也子を適当にあしらっていた人見は、周囲に人がいないことを確認してから声の反響しやすい狭い通路に注意を払ったのか小さな声で言った。
「それで、結局太刀川さんとは仲直りしたの?」
突然変わった話題に美也子は一瞬思考が止まったが、すぐにそれが先日の一件を指している事に気が付くとバツの悪そうな顔をした。
「喧嘩なんてしてないよ、殺そうとしただけ」
「殺意が高いのよ…」
その時人見が見せた呆れ顔は、彼女のチームメイトである小荒井に対してよく向けられるものと同じだった。太刀川を思い浮かべた美也子はここ最近胸の内に抱えているもやもやがまた少し大きくなったように感じた。
「あの人とは喋ってない。まだムカムカするから傍に寄らない様にしてるかな」
「まあ……それでトラブルを避けられるならいいけど」
そう返してきた人見があまりに心配そうな眼差しをこちらに向けていたため、美也子は慌てて手を振ると「私だって別に嫌いなわけじゃないよ。苦手なだけ」と明るく言った。
「もちろん良い所もあるって、わかってるんだよ。苦手なところは100個くらいあるけどね」
「多い多い」
「摩子がどうしてもって言うなら特別に100位から発表しちゃおうかな〜」
「しなくていいから。ほら、着いたよ」
人見が東隊の作戦室を指差す。話を聞いてほしかった美也子はかろうじて人見に聞こえるくらいの静かな口調で「あの髭、変だよね」と呟いた。第100位は髭らしい。
「お疲れ様です」
「お疲れ様でーす、遊佐先輩どうしたんすか?」
中に入ると作戦机を挟んで向かい合うように座っていた奥寺と小荒井がすぐに気が付いて美也子達の方を向く。二人の不思議そうな眼差しに応えるように美也子は「猫のキーホルダー見なかった?」と早速本題に入った。
東隊の作戦室はいつ訪れても綺麗に片付いているが、探し物は小さなキーホルダーだ。ソファーの隙間やゴミ箱の裏に転がっているかもしれない。美也子は「知らないな〜?」という二人の返事を聞きながら室内を見回した。
「それって検索はしたんですか?」
「検索?」
「ほら、落とし物した時って調べられるじゃないですか」
これで、と奥寺が持ち上げたのはボーダーから支給されているタブレット型の端末だ。向かいで頷く小荒井の姿が視界に入ると同時に美也子は「あっ…」と口元に手をやった。腕を組んだ人見から「調べてなかったの?」と聞かれて、美也子は口元を隠したまま「忘れてた」と答えた。
本部基地内で発生した落とし物や拾い物は簡単な特徴と共にカテゴリ別に公表されており、支給された端末から誰でも確認することが出来る。自分の物を見つけたら割り振られている番号をメモして管理室まで引き取りに行く、というシステムだ。
本部で探し物をするならまず検索、というくらい常識的なことだったが、慎重な美也子は日頃忘れ物や落とし物をしないので思いつかなかった。少なくとも自分の為にこのシステムを使ったことなど一度もない。
「すごい…奥寺君って天才なの…?」
「そこまで褒めることですかこれ?」
「遊佐先輩!ちなみにオレも気づいてましたけどあえて奥寺に譲りました!」
「じゃあ小荒井君も天才じゃん……」
「ダメだ、完全に美也子のポンコツスイッチ入っちゃってる」
「そこに気が付くなんて摩子も天才」
まるで天才のバーゲンセールである。美也子は早速人見の持つ端末を借りて落とし物の検索フォームへ飛ぶ。昔、太刀川の代理で彼の落としものを探すためにアクセスした時以来だ。二年近く経ったせいか、全体的にリニューアルされたらしく随分様変わりしていた。あの頃とは勝手が違うようだ。
「これ、どうやるの?」
「天才のオレが調べますよ」
美也子は人見に助けを求めたが、手を伸ばしてきたのは小荒井だ。先輩の美也子に天才と褒められ、悪い気はしないらしい。呆れた様子の人見と奥寺には気が付かず、小荒井は嬉々とした様子で操作を代わると美也子から落とし物の特徴を聞いた。
東隊の作戦室を出た美也子は当てもなくふらふらと施設内を歩いていた。検索の結果、美也子のキーホルダーは落とし物として届いていなかった。
その時の彼女は浮かれていた小荒井が思わず狼狽えるほど険しい顔をしていて、奥寺に「お前が止めを刺したんだぞ」と言われた小荒井は「そんなつもりじゃ……」と必死に謝ってきた。別に彼は悪くない。美也子は検索で見つかるかも、と期待していた部分もあったので余計にダメージを負ってしまっただけなのだ。
一体どうやって探せば良いのだろうか、ここはやはり地道に聞き込みしかないのだろうか――美也子は本日何度目かわからない絶望的な気分になった。
「遊佐ちゃん、ちょっといい?」
ぐったりした様子の美也子へ声をかけてきたのは彼女より二つ年上の加古だった。ストレートのロングヘア―と口元の黒子が特徴的な彼女は、女性隊員の中でも長身で華がある。
お疲れ様です、と頭を下げた美也子に同じ言葉を返すと加古は「ねえ、今週末って空いてる?」と綺麗に微笑んだ。
「よかったらご飯食べに行かない?」
その誘いに美也子は首を傾げた。加古とは多人数での集まりの時に話すくらいで、個人的な付き合いはほぼない。その加古がわざわざ自分を誘うという事は――美也子は以前にも似たような誘いを受けたことを思い出して「ああ」と合点がいったように軽く頷いた。
「もしかして合コンですか」
「当たり」
嬉しそうな加古につんつんと頬を突かれ、美也子は擽ったい気持ちになった。組織が大きくなり後輩も増えた今、こうして年下扱いされる機会は随分減ったからだ。
美也子は前回の食事会を思い出す。残念ながら好みの人はいなかったが終始楽しかった。連絡先を交換して普通に友人となった人もいる。第二回があるなら参加したいとは思っていたが、正直今はそれどころではない。
そこまで考え「今回はパスで」と言いかけた美也子を予測していたのか、加古は被せるように「まあ、聞いてちょうだい」と自信有り気に言った。
「前回の反省を生かして今回は遊佐ちゃん好みの子を揃えたわ」
「私狙い撃ちですか?」
「ええ、写真見る?」
「見ます」
即答だった。
そういうところ好きよ、と加古が私物のスマホを操作しながら笑う。少しして彼女が差し出してきたスマホの画面には男女複数人による飲み会の光景が広がっていた。その内、男性にのみ共通している部分があることに美也子はすぐに気が付いた。加古の友人でこういったタイプの男性は珍しいからだ。
「どうかしら?」と期待した目で聞いてくる加古に、美也子は「そうですね……」と心の中で若干言葉を選んでから口を開いた。
「髭が生えてますね」
「そう、太刀川くんに聞いたのよ。遊佐ちゃんは髭が生えてる人が好みだって」
「実はそれ嘘なんですよ」
「あら、そうなの?」
太刀川は何故だか美也子は髭のある男性が好きだと勘違いしているのだ。以前ラーメン屋に行った際きちんと訂正をしたのだが、まだ誤解は続いているらしい。
恐らく太刀川の中では髭のある男=自分ということになっているのだろう。美也子は「アホだなあ」としみじみ思った。
「あの人の言うことは信じない方が良いですよ」
「そうみたいねぇ。じゃあ今回は欠席かしら?」
「はい、すみません。また誘ってください」
「残念だわ」
言いながら加古は本当に残念そうにため息をついた。ミステリアスな雰囲気だが、彼女は喜怒哀楽がハッキリとしていて結構わかりやすい。外見はまさしく落ち着いた大人の女性だったが、内面のギャップは彼女をより魅力的にさせていた。美也子は彼女のそういうところが可愛らしく見えて、親しみを感じていた。
「ところでなんだか元気がないみたいだけど、どうしたの?」
そう訊ねてきた加古の声や表情があまりにも優しかったせいか、美也子は安心したのか「聞いてくださいよ〜……」と泣き出しそうな声色で自身が抱えている悩みを相談した。
「キーホルダーねえ……、う〜ん、申し訳ないけど私は見てないわね」
「ですよね、いいんです」
加古の答えに、眉を下げた美也子は諦めたように小さく笑うと首を振った。
鍵につけているような小さなキーホルダーが、ちょっとの聞き込みであっさり見つかるとは思っていない。
「三日前のことなのよね」
「はい、最後に見たのは多分三日前です。……何か思い当たる事が?」
その時の加古は顎に手を当て、まるで探偵漫画の主人公のような顔をしていた。何やら考え込んでいるようだ。
もしかしてヒントが――と美也子がごくりと唾を飲み込むと同時に加古が口を開いた。
「いえ……そう、それは……三日前のことだわ」
「!はい」
「その日私は自宅で新作の炒飯作りに精を出していたの」
「はい」
「ただ、途中で調味料の量を僅かに間違えてしまってね。味付けを失敗してしまったかもしれない、と気が付いたのはお皿に盛る直前だったわ」
「はい……?」
「私は心配になったわ。本当は堤くんに振る舞う予定だったのに、これじゃあ彼には耐えられないかもって。ほら、彼ってちょっと身体弱いじゃない?そこで一度味見をしてみたの」
「はい……どうでした?」
「それがね、その炒飯は失敗作とは思えないほどとても美味しかったのよ。災い転じて福となすってやつね。今度作って持ってくるから是非食べてちょうだい」
「あ、はい。ありがとうございます」
軽く頭を下げながら美也子は「もしかしてこれは全く関係のない話では?」と思った。もしかしなくても全く関係ない話である。太刀川や二宮といい、この世代の恐ろしさを実感した美也子は震えた。