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スッスッ、ハッハ。

息を二回吸って二回吐く。
ランニングの呼吸法は調べると色々出てくるけれどこれが基本的な呼吸法らしい。

吸って吸って、吐いて吐いて。

ペースを崩さぬよう呼吸のリズムに合わせて腕を振り、足を走らせる。

梅雨も明け、蒸し暑い日が続いていた。今日も早朝から暑い。たらりと額から頬、顎を伝ってコンクリートに落ちる汗。じんわりと湿った背中。ランニングウェアが汗を吸収しているのが分かる。いつもと変わらぬペースで走っているのにいつもより早く掻いたそれがより一層夏の兆しを感じさせた。

 
「師匠っ!おはようございます!」

小さな公園にある水飲み場で顔を洗っている爆豪くんを発見した。私の存在に気付いている筈なのにそのまま髪の毛まで濡らし始めた彼に近寄ってもう一度挨拶をする。


「朝っぱらからうるせェ!!」

「うわっ。水飛ばさないでっ。あと普通に師匠もうるさいです!」


犬や猫のようにぶるぶる水気を飛ばしている爆豪くんのせいでこちらにも水が飛んで来た。彼のほうが余程声が大きいと思う。その証拠に私のうさ耳がへにゃんと垂れてしまった。眉根を寄せ、舌打ちをする目の前の師匠はだいぶ見慣れた。むしろこの表情がデフォルトと言ってもいい。

「今日もご一緒させて下さい!」

「……勝手にしろや」

どうせついて来れねェ癖によ、と続く皮肉に思わずむぅと頬を膨らます。今の私はさながらひまわりの種を頬張るハムスター。もしくはリス。

「……って駄目だめ!私はうさぎなんで。あ、ちょっと、待ってよ師匠おいてかないで!!」

脳内で動物の渋滞を起こしかけている隙にランニングに戻ってしまった爆豪くんを慌てて追い掛けた。



……ゼェゼェ。ヒュッ。

自分から漏れる息は先程とは打って変わっていた。ランニングの呼吸法よ戻ってきて。苦しいから少しペースを落として欲しいなんて遥か先を走る爆豪くんに言えるはずもない。


最初は本当に偶然だった。たまたまランニングコースを変えてみたら爆豪くんに会ったのだ。キレながらも私の質問に答えてくれる彼によって私と同様、毎朝走り込みをしていると知った。しかも私の倍の距離。流石師匠である。それからはこうして度々公園で鉢合わせると途中まで一緒に走らせて貰っている。尤も、御覧の通り一緒に、とは程遠いが……。


「ひっ……くるしっ」


爆豪くんの姿はもはや見えない。速過ぎる。膝に手をつき乱れた呼吸を整えながら畜生、と不甲斐ない自分に悪態をつく。

「っはぁぁぁ〜……。悔しいなぁ。今の私じゃあ“跳んで”も師匠には勝てないんだろうな……」


一分一秒でもはやく救けを求める人の為に駆けつけるヒーローに。憧れのミルコの隣で一緒に戦うにはもっともっと基礎体力をつけなければ。

「師匠、筋肉も凄かったなぁ。ミルコとお揃いだ……」

中学生とはいえ引き締まった腕。黒いタンクトップの為、惜しげもなく曝されたそれを見てしまったのは仕方のないことである。全くけしからん。否、目の保養。

「…………。ふんぬっ!」

袖をまくり、左肘を曲げて拳を握るも悲しきかな、お山は出来ない。抓ればぷにぷにと程よく摘める柔い肉。未だに成長を見せない上腕二頭筋に今日も項垂れるしかなかった。


肩を落としてしょぼくれながら帰宅した私はそのままお風呂場に直行した。掻いた汗と共に萎えた気持ちも洗い流す。まだ今日は始まったばかりなのだ。気持ちを入れ替えなければ。甘いメープルシロップがたっぷりと掛かったお母さん特製のふわふわパンケーキを美味しく頂いた後はしっかり身なりを整え、今日の持ち物を確認する。
 
「えっと、まずダンベルを一つ入れて。教科書とノート類は……数学の宿題以外学校に置いてあるからよしっと。……あ。」


……まずい。
宿題の存在をすっかり忘れていた件について。
昨日一度も開かれることのなかった机の上の教科書とノートが凄いオーラを纏っているかの如く今頃目に入る。壁時計の秒針はチクタクと休むことなく進むんでいてとてもじゃないが今から苦手な数学をやれる時間でもない。学区外の中学に通ってるので他の人たちよりは登校に時間が掛かる。とどのつまり。


「……。うん、諦めよう」


幸いにも数学があるのは最後の授業だ。それまでに終わらせておけばいい。即座に手付かずの宿題をスクールバッグに詰め込む。荷物は少ないのに重たいそれを肩にかけながら急いで家を出た。




「師匠っ!おはようございます!」



先程ぶりですと珍しく下駄箱でばったり会った爆豪くんに挨拶をする。いつもは早めに登校している筈の彼がこの時間に下駄箱にいるなんて本当に珍しい。さては寝坊だろうか。ランニングの後に二度寝、三度寝をして寝坊は私の定番なので親近感が湧く。

「寝坊ですかね?!」

「ちげェわ。お前と一緒にすんな」

「残念ながら今日は私も寝坊してないので!」

「ハッ。ンでこの時間かよ?クソガメ」

「んん?」

クソガメ。亀。
私はうさぎなのにどういうことだ。
うさぎとかめ。
昔どこかで聞いたことのある組み合わせに首を捻る。

そうして私が言われた意味に気づいた頃にはやはり爆豪くんの姿なく、その場で地団駄を踏むことになった。



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