アルネトーゼ

#04.王都


 きらびやかで繊細な装飾、高級感のあるワインレッドの絨毯、そして座ると身体が沈んでしまう三人掛けのソファ――一般人にはどうにも落ち着かない空間を、シエルはどうにかやり過ごそうとしていた。今まで薄暗くて埃っぽくて、加えて酒臭いような場所で寝泊まりして、このような場所に来るときはといえば専ら仕事の時くらいだったので、緊張して身体が強張っているのだ。
「もう少し楽にしてはいかがですか?」
 出された冷たい茶を口にしているラスタは、シエルとは正反対に落ち着き払っている。
「こんなところで落ち着けるかってんだ、なあ、ノーラ」
 不安な顔を向けると、ノーラも後頭部を控えめに掻きながら、「そうですね」と相槌を打った。
「王城に入るなんて初めてですし。それに、女王様と謁見ですよ。ステーシア女王は絶世の美女だって評判ですからね、そりゃあもう、緊張しますって」
 冗談を口にするノーラに、ラスタが苦笑してみせた。そんなラスタの様子に、ホルトが目を丸くする。
「ラスタ、あんたまさか、緊張しているのか?」
「心の状態は伝染しますからね」
 彼がやけに茶を飲む頻度が高いのは、緊張で喉が渇いているためのようだった。シエルは鼻から息を吐き、この場にいないプライムのことを考えた。
 王城の応接室に足を踏み入れた時、プライムは平然とした態度で「ここで待ってろ」とだけ伝え、ひとりどこかへ消えてしまったのだ。これでは、プライムの謎は深まるばかりである。
「ほんと、あの人は一体何者なんですかねぇ?」
「さあ。実は女王様の兄上で、あの連絡船にはお忍びで乗ってたとか」
 ホルトの予想は当たっているのかもしれない。だからあのような自信に満ちた態度で、おせっかいなのだ。シエルはそのように決めつけた。
 シエルたちは、あの無人島を出てから二日後にジンガー大陸に上陸した。海を彷徨っている間、星を読めるらしいプライムが方角を逐一指示していた。上陸した場所も、王都セルナージュからさほど離れていないところだったらしい。手持ちの食料がほとんどなかったことを考えると、非常に幸運だったと言える。それから丸一日歩いて王都に到着し、城下町を見て回る暇もなく、王城へと連れて行かれた。
 その際、シエルは右腕の傷からくる発熱を催し、ホルトに背負わた状態で王都に入った。王城の医務室で迅速かつ丁寧な治療を受け、それから更に三日経ってようやく、いつも通り動けるまでに回復したのだ。まだ動かすと微かな痛みを感じはするけれども、何はともあれ、謁見の許可が下り、応接室で待っている次第である。
 そんな緊張に満ちた応接室に、扉をノックする音が響き、全員一斉に口を閉じた。扉に視線が集まる。扉が開き、妙齢の女性が深々と頭を下げた。
「大変長らくお待たせいたしました。謁見の準備が整いましたので、ご案内いたします」
 侍女の案内に従い、シエルらは謁見の間とやらへ向かった。
 とりわけ立派な扉を開けた先にある謁見の間の天井は、とても高かった。綺麗に磨き上げられた大理石を敷き詰めた床の上に赤い絨毯が一本、女王の座へと伸びている。シエルたちが入ると、扉の閉まる低い音が厳かに響いた。城に入るだけでも緊張していた面々だったが、謁見の間は纏う空気がまるで違った。そこに高く透き通った声が響く。
「さあ、前へ」
 シエルたちは、ステーシア女王の言葉通り、近くまで歩いた。女王の声を聞いてから、シエルの心臓は一層うるさく鼓動を打った。きっと緊張のせいだ。女王の前まで行き、ひざまずいて頭を垂れた。
「そなたたちが無事にここへ辿りつくことができたことを、心より嬉しく思います。連絡船の沈没事故もありました。さぞ大変な道中であったことでしょう。よくぞそのような状況下で生き残りましたね」
 女王の声は優しく、慈愛と威厳に満ちていた。
「さあ、顔を上げてください。幸運なあなたたちのお顔を見せて」
 女王の言葉通り、シエルは顔を上げた。彼女は確かに、絶世の美女と言えるほどの美貌を持っている。陶器のように白く滑らかな肌には程よい赤みが差しており、ぷっくりとした唇の紅が映える。シエルとは違って鮮やかな、金糸のような長い髪は光を透かし、輝いている。そんな女王の姿をまじまじと見ていると、シエルの心はざわついた。なにかよく分からない衝動がふつふつと湧き上がる。
「さて、その船にプライムも乗船していたのですが、状況がよく分からなかったと申しておりますので、そなたたちの話も聞きたいのです。あの船は、交易の大きな部分を担う、大切な連絡船なのです。分かりますね?」
 女王の問いに答えようとした。だが彼女の憂いを帯びた顔を見ていると、シエルの中の意帰りが激しく燃えた上がった。なんなのだろう、この怒りは。シエルはめいっぱい女王を睨みつけ、まるで親の仇のごとき怒声をその唇から紡ぎだした。
「ジェラノール!」
 シエルにも分からなかった。彼女はジェラノールなどという名前ではない。けれども、その名をシエルは知っている。知っているから出てきたのだ。気づくと景色が動いていた。足が地を蹴り、手が女王に襲い掛かろうとする。
「刺客か!」
 叫び声と共に、シエルはその場に居合わせた男たちに取り押さえられた。自分でも何が起きたのか、理解するのに時間がかかった。


 結局捕まるのか――そう思いながら、シエルは冷たい牢獄の中で、立てた両ひざに顔をうずめていた。脚を動かすと、重りのついた足枷がじゃらりと音を立てた。一刻も早くリブル島に帰りたいというのに、なぜあのようなことが起きたのだろうか。いや、あれはシエル自身ではない。あの感覚は初めてではないはずだ。ずっと自分を覆っていた緊張感や違和感は、恐らくリブル島で自分に憑りついたアルネトーゼだ。確証などなくても、確信していた。
 明かりは地下牢の廊下に灯された、幽かな灯火のみだ。あれからどれくらいの時間が経ったのか、ラスタたちが今どうしているのか、シエルには知る術がない。
 ふと、耳が暗闇から音を拾った。どう考えても、看守の足音ではない。カツン、カツンという、女性が高いヒールのパンプスをはいて歩くときの音だ。足音は一番音が大きく聞こえるところで止まった。顔を上げ格子の外へ目をやる。そこには、地下牢には不似合いな上品さと威厳を湛えた、ステーシア女王が立っていた。シエルは自嘲した。
「女王様ともあろうお方がこんなところに、何のようだ? あたしがまたあんたを殺そうとするかもしれないよ」
「そうですね。格子越しに、丸腰のあなたが私を殺せるというのであれば、対策を考えなければなりません」
「そいつは正論だ」
「それに万一ということもある。こんなところに陛下を一人で来させやしない。護衛の一人や二人くらいは付けるさ」
 女王の背後から、聞き覚えのある男の声がした。プライムだ。
「これは驚いた。女王様の兄上ってのは本当だったのか? それとも、直属護衛?」
「俺が陛下の兄だと? どこで聞いたかは知らんが、そいつはデタラメだ。俺はリーフムーンの監視官だよ」
 監視官は、女王の手の者と気づかせないよう各地の情勢を見て、女王に報告する、いわば女王の目の役割を持つ。女王のプライムへの信頼は厚いようだ。
「なるほど、それで合点がいったよ。その女王様と監視官殿が、女王殺し未遂のチンケな女盗賊に何の用だい?」
「本当のことを聞きにきました」
 女王の言葉に眉をひそめたものの、すぐに溜息を吐き口角を吊り上げた。
「ラスタが話しただろう。盗賊風情のホラだらけの言葉なんかより、よっぽど信用に足る」
「ですが私はあの者ではなく、そなたから話が聞きたいのです。そなたが初代女王の名を叫びながらなぜ私に襲い掛かったのか――それはそなたにしか分からぬことでしょう」
 それを知りたいのは寧ろシエルの方だ。自分の意志が働いたのだとすれば、あのような場で一国の女王に襲い掛かるなどというような馬鹿な真似をするはずがない。
「本当のことを言うとは限らないぞ」
「さてな。一刻も早く帰りたがっているあんたが、この状況で嘘を吐いても得はない」
 彼の言葉は正論で、反論できないことに腹が立った。シエルは舌を鳴らし、小さく告げた。
「アルネトーゼ」
 女王とプライムが表情を動かす。本当に真実を言うとは思っていなかったのか、それともこの言葉の意味に心当たりがあるのか――なんにせよ今は関係ない。シエルは続けた。
「今あたしに憑いているヤツさ。あたしの意志に関係なく誰かを襲ったのは、これが初めてなんかじゃない」
 シエルはリブル島の遺跡で起きたこと、そして船での出来事を、順を追って話した。船を沈めた者については伏せて。あれは他人が触れていい問題ではないのだ。シエルが話し終えるまで、ステーシアもプライムも、その場を微動だにしなかった。

 ようやく釈放されたシエルは王城から出て、太陽の眩しさに目を細めた。城下町には、白を基調とした石畳が広がっている。家々も石造りのものがほとんどだ。
「どうだ、シャバの空気は」
 シエルの後ろでプライムがカラカラ笑う。心底プライムを殴りたくなったが、プライム相手にそれは無謀である。シエルはすぐに思いとどまり、短く「まあな」と返した。正直な話、なぜこの男が付いてくるのだと頭を抱えたくなるところである。足を踏み出すと、どこからともなく、ラスタとノーラとホルトが駆けつけシエルを囲んだ。
「なんだお前ら、待ってたのか」
「当然じゃないですか! 同じあんこもちを食べた仲ですからね。ともかく、釈放されてよかったです。罪状とかも特にないのですか?」
 ノーラがシエルの手を取り激しく上下に振る。どうやら握手がしたい様子である。
「そうだと言いたいところだけどね、その対価がプライムのお守りってのは、いい気分じゃないね」
「お嬢さん、そいつは立場が逆ってもんだ。俺があんたのお守りをするんだからな」
 シエルは小さく舌打ちをした。プライムにはしっかり聞こえていたらしく、ギロリと睨まれたが、気にしないようにした。
「で、あたしやラスタやこのオッサンは目的が同じだけど、あんたたちはどうするんだ?」
 シエルはノーラとホルトを交互に見て尋ねた。ノーラは後頭部をガシガシ掻いている。
「そうですね。商品は流されちまったし、残った金で仕事を探すしかないでしょうね。ま、ここなら職に困らないでしょう」
「俺もだな。俺はもともと出稼ぎの予定だったし、結果的に予定通りになったから、ここで仕事探すよ」
「そうか」
 プライムが満足気にうなずいた。
「ラスタ、このオッサンも付いてくるから」
「そうなのですか。改めてよろしくお願いします」
 ラスタが右手を差し出すので、プライムは困ったようにその手を握った。
「じゃ、僕らはこれで失礼します。お元気で」
「今度どこかで会うことがあったら声かけてくれよ。出来る範囲で力を貸せるぜ」
 じゃあな。二人はそうシエルたちに別れを告げ、セルナージュの雑踏の中へ消えた。シエルたちはそれを見送り、自分たちも歩き始めた。
「プライム、あんたどうせ女王から何か言われてるんだろ?」
「ああ。街道沿いにあるオルディタウンからの伝令が途絶えているから、ついでに様子を見てきてくれと」
 実際、アルネトーゼの確実な手がかりが分からない現状では、行き先すらも決めかねる。そのため、アルネトーゼを見極めるついでに様々な街や村を視察せよとのことだろう。その一つが、セルナージュに近いオルディタウンなのだ。
「ラスタはそれでいいか?」
「はい、構いません。構いませんが……」
 ラスタは苦笑いを浮かべていた。そう、ラスタは剣をセリィに投げたために、今は丸腰なのだ。シエルも眉を八の字にしてプライムを見上げた。プライムはプライムで、肩をすくめている。
 そこで、ラスタは自分の相棒を捜しに、シエルとプライムは食料などの必需品を購入しに行った。


 ステーシア女王とプライムは、アルネトーゼのことについて何か知っている様子だった。だからこそ、即座にリーフムーンの脅威になり得ると判断して、小汚い小娘にプライムをつけたのだろう。シエルは乾物を選ぶプライムの横顔を見ながら、そんなことを考えていた。
 事の発端は、やはり船の事件だ。あの船はセルナージュとリブル島を――王家とリブル島の有力者を繋ぐ役割を持っていた。それが沈められた時点で、王家にとっては大きな存在だ。そこにアルネトーゼと、アルネトーゼを求め復讐者と名乗る人物が絡んでいるとなると、リーフムーン王家としては見過ごすわけにはいかないだろう。そこにたまたま監視官プライムが関わったものだから、事情を知るプライムに行かせたのだ。
「なあプライム、あんたはアルネトーゼのことを知っているのか?」
 プライムは牛肉の燻製やドライフルーツなどを何種類か選びながら答えた。
「知っていると言えるかどうかは分からん。俺はそいつの存在を概念的にしか捉えていなかったし、実際にこうして、本当の姿はともかく、お目にかかれるなんて思っちゃいなかったからな。アルネトーゼってのは、ここでいう悪魔のことなんだそうだ。だから、そいつが復讐者を名乗っていても、なんら不思議はない……が、女王には心当たりがあるのかね。それも分からんな」
 伝聞調なのは、彼がリーフムーンの隣国ウェスパッサ連合王国の出身のためだという。リーフムーンにおいて、悪魔は子どもをしかりつける時につかう存在として広く知られている。だから悪魔の名を聞けば、その特徴を思い浮かべずとも、それぞれの心に恐ろしくおぞましい姿が描かれるのだ。
 それがある程度歳を重ねると、信じなくなる。悪魔よりも、現実の方がよほど大変で身に迫っているからだ。しかし、悪魔と呼ばれるものが自分に憑いているとなると、いよいよ気持ちの悪いものである。
 そのように思考を巡らせていると、保存食を一通り買い揃えたらしいプライムが「そういえば」とアルネトーゼの話題を引っ張り出した。
「俺は詳しくないから期待するなよ。ただアルネトーゼが、ここでは破壊者、復讐者、死を司る魔女だ、とかいう話ならどこかで聞いたぞ」
「なるほどね。悪魔ってわけだ。なんにせよ、いい気はしないね」
「そりゃそうだ。あんたは知らなかったのか?」
「知らないよ。そんな教育受けてたら、そもそもこんなところであんたに教えを請うたりしないね」
 シエルの母もまた、盗賊だった。その母が、シエルに道徳観を植え付けるために悪魔の話をするとは考えにくい。
「お、シエル、こんなのがあるぞ」
 突然、プライムがマントを一枚手に取ってシエルの身体にあてがった。雨風をしのぐためのマントだ。確かに、シエルは自分のマントを持っていなかった。しかし――。
「ふざけんな! こんな趣味の悪い目立つマントが着れるか! 気に入ったのならあんたが着ればいいだろ!」
 そのマントは、サテン地で光沢のある濃いピンクで、淵に金の刺繍を施してあった。とても雨をはじきそうにないし、仮に有能であったとしても、袖を通したいとは思えなかった。しかしプライムは至って真剣らしく、真顔で答えた。
「だってアレは女ものだ。俺が着たら変だろう。マントとして機能しない」
「馬鹿ヤロウ、あたしが着たって同じだよ!」
 怒鳴るシエルに、プライムは渋々、実用性重視の茶色いマントを購入した。
 それから新たな武器を手にしたラスタと合流した。どうやら手に馴染む紋章剣に出会えたようだ。そして、プライム曰く女王が用意させた宿屋に行き、次の日を待つことにした。



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