アルネトーゼ

#18.旅人


 ルティの言葉に従い、シエルたちは南への旅を再開した。陽射しがだんだんと強烈になり、空気が乾いていく。シエルたちは沙漠地帯へと足を踏み入れていた。南国生まれのシエルだが、身を焼かれるような灼熱は堪える。特にケンなどは、重そうな鎧を身に着けたままげっそりとしている。そんなシエルたちを見て、暑さには強いらしいプライムが苦笑を漏らした。
「これくらいでやられるとは、先が思いやられるな」
「だって熱いじゃん。無理だ。水……」
 ケンは熱いと漏らしながら、肉が焼けそうな鎧も、防寒に一役買った厚手のマントも脱ごうとしなかった。夜のことを考えると、手放す必要はないかもしれないけれど、太陽の下ではその重みゆえに、ただでさえ消耗している体力を浪費するだけなのではないだろうか。
「その鎧、脱いじまえよ。見てるだけで熱そうだ」
「うん、そうなんだけどな……。こいつはお守りみたいなもんだから……」
 その鎧は、何度もケンの生命を助けたのだという。ケンはもともと頑丈で打たれ強いが、それをいいことに無茶をすることが多いのかもしれない。そのために死にかけたこともあるのだろう。
 シエルたちの前を歩く隊商の列を見ながら、ケンは話した。
「俺さ、小さな港町の食堂に住んでたんだよ。母さん父さんが二人三脚で切り盛りして、俺もたまにその手伝いとかしてさ」
 最初は母親が一人で営んでいたらしい。しかし、怪物退治を生業にしていた父親がある日大けがをして帰ってきて、二度とそのような仕事ができなくなってしまった。だが父親は意気消沈することもなく、食堂の手伝いをするようになった。
「色々なお客さんがいてさ、おしゃべり好きな飲兵衛に、仕事帰りのおやっさん、旅の途中の人とか」
 ケンが色々なことを思いだそうとしている。その間に、先ほどは前を歩いていた隊商の長い列の隣を歩いていた。商人を囲むように、厳つい顔つきの男たちが複数歩いている。
「そんな人たちから町の外の話を聞くのが大好きで、そのうち本当に行きたくなったんだ。最初はそりゃ、反対されたけど。特に父さんを引合いに出されるのはきつかったなぁ。でも、この鎧を餞別にくれた。これは、父さんの生命も守ってくれたんだ。俺のことだって、たくさん」
「それで、剣もお父さんから教わったのですか?」
「軽くな。でも父さんは忙しかったから、今のはほとんど自己流だ」
「なるほどな。どうりで荒いわけだ」
 プライムがうんうんと首を振る。
「そうだな、やる気があるなら俺が教えてやろう。俺は強いぞ」
 自分で言うか、と思ったが、彼が強いのは確かだ。その自信が慢心や過信によるものではないということを、シエルたちは知っている。ケンもケンで嬉しそうだった。
 その時。
「わー!」
 前の方から男の野太い叫び声がシエルの鼓膜を打ち鳴らす。盗賊でも現れたのだろうか。シエルたちは示し合わせるでもなくすぐに駆けだした。甲殻類と思われる赤く巨大な生物がそこにいた。
「なんなんだコイツは!」
 近くで見ると、とにかく大きい。化け物の頭部を見上げたシエルをすっぽり覆う影をつくれる程度には大きかった。サソリのように見えるが、これは一体――。
「こいつはたまげた。ラッキーだぞ、お前たち。オオアカサソリというやつなんだが、珍しい生き物なんだ。俺もお目にかかるのは初めてだ」
 と、呑気にプライム。オオアカサソリとやらが獰猛な生き物であれば、ラッキーなどという話では済まないだろう。シエルが半信半疑でオオアカサソリをじっと見ていると、そいつは巨大なはさみをシエルの目の前に振り下ろした。すんでで避けたために傷を負わずに済んだものの、雷のような轟音を伴ったその一撃に戦慄した。シエルの胴体程度であれば軽く真っ二つにできそうなはさみの先が砂に埋もれている。
「ははは、気をつけろよ。珍しいが凶暴だ。まずは俺たちが生き残らなければならんな」
「呑気に笑ってんじゃない、クソジジイ!」
 シエルの怒声を皮切りに、巨大サソリが暴れ始めた。サソリの動きは素早い。このようなものから逃げおおせるなど可能なのだろうか。
「ああ先生、逃げないでくださいよー!」
「クソが、やってられっかこんな仕事!」
 隊商が雇っていた用心棒が敵前逃亡し始めた。彼らもこのような巨大な化け物に遭遇するなどとは思ってもみなかっただろう。シエルもおっかなくて逃げたかった。だが怒鳴ってしまったことで要らぬ刺激を与えたのか、サソリは明らかにシエルに目をつけている。シエルは隊商に被害が及ばないよう、少しずつ移動しながらダガーを一本抜き、サソリに飛びついた。力を籠められるように両手でダガーを握りしめ、はさみの関節部分に突き刺す。が、その場所でもシエルのダガーは刺さらなかった。逆にサソリの方が、大きな尻尾の先端をシエルに突き刺そうとした。シエルはすぐさまサソリから飛び降りたが、左肩に鋭い尻尾が掠り、服が破れる。
「おっと、言い忘れたが」
 サソリの大きなはさみを剣で受け止めながら、プライムが言った。
「こいつには毒があるから、気をつけろよ!」
「なんだと? そういう大事なことは早く言え、早く!」
 全く、何が「ラッキー」だ。ふざけたことを言うなと、シエルは数十秒前のプライムに怒鳴りつけてやりたかった。しかしそんな悠長なことは言っていられない。左肩がじんわりと痺れてきている気がした。
「チッ、ポンコツが」
 シエルが吐き捨てた時だった。
「おどきなさい!」
 育ちのよさそうな少女の声が聞こえた。そうかと思えば次の瞬間、影が巨大サソリのはさみを伝って背の方へと駆け上がる。少女は呪文のようなものを唱えると、持っている変わった形の剣をサソリの背に突き刺した。サソリは苦しそうに雄叫びを上げると、そのまま地に伏した。サソリが息絶えたのを確認して、少女はサソリの背から飛び降りた。
「ふう。皆さん、無事のようですわね」
 ブーメランのような形をした剣――ククリナイフを鞘に収め、額の汗を拭いながらシエルたちに微笑みを向ける少女は、頭にターバンを巻き、滑らかな褐色の肌を惜しげもなく日の下にさらしていた。彼女の肌を覆うのは、胸元の布と、ゆったりとしたズボンだけであった。
 少女の許に、これまたターバンを巻いた、細面の隻眼の男が、凄まじい足音が聞こえてきそうな勢いで走ってきた。
「おい、ディーナ!」
「あら、血相変えてどうなさいまして、ゼリド?」
「『あらどうしたの』じゃない! 考えなしにいきなり化け物に突っ込むヤツがあるか!」
 少女――ディーナの保護者なのだろうか。ゼリドと呼ばれた男は、年のころはプライムと変わらないようだが、かなり背が高い。身体が細いから、よりそのように見えるのかもしれない。その手には槍が握られていた。そんなゼリドの怒りを、ディーナが涼しい顔でいなす。
「よいではありませんの、無事に倒すことができたのですから」
 少女が澄んだ声で笑う。そんな彼らの所に、隊商が戻ってきた。ディーナとゼリドもまた、隊商の用心棒をしていたのかもしれない。隊商の中から、腹が出た中年の、卑下を蓄えた商人が一人、ディーナの前までやってきた。
「危ないところを助けていただき、何とお礼を言ったらよいか。おかげさまで、こちらの被害が少なくて済みました。私はヨルダと申します。あの、隊商一同、勇敢なるあなたがたに是非お礼をしたいと考えているのですが、いかがでしょう?」
 ヨルダは丸い頬を上げ目を細めていた。その表情は柔和で、商人らしい。そしてどうやら、ディーナも隊商とは関係ないということが分かった。
「お礼ですか?」
「はい。よろしかったら、隊商宿も近いことですし、何か料理を振る舞えればよいのですが」
「まあ、それは素敵ですこと。ゼリド、よろしくて?」
 二人のやりとりに毒気を抜かれたのか、ゼリドは嘆息し「ああ」と短く返した。ヨルダは満面の笑みを浮かべ「ありがとうございます」と頭を下げた。
 ディーナたちが隊商宿の方へと歩き始めたのを見送り、シエルたちもそこを立ち去ろうとすると、小太りの商人が「あなたがたもいかがですか?」と声をかけた。
「いかがも何も、別にあたしらは何もしてないけどね」
「そんなことはありません。被害が及ばないように、あのサソリを誘導して隊商から引き離してくださったでしょう? あなたがたも我々を助けてくださったのですから、この正体は当然の物です」
「そうか。じゃあお言葉に甘えるとするか。異論はあるか?」
 プライムがうなずいた。真っ先に合いの手を入れたのは、暑さにやられたケンだった。
「賛成! もう、溶けて死んじまいそうだ」
 というのがケンの言い分だった。その隣でクリムも小さくうなずいている。ラスタがそのようにヨルダに伝え、付いて行くことになった。


 道中、シエルは商人たちの自分への態度に驚きを隠せなかった。何しろシエルは盗賊だ。リブル島ではクリムゾンテイルの者以外に疎まれて生きてきた。自分たちにとって害をなす存在でしかないのだから、当たり前だ。しかし今は、隊商を助けたプライムたちの同行者だ。誰もシエルを盗賊などとは思っていないのだろう。だがそれだけではなく、シエル自身も変化しているのかもしれない。以前のシエルならば、商人の荷物などいうお宝を目の前にして、何も感じないはずがなかった。他の者がシエルのそんな変化に気付かないまま、隊商宿へと足を踏み入れた。
 隊商宿では商人たちが料理を振る舞ってくれた。それも大層な御馳走である。ケンに到っては、暑さにやられていたことなどすっかり忘れた様子で、並べられた料理に目を輝かせている。
「どうぞ、召し上がってください」
 ヨルダがそう言った瞬間、ケンが凄まじい勢いでごちそうにがっつき始めた。それを見てシエルは顔をひきつらせた。ケンとは対照的に、ラスタが行儀よく肉を食べながらディーナに話しかけている。
「先ほどはありがとうございました。お礼を言うのが遅くなってしまいましたね」
「あら、気になさらなくて大丈夫ですわ。あなたたちが隊商の列から引き離してくださったおかげで、私も止めを刺しやすかったんですの。こちらこそありがとうございます」
 シエルもラスタと同じ肉を口にした。胡椒がしっかりと効いている。プライム曰く、沙漠の旅では食料を持たせるために、胡椒を使うことが多いのだそうだ。他にもスパイスを効かせたスープや、固くなったパンなども振る舞われている。シエルやラスタ、ケンが食事と会話を楽しんでいる一方で、クリムは商人たちと薬草の取引をしている。その向こうでは、プライムとヨルダが話をしていた。
「あの男は?」
 突然ゼリドに声をかけられ、シエルは驚いてゼリドの隻眼を見た。
「あの男?」
「ああ、驚かせてしまって申し訳ない。あの男だ。あそこでヨルダと話している……。お前と行動を共にしているのだろう?」
「ああ、そうだけど。プライムがどうかしたのか?」
「いや」
 その男の態度が少しだけ気になったが、すぐに話題をうまく逸らされ、それ以上追及することはできなかった。もしかすると、プライムはウェスパッサの有名人なのかもしれない。
 料理の辛さに乾いた喉を潤そうと、水に手を伸ばしたシエルの許に、ヨルダと話し終えたらしいプライムがやってきた。
「プライム、ケンが全部かっさらう勢いだぞ」
「ああ。本当にすごい食欲だ。それより、この隊商はウィッセルベに向かっているそうだ」
「ウィッセルベ?」
 水を飲みながら眉間に皺を寄せるシエルに、ラスタが「ウェスパッサの首都ですよ」と答えた。
「ここから更に南ですね」
「ああ。ルティの言っていた方向とも合っているし、ウェスパッサの中心都市だからなにがしかの情報くらいは手に入れられるだろう。それで、ヨルダの用心棒を買って出ようかと思っているのだが、どうだ?」
「そういえば、用心棒たちは皆逃げちまったもんな。だが、またあのオオアカサソリとかいうやつが出てきたら、あたしも尻尾捲いて逃げちまいそうだ」
「ははは、あんな化け物は滅多に出てこんよ。せいぜい野盗が出るくらいだろうし、そいつらのあしらい方なら、シエルは心得ているだろう?」
 普段通りに大きな声で笑って、プライムは右手の指を三本立てた。
「報酬はウィッセルベまでの水と食料、それからケンの鎧を運んでもらう、この三つだ。金にはならんが、無駄な旅費はかからない」
「いいんじゃないのか?」
「いいと思います」
 シエルとラスタが同意したところで、プライムは「話をつけてくる」と席を立とうとした。そこにディーナが入ってくる。
「それ、いいですわね。わたくしたちもご一緒してよろしくて?」
「おいディーナ、まったくこのお嬢さんはまた勝手に……」
 柔和な笑顔をプライムに向けるディーナに対し、ゼリドは呆れたような態度ばかりだ。
「いいではありませんの。わたくしたちも、もうウィッセルベに戻るつもりですし、丁度いいですわ」
「それはそうだがな」
「俺たちは別にかまわんぞ。じゃああんたたちのことも一緒に話をつけてくるか」
 ディーナは両手を叩いた。
「決まりですわ。ではわたくしが一緒に話に参ります」
 行きましょう、とプライムを連れてヨルダの所へ向かうディーナの後姿を見て、ゼリドが大きく溜息を吐いた。シエルは思わず噴き出した。
「あんたも随分な苦労人みたいだな」
「それももう少しだがな」
 困ったような口ぶりではあったが、彼の隻眼は満足そうに細められた。

 つかの間の休息を追え、隊商はシエルやディーナたちを用心棒に伴い、隊商宿を後にした。いい具合に日が暮れている。
 用心棒として雇われた中でもかなりの手練れとみられたプライムは先頭を、ゼリドは最後尾の護衛を任されていた。他の人間もそれぞれの持ち場についている。不思議なのは、いつも見るからに重そうな鎧を「お守りだから」と脱がなかったケンが、鎧に代わって日よけ寒さよけ兼用のマントを羽織っている姿であった。プライムが説得したようだが、どのように言いくるめたのだろう。見た目に慣れないが、そのおかげでケンの動きはいくらかマシになっているようだった。
 空を見上げると、満天の星空が広がっている。沙漠では星を頼りに歩くのが常だと言うが、T上の砂のように夜空に散りばめられた星々から、どのようにして目印の星を見つけると言うのだろう。おそらくそれは、手練れであれば分かるのだろう。暗闇でも色々なものが見えるシエルのように。
 そのように色々と考えながら歩いている最中、シエルは自分たちと違うものの気配を感じた。
「来たな」
 シエルは息をひそめ、素早く二本のダガーを抜いた。盗賊だ。盗賊の一人が大きく売りかぶっているその懐に飛び込み、みぞおちにダガーの柄を強く打ちこむ。小さくうめき声を上げた屈強そうな男は、力なくその場に崩れた。一瞬それを受け止めたが、すぐに砂に寝かせる。息つく暇もなく、別の男が襲ってきたあまりにも勢いが良く、シエルは身体をのけぞらせた。男が急に止まることができず、そのままシエルの前を通り過ぎようとした。その隙を逃すことなく、シエルは男の首筋に打撃を打った。この男も砂に顔をうずめた。
 今度は後ろだ。シエルは背後の人間に足を突きだした。男が怯んだ一瞬の隙をついて間合いを詰め、男のみぞおちに膝蹴りをお見舞いした。三人。化け物相手の戦いでは役立たずだったけれど、ただの盗賊相手ならば戦える。盗賊の方も人員は揃っているようだ。まだ襲いかかる盗賊たちに、シエルはダガーを握り直し応戦した。

 一方ケンも、慣れない沙漠での戦いではあるけれど、善戦していた。一人気絶させると、視界に捉えきれていないクリムに声を張り上げる。
「クリム、大丈夫かっ」
「大丈夫よ! 私の心配より、隊商の心配をして」
 ケンの背後では、クリムが呪術を駆使して賊を眠らせているようだ。それはそれは素晴らしい手際である。ケンの前に盗賊が三人いた。三人の盗賊が一斉にケンに突進する。二人はすぐさま昏倒させることができたものの、一人はケンをすり抜けクリムに襲い掛かろうとしていた。
 ケンは獲物を捨て、砂を蹴った。そしてもの凄い勢いで、すり抜けた盗賊に体当たりをかました。ケンの巨体に激突された盗賊は、うめき声を上げる間もなく気絶した。
「無事か!」
「ええ、ありがとう」
 クリムの無事を確認すると、ケンは満足して先ほど投げ捨てた自分の大剣を拾った。

 その頃ラスタは、商人たちを唸らせる戦いを披露していた。ラスタの名声はヨルダも知っているようで、プライムがシエルたちを雇うという話を了承した決まり手は、ラスタも加わるということであった。何もないところに評判は生まれないということを、商人たちも知っている。手練れであるプライムが加わるよりも、言わずと知れた剣豪が守ってくれることの方が頼りがいがあり、商人たちの士気にもつながっている。ラスタは盗賊たちに次々と峰打ちを見舞って失神させた。盗賊たちは声も上げられずに、あられもない姿をさらすことになった。
 出発する前、プライムが言っていた。契約を取り付けたのは自分なのだから、仮に盗賊が襲ってくるようなことがあっても決して殺すなと。ラスタの腕ならば、このようなごろつき風情を殺さずに気絶させるのは造作もないことである。シエルやケンもその術を心得ている。わざわざプライムが口にせずとも、誰も殺しはしないだろう。
 それをなぜ敢えて告げたのだろうか。プライムは、本当は自分に言い聞かせているのではないかと感じた。以前に〈殺さずの誓い〉を立てたと述べたことを思い出したのである。
 生きていれば色々なことがある。プライムの半分も生きていないラスタですらそう思う。目の前が真っ暗になって、はじめこそ、なぜ自分が、自分だけがこのような目に遭わねばならないのだと憤りを感じていた。しかしセリィを捜して旅をしているうちに、誰しもが大なり小なり抱えているものがあるのだと分かった。だからプライムにその誓いを立てさせる何かがあったのだとしても、不思議はない。
 ラスタは自分の感覚が研ぎ澄まされていくのを感じた。人の息遣いが直に聞こえる。誰のものであるかが聞き分けられる。ここまで感覚が鮮明なのは、初めてではないだろうか。その感覚に従い、ラスタは剣を振るった。

「ラスタってやつが凄いらしいぜ!」
「流石だなぁ、見に行きてぇなぁ」
 背後で商人たちの呑気な言葉を聞きながら、プライムは口角を吊り上げた。盗賊の襲撃が始まってから、まだそんなに時間は経っていない。だが、もう間もなく撃退できるであろうことが予想できた。
「それぞれ、よくやってくれているようだな」
 これは負けていられない。プライムはそう思っていたが、剣を抜くことはしなかった。抜いたら殺してしまいそうだった。
 ヨルダ率いる隊商の用心棒になることは、実はヨルダに持ちかけられていた。しかしプライム自身は、その話にあまり乗り気ではなかった。プライムの中から憎しみは消えていたが、いたたまれない思いがある。ヨルダは関係ない。だが隊商を守ることも、盗賊と戦うことも、進んでやりたいとは思わなかった。
 その上、ゼリドがディーナと共に用心棒に加わるということも、プライムの気を重くする要因となった。あのサソリを一撃で倒したディーナは力になるし、ゼリドが腕の立つ槍使いだということも知っている。そう、プライムはゼリドのことを知っているのだ。
「まさか、こんなところで会うことになるとはな」
 だが、どう接したらいいのか分からない。彼の態度を見ていれば、過去のことを悔やんでいることが分かった。
 プライムには、愚直で正直なケンの若さが心底羨ましかった。プライムにはたったあれだけの理由で旅になど出られない。歳を重ねるごとに、行動するのにそれらしい理由が必要になる。見栄や体面を気にして、大義名分のようなものがなければ動くことができなくなったのだ。だから、旅に出たいから旅立ち、クリムが好きだから、憎しみを向けられてもクリムの側にいることを選んだケンが、プライムの目には眩しく映る。シエルの変化も嬉しかった。自分のために旅をしていたようなお嬢さんが、他人のために旅を続けると決意したのだ。リブル島の外を知らない箱入り娘だと嗤うことはできなくなった。
 だからこそ、プライムは念を押した。誓いを立てた自分に言い聞かせるために、未来のある若者たちの手を汚させないために。だから――。
「邪魔をするな」
 プライムは次から次へと湧いて出る盗賊たちから意識を奪った。

 ようやく意識のある盗賊たちが撤退した。沙漠のど真ん中に置き去りにしている仲間たちも連れて行けばいいのに、とシエルは思った。所詮は寄せ集めの盗賊団にすぎないのだろう。
 盗賊の集団を撃退して、隊商の中で談笑したり、星を見上げたりしながら進んでいると、地平線が白みを帯びてきた。もう一晩中歩いたのかと実感した。
 その先でも、何度か隊商宿で休憩を取った。夜が明ければサライに入り、陽が沈めば歩き出すということを何度も繰り返した。
 そうして一週間がたったころ、ようやくディーナが笑顔で告げた。
「見えてきましたわ。あれがウィッセルベです」
 シエルの目には、長い長い壁しか見えなかった。
 ディーナ曰く、ウィッセルベには外壁と内壁があるらしい。二層構造にすることで、人に害をなす生物たちから街を守っているのだとか。
「もうすぐお別れですわね」
「淋しくなるな」
 ディーナとは、休憩中によく言葉を交わしていた。言葉の端々に育ちの良さを感じさせるものの、そのことを決しては何かけないディーナに、シエルは好感を抱いていた。
 ディーナとの別れを惜しみつつ、隊商が内壁の門をくぐった時、シエルの目には信じがたい光景が映った。
「これは一体、どういうことだ!?」
 土づくりの茶色い街並みを背景に、一目でそうだと分かる死者たちがうじゃうじゃと歩いていた。



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