アルネトーゼ

#20.再会


 夕焼けに染まった町からは、先ほどまで街を覆っていた砂がほぼなくなっていた。ごみ事情が落ち着き、住人たちはせかせかと働き始めている。屋台の準備をする人、看板を立て直す人、大道芸の会場設営に勤しむ人――これらの準備が落ち着いた頃には、この街も普段の活気を取り戻すことであろう。そんな光景を眺めながら宿屋に向かうシエルたちの前を、ディーナが軽やかな足取りで歩いている。ハルーシャ王がシエルたちのために用意するよう命じた宿屋へと案内してくれているのだ。ディーナはそれらしい大きな建物の前で立ち止まり、シエルたちを振り返った。
「ここですわ。街一番の宿屋『プンダーラ』と言いますのよ」
 案内された建物は、花のレリーフをあしらった洒落た看板が風に揺れ、二階のベランダからは色とりどりの花が覗いていた。聞くところによると、隊商から各地の花を仕入れているらしい。
「へぇ、洒落た宿だね」
「こちらはお料理も絶品なんですのよ。よろしかったら、このまま街を案内したいところですけど、わたくしもここへ戻ってきてすることが山積みですの。淋しくなりますが、皆さまとはここでお別れですわ」
 成人の旅から戻ってきたら街があの惨状なのだ、ディーナも忙しい中でよく見送りをしてくれたものだと、シエルは感心した。
「ここまで世話になったな。ありがとう、ディーナ」
「よしてください、シエル様。わたくしたちウィッセルベの人間が旅人をもてなすのは当然のことですわ。それに、あなたがたはわたくしにとって恩人で、大切な友人なのです」
 ディーナが差し出す右手を握る。ディーナはシエルの手を握ったまま、「ソッティ・オーバーソ―・ホートゥン」と告げた。耳慣れない言葉に首を傾げると、ディーナがクスクスと笑いながら答えた。
「遠い国から伝わる古い言葉で、『平穏と光があなたにありますように』と言います。旅の無事をお祈りするおまじないですの。ウィッセルベでは、この言葉を旅人に送りますのよ」
「そうか」
「ですから、わたくしから大切な友人のあなた方に捧げますわ。ソッティ・オーバーソー・ホートゥン」
「ああ。ソッティ・オーバーソー・ホートゥン」
 六人でその言葉を何度か唱えた。そしてディーナは名残惜しそうに、王宮へ戻っていった。それを見送り、シエルたちはプンダーラにチェックインした。
 それからすぐに、瑞々しい花の添えられたテーブルで食事を始めた。隊商の用心棒をしていた時も豪勢な食事をごちそうになったものだが、どれも保存食だった。そのため、果物などをふんだんに使った料理がこの上なく贅沢なもののように感じられる。
「メシがうまいってのは、いいもんだ」
 ケンが嬉しそうにがっついている。
「ケンにかかれば、どのようなものでもおいしく感じられそうですね。人生が華やかになるでしょう」
「ははは、違いない! ラスタもどんどん食えよ。この果物とか、ものすごくうまいぞ!」
「そうですね、食べられるときにしっかり食べるのがいいでしょう」
 ケンがおいしいおいしいと食べているオレンジ色の果肉は、滑らかな舌触りで美味だった。主人によると、マンゴーという、ウィッセルベの特産らしい。他にも黄緑色のブドウやイチジクなど、ウィッセルベでは様々な果物が豊富に採れるようだ。クリムも黙々と果物を食べている当たり、気に入ってい様子だ。
 その中で一人、プライムは上の空だった。彼にしては珍しい。
「プライム、食べないのか?」
「ん? あ、ああ……」
 間抜けな表情でシエルの方を一瞬見たけれど、すぐにまた上の空に戻った。シエルたちと離れた間に何かあったのだろうか。その表情は、何やら思いつめているようにも見える。しばらくして、プライムは決意を固めたように息を吐き、眉間に皺を寄せたまま口を開いた。
「頼みがある。ラファという女のことだが、俺に任せてくれないか?」
 プライムの目は悲しみに満ちていた。「えっ」とケンが素っ頓狂な声を上げる。
「プライムってもしかして、ラファってやつを知ってるの?」
 ケンの問いに、プライムは厳かにうなずいた。そして目を伏せ、口を開く。
「あいつは……ラファは、俺が昔愛していた、たった一人の女だ」
 その瞬間、シエルたちは食事の手を止め、視線をプライムに集中させた。

★☆★☆

 剣が空を舞う。プライムは尻もちをついた。それを見下ろすのは、自分よりも少し背の高い女性。少年だったプライムよりも年上の少女が、プライムの喉元に槍を突きつける。
「私の勝ち!」
「くっそー、なんで勝てないんだ! もう一回だ、もう一回!」
「何回やったって、今のあんたじゃ勝てっこないよ。それより、もう私お腹空いた」
「畜生! 今度は絶対勝ってやる!」
「はいはい」
 あはは、と笑いながら、ラファはプライムに背を向けた。しめた。プライムは落ちた剣を拾い背後からラファに襲い掛かった。しかしいつ気付いたというのか、足を引っかけられ、アッと思った時には視界が反転し、背中を強打していた。
「いってー……」
「だからまだまだだって言ってるの。私に勝とうなんて十年早いのよ」
 右手をヒラヒラと振ったラファは、スタスタと家の中に入っていった。筋肉が隆々というわけではなく、初見では少々きつい顔の可愛い女の子、という印象に過ぎなかったラファの、その体のどこにあのような力があるのか、プライムには見当もつかなかった。起き上がってかぶりを振り、プライムはラファの後を慌てて追いかけた。
 プライムはもともと隊商の商人夫婦の間に生まれた。小さいころは彼らについて色々な街や村を回っていたけれど、当時プライムは身体が弱く、しょっちゅう体調を崩していた。そんなある日、両親は「このままでは旅を続けることができない」と告げ、隊商が寄った村にプライムを預けた。その時預けられた先が、ラファの家だったのだ。今まで両親が迎えに来たことはない。
 両親は死んだものと思っている。なにしろ、幼いころこそ迎えに来てくれると信じて疑っていなかったけれど、音沙汰が全くないのだ。捨てられた――そう認めるのが悲しくて、自分が惨めに思えて、辛くなった。だから同じ決めつけるのであれば、死んだと思っていた方がずっと気が楽だった。
 そんなプライムを、年上のラファは元気づけてくれた。昔から武術が得意で、プライムにも教えてくれた。年が上であるということを差し引いても、ラファは強かった。
 やがてプライムは恋心を覚えた。村に立ち寄った旅芸人の女性に憧れたし、近所の優しいお姉さんの前では格好つけてみたりもした。そしてプライムの恋心は、いつしか自分よりも身体が小さくなったラファへと向けられていた。
 そんなある日、隊商と呼ぶにはあまりに小さな商人の集団が、村に怪我人を連れてやってきた。
「ぐぅ……」
 負傷している細面の男は、右目から血を流していた。自分と同じくらいの年齢だ。名はゼリドといった。聞けば、少々無鉄砲なことをやらかして、このような事態になったらしい。この状態では、彼が商人たちを守ることはできないだろう。
「このままでは旅が続けられません。どうか他の用心棒を雇える場所に着くまで、私たちの用心棒を止めてはいただけませんか?」
 商人は五人で形成されている。プライムには、一人でも彼らを守れる自信があった。
「いいだろう」
「ありがとうございます!」
「私も行くわ」
 横から入ってきたラファの言葉に、プライムは目を剥いた。商人もキョトンとしている。しかしラファはそれに動じることなく、胸を張って答えた。
「私が勝手に言いだしたことだから、費用は一人分で構わないわ」
 突然何を言い出すのだ。プライムは慌ててラファと商人の間に割り込んだ。
「しかしラファ」
「いいじゃないの。私、外の世界を見てみたいのよ」
「だがこれは道楽じゃない」
「分かってるわ。私だってふざけて言ってるわけじゃない。私の腕は、プライムも知っているはずよ」
 それを言われるとぐうの音も出ない。ここしばらくラファに闘いを挑んではいないけれど、ラファが強いことは折り紙つきだ。
 プライムがラファに挑まない理由――それはラファの言葉にある。
「私をモノにしたければ、私を倒すことね」
 美しい顔立ちのラファに求婚する村人や、旅商人はそれなりにいた。けれどラファは、そういったことにうんざりしていたのだ。プライムもラファを女性として意識していたけれど、ラファはそう簡単に負けないだろうと思って安心していた。実際、ラファに勝てた男は今のところ存在しない。それ以上に、彼女を想うゆえに、力で従えるような真似はしたくないのだ。
 ラファは自分の腕に自信を持っているし、それに見合う達人であることをプライムも知っている。だが悪い予感が拭えず、村に残ってほしかったが、うなずくより他に道はなかった。彼女を説得する材料は皆無だった。
「話はお決まりですか?」
「はい。私とプライム、二人で護衛いたします」
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
 商人は何度も頭を下げた。これがプライムとラファの悲劇の始まりということなど、誰一人として知る由もなかった。

★☆★☆

「その後、俺とラファが用心棒を引き受けた小さな隊商は、休憩に入ったキャラバンサライで盗賊団に襲われた。そいつらの規模が小さければ、俺たちは負けなかったろう。だが、数に任せた盗賊団だった。ひとたまりもなかったさ。商品は略奪され、商人たちも殺された」
 必死になってそのざまだったのだと、プライムは語る。
「その最中、ラファは死んだ。俺のせいでもあった。俺が他のことに気を取られているその隙に俺を捉えた攻撃から庇って、あいつは死んだんだ。俺は落ちていた商品で盗賊たちを殺した。皆殺しにした」
 商品は、当時は高価だった紋章剣だった。それをプライムは、殺戮に使った。
「気づいたときには、誰も立っていなかったんだ。そこにいたヤツら全員、俺は問答無用に殺した。そりゃ、相手が悪いのは明白だ。だが、これは俺の罪だ」
 プライムはゆっくりと目を開け、険しい表情のまま両の掌を見た。
「今でも思い出せる。あの時の虚無感と、むせ返るような血の臭いと、変わり果てた無数の死体と――。そう、何も残らなかった。その場所にも、俺の中にも。だから俺は、あいつの墓前で〈殺さずの誓い〉を立てた」
 再びシエルたちを見回す。
「そうすれば購えると思ったわけではない。俺が背負った業は、そんなに軽いものではない。クリムも言っていたな、仕方のない死など存在しないと。本当にそうだと思うのだ、俺も。あいつが何に対して復讐したがっているのかがはっきり分かるわけじゃないが、あいつは自分の弱さを許せない人間だった。もし本当にあいつが復讐を望んでいるのであれば、俺の業を背負っているのではないかと思うのだ。だから、ラファのことは俺がこの手で終わらせたい」
 プライムの表情は真剣そのものだった。シエルは何も言えなかった。いい加減なことを口走りたくなかった。だがそんなシエルを後目に、ケンがいつも通りの笑顔をプライムに向けた。
「俺はプライムに任せるよ。復讐だとか、業だとか、そういうのはよく分からないけど……それが本当だったら、ラファはプライムが迎えに来るのを待ってるんじゃないかって、そんな気がするんだ。だったら、プライムが行くのが一番だと思う」
 気楽そうに述べるケンに毒気を抜かれ、その場に朗らかな空気が流れた。
「そうね。こういうことは、本人の手でしか決着がつけられないでしょうし」
「そうそう」
 いつの間にやら、クリムとケンも息の合ったコンビになっている。シエルも彼らに異論はなかった。ラスタもすっきりとした顔で微笑んでいた。プライムはシエルたちを見て、目を伏せた。
「礼を言う」
 話が一通りまとまったところで、食事を再開しようとライチに手を伸ばした時だった。
「では、あの時ラファ以外に復讐者がいたということでしょうか?」
 手元のパンを千切りながら、ラスタはプライムにこう投げかけた。シエルは違和感を抱いた。
「え?」
「今のプライムの話からすると、ラファは死者です。それは間違いありませんね、プライム」
「ああ。この手で火葬したのだから間違いない」
「それならば、紋章術でも使わない限り、ラファが生きて地上で活動するということは不可能だと思うのです。紋章術には、生き血が必要ですから――」
 プライムは渋い顔をした。
「そういえばあの時、聞いたことのない男の声を聞いたな。若い男だ」
 シエルも目を閉じて、ラファと交わした言葉を思い出そうとした。
「そうだよ。あいつらがここを襲う理由なんか、はっきり分からないんだ。もしアリアーヌの記憶を継いでいるのであれば、あいつらの憎しみはリーフムーンに向けられるはずだからな。あたしもアルネトーゼとはすでに無関係だ。でもあいつは言ったんだ、あたしに会いたがっている奴がいるって」
「どういうことだ? シエルには心当たり、ないのか?」
「復讐者だぞ。恨まれる心当たりは嫌と言うほどあるけどね」
 キョトンとするケンにそう言い放ち、シエルはグァバを絞ったジュースを飲み干した。


 シエルは商店で売っていたヤシの実ジュースを飲んでいた。これに似たものはリブル島でも見たことがあるが、口につけようと思ったことはなかったどちらかというと、リゾート気分を味わうための観賞用だったのだ。
「シエル、それうまいか?」
 ケンが覗き込んできたので、シエルは自分が味わっているヤシの実をケンの目の前まで持って行った。ケンがキラキラと目を輝かせてそれを口にしようとする――シエルはそれを素早くケンから遠ざけた。
「あー! シエル、嫌らしいぞ!」
「あっはっは、誰がタダでやるもんか。ほら、そこに売ってるだろ」
「くっそー、いつか一泡吹かせてやる!」
 悔しがるケンをよそに、シエルはヤシの実ジュースをすすった。ヤシの実以外にも、活気を取り戻した通りにはたくさんのものが売っていた。それらの多くは隊商が運んできたもので、店の人が隊商から買い取ったものを出したりしているようだ。
「おいお前たち、そんなくだらない喧嘩をしている暇があったら、ラスタの手伝いをしたらどうだ?」
 大荷物を抱えたプライムが呆れたように溜息を吐く。シエルとケンは互いに肩をすくめた。その様を見て、クリムが一言。
「大きな子どもが二人もいるわ」
 クリムにぴしゃりと言い切られてしまえば、反論する気も起きやしない。
「いいのです、プライム。この中で交渉術に長けているのは、私とプライムくらいのものですから」
「それもそうだ。シエルやケンに任せたりしたら、それこそ法外な値段をふっかけられそうだ」
「うるさい、聞こえてるぞ!」
 プライムのことは心底否定できなかった。なにしろシエルは、リブル島を出るまで「モノを買う」ということを一切せずに生きてきたのだ。そういった事情でシエルが買い物をするということはほとんどなく、結局シエル自身の交渉スキルを磨く機会がないのである。
「まあ、いつかは必要になるでしょうからね、意地悪ばかり言っていないで、そのうち教えてあげましょう、気長に」
「物覚えが悪そうだからな、気長に、だな」
「だから聞こえてるんだよ、クソジジイども」
 ラスタとプライムはシエルの厭味を聞き流している。そうやって騒ぐ人たちとは無縁だと言わんばかりに、クリムはハーブの交渉をしている。
「クリムは、ハーブのこととなると何でもできるんだな」
 思わず感心するケンを、シエルは後ろから小突いてやりたくなった。
 昨夜、プライムの話を聞き終えたころには、すっかり日が沈んでいた。ウィッセルベに到着してからと言うもの、亡者たちと戦ったり、亡者たちの後始末をしたりしていたために、シエルたちには心身ともに休まる暇もなかった。そこにプライムのカミングアウトとくれば、あとは本能に身を任せて身体を休めるしかない。
 ハルーシャ王お墨付きの〈プンダーラ〉にてゆったりと夜を明かしたシエルたちは、これからの旅のために調度品を揃えるべく、街に出た。クリムなど、街の人の治療にあくせくしていたために、手持ちのハーブが底をついていたのだ。しかしそれが何に作用するか分からなかったもので、身を粉にして働いたクリムに街の人たちが感謝して、クリムの姿を見るなり、たくさんおまけをつけていた。復讐者がどこを根拠地としているか分からない今、いかほどの旅路になるか見当もつかない。備えはあるに越したことはない。
 ヤシの実ジュースを飲み終えたシエルが、それを捨てる場所を捜していた時だった。
「やっと見つけた、シエル!」
 シエルの耳に、女の声が飛び込む。聞き間違えるはずのないしわがれた声――それは、リブルにいるはずの仲間のものであった。
「サリ! それにイル? お前たち、なんでこんなところに……」
「シエル! ユーノが、クリムゾンテイルが!」
 覆面で口許は分からないけれど、目や口調やその様子から、ただごとではないことは明らかであった。
「ちょっと待て、落ち着け。まず深呼吸だ。それじゃあ何を言っているのか分からないぞ」
「シエル、クリムゾンテイルは事実上解散した。それでユーノが……っ!」
「何?」
 興奮しているサリの代わりにイルが告げる。クリムゾンテイルが解散した。その言葉を耳にしただけで血の気が引いていく。恐ろしいくらいに自分の動悸が鮮明に、大きく聞こえる。だがシエルは平静を装うべく、ゆっくりと唾を呑み下した。
「詳しく聞かせてくれ」
「勿論だ」
「話が長くなりそうだったら、一旦プンダーラに戻ろう。ここで話すことでもないだろう」
 プライムが提案するその声が、嫌に遠く聞こえた。

 プンダーラに入り、イルとサリは水を喉に流し込むことで心を落ち着けたようだった。客室のソファにそれぞれ腰をかける。シエルはイルとサリと向かい合った。
「で、何があったんだ?」
「ああ。シエルがリブル島を発ったあと、ユーノはアルネトーゼの手がかりをどうにか探そうとして、遺跡を調べたりしてたんだ。でも何も分からなくて、サンティスのところに行って本を読み漁り始めた」
 イルの口にした名前には聞き覚えがある。
「ウェルダー家だな」
「ああ。サンティスを襲わない代わりに、書庫に入れてくれって頼んでな。あのユーノさんがだぜ?」
 シエルは眉をひそめた。標的にそのような頼みごとをするとは、ユーノらしくない。
「それで仕事もロクにしないし、他のヤツらはクリムゾンテイルを見限って、島から出て行っちまった」
「そこまではいい。問題はそのあとなんだ」
 話が進むごとに、イルとサリは息を荒げていた。冷静さを欠いている。シエルは二人に水を飲むよう促した。イルとサリはコップの水を一気に飲み干し、話を続けた。
「最後に遺跡に入った後、ユーノさんは先に行けって言ったけど、俺たち見ちまったんだよ。ユーノさんが得体の知れないガキに絡まれててさ、いや、ガキに絡まれてたこと自体はどうでもいいんだ。そのガキが重要なんだ」
「は?」
「だから。そいつ、名前は忘れたけど、自分のこと復讐者って言ってたんだ」
 その子どもの名前を忘れてしまったイルに、サリが「リンだよ、確か」とフォローを入れる。
「復讐者? リン?」
 どこかで聞いたことのある名前だ。シエルは思い出すのをやめて、二人に続きを話させた。
「そいつがアルネトーゼがどうとか言ってて」
「そう。知りたければ自分たちと来い、みたいなことをユーノに言ったんだ」
 悪い予感が止まらない。続きを聞くのが怖い。だがその気持ちを抑え、「続けて」と二人を促す。
「その時はユーノさん、首を縦に振らなかったから安心したんだけど、そのあとサンティスが初代当主の日記とかいうのを見つけて、ユーノさんそれを読んで……」
「それから様子がおかしいって思ってあとをつけたら、あのガキと一緒に行動してやがる! なんだって聞いたら、シエルのためだって! あいつ、シエルのためだとか言って、自分も復讐者になったなんて言いやがったんだ!」
 半ば取り乱すようなサリの叫び声に、シエルは目を見開くより他なかった。


 ――あたしの帰る場所、なくなっちまったんだ。
 シエルは独りで街を歩きながら、イルとサリの話を反芻していた。
 クリムゾンテイルが解散してしまったことも悲しかった。けれどそれ以上に衝撃的を受けたのは、ユーノが復讐者に下ってしまったことだ。それも、原因はシエルだというのだ。
 ――あの時見たユーノの幻は、自分の中にある不安だ。杞憂だと思っていた。でも、本当のことになっちまった。あたしが遅すぎたんだ。
 あの二人によれば、ユーノはこの近くにいる可能性が高いらしい。ウィッセルベに亡者が溢れた事件も、ユーノが一役買っていたというのだ。ラファの協力者はユーノだったのかもしれない。
 だからシエルは、ユーノを一人で捜すことにした。ユーノに会ってどうするのか、どうしたいのかは分からない。会ったからといって、何もかもが元通りになるわけでもない。しかし近くにいるのであれば、会いたかった。会って、一言謝りたいと思った。
 突発的かつ感情的な行動であることは否めないが、誰も巻き込みたくなくて、誰にも何も告げずにプンダーラを飛び出した。これまでに色々な人間を巻き込んでいるから、これ以上は――そう思っていた。
 もしユーノとの再会を果たすことができたなら、そのまま姿を消そう。自分が旅をする目的も意味も失われた今となっては、アルネトーゼがどうなろうと関係ないことだ。そうして無気力に歩いている時だった。
「シエル!」
 自分を呼ぶ声に振り返ると、イルとサリが鬼のような形相でシエルに特攻した。シエルはすんでのところでそれを避けた。
「なんだ? あんたたち、なんで……」
「なにやってんだよシエル! なんで何も言わずに行っちまうんだ!」
「格好つけてんじゃねぇ! 『全部あたしのせいだから、あたしが責任を取ります』ってか? ふざけんな!」
 サリとイルの怒声がシエルの鼓膜を貫く。耳を塞いでしまいたくなった。それはどちらかというと、耳に痛いことを言われている感覚だ。
「ユーノさんが大事な仲間なのは、俺たちだって同じだ。一刻も早くユーノさんを見つけたいのだって、俺たちも一緒なんだ!」
「ユーノとは、あんたよりもあたしらの方が付き合い長いんだ、そいつを忘れるんじゃないよ」
 そうだ。シエルがクリムゾンテイルに入るよりずっと以前から、ユーノはこの二人とつるんでいた。だがそれは建前だと、シエルにはきちんと分かっていた。
「お前たち」
 そんなシエルたちに、いつものようにケンが「俺たちも捜すよ」と持ちかける。
「シエルの相棒なんだろ? 大事な仲間なんだろ? 俺たち、助けになれないかな」
 イルやサリと一緒に、ケンたちも追って来たらしい。そこに全員揃っていた。
「話は聞いたわ。顔に大きな刃傷のある男の人なら、すぐに見つかるわよ。その上真っ赤な髪なんて、珍しいじゃない」
「手分けをすればすぐに見つかるさ。昨日はこの街にいたはずなんだ、そう遠くには行っていない」
「私もユーノとは面識がありますので、きっと見つけられます」
 ラスタたちの口をついて出る言葉に、シエルは思わず微笑みを浮かべた。本当に皆、お人好しだ。そうでなければ、シエルと共に旅をすることも、当初の目的を果たしたシエルと旅を続けることもなかっただろう。
「馬鹿だな。あんたたちは本当、大馬鹿野郎どもだ。けどそういうの、あたしは嫌いじゃないよ」
 シエルは溢れそうになった涙を必死に堪えた。自分はこっそり姿を消そうなどと思っていたことは、すっかり消え失せていた。



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