黎明の女王
#02.初陣
「何ですって!? ダレオ様、それは一体どういうことなのですか!」
レイノールの不服そうな叫び声が、ドロアプールの屋敷にこだました。白い髪が今にも動きだしそうなほど、レイノールは怒っていた。
「今申した通りだ。ジェラ殿を我らの新たな主に据える」
冷静に答えるダレオに、レイノールは髪を振り乱している。今にも掴みかかりそうな勢いだ。
「そういうことではありません、ダレオ様。なぜあなたが上に立たないのですか? あなたはドロアプール様の親友だった。兵たちの信頼も厚いでしょう。なのにこのような、戦の道理も分からぬ小娘を我らの主に据えるつもりなのですか!?」
「小娘だと!?」
レイノールの怒声を凌駕する声で、ダレオが吠えた。
「口を慎め、ジェラ殿はドロアの娘だ! そして我らの新たな主だぞ!!」
「しかし、私が忠誠を誓ったのはドロアプール様の娘ではありません。それは多くの兵たちが思っていることでしょう」
「ならば、ジェラ殿が勝利を納めれば不満はあるまい」
「ダレオ様、貴殿はジェラノール様を傀儡にでもする気か!」
レイノールの言葉を受け、ジェラノールは声を張り上げた。
「ダレオ様を愚弄することは私が許しません!」
正直な話、レイノールの言葉は正しいと思っている。ダレオにその気がなかろうと、周囲の目にはそのように映るだろう。それに、ダレオの言葉がなければジェラノールが自ら立ち上がるなどあり得ないことだった。それでも、ジェラノールは退けなかった。
父の跡を継ぐよう仰ったのは、確かにダレオ様です。しかし、首を縦に振り髪を切ったのは、紛れもなく私の意志です。私には戦の知識は全くありませんが、生命をかける覚悟はできております。それだけはどうか分かって下さい」
「あなたのような若い人が、簡単に生命をかけるなどと言ってはなりませんぞ。若者は、全てが終わった時、大地を活気づける力となるのですから」
レイノールは「それに」と付け加えた。
「ジェラノール殿。髪を切ったからと言ってすぐにでも戦えるようになるかもしれないというのは、甘い考えです。そんなことは不可能なのです。それでもあなたは、お父上の代わりになると仰るのですか?」
諭すように語るレイノールに、怒り狂っていた面影は一切残っていなかった。先ほどの叫びの応酬とは違った緊張感がジェラノールを襲ったものの、それを面に出さぬよう、ジェラノールは背筋をピンと張った。
「ええ、レイノール様の仰る通りですわ。何を言おうと、私はきっと戦場がどれだけ恐ろしいところなのか、想像するしかできないのです。そんな私が父の代わりとなろうはずはありませんし、私ではすぐにでも死んでしまうでしょう。でも、誰も上に立つことができないというのなら、私が立つしかないのです。今私にとって大切なことは、父の想いを無駄にしないことですから」
「それこそお父上の望まれなかったことです。ドロアプール様はあなたの幸せを願っておいででした。最後の瞬間まで。あなたが戦場に立って死に臨まれることなどではなかったはずです」
「それでも私は、父の跡を継ぎます。父が私の幸せを願っていたことは私とて充分存じておりますわ。しかし父の望みがかなわなければ、私の幸せなど、到底あり得ないのです」
「何を申しても、もう後戻りはなさらないのですね」
レイノールの真っ直ぐな視線が、ジェラノールを射抜く。怯みそうになりながらも、もう後には退けないのだと自分に言い聞かせ、力を込めて頷いた。
「一度口にしたことです。意志を曲げることはできません」
「では、あなたのお父上が失った前線を回復してください。そうすれば、私はあなたに忠誠を誓います」
その瞬間、ジェラノールの全身の血が止まったような気がした。そうだ、そのようなところに立っているのだ。ようやく実感がわいた。
「レイノール殿、無茶を申すな! ジェラの殿はあくまでもわれわれの象徴だ!!」
「いいえ、ダレオ様。やりましょう。レイノール様が仰ったこともできないようであれば、私はレイノール様どころか、皆さんの信頼も得られないでしょう」
「簡単なことではないぞ」
ジェラノールは精一杯、うろたえていないということを示すために微笑んだ。
「分かっております。百戦錬磨の父にできなかったことが、この素人にできる道理などありません。だからダレオ様、あなたのお力を貸してください」
微笑んで、頭を下げたジェラノールを目の前にして、ダレオも頭を下げた。
「すまんな、ジェラ嬢。俺は決してあなたを前線に立たせようなどとは思っていなかったのだ」
「いいえ、頭を上げてください、ダレオ様。しかし父は前線に立っておりました。私も立たなければ、父の代わりを務めるなど、到底できません」
「ジェラ嬢、これを」
「これは?」
「あなたの紋章剣だ。ドロアがジェラ嬢のために作らせていたそうだ。昔は俺もよく剣術の稽古をつけていたものだからな」
ジェラノールはダレオの手から剣を受け取った。刃の中央には古代文字が刻まれている。使い方は父から聞いて知っていた。
昔、父に剣を教えてもらった。ジェラノールが勝気に育った原因の一つだ。父やダレオに稽古をつけてもらったものだ。
『しかし、みるみる上達するものだな、ドロア。子どもはなんでもすぐに吸収するから、いやはや末恐ろしいぞ』
『言ってくれるな、ダレオ。子どもだてらに剣を振るう顔は戦士のものだから、嫁に行けるか気が気でならんのだ』
『はっはっは! 違いない! そういえば、ジェラ嬢はなぜ剣をしたいと言い出したのだ?』
『格好いいからだそうだ』
『いいものだなあ。子どもはやりたいことに理屈をこねずに済むから』
『そうだな』
父とダレオの会話を思い出しながら、ジェラノールはその通りだと思った。理由がないと戦えないから。自分だけではなく、周囲が戦うことを認めないだろう。上に立つ者ならばなおさらだ。
ジェラノールは剣を大事そうに抱え、ダレオに笑顔を向けた。
「父の形見なのですね。ありがとうございます、ダレオ様」
「ドロアが……その剣が、きっとジェラ殿を守ってくれる」
ダレオがとても穏やかに微笑んでいたのも束の間、すぐにジェラノールが見たことのないような表情になり、ヒヴァル軍に打ち勝つ策について話した。
ジェラノールは少数精鋭部隊を連れ、前線から南下したところに身をひそめていた。ジェラノールの側には、ドロアプールに忠誠を誓っていたヴィクターという武人が付いていた。彼はドロアプールやダレオのように快活ではなく、常に仏頂面を引っさげている印象の武人である。
ヴィクターはジェラノールがドロアプールの代わりを務めるということに何も言っていなかった。言うどころか、その表情をぴくりとも動かさなかったから、ジェラノールにはヴィクターが何を考えているのか分からない。ただ、ジェラノールに着いてきてくれているから、よほどのことでもない限り見捨てはしないだろうと、ジェラノールは考えていた。
ダレオと話し合った策は、こうである。現在ジェラノールがドロアプールの跡を継いだことは正式なものではない。もし存続するのであれば、ダレオが継ぐと考えられているだろう。だから、ダレオとレイノールが真正面から攻撃を仕掛け、その間にジェラノールとヴィクターらが約30人程度の少数精鋭を連れ、ヒヴァル軍の将軍モーリスの首を取るという算段である。
モーリス隊の規模は1000人程度である。正面からぶつかるダレオ隊は約700人。いい勝負ができるとは思えないというのがダレオの意見である。詳しいことはよく分からないが、ざっと聞いただけならばジェラノールもダレオと同意見であった。それにカテ族もいる。彼らがヒヴァル軍についているのだから、注意を配らねばならない。
ジェラノールにそのような大役が務まるのかという不安はもちろんあった。ただ、ヴィクターがいる。だから大丈夫。そんな根拠のない自身だけで、ジェラノールは戦場に立っていた。
「そういえば、ジェラノール様」
ヴィクターが突然、低い声でジェラノールに話しかけるので、ジェラノールは驚いてヴィクターを振り返った。
「ダレオ殿から言伝です。突撃の合図はご自分の判断にお任せするとのことです」
それを聞き、ジェラノールは苦笑した。自分がジェラノールをリーダーに仕立て上げたにもかかわらず、ダレオさえもジェラノールを試しているのではないか。だが、突撃のタイミングについて説明は充分に受けた。それでもうまくいかないのであれば、ヴィクターを含む少数精鋭部隊は全滅だろうし、たとえ生きて帰れたとしても、ジェラノールのは本当にお飾りになってしまうのだろう。それではおそらく、亡き父も悲しむことであろう。
「分かりました、ヴィクター様」
ジェラノールが前線基地の方角に視線を戻したころ、遠くから雄叫びが聞こえた。
始まった。遠いようで、近い場所だ。ジェラノールは今まで、戦の音を聞いたことがなかった。少なくともジェラノールの世界に、このような音はなかった。だから、身体が震えた。父ドロアプールが生命を賭して築き上げたものなのだ。
ジェラノールは目を凝らしていた。すると、前線基地から火が上がった。ダレオからの合図だ。小さいが、はっきりと分かった。
「突撃!!」
声を上げる。ジェラノールの号令を後押しするかのように、兵たちの低い声がとどろく。30人とはいえ、威力は絶大だ。
ジェラノールらに気が付いたらしいヒヴァル軍の兵がなだれるように走ってきた。
怯んではならない。怖くない。怖くない。自分にそう言い聞かせ、ジェラノールは父が残した紋章剣を抜いた。
紋章剣の使い方は知っていた。剣に刻まれた紋章に血を塗り付け、呪文を唱えればいい。その通りに、紋章剣に炎を纏わせた。火を纏った紋章剣は驚くほど軽く、研ぎたての包丁で食材を切るように、最初に接触した兵を斬った。
何が起きているのだろう。ただ、剣を振っていた。血しぶきが飛ぶ。私は今何をしているのだろう。腕がだんだんと重くなる。私は今、何をしているのだろう。
ああ、皆このようなところを駆けていたのか。父はこのようなことを繰り返していたのか。そう考えると吐き気がした。だが、もう止めることはできないのだ。やるからには、最後までやらねばならない。それは髪を切った時に決意したはずだ。
その時だった。周囲の兵たちが、敵や味方の別なく離れた。ジェラノールの目の前には、兵たちとは違う格好をした、恰幅のいい男が立っていた。
「そなたを名のある将とお見受けする。我が名はモーリス=ウォーズリーである」
この男がモーリスなのか。厳つい顔つきを見ながら、ジェラノールは剣を構え直した。
「私はジェラノール=リーフムーン。亡きドロアプールの遺志を継ぐ者です」
「いざ、尋常に勝負!」
「ジェラノール様!」
ヴィクターの叫び声を聞く前に、ジェラノールは動いていた。何が起きたのか、彼女自身にもよく分かっていなかった。ただ、気がつけば、ヒヴァル勢力が恐慌状態に陥っていた。ジェラノールはその様子を呆然と見ていた。
「ジェラノール様、号令を。あとは押し込むだけです」
「え、ええ」
「あなたは敵将を見事倒されたのだ。この勢いを逃す手はありません。さあ」
「分かりました。全軍、突撃!」
ジェラノールの掛け声で銅鑼が鳴る。けたたましい足音が周囲の声を遮った。
剣には血がついていた。紋章剣なのだから、ジェラノールの血もついているだろう。だがそれ以上に、べっとりとついているのは、目の前で転がっている敵将の血なのだ。
彼だけではない。ジェラノールはここで、多くの兵たちを殺した。何かに憑かれているかのように、身体が勝手に動いた。生命が惜しかったのかもしれない。死んだ父親が守ってくれたのかもしれない。それは今のジェラノールには分からない。
だが、確実に人間を葬ったという事実は変わらない。そして、剣を持った手にその感触が残っている。そのことを考えると、今にも胃の中身を吐きそうだった。だが、まだ終わっていない。前線を回復する。そのことだけを考えなければならない。
どうしてだろう。なぜ今不快に感じないのだろう。ぶつかり合う金属の音や、密集した人の臭い、むせ返るような鉄の味――不快なものが溢れているために、感覚が麻痺しているのだろうか。もう自分が歩いているのか走っているのか、立っているのかさえ分からない。呼吸はしているのだろうか。ちゃんと目を開けているのだろうか。それでも、大きすぎる自分の鼓動だけはしっかりと聞こえていた。
「ジェラノール様、お約束通り、私はあなたに忠誠を誓います。あなたは我が主です」
屋敷に戻ったジェラノールの前で、レイノールが嘘のように頭を垂れている。だが、それすらも夢か幻のようであった。自分の声さえも遠くに聞こえるまでに。
「ありがとうございます。これもあなたが私に策を授けてくださったからですわ」
「だがご決断なさったのはジェラノール様です。我らを信じ、迅速にご決断なさったからこそ、今回の勝利が得られたのです。それはあなたの功績です。誇ってよいことなのです。どうか顔を上げて、胸を張ってください」
「はい」
その時、ジェラノールは信じられない光景を目の当たりにした。なんとドロアプールに仕えていた者たちが、一斉に頭を下げていたのだ。それもジェラノールに向かってだ。その中には、ヴィクターらの姿もあった。
「これは……」
「皆あなたを主だと認めております、ジェラノール様。どうかこれまでのご無礼をお許しください。そして、これからは我らをお導きください。これは我ら一同の意思にございます」
「レイノール様」
ジェラノールは微笑みを浮かべ、ジェラノールに忠誠を誓う兵たちに「顔を上げてください」と優しく声をかけた。
「皆様の意思は分かりました。私は戦に関しては無知です。なので、どうか私を助けてくださいね」
「御意」
これは夢や幻ではない。父親が死んだのも、人を殺したのも、戦いに勝ったのも、全て現実なのだ。ジェラノールは口の中を噛んで、夢見心地から覚めようとした。血の味がした。