アルネトーゼ

#19.亡者


 ウィッセルベは人と情報が集まるウェスパッサ連合王国の中心公国であり、活気に溢れ明るい街――シエルはディーナにそう聞かされていた。
 そんなシエルの眼前に広がる光景は、少なくとも生きている人のざわめきや雑踏を感じさせるものではなかった。お世辞にも明るいとは言えない、薄気味の悪い光景である。
「ここには何度も来ていますが、こんなことは初めてです」
 ヨルダの声は震えていた。地上のどの国を捜そうと、死者が闊歩している町などありはしないだろう。死者たちは一様に背を丸めて歩いている。肌が黒くて分かりづらいが、ディーナも死者のように青ざめていた。
「一体どういうことなんですの、これは……」
 ディーナたちには目もくれず、亡者は歩いている。シエルは真っ先にサミエルのことを思いだした。
「まさかこいつら、王宮に向かってないか?」
 ゼリドの声も深刻そうだった。ディーナが「お父様!?」と声を上げる。彼女の父親は王宮にいるらしい。
 生きている人間はいないか、状況はどうなっているのか――それを探るべく辺りを見回したけれど、無数の死者の中から生者を見つけるのは困難だった。その中から何かを見つけたのか、ディーナが走り出す。シエルもそれに付いていった。その先には、胸当てを身につけ、槍を携え馬に乗った兵士らしき者がいた。
「ディーナ様!」
「衛兵、一体何が起きているのか説明できますか?」
「それが、われわれにも分からないのです。突然地面から亡者たちが湧いて出て……。公王陛下がすぐに住民たちを王宮に避難させたのですが、街はご覧の通り」
 兵士らしき男は、ちらりと亡者の溢れ返っている街を見やった。ディーナが神妙な面持ちで相槌を打つ。
「やはり、王宮に向かっている様子ですね」
「どうにか王宮の門は死守しておりますが、なにせこの数、破られるのも時間の問題かもしれません。公王も自ら剣を手に戦っておいでです」
「あなたは?」
「自分は王の命で、近くの街に救援を求めに行くところです」
「そうだったのですね。大切な役目を負っているのに、引き留めてしまって……。急いでくださいね」
「いえ。では、これで」
「ええ、お願いいたしますわ」
 兵士は馬に鞭打ち、あっという間に見えなくなった。ディーナが身分の高い人間であるということは、彼女の口調からなんとなく読み取っていたものの、兵士の態度からすると、身分が高いどころの話ではないかもしれない。ディーナをじろじろと見ていたシエルをディーナが振り返る。
「皆さま、お願いがあります。わたくしを王宮へ送り届けてはいただけませんか?」
「そいつは構わないけどさ、王宮に父親がいるとか、どういうことなんだ? あんた一体……」
 シエルの質問は、ディーナの強い光を宿した瞳に遮られた。
「詳しい事情は後ほどお話いたしますわ。とにかく、今は一刻を争います。どうかお願いいたします」
「四の五の言っている場合じゃないんだろ。連れてく」
 シエルは即答した。死者が関わっている。現時点で確証があるわけではないが、復讐者が絡んでいる可能性は高い。
「ありがとうございます、シエル様」
 ディーナは勢いよく頭を下げた。プライムがサッとうなずき、声を張り上げる。
「まだ安心するところじゃないぞ! ヨルダ、あんたは商人を安全なところに避難させろ」
「分かりました」
 ヨルダが商人たちに素早く指示を出す。それを確認し、ラスタが「では行きましょう」と走り出した。シエルたちも武器を構えて地を蹴った。
 気味が悪い。触りたくもない。そんな死者たちを、両手に握りしめた二本のダガーで切り付けていく。そうして二体分の道が開ける。サミエルと違って一体一体はしつこくなく、ただ果てしない地道な作業である。まだ内門をくぐって、建物一つ分しか進んでいない。立派な王宮の姿は遠目に確認できるけれどまだ遠い。攻撃を加えたシエルを敵であると認識したらしい亡者たちはシエルを襲い始めた。あまりこういった比較はしたくないけれど、砂で出来た身体を切り裂くのに、生きて肉体を持つ生物を切るほどの力はいらなかった。だが痛みを忘れた亡者たちは、腕を切られても首を切られても、いつまでもどこまでも襲い掛かってくる。
 ――クソッたれ、これじゃあキリがない!
 呪術は生者にしか効かない――そう言っていたクリムは、のらりくらりと死者を避けながら付いてきている。そのクリムの側にはケンの姿があった。ケンの勢いは凄まじく、力任せではあるが、彼の一振りで五、六体の亡者が崩れて砂になる。
 プライムも次から次へと亡者を斬っていた。年齢を感じさせない、見事な動きである。その隣でディーナも負けじと、炎を纏ったククリナイフを振っている。そのディーナを守るように、ゼリドの槍が閃く。
 シエルも黙々とダガーを振るう。斬った亡者のカケラが掛かって砂まみれになるのも、漂う死臭も、だんだんと感覚がマヒしてきたのか、気にならなくなってきた。だがキリのない亡者たちに、気が滅入りそうだ。相手は最初から死んでいて、痛みを感じない。そのような奴らがうじゃうじゃと存在し、襲い掛かってくるのである。もしかすると、自分たちが疲弊して彼らの餌食になるのが先なのかもしれない――そんな考えが脳裏をよぎる。
「死者の軍勢とは、趣味が悪い上に、この上なく厄介だな」
 プライムが、笑っているのか不機嫌なのか分からない形に唇を歪める。そのボヤキを聞いたからかは分からないが、ラスタは亡者から取れるだけの距離を取ると、一度剣で空を切った。
「突破します。ディーナ、私が剣を振ったら、すぐに全力で走ってください」
「は、はい」
 ラスタは自分の剣で掌を切りつけると、剣の紋章に血を塗り付けた。しかし、今回はいつもと様子が違う。いつもなら一つの紋章に塗りつけるところだが、ラスタは全ての箇所に塗り付けていた。それも、剣の両面にである。呪文もいつもより長い。ラスタの剣が光を纏った。
「はっ!」
 掛け声と共に閃光が奔る。亡者が次々に薙ぎ払われ、砂に代わる。ラスタの前に、王宮までの太い一本道ができた。溢れるように寄ってくる亡者たちを矢継ぎ早に切り払いながら、シエルも走った。今のラスタの剣に見覚えがあるような気がしたが、今は考えないことにした。やはり紋章剣の威力は凄まじい。ディーナのような少女でさえオオアカサソリを倒せるはずだ。
 迫りくる亡者たちの間をすり抜け、ディーナたちと共にようやく王宮にたどり着いた。門の前に十数人の兵士と、ディーナと同じククリナイフを携えた細身の男が奮闘している。それを見てゼリドが声を張り上げる。
「ハルーシャ王!」
「ゼリド? ゼリドじゃないか! 戻ったのか!」
 どうやらククリナイフを持った男が、ウェスパッサ連合王国の王であるようだ。王はゼリドの姿を確認しながら、ククリナイフを振る腕を止めなかった。そこにディーナが駆けつける。
「お父様! よかった、ご無事でしたのね!」
「ディーナ、壮健そうで何よりだ!」
「お父様ぁ!?」
 ハルーシャ王らしき男とディーナとのやりとりを見て、真っ先にシエルが素っ頓狂な声を上げた。今まで身分の高いお転婆くらいにしか思っていなかったが、シエルの想像以上に身分の高い者だった。しかしディーナもハルーシャも、そのようなことは意にも介さず話を続ける。
「ええ、ただ今戻りましたわ。お父様、状況をお聞かせ願えるかしら?」
「ああ、ひとまず中に入ろう。お前たち、ここは任せたぞ」
 兵士たちは大きく返事をした。ディーナが「皆さんも来てください」と、シエルたちを王宮内へと誘導した。

 プライムたちが入った高いアーチ形の天井の城内は、平時であれば、厳かだが優しい雰囲気を醸し出しているのだろうと思われる、温かい色合いだった。だが床にいる住民たちの姿を見ていると、そう呑気なことも言っていられない。
 ハルーシャ王曰く、状況は見ての通りであるとのこと。そしてそれ以上のことは、彼にも分からないらしい。ただ、ディーナが戻ってきたことを大いに喜んでいた。王妃や、ディーナの弟に当たる王子も王宮の中にいると言っていた。避難民の中には、負傷者も多くいるようだ。
 ディーナが簡単にプライムたちをハルーシャに紹介し、プライムたちに頭を下げた。
「申し訳ありません。わたくしはウィッセルベ公国の公王であり、ウェスパッサ連合王国代表でもあるハルーシャ=ウィッセルベの第一公女、ウッディーナ=ウィッセルベなのです」
 これまでの会話などでそのことは分かっていたので、もう誰も驚かなかった。
「そうか。だが成人の旅の途中だったのだ、隠すのも当然のことだろう」
「そう言っていただけるとありがたいですわ。それと、申し訳ついでにお願いがあります」
 ディーナが何を頼むかも言わないうちに、シエルが「ああ、分かった」と答える。
「そいつは引き受ける」
「シエル様?」
「ディーナには助けられたからな、今度はこっちが助ける番だ。どうせあんたたちもそのつもりだろう?」
 シエルはプライムたちのことをよく理解している様子だった。これまでこういったことに首を突っ込みたがらなかったが、その度に強引に引きずり込まれていた。だから先手を打ったのかもしれない。プライムは「全く」と苦笑を漏らした。
「ありがとうございます!」
「私からも礼を言う」
 ディーナが元気よく、ハルーシャが恭しく頭を下げた。これには流石のプライムも参ってしまった。そんなプライムを後目に、負傷者の様子をざっと見ていたクリムが口を開く。
「私は負傷者の手当てをするわ。ラスタ、あなたの手も診る必要があるから、ここに残って。公王様、薬草があれば、私の所に運ばせてください」
「分かった、息子に運ばせよう。シード!」
 奥の方から「はい、父上!」と、眉毛を八の時にした頼りなさ気な少年が姿を現した。彼がウィッセルベの第一王子であり、ディーナの弟なのだろう。
「この人の言うことをしっかり聞くんだぞ」
「は、はい! よ、よろしくお願いいたします!」
「よろしく。じゃあ早速だけど――」
 使えるものは何でも使うというスタンスのクリムは、王族だろうが容赦なくこき使う予定の様子だ。それを見ても咎めることなく、ハルーシャ王はプライムたちに向き直り、なお戦意の衰えていない表情で力強く号令をかけた。
「よし、では我々も行こう!」
「恐れながら王、万が一のことが――」
 この場で唯一のたしなめ役らしいゼリドを、ハルーシャは笑ってごまかそうとした。
「万が一だ、起きないようにする。それにゼリド、お前の役目は王族を守ることだ。なおさら危険にさらされる謂れはなかろう。自分の国が侵されようとしているのに何もしない王はポンコツだ。さ、分かったら行くぞ!」
「はっ!」
 ハルーシャ王やディーナ、シエルたちが城の外へ駆けだした中で、たった今力強い返事をしていたゼリドが、足を動かさずにプライムを振り返った。
「プライム」
 彼はなにやら思いつめているような表情をしていた。だからプライムは、ゼリドが何を言いたいのか、少しだけ分かった。
「あんたは二十年前の、あの時のプライムなのか?」
「そうだと言ったら? 今は悠長にそんな話をしている場合ではないだろう」
「そうかもしれないが、もう二度と会わないかもしれない。だから、この場で言っておきたい」
「手短に頼むぞ」
「本当にすまなかった。あの時俺が未熟でなければ――俺がこの右目を失わなければ、あんたに用心棒を代わってもらうことはなかった。あのあと盗賊の襲撃を受けたと聞いて、死んだものと思っていたのだ」
 プライムは遠い遠い記憶を思った。あの惨劇から、もう二十年にもなるのだ。あの時のことは忘れがたい。
「憎んでいないと言えば嘘になる。俺とて、そこまで理性的な人間ではないからな。だが、とっくの昔に終わったことだ。あんたがそれをいつまでも気にしたまま生きる必要はないだろう」
「ありがとう」
「さ、話が終わったなら行くぞ。今は王や姫さんを守っているのだろう? 今度はしっかり守れよ」
「ああ!」
 プライムとゼリドは走り始めた。

 シエルたちは、城門に寄ってくる亡者どもを防いでいた。
 死者を紋章術で動かしている人間がいる――ハルーシャ王はそう言っていた。だがその人間が誰で、どこにいるのか見当がつかない以上、下手に動くことはできない。アルネトーゼの憑かないシエルは、仮にこれが復讐者による襲撃だったとしても、なぜウィッセルベを襲うのか読めない。
 じりじりと迫ってくる亡者たちを全身を使って払いのける。ダガーで切り払い、足で豪快に蹴飛ばす。城門付近には、崩れた亡者たちの砂の山が築かれていた。
 これは亡者というよりは、泥人形なのではないか――シエルには次第にそう思われた。ここにくるまでに実際に見た亡者といえばサミエルくらいしか思いつかないけれど、彼には意志も感情もあった。砂からつくられたにもかかわらず、その目には炎が宿っていた。だが目の前の死者たちからは、炎も意思も感じられない。
 ダガーを振るたびに、死者が砂になっていく。シエルの横で、ケンやディーナやハルーシャも砂の山を増やしていった。一緒に亡者掃討を引き受けたはずのゼリドとプライムの姿が見当たらないのは、どういうことなのだろう。
 その時、シエルの視界に見覚えのある人物が映った。
「あいつは……」
 シエルは道を塞ぐ亡者を斬りながらその人物に近づいた。そしてそれは、思い過ごしではなかった。
「お前、ラファか!」
 ラファはシエルに気付くと、艶っぽい唇に弧を描き「待っていたわ」と告げた。やはり復讐者の仕業だったのか。
「まだあたしに用があるってのか?」
 シエルは警戒心をむき出しにした。不思議なことに、ラファと対面しているシエルには亡者は襲ってこなかった。亡者を操っているのはこの女なのだろうか。ラファは微笑みを絶やさなかった。
「そうね。アルネトーゼが手に入った今、あなたに固執する必要はないのだけど……来てくれた方が面白いじゃない。それに、ある人があなたに会いたがっていたのよ。よかったわね、お嬢さん」
「会いたがっていただと? 復讐者が、今さら?」
「そう、確かに今さらね」
 復讐者の中に、自分に会いたがっている人間がいる――つまり、復讐したがっている人間がいるということだ。自分がしたことを思い返せば、そのような人間はたくさんいるだろう。だが方法が気にくわない。それならそうと、初めから姿を現せばいいのだ。シエルは逃げも隠れもしないのだから。
「こんな真似なんかしなくても、あたしならあんたらの懐にいつでも飛び込んでやるよ。そいつにそう伝えとけ」
「今日はいつにも増して元気がいいのね」
「クソッたれ、目にモノ言わせてやる」
 シエルはダガーを構えた。その時、後ろからシエルを呼ぶ声が聞こえた。
「シエル! ケンからこっちに行ったと聞いた。何やってるんだ?」
 それは、亡者を斬りながら突進してくるプライムだった。そのプライムの顔を見るなり、ラファの顔が不快そうに歪んだ。
「またお前なの?」
「俺たちは、何やら妙な縁があるようだな」
 何か因縁でもあるのだろうか。怪訝に思いながら見ていたシエルに、プライムが指示を飛ばす。
「シエル、ここは俺に任せろ。お前は戻って、ハルーシャを守れ!」
「分かった」
 プライムならば、ラファがいかなる手練れであっても大丈夫。彼にはそう思わせるだけの安心感と存在感があった。だからシエルは、素直にプライムに従い、城門へと戻った。

 プライムはシエルと対峙していた女と向かい合いながら、既視感を覚えた。昔こんな風に、彼女に似た女性と向き合ってはいなかっただろうか。だが、その女性とこの女は関係ない。プライムは頭を振った。
「お前は一体何者なの? なぜこんなにも、私の心を乱す?」
 女が不機嫌そうに眉を顰める。
「俺も聞きたいな」
 彼女もプライムが感じているようなことを感じているのかもしれない。だとしたら、ものすごい偶然である。世の中には似ている人間が何人かはいると聞くが――プライムは心のざわめきをそのように解釈した。
「訊いているのはこっちよ!」
 女が鎌の切っ先をプライムに向ける。真っ直ぐにプライムを見ているようでいて、その目は不安定に揺れている。
「あんたほどの手練れなら、俺のことを知るには刃を交えるのが手っ取り早いと思うぞ」
 プライムも剣先を女性に真っ直ぐ向けた。鎌の刃と剣の刃が触れ、金属の擦れる感触が手に伝わる。それまで不機嫌だった女性は、フッと笑った。
「それもそうね、お前の言う通りだわ。ただし、それが分かるのはお前が死んだときよ」
 言うが早いか、女は大鎌を逆に持ち替え、柄の部分で突いてきた。プライムは咄嗟に剣ではじき、女の懐に入り込む。しかし背後に冷たい気配を感じた。大鎌の刃だ。もし彼女の獲物が槍であったなら、プライムの策は成功していたであろう。プライムは身をかがめ、刃が頭上を過ぎるのを確認してから飛びずさった。
 この感覚は初めてではない。過去の女性に似ているのではなく、彼女とはどこかで本当に会っているのかもしれない。
「流石だわ。でも、これならどうかしら」
 女が合図をすると、それまで待機していた亡者たちが一斉にプライムに襲い掛かった。プライムは舌打ちをした。
 ――背中は任せたわ。
 ああ、なぜ今、このよなことを思い出すのだ。ヨルダと出会ったからだろうか。隊商が盗賊に襲われたからだろうか。あのようなタイミングでゼリドが過去のことに触れたからなのか。今の八方ふさがりの状況がそうさせるのか。それとも、目の前にいる彼女が過去の人間に似ているからなのだろうか。
 プライムは、自分に掴みかかる亡者の手を切り落とした。その亡者の首根っこを掴み、女性に投げる。邪魔な亡者たちは全て女に投げるか、斬って砂にするか、どちらかの方法を取った。これにはたまらず、女も亡者を斬っていく。
 プライムは投げ出した亡者を盾に女に詰め寄った。一番近くに投げた亡者を深く斬る。同時に女も斬りつけているはずだ。その手ごたえは確かにあった。彼女が死ななければいいが――しかし出てきたものは女の叫びではなく、女の赤い血でもなかった。
「これは……」
 女は自分の傷口から流れる砂を見て、驚愕の表情を浮かべた。プライムも目を剥いた。女はすぐに自虐的に笑った。
「そう……そういうことだったの……」
 女もまた亡者だったのだ。そして彼女自身、今の今までそのことを知らなかった。彼女の言葉が演技でない限り、そう考えるのが一番自然である。女は一度鎌を振って、踵を返した。
「潮時ね。撤退するわよ」
「了解した」
 若い男の声がした。誰だ。ずっとそこにいたらしいが、全く気が付かなかった。亡者たちの足音にかき消されていたのか、それとも男が巧妙に気配を隠していたのか。なんにせよ、死者を蘇らせるなどということは、土の紋章術をつかわなければ不可能だ。そしてそれは、亡者であった女にはできない。生き血を提供していたのは、今の若い男なのだろう。そう、サミエルが亡者だと分かった時点で、なぜこのことを想像しなかったのだろう。
「ラファ、なのか……」
 これまで思い出そうとしてこなかった古く悲しい記憶が、脳裏を駆け巡る。
 彼女は――。

 ラファが撤退した。その報せをプライムが持ってきたのは、亡者たちが一斉に崩れて砂になった後のことだった。やはりラファが彼らを操っていたのだろう。
 シエルたちは亡者たちの置き土産を処理する手伝いをした。安全を取り戻した街の人たちと一緒になって。面白いのは、ハルーシャ王やラッシード王子、ウッディーナ公女までもが掃除に参加していることである。
 ケンもよやく隊商と合流し、いつもの鎧姿に戻っていた。見るからに動きづらそうで重そうで暑そうだが、鎧をお守りと呼ぶケンにはその方が落ち着くようだ。ヨルダたちも総出で掃除の手伝いをした。早く終わらせなければ、商売どころか休むことさえできやしないというのが彼らの言い分だが、おかげで掃除は早く終わりそうだ。
「だいぶ綺麗になってきたわね」
 休憩がてらに身体を反らしたクリムが、着た時とは全く違う印象の街並みを見ながら漏らした。
 掃除がひと段落したところで、ハルーシャがシエルたちを呼び集めた。
「プライム、ラスタ、シエル、ケン、それにクリム。今回のことは、本当に感謝している。ありがとう。その礼と言ってはなんだが、街一番の宿屋を手配している。ディーナに案内させよう」
 シエルたちを代表して、プライムが恭しく頭を下げた。
「ありがとうございます」
「もしまたここに立ち寄ることがあったら、ぜひ王宮にも顔を出してくれ。ディーナはそれを望んでいるだろう」
 ディーナに目をやると、はにかんでいた。
「困ったことがわたくし、力になりますわ。古くから、憎しみは連鎖するものであるけれど、人を思う心もまた連鎖していくものだと、ここでは伝えられていますから」
 にこやかに笑うディーナに、シエルも微笑みを向けた。



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