黎明の女王
#03.虐殺
それからというもの、快進撃が続いた。ドロアプールが大敗したことが嘘のように、リーフムーン軍は領土を伸ばしていった。南方から攻めていったリーフムーンに、ついに東の海岸が見えてきた。
「ここまで来たものだなぁ、ジェラ殿よ」
「はい、ダレオ様」
とんとん拍子に事が進んでいるとはいえ、ここまで来るのに三年かかった。短く切ったジェラノールの髪も、すっかり腰まで伸びている。ジェラノールは、長い髪を編み込み、邪魔にならないようまとめていた。ふと考えてみると、髪が伸びた分時が経っているのだと思い知らされた。
「このまま、ベニーズ地方をまとめられればいいのだが」
「できますわ。ダレオ様の統率力とレイノール様の策がそろって、できないことはありませんもの」
「それは買い被り過ぎというものだ、ジェラ殿」
「そうです、ジェラノール様」
レイノールがジェラノールの後姿に声をかけた。慌てて振り返ると、レイノールは苦笑いを浮かべていた。
「このように順調に事が進んでいる時こそ、警戒をしなければならないのです。気が緩めば、一気に崩れてしまいますからね」
「そうですね、気をつけますわ。それよりレイノール様、レイノール様がわざわざこちらにいらっしゃるということは、何かお話があるのではありませんか?」
「ああ、そうです。次の進路について提案があります。私の天幕に地図を広げておりますゆえ、ご足労願いたいと思い」
「そうですか。すぐに伺いますわ」
ダレオやレイノール、そして数人の有力者たちと共に、レイノールの天幕に入ると、レイノールの言った通り地図が広げられていた。レイノールは地図を指さしながら、説明を始めた。
「現在われわれが駐在しているのは、この地点です。ここから南東のこの半島、これはリブル半島です。これからここを攻めることを進言いたします」
「なぜです?」
「マテ族の件があるからです。リブル半島も現時点では中立を保っておりますが、仮にまた他の軍勢と手を組まれて背後を襲われては、ドロアプール様の二の舞になりかねません。なので、先手を打っておきます」
父親の名を出されて、ジェラノールは少しだけ眉根を寄せた。そのジェラノールに代わって、ダレオがレイノールに尋ねた。
「それはマテ族が戦いの手練れだったからでは?」
「リブル半島の住人達は、アルネトーゼという、彼らの神の加護を受けています。本当かどうかは定かではありませんが、脅威と見なしても問題ないかと」
「なるほど。分かりました。では、そういたしましょう」
「ありがとうございます。では、策の説明を――」
作戦会議を終え、レイノールの天幕から出ると、「ジェラノール!」とユルキに呼び止められた。ジェラノールは振り返ると、ユルキは険しい表情で立っていた。
「ユルキ、どうしたの?」
「また、戦いなんだろう? 次の戦いに父さんを連れて行かないでくれ」
「なぜ?」
「なぜって、君が僕の父さんを奪ってしまうんじゃないかって心配なんだ」
「そんな心配を? 大丈夫、そんなことはしないわ」
「どうしてそう言い切れる? 父さんは僕なんかより、君のことばかり心配している」
「妬いているのかしら」
意地悪く尋ねてみれば、拗ねたように「そうだよ」という答えが返ってきた。まさか本当にそうだとは思わなかったので、ジェラノールは呆れて、溜息を吐いた。
「ユルキ、それをダレオ様に言ったのかしら?」
「言えるわけないじゃないか、こんなこと……。だって父さんだから」
きっとダレオは今までユルキを甘やかしてきたのだろう。そうでなければ、豪傑になっていたと思われる。だがそんなダレオも、きっちりすべき時はきっちりしているの。だからユルキの願いが聞き届けられることはないのだ。
「そうよね、あなたはダレオ様のことをよくご存知だわ。だから、私がそのように言ったところで無駄だということも分かるわよね?」
「そうだけど……」
「ユルキ、あなたはすでに一人前の男性よ。なのになぜ、そんなにも父親にこだわるのかしら」
先日のように騒がれても困るので、ジェラノールは言葉を選んだ。ユルキはそんなジェラノールを一瞥し、面白くなさそうに唇をとがらせた。
「こだわってなんかいないさ。自分の父親のことを気にするのは、普通のことだろう?」
「そうね、その通りだわ」
ジェラノールは父親と最後に会った時のことを思いだしてしまった。やはりあの時のことを思いだすのは、辛かった。少し沈んだ表情を見せたジェラノールにハッとして、ユルキは頭を振った。
「ごめん。ジェラノールを傷つけるつもりで言ったんじゃないんだ、本当だよ。やっぱり、君からすれば、僕は父親にこだわっているように見えるのかい?」
「ええ、そうね」
「そうなのか。でも、分かっておくれよ。父さんは僕にとって誇りなんだ。強くて、たくましくて、力持ちで、豪胆で――自慢の父親だよ。僕の憧れで、目標なんだ。だから君に奪われないか心配なんだ」
「ならば、ユルキの誇りは?」
「え?」
「ダレオ様ではない、あなたの誇りはないの?」
「だから、僕の誇りが父さんだって――」
「こんなこと、あんまり言いたくはないのだけど、ダレオ様だっていつまでもあなたの側にいるわけではないのよ。それなのに誇りまで父親に依存していたら、あなたはいつまでたっても一人で歩けやしないわ。どんなに頑張ったところで、あなたはダレオ様にはなれないのだから」
自分で言って、自分の胸にも突き刺さっていくような感覚があった。おそらくは、ジェラノールも同じなのだ。父親が死んでまで、父親の名前に、父親の立場に、父親の人脈に依存しているのだから。そう、ジェラノールがどれほど努力しようとも、ドロアプールにはなれないのだ。
ジェラノールの心は露知らず、ユルキは眉尻を吊り上げた。
「また僕を馬鹿にする! どうしてジェラノールはそういう言い方をするんだい? 君はどれだけ僕の顔をつぶせば気が済むんだ!」
「馬鹿になんてしていないわ。あなたこそ、どうしてそんな風に思うの? それではただの駄々をこねている子どもだわ」
「また――」
「ジェラノール様!」
レイノールの声がユルキが何かを言おうとするのを遮った。
「ごめんなさい、ユルキ。続きはまた戻ってからにしましょう」
ジェラノールは、困ったように笑いながら、少しだけ安堵していた。これ以上ユルキと向き合っていると、自分の中の知りたくない感情と直面しそうな気がした。
南へと馬を進ませながら、ジェラノールは腑に落ちなかった。
ドロアプールが生命を落としたのは、マテ族が裏切ったからだ。それには違いない。そしてマテ族は、一人一人が強い民族である。しかしリブル半島にそのような人たちが住んでいるとは聞いたことがなかった。
とはいえ、何者であろうと、背後を突かれたり挟撃されたりすれば痛手を被ることは確かであろうから、そういった事態は避けねばならない。それに、アルネトーゼという存在も気になるところであった。信仰は時として予想もつかない力を発揮させる。その力に突き動かされた人たちと戦うことがあるとするならば、厄介なことこの上ないだろう。
そこまで考えて、何を疑問に思っているのだろうと、ジェラノールは頭を振った。今までレイノールは何も間違っていなかった。レイノールの言うとおりにすれば事はすんなりと進んだし、戦いだって負け知らずだ。だから今回だって間違っていない。何も間違ってなどいないのだ。ジェラノールは自分にそう言い聞かせ、顔を上げた。
「ジェラノール様、進攻の合図を」
「分かりました」
ジェラノールはレイノールの指示通り、声を上げた。それに合わせて銅鑼が鳴る。後ろに待機していた兵士たちが、うねるように動く。これを指揮しているのは、ジェラノールではなくダレオだ。ジェラノールには統率能力などないのだから。それなのになぜここにいるのだろうか。それを考えたことはなかった。ただ、今いるから、レイノールの言うとおりにするだけだった。
うねりは一直線に集落へと向かっていく。あそこに人が住んでいるというリアリティが、ジェラノールからは消えていた。何故だか、戦場に立っているということさえ嘘のようであった。これが初めての戦場ではないというのに。
「ジェラ殿、気をしっかり持たれよ。それでは生命を落とすことになりますぞ」
背後からのダレオの忠告に、ジェラノールはハッとした。
「申し訳ありません、ダレオ様。私は大丈夫です」
しっかりしなければならない。私は皆の上に立っているのだから。成り行きだろうが、自分の意志でここにいるのだから。
ジェラノールは自分にそう言い聞かせ、手綱を握る手に力を込めた。そして進路を見つめる。
どうして今までそのようなことを考えたことがなかったのだろう。なぜ突然、このような思いが自分に生じたのだろう。考えても分からない。分からないから、レイノールの指示に従った。レイノールは正しいから。レイノールは間違えないから。レイノールならば――。
考えることを放棄すればいい。何も考えなければ、悩むことだってない。悩まなければ、間違えない。だから、何も考えずに、レイノールやダレオにだけ従っていればいい。そうすれば、自分が間違えることなどないのだ。
目の前が炎に包まれても、誰の叫び声が聞こえても、ジェラノールは言い聞かせた。自分は間違っていないと。間違いなどあり得ないのだと。
「くそぉ、よくも村のみんなを……!」
背後に何者かの気配を感じた。ジェラノールが咄嗟に剣を振る。斬った。
何者かはまだ小さな少年だった。彼は断末魔を上げながら地面に転がった。剣には血がこびりついていた。手が、全身が震える。頭から血の気が引いた。
――私は、こんな少年を殺してしまったというのか。
少年は憎しみに満ち満ちた目にジェラノールを映していた。このようなことをしているのは、憎まれるためでも、小さな集落を蹂躙するためでもなかった。ただ、亡き父の志を継いだだけなのに、なぜこのようなことになるのだろう。
ジェラノールは叫びたかった。腹の底から、魂の奥深くから、力の限り、喉がつぶれてしまうまで叫びたいと思ったが、叫べなかった。なぜそんなことができるというのだろう。
「む、息子を返せ!!」
戦士とは似ても似つかない男が襲ってきた。ジェラノールは叫びたい衝動を抑えたまま、男を斬った。男はなすすべもなく、血を流しながら倒れた。自分が殺した少年の父親だったのだろうか。
この村は、本当に脅威になり得たのだろうか。こういったことに関しては素人なので、レイノールの考えがあるのだろう。それでも、ジェラノールが殺してしまった少年や男が、後々脅威になるとは考えにくかった。
その時、石造りの家の中から女性が現れた。女性はリブル半島には珍しく、髪も肌も真っ白で、真っ赤な目をしていた。ジェラノールはその女性が怖かった。逃げたいと思った。そして次の瞬間、女性の周囲にいた人たちが断末魔を上げて倒れた。何が起きたのかは分からないが、女性が何かしたのかもしれない。これ以上ここに留まるのは危険かもしれない。分からない。何も分からなかった。
そんなジェラノールの許へ、ダレオとレイノールが駆け寄った。
「状況が悪うございます。お逃げください、ジェラノール様!」
「し、しかし」
「私のような軍師も、兵を統率できる将軍も、たくさんいるでしょう。しかし兵たちのよりどころとなるのは、ドロアプール様の遺志を持っているのは、あなただけなのですジェラノール様。ここは私とダレオ様に任せて、早く!!」
レイノールに同意しているダレオが、力いっぱい馬の尻を叩く。馬はいなないて駆けだした。
「ダレオ様、レイノール様!」
なぜだ。なぜ皆、自分に生きろと言うのだ。
生きるのは、辛い。どんな罪を背負っても、どんな窮地に立たされても、ジェラノールには死を選ぶことなどできない。多くの人がジェラノールを慕っている。ジェラノールは父の代わりで、彼女がいなければ道標がなくなってしまうからだ。そしてジェラノールも自覚があるから、誰を見捨てることもできなかった。
時として、死の渦の中に飛び込みたいと思う時がある。重圧に耐えられない時や、とんでもない罪を犯した今だ。そんな時、たくさんの人の顔が浮かぶ。自分だけの生命ではないのだと思うと、安易に選べない。
なぜ自分は生きているのだろう。なぜ自分だけが生き残るのだろう。馬を駆りながら、ジェラノールは自問していた。
休みなしに駆けたので、馬がつぶれた。ジェラノールは馬から転げ落ちた。何をやっているのだろう、自分は。ジェラノールは弱弱しく立ち上がった。右半身に痛みが奔る。落馬した時に打ち付けたのだろう。
――何をやっているのだろう。
何もかもが分からなくなっていた。混乱していることさえも分からなかった。そのことに気が付くと、足が立たなくなった。ジェラノールは何もないところで倒れてしまった。