アレスティオの花嫁

第一章 音のない花嫁

  3


 横たえた二人の遺体を、エルフリーデは白い布で丁寧に拭いた。それは隅々まで、丁寧に。終始下を向いていたので、目元が光っていたのが銀の髪によるものなのか、はたまた少女の涙によるものなのかは分からない。ただ、その姿を不謹慎ながらも美しいと思った。
「あの子の希望で、出発する前にどうしてもってね。まあ確かに、必要だと思うのよ」
 そう語ったのは、マリーだった。本当は故国の土に還したかったけれど、それはきっと難しいから、それならばこの村で弔ってほしい、無事な遺品は国に届けてほしい、というのがエルフリーデの希望なのだとマリーは言っていた。
 それを聞き、マリーの隣に住んでいるギドが急遽墓石と棺を作ったらしい。死に方が死に方なので傷だらけだが、こびりついていた土や埃や血の汚れはさっぱり綺麗になったふたつの死体を、ルドラが棺に入れる。ふたりの胸にエルフリーデが白い花を添え、祈り、棺の蓋を閉める。
 エルフリーデがルドラに一礼をする様を見ていると、声を聞いたこともないのに、「よろしくお願いします」と聞こえるようだった。ルドラら男たちは棺を抱え、土に埋めた。
 墓には「ロフ」「ザシャ」と刻まれているらしい。文字が読めないリクに、ルドラが教えてくれた。馬車の事故現場で死んでいた二人の名前だ。彼らはエルフリーデの護衛と、馬車の御者だったとのことだ。墓前でエルフリーデは深々と頭を下げ、また村人達にも深く頭を下げた。


 着々と進んでいくルドラとエルフリーデの旅の準備を横目に見ながら、もうすぐエルフリーデが旅立ってしまうのだと思うと、なんだか淋しくなった。仕方のないことだが、リクはエルフリーデとほとんど交流できていない。葬儀の時の姿を見ると、軽率に声をかけるのがはばかられたのだ。でも一緒に行きたいという想いも消えていない。むしろ葬儀以来、日に日に強く、大きくなっていっていた。
「ねえ、やっぱり俺も連れてってよ」
「何を言ってるんだ、遊びじゃないんだぞ」
「わかってるよ。でも、こんな時くらいしかジャスティールに行かないだろ?」
「そんなことを言って、お前はどうせエルフリーデさんについて行きたいだけだろう」
 一瞬にして顔を赤くしたリクに、ルドラは「やっぱりな」とため息をついた。
「いけない?」
「悪いことはないさ。理由がなんであれ、きちんと準備をして驕らずに歩くのなら、危険にもなるまい。お前の好奇心も、恋心も理解はできる。それに俺だって、自分の息子には、小さな村にいるより、広い世界を見てほしいと思うさ」
 ルドラは大きく厚い手でリクの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「収穫期はまだ先だし、問題はないだろう。ついてくるのはいいが、母さんには自分でちゃんと言うんだぞ。その後で、エルフリーデさんにもしっかり挨拶をするんだ、いいね。それと、これが一番大事なことだが、エルフリーデさんは年頃で、嫁入り前の女性なのだから、失礼のないようにするんだ」
 ルドラが笑ったので、リクは嬉しくなった。
「やった! ありがとう、父さん!」
 リクはその足で、家のことをしている母親の元へ走った。
 クランベリージャムや乾燥クランベリーをあれこれと触っているエマに、リクは元気よく声をかける。
「ねえ、母さん! 俺、父さんとジャスティールに行こうと思うんだ!」
「まったく、あなたって子は……そう言い出すと思ってたよ」
 エルフリーデさんが好きなんでしょう、と言われ、リクは「なんで!?」と目を丸くした。
「分かるわよ。あなた、分かりやすいんだもの。口にはしないけど、みんな知ってるわ」
「えっ、そうなの!?」
 リクは顔を真っ赤にした。だって淡い恋心を、特に隠していたというわけではないのだが、皆が知っているというのは恥ずかしい。できれば知られたくない。隠していたというわけではないのだが。エマは「そうよ」と微笑んだ。
「でもねぇ、エルフリーデさんはずっとこんな村に留まるような人じゃないし、私だって、どうせ今だけだと思ってたのよ。まあでも、リクが言い出したら仕方ないわよねぇ。あなたひとりなら反対もするけど、お父さんも一緒なら反対する理由もないもの。エルフリーデさんが嫌がるなら話は別だけど、同じ年頃の子が一緒の方が道中も退屈ではないだろうしね」
「ありがとう、母さん! じゃあ早速エルフリーデさんと話してくるよ!」
「失礼のないようにね」
 母にも父と同じことを言われ、リクは唇を突き出した。

 マリーの家の、相変わらず立派な庭を駆け抜ける。ギドの家の犬が吠えてきても、今日は何も気にならなかった。ただ「レオは今日も元気だなぁ」と機嫌が良くなるばかりだ。
 マリーの家のドアをノックして、マリーが出てきたところを「こんにちは!」と挨拶する。
「エルフリーデさんはいますか?」
「いるけど、どうしたの、ずいぶん元気ね」
「父さんと母さんが、ジャスティールについて行ってもいいって言ってくれたんだ。だからエルフリーデさんにもお許しを貰おうと思って」
「そうかそうか。はしゃぎすぎないようにね」
 はーいと、マリーの脇をすり抜け、エルフリーデの部屋をノックした。ほどなくしてエルフリーデは静かにドアを開け、リクの顔を見るなり首を傾げた。
「エルフリーデさん!」
 その仕草を見るだけで、顔が熱くなる。
「お、俺! エルフリーデさんがジャスティールに行くのにお供することになったんだ、よろしくな!」
 勢いよく頭を下げる。同じ勢いで頭を上げると、エルフリーデは無表情でリクの様子を見ていた。
「もしかして、嫌だったかな?」
 上目がちに問いかける。エルフリーデはゆっくりと頭を振った。一緒に銀の髪が光る。
「じゃあ、一緒に行っても?」
 エルフリーデがうなずく。リクは今にも飛び上がる想いである。
「ありがとう! あ、そういえば名乗ってなかったね。俺はリク。よろしくな、エルフリーデさん!」 
 リクが差し出した手を、エルフリーデは握り返した。ひんやりしたその手が柔らかく、リクが文字通り飛び上がったのは言うまでもない。
 その日、リクは眠れない夜を過ごした。

 待ちに待った朝が来て、一睡もできなかったけれど、不思議と疲れは感じなかった。
 最後に足りないものがないか確認して、たぶん大丈夫だと首を振る。出発前に一緒に食事を摂るエマが、ずっと落ち着かない様子だ。食事を終え、食器を片付けると、エマはリクを抱きしめた。
「気をつけて行ってくるのよ。父さんの言うことはよく聞きなさいね、いい?」
「わかってるよ」
「これ、クランベリージャム。たくさん作ったから、持って行きなさい。だからって一気に食べちゃだめよ」
「分かってる。へへ、ありがとう」
 しっかり用意したと思っていた荷物に、さらに荷物が積まれていく。
「母さん、もういいって」
「たくさんあっても困るものじゃないんだから、たくさん持って行きなさい」
「もう、母さん」
「エマ、もういいだろう。マリーさんの家にエルフリーデさんを待たせてるんだから」
「ええ、そうね……」
「じゃあ行ってくる。畑のことは頼んだぞ」
「ええ」
「行ってくるね、母さん」
「行ってらっしゃい」
 ルドラを追って家を出て、マリーの家へエルフリーデを迎えに行く。エルフリーデもマリーから様々な食料や薬草を持たされているようだが、もちろんそれはリクが抱えることにした。しかしエルフリーデは首を横に振り、何かは持つと訴えるので、軽めの薬草と水と軽食の入ったリュックだけ持ってもらうことにした。マリーの家を出て、エルフリーデはマリーに一礼をし、ルドラとリクにも深く頭を下げた。声の出せない彼女なりの礼儀なのだろう。リクは彼女に笑顔を向けた。
「よろしくね、エルフリーデさん」
 エルフリーデはゆっくりとうなずいた。
「リク、ちょっと! ルドラさんも」
 マリーに手招きをされ、ああ、あれかと二人でマリーの前に立つ。
「よくわかってるじゃないの」
 マリーは二人に乾燥させた草をすりつぶした粉を振りかけた。なんだかいつもと香りが違う。それにいつもよりも長いようだ。
「マリーさん、まだなの?」
「もちろんよ。今日だけ効けばいいものじゃないでしょう。旅は長いんだから。はい、終わり。さ、行ってらっしゃい。元気に帰ってくるのよ!」
「うん、行ってきます、マリーさん」
「ありがとうございます、マリーさん」
 ようやく出発だ。マリーの家の門をくぐり、ふと空を見上げると、遠い空に竜が飛んでいるのが見えた。
「竜だ!」
 竜を指さして声を上げる。ルドラとエルフリーデも、空を飛ぶ竜の小さな陰を見上げた。
「そうか。じゃあ、道中は心配なさそうだな」
「うん」
 きっと楽しい旅路になる。リクの胸は楽しい予感に満ちていた。



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