「あ、ミクリオ様ですか? 棚にあるグラタン用のお皿を出してもらってもよろしいでしょうか」
「ミクリオって誰だい? エレイン」
「あ…… 女将さん」
私しか居なかった台所に誰かが入って来たような物音が聞こえたので最近よく私のお手伝いをして下さるミクリオ様だろうと勝手に決めつけて確認をせずに声を掛けてしまった。
女将さんはロゼさんのようにニヤニヤしながら私にお皿を渡す。「男でも連れ込んだのかい?」と聞いてきた女将さんに全力で否定するが、この場合連れ込んだのは事実としか言いようがなかった。台所を行き来出来るのは勿論従業員だけ。女将さんは当然の如く此処で働いている従業員を知っている。その女将さんが知らない人物…… 正確には天族だが、そんなミクリオ様の名前を呼んで頼み事をしてしまっている時点で言い逃れは出来ない。
「色恋沙汰に疎くて興味のなかったあんたが職場に男を連れ込むなんて、あんたも大人になったんだね」
「ちがっ! 連れ込んだのではなくて気付いたら入り込まれていたといいますか! あのっ別に彼は怪しい人じゃないですから安心して下さい!! あ……」
あたふたと両手を顔の前で振りながら私は言い訳をするが、自分で墓穴を掘ってしまったことに気付いた。そんな私の姿が面白かったのか、女将さんは大笑いしている。恥ずかしいことこの上ない。
「ま、ここはあんたの職場であると同時にあんたの家だからね。彼氏連れ込んでも構わないさ」
「か、かかか彼氏?!」
女将さんの発言に私の顔は赤く染まり始めていることだろう。しかし私なんかが天族であるミクリオ様の彼女だなんて恐れ多い。彼だって困るだろうと冷静に考えたら顔の火照りが冷めてきた。
女将さんは私に彼氏が出来たと盛大に喜んでいる。これは勘違いですと訂正したところで信じて貰えそうにない。暫くはこのネタで揶揄われる事は間違いないだろう。
そもそもミクリオ様含めた導師様御一行はウェストロンホルドの裂け谷という所にある遺跡に用があるらしく、先日旅立たれた。レディレイクにいないのにも関わらず口から漏れたミクリオ様の名前に少なからず自分でも驚いている。今までは大切なお客様とだけしか思っていなかったが、最近ではそれに加えて友人という項目が増えてもおかしくないくらいには深く関わってしまっていた。
別にそれが悪いという訳ではないのだが、お客様とは一定の距離感を保って接していた私としては珍しかった。気付けばスレイ様達のペースに乗せられていた。気さくでフレンドリーなスレイ様とロゼさんだからだろうか、ついつい立場を忘れて話し込んでしまうのだ。
そんなスレイ様から紹介されたミクリオ様とも仲良くなれたと思う。何故なら導師様御一行の中で彼といる事が1番多いからだ。一緒におやつ作りをしたり、釣りをしたり、洗い物や洗濯物を干すのを手伝って貰ったりと彼がレディレイクにいる間は殆どと言っていい程時間を共にした。
本来ならばお客様である彼に私の仕事を手伝わせるのは有り得ないのだが、彼が必死に筆談で頼み来んで来るので断る事が出来なかったのだ。最初はその手際の良さに驚いた。ミクリオ様はお母さん気質だと思う。
彼の筆談にはよく仲間達の素行についての愚痴が書かれている。個性豊かな猛者揃いの中で彼が1番常識人でまともなのだろう。他の皆さんをあまりよく知らずにそう言ってしまうのもいけないかもしれないが。
「ウェストロンホルドの裂け谷ってどの辺にあるんだろう……」
昼食を終え、受付けで店番をしていた私はふと導師様御一行が向かった場所がどこにあるのか気になった。
ワールドマップを広げてマップ上に現在位置であるレディレイクからウェストロンホルドの裂け谷までを指で辿ってみる。
ウェストロンホルドの裂け谷は遥か西に位置していた。マップでもその遠さが伺えるのだから実際はもっと遠い。彼等はそんなところまで旅しているのかと驚いた。何かを成し遂げる為に世界中を駆け回っているに違いない。つい先日まで近い距離にいると思っていたが、なんだか遠い存在の様に感じた。
「今頃ラストンベルに到着したのかな。それとももうペンドラゴかも。はっ! まさか野宿なんてことも……」
職人の街、ラストンベルに聖なる皇都と呼ばれるペンドラゴ。どちらもローランス帝国で栄えていると耳にしたことがある。ラストンベルは腕の良い技術者が集まっているらしく武器屋が充実してそうだし、大陸で最大の人口を誇るペンドラゴの都市は人々の活気が溢れていて、宿屋はさぞかし綺麗でメニューのラインナップも凄いのだろうなとハイランド王国の王都に住む私はまず訪れることがないであろう街並みの想像をした。
大抵の人は生まれた故郷から出ることはない。斯く言う私もレディレイク以外の街になんて行ったことがなかった。外へ外出すると行ってもレディレイクの周辺だけである。尤も、生みの親の顔も知らない私が本当にレディレイクで生まれたのかどうかなど分かる筈もないのだが。
「スレイ様達、今度はいつ来るんでしょう……」
今回は長旅になりそうだ。レディレイクに立ち寄らずにそのまま次の目的地に行く可能性だってゼロじゃない。むしろ効率的に考えたら目的地を優先するだろう。どんなに遅くなってもいいからせめて顔くらいは見せに来て欲しい。いや、去り際にまた今度と仰っていたので来てくれる筈だ。
その時までにメニューのレパートリーを増やしておこうかなんて前向きに考えてる自分がいた。この前は不安で仕方がなかったけれど今回はきっと大丈夫だと信じている。やはり私の中で彼等の存在は大きくなりつつあると自覚した。
「そのうちまたひょっこり帰って来ますよね」
この時の私は誰も欠けることなくこの宿屋に訪れると思っていた。それはスレイ様達も思っていたに違いない。また同じメンバーで来ると。しかしそれは叶わなくなってしまうなんて思っても見なかった。