アルネトーゼ

#09.崩壊


 心臓が激しく脈打つ。いや、心臓だけではなく、首筋や手首、指先、果てはつま先まで、血がドロドロになったかのように強く鈍く脈打っているのを、ラファは感じていた。何が自分をここまで揺るがすのだろうか。
 脂汗を掻くラファの側で、中途半端なところで退かされたサミエルが唇を尖らせている。
「なんだよラファ、らしくなかったな」
「そうかしら?」
「少なくとも、あそこで退く必要は感じなかったけどな」
 ラファは瞼を伏せ、いかにも涼しげな風を装った。
「私、勝てない戦いはしない主義なの。無駄な労力だわ。お前は使い物にならないし、あの状況であっちの手勢が一人増えては、こちらの分が悪かったわ。しかもその一人は、相当な手練れだったのよ」
「う、それを言われると弱いな。悪かったよ、ラファ」
 サミエルは顔をしかめて右手首を押さえた。その先に手はない。盲目の剣士に切り落とされたのだ。
「盲神ラスタの名は伊達ではないようね」
「あっちは二人がかりだった! あの男だけなら負けなかったんだ!」
「往生際が悪いわよ。どう言いつくろったところで、今回は負けたの」
 ――そう、負けるなんてありえなかった。
 自分の腕を過信しているわけではないが、サミエルが使えなかったとしても、そしてあちらの手勢が一人増えようとも、ラファが負けるとは考えられなかった。しかしあの中年男の声を聞いた瞬間、勝てないと直感した。特に珍しくもない声だ。にもかかわらず、ラファの全身には雷に打たれたような衝撃が走った。
 ――なんだったのかしら、あれは。
 あの男の声を思い出すと、胸が熱くなった。ゆっくりと頭をふる。
 ――うろたえるな。私は復讐者のラファだ。
 言い聞かせるものの、それを否定しようとするモヤが胸に広がっている。そもそも、自分は何に復讐するために戦うのだろうか。自分は何のために復讐者と名乗り、武器を手にしているのだろうか。大切なことのはずなのに、思い出せない。
「ラファ、ラファ? どうしたんだ、さっきからボーっとして」
 サミエルの呼び声にハッとした。思考の渦に入り込みそうになっていたらしい。
「大したことじゃない。そんなことより、彼らに次はないわ、私たちにも。分かってるわね」
「ああ。次は仕留めてみせる」
「それでいいのよ」
 そう、それでいいのだ。何を迷うことがあるというのだ。ラファは復讐者だ。ラファの大鎌が戦いを、血を求めている。あのような男の声ごとき、歯牙にかける必要すらない。どうしても気になるのであれば、大鎌の餌食にしてしまえばいいだけのこと。
「とにかく、一旦戻るわよ。まずはあなたの、ポンコツになった右手をなんとかしなくちゃね」
 小馬鹿にするように笑えば、サミエルが「うるさい!」と元気よく?みつく。ラファは妖艶な笑みを顔に貼りつけた。
「焦る必要はないわ。〈彼〉がいるからね」
「おれは、あいつに先を越されるのはシャクだ」
「文句を言う暇があったら、出し抜かれないよう、早く強くなりなさい」
 ラファは〈彼〉の得意げな顔を思い出しながらサミエルに背を向けた。

★☆★☆

 ランタンが遺跡の壁を頼りなく照らす。その頼りない光を頼りに歩くしかないのは、やはり心細いものがあるが、初めて遺跡に入った時のことを思えば、恐怖心は薄れた。もうひと月も前の話だ。あの夜はウェルダー家を襲い、ラスタと出会った。ラスタに追われるシエルと共にこの遺跡に逃げ込み、アルネトーゼに身体の主導権を奪われたシエルがユーノを襲った。
 ユーノは赤く揺れる光の中で口許を歪めた。シエルがリブル島を出てから、ユーノは幾度となくこの遺跡を探索した。シエルがここに来たときにアルネトーゼと名乗る者が顔を出したので、ここに何かあるかもしれないと踏んでのことだ。しかし、手がかりと言える手がかりは何ひとつ見つからなかった。
 ――シエルの口を借りたアルネトーゼが、三百年と言っていたが……。
 三百年は流石に長い。この遺跡も風化しつつある。ところどころが崩れ、長時間中にいるのは危険だと感じていたし、ユーノ自身、稀に本能的な恐怖を抱くことがある。何もないとは分かっていても、何かが側にいるような気配を感じる。本当は何かいるのかもしれない。ユーノとて、アルネトーゼの憎悪を感じた一人なのだ。
 ユーノはシエルが船に乗る直前、ラスタを呼び出して話をしていた。ラスタが何を考えているのかは分からない。永遠に光を失くした彼は、終始微笑みを浮かべて聞いていた。それが若干癇に障ったが、シエルに直接言うことでもないし、ラスタなら自分からシエルに言うようなこともないだろうと踏んでいた。
 ユーノの耳に、その時の会話が蘇る。
『シエルを頼む。死なせたりしないでくれ。あいつは俺たちに必要なんだ』
『分かっています』
『無論、ここに残るからといって何もしないわけじゃない。俺なりにアルネトーゼとやらが言っていた〈三百年〉ってやつを調べてみるつもりだ。ああ、だが何か分かっても伝える術がないな。まあ、あんたは目立つから、捜しだすさ』
『分かりました。シエルのことは私に任せてください。こちらもシエルが知りたがるでしょうから、こちらなりにアルネトーゼのことは調べることになるでしょう』
『それも分かってる。全く、お前に頼むのは気に入らないな』
 ラスタがなぜ、出会ったばかりの盗賊と行動を共にしようと考えたのかは分からない。そうすることで彼にメリットがあるとは想像しづらい。ラスタは謎だらけだ。もし本当にシエルのことが気にかかっただけなのであれば、ただのオヒトヨシだ。それでもラスタなら任せられると思った。だからユーノには、シエルのためにも、ラスタとの約束を果たす必要がある。
 ユーノは崩れかけた壁に手を当て、そっと撫でた。もう壁という壁、床という床は触ってみたが、何もなかったし何も起きなかった。ユーノは静かに息を吐き出した。
 ――何の手がかりもないまま、ただ闇雲に遺跡を調べるだけじゃあ、時間の無駄かもしれないな。
 とはいえ、三百年前の手がかりなど存在するのだろうか。思い悩むユーノの脳裏に、神経質そうに常に眉間に皺を寄せている男の顔が浮かんだ。
「ウェルダー家」
 つぶやき声が遺跡の中で反響し、何度もユーノの耳に返ってくる。そう、ウェルダー家は古くからリブル島に根を張る、由緒正しい貴族だ。それに関する古い資料が残っている可能性は皆無ではない。ユーノは早速遺跡を飛び出した。


「最近、仕事がないよなぁ」
「そうそう。ユーノさん、ずっと一人で遺跡調査してばっかりでさ」
「暇だよなぁ。遺跡調査なんかより、でっかい仕事してぇよなぁ」
 仲間たちの気の抜けた声を聞きながら、サリは溜息を吐いた。
 シエルが盲神ラスタと旅立ってから一ヶ月、ユーノは遺跡調査に精を出し、仕事には一切手を出さなかった。おかげで、それまでは統率のとれた盗賊団だったのに、街に出ては人を襲ったり、勝手に仕事に出て捕らわれる仲間が続出した。それでもユーノは何もしなかった。
 仕事については、サリも他の仲間たちと同じことを考えていた。このままでは勘が鈍り、シエルが無事戻ったとしても、仕事どころではなくなるだろう。ユーノの気持ちは分かるが、仲間たちの不満も理解できる。ユーノのしていることがシエルのためになるとは、到底思えない。
 埃っぽいアジトで、サリはそんなことを考えていた。そのサリの耳に、立て付けの悪い扉が開く不愉快な音が聞こえた。ユーノが帰ってきた。
「お帰り、ユーノ」
 サリは笑顔でユーノを迎えた。もっとも、覆面で口許を隠している以上、ユーノがサリの表情を分かっているのかは謎だ。でも、いつかユーノは言ってくれた。目元や頬を見ているだけでも、笑っているかどうかは分かるのだと。顔に大火傷を負ったときは死にたいとさえ思ったものだが、笑っている姿は素敵だとユーノが言ってくれた。だからサリは今、笑顔で生きていられるのだ。
「どうだった、何か分かったか?」
「ああ。あのまま闇雲にあの遺跡を調査していても、何も分からないということがな」
「そうか」
 やめるのだろうか。やめればいいと思っていた。
 シエルがユーノを襲ったなどとは考えにくい話だが、シエルもユーノも、ラスタでさえ口裏を合わせている風には見えなかった。シエルがそのことに心を痛めていたのは明白だった。そうなった原因を知りたいと思うのは当然だ。だがこのままではクリムゾンテイルがバラバラになってしまう。シエルは大切な仲間であり友人だが、それ以上にクリムゾンテイルのことが心配だった。そもそもクリムゾンテイルがなければ、シエルの帰る場所もなくなってしまう。全てを解決して旅から戻ってきたとしても、それでは無意味ではないか。
「ユーノ、そろそろ仕事しようよ。みんなユーノの号令を待ってる」
「いや、まだだ」
「ユーノ。遺跡を調査しても何も分からないんだろう? だったらもう、いつ仕事を始めたっていいじゃないか。あたしら、生活のためだけに盗賊やってんのか?」
「分かってるさ、サリ」
 分かってない。サリはその言葉を呑み込んだ。ユーノは分かってなどいない。けれど、それをユーノに伝えるのは、きっとものすごく難しい。なまじ分かっているだけに、サリもそれ以上の言及はできなかった。
「サリ、ウェルダー家に行く」
「何をしに?」
「サンティス=ウェルダーに協力を申し出に行く。その代わりに、書庫を見せてもらえるよう交渉する」
 サリは目を剥いた。
「馬鹿な! ユーノ、あ、あんたにはプライドってもんはないのかい!?」
「シエルのためだ。分かってくれ」
「分からないよ! シエルのためだったら、なおさら仕事しなきゃならないはずだろ? そうじゃなきゃ……」
 そこから先は、怖くて口にできなかった。口にすれば、本当になりそうな気がした。
 分からない。なぜユーノは、そんなにまでシエルに固執するのだろう。確かにシエルがクリムゾンテイルに入ってからは、格段に仕事がやりやすくなった。それは認めざるを得ない事実だ。そしてユーノとも息がピッタリだった。そうでなくては、皆が皆ユーノとシエルを捕まえて〈ゴールデンコンビ〉などと称しはしない。
「ダメだ、ユーノ。あんたはクリムゾンテイルのリーダーじゃないか」
 なぜこんな言い方しかできないのだろう。そう思いつつも、他に言い方など知らない。ユーノは自嘲気味に微笑んだ。
「確かに俺はクリムゾンテイルのリーダーだが、リーダーである前に一人の人間なんだ」
 もう何も言えなかった。サリには、去りゆくユーノの背中を追うこともできなかった。



 何度見ても大きな豪邸の前に、ユーノは立っていた。まだ敷地に入っているわけではないものの、神経質そうなサンティスの嫌がる顔が目に浮かび、ユーノは笑うのを堪えた。どうしてか重い足を上げ、ウェルダー家の敷地をまたぎ、重たそうな扉のベルを鳴らす。すぐに使用人が現れた。
「いらっしゃいませ。どういったご用件でしょう?」
 笑顔で出てきた使用人は、ユーノの頬にある大きな刃傷を見るや否や、たちまち顔色を変えた。
「あなたは、もしかして――」
「心配は不要だ、仕事に来たわけじゃないからな。それはそうと、サンティス殿に会いたいのだが」
「しょ、少々お待ちください」
 使用人はそそくさと屋敷の中に戻った。ほどなくして、気難しそうな顔の当主がその扉から姿を現した。
「お話とは何でしょう、ユーノ=ファレス殿」
「お目にかかれて光栄の極みだ、サンティス=ウェルダー殿」
「たったの一か月前だ、私たちが対面したのは。要らぬ挨拶はこれくらいにして、早く用件を仰ってはいかがですか?」
 サンティスは苛立っているようだ。忙しい体を装っているが、クリムゾンテイルのリーダーともあろう者が何の用だと言いたげである。ユーノはゆっくりと息を吐き出し、人当たりのいい笑顔の仮面を取り付けた。
「そう固いことを申されるな。今日は、あなたに折り入って頼みたいことがあって参ったのだ」
「頼み? 盗賊が頼みですって?」
 サンティスは嫌悪感を隠さなかった。ユーノにもリブル島の金持ちという金持ちから嫌われている自覚はある。想定の範囲内だ。とにかく今は、誠意を込めて頼むだけだった。
「この家は歴史が古い。だからしばらくの間、俺を書庫に入れてほしい。どうしても知りたいことがあるんだ。その間、何かをくすねたりはしないし、俺がこの家にいる限り、クリムゾンテイルはこの家を襲わない。あなたが望むのであれば、今後一切、二度と、この家を襲わないと約束しよう」
 このようなことをイルやサリやシエル――他のクリムゾンテイルの面々が知ったら、反感を抱くだろう。これまで全く仕事をしなかったリーダーが、誰にも何の相談もなくウェルダー家を襲わないことを約束しようとしているのだから。しかし、それだけの犠牲を払っても、ユーノにはシエルが大切だった。サンティスはそんな申し出をするユーノをいぶかりながら、ユーノの顔を下から覗き込むように睨んだ。
「なぜそこまで言えるのでしょう、ユーノ殿。そうまでして知りたいことが、この家にあると思っておいでなのですか?」
「あるのかどうかは分からない。あると断言することもできない。だが俺としてはその可能性はここが最も高いものと思っているし、もし仮にこの家になければ、どこにもないのだと考えている」
 ユーノはサンティスから目をそらさなかった。対するサンティスの目は、恐怖や苛立ちに揺れながらも、ユーノをしっかりと捉えていた。
 沈黙。そう長くはない、しかしユーノには長く感じられる。まだはっきりした答えをもらってはいない。答えをもらわなければ、ここから立ち去るわけにはいかない。
 諦めたようにサンティスが口を開いた。
「何やら並々ならぬ事情があることはお察ししますが、だからと言って屋敷に盗賊を入れるわけにはいきません。お引き取り下さい」
「分かった、今日のところは諦めよう。だが、明日もまた来る」
「来なくて結構です」
 サンティスの声は震えていた。ユーノはそれを聞かなかったことにして、とりあえず屋敷を立ち去った。
 サンティスの反応は悪くはなかった。ユーノはそんな感触を手に掴んでいた。

 それからも、何度かウェルダー家を訪ねたが、サンティスは全て突っぱねた。突っぱねられはしたが、望みが全くないわけではない。なぜなら、サンティス自身が顔を出してくれるからだ。
 そしてユーノの訪問は七度目を迎えた。やはりサンティスはユーノに会ってくれた。
「サンティス殿」
「また貴方ですか。何度頼まれようとも、その申し出を受けることはできません。お引き取り下さい」
 呆れた様子ではあるが、サンティスは揺れている。ユーノは神経質な男の神経を逆なでしないことだけを考えた。
「サンティス殿、あなたが望むのであれば、どんな言うことも聞こう。生命を寄越せと言われれば、それもまた辞さない。今すぐにとはいかないまでも、近い将来遂行することは可能だ」
「生命を、などと簡単に言わないでください。私は当主であっても、為政者ではないのですから。お引き取り下さい。昼間からあなたの傷を見るのは、もう勘弁願いたいものです」
「この傷は存外目立つようだな」
 ユーノは頬の傷に触れた。シエルが仲間になった時――シエルを仲間だと認めた時に付けた傷だ。何年も前のものだが、一生ものの誇り高い傷だ。
「だが、あなたは俺と会ってくれているではないか」
「単身で乗り込んでくるうちは、害意はないのだと判断しておりますから」
「それはありがたい」
「しかし解せません。あなたがそこまでして知りたいこととは、何でしょうか? 盗人の誇りなど忘れたように、この屋敷に来て、もう二度と襲わないという条件まで持ち出して。そうまでして知りたいこととは、何ですか?」
「ここを襲った日の夜のことだ。俺たちはある遺跡に迷い込んだ。俺はこの島に二十年以上住んでいるが、遺跡の存在を知らなかった。遺跡を調べても、大体の年代くらいしか手がかりがない。俺は些細なことでもいいから、その遺跡のことを知りたいのだ。遺跡に関する資料が残っているとしたら、このウェルダー家が最も可能性が高い」
「知ってどうするのですか? その遺跡にあるお宝でも手に入れますか?」
「お宝といえばお宝だろうな。俺が知りたいのは、この遺跡のこと、それから三百年前のことだ。サンティス殿、ウェルダー家はこの島に三百年の歴史を持っている。これは何かの偶然か?」
 サンティスは目を細めた。
「なるほど、それは私の勉強不足です。確かに我がウェルダー家は三百年ほど前にこの地へ参りましたが、三百年前のことは存じ上げません。ただ、初代女王に任じられてここに来たとしか。では、こうしましょう。分かったことは全て私に教えてください。先日あなたが私に提示した、今後二度とウェルダー家を襲わないという条件と、こちらの条件と、あとは屋敷からの出入り以外の目的で書庫から出ないことを条件に、あなたを書庫に入れましょう」
「本当か!」
 空耳ではないか。そう思ったが、相変わらず眉間にしわを寄せているサンティスを見て、嘘ではないと判断した。
「すまない、恩に着る。よろしく頼む」
 ユーノは笑顔で右手を差し出した。サンティスと握手を交わしたいと思ったのだが、サンティスはその掌を叩いた。


 サンティスとの契約が成立した。これで三百年前のことが、アルネトーゼのことが少しは分かるかもしれない。目覚ましい前進である。しかもたったの七日で、あの気難しそうなサンティスがユーノの申し出を受け入れるとは思ていなかった。少なくとも、一か月はかかると踏んでいた。サンティスは知的好奇心旺盛なタイプの人間だったのかもしれない。これは願ってもみなかった幸運だ。
 つま先ほどではあるが、それくらいの達成感をしかりと胸に抱き、嬉々としてアジトに戻った。するとアジトの入口にいるとサリが立っていた。それも、只ならぬ険しい表情を伴っている。それまでの明るい気分が掻っ攫われた。
「どうした、二人とも?」
「すまないユーノ、あたしにはもう、止められなかったよ」
 どういうことなのだろうか。ユーノには二人の言っていることの意味がいまいち掴めなかった。しかしすぐに理解した。扉が開き、そこから大荷物を抱えた仲間が出てきたからだ。それも一人や二人ではなかった。ぞろおろと出てくる男たちを眺めながら、ユーノは呆然と立ち尽くしていた。
 何人目かの男が立ち止まり、ユーノに声をかけた。
「すいません、ユーノさん。俺たちは、あんたにはもう、付いて行けない」
 何となく分かっていた。皆の心が離れていっていることは感じていた。いや、皆が離れているのではない。アルネトーゼに、シエルに執着する自分が、クリムゾンテイルから離れていったのだ。ユーノはそっと瞼を伏せた。
「そうか。いや、付き合わせて悪かった。これからは各々自由にしていい。達者でな」
 自分の声が嫌に大きく聞こえた。皆口々に「じゃあ」などと言って、ユーノの許を去っていった。不揃いの足音がどんどん遠く、小さくなっていく。なぜこんな風に、あっさりと手放せるのだろう。
「ユーノ」
 サリの呼び声に、ユーノは瞼を押し上げた。去りゆく仲間たちとは別に、サリとイルは変わらずユーノの側にいた。先ほどの言い方から察するに、彼らは必死に他の者たちを説得し、ここに留めようとしていたのだろう。
「あんたはそれでいいのか? それでよかったのか?」
 とても真剣で、とても悲しい表情だった。当然だ。クリムゾンテイルにいる者の中には、ここを拠り所にしている者もいた。イルやサリ、シエルがそうだったように。それだけに不思議だった、内心簡単に諦めてしまった自分が。何のためのクリムゾンテイルだったのだろう。何のために自分が引っ張り、指揮していたのだろう。その意味はすでに失われてていたのだ。ユーノは嘲笑を隠さなかった。
「いいも何も、仕方のないことだ」
 投げやりに告げた。本当にどうでもいいことだと思っている自分がいた。
「ユーノさん、俺たちは残る」
 そう言ったのは、イルだ。
「シエルの帰る場所、俺たちだけでも守らないといけない」
 そう、シエルとイル、サリ、そしてユーノは、三人で仲が良かった。はじめこそ互いに受け入れられなかったものの、いつしか手を取り合っていた。そのことを思い出しながら、ユーノは再び目を閉じた。
「ありがとう」
 サリたちの立ち去る足音を聞いた。すぐに戻ってくるだろう。彼らの足音には、その安心感がある。
 今さらではあるけれど、微笑みを絶やさないラスタがなぜ癇に障ったのかが分かった気がした。勝手な解釈だが、何もかもを微笑で誤魔化そうとする自分に重ねたのだ。彼が常に微笑んでいる理由は知らないが、鏡を見ている気分になった。
 ユーノは目を開け、いつの間にやら暗くなった空を見上げた。
「シエル、すまない」
 ユーノの小さな声は、夜空高く吸い込まれていった。



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