アレスティオの花嫁

第二章 激動の一日

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 赤や白や紫やオレンジ、色とりどりの花が咲き誇る宮殿の庭を、リクは息をひそめ様子をうかがっていた。庭にある、白を基調とした控えめなテーブルには、午後のティータイムを楽しむための菓子が置いてあり、それを夫婦で楽しむバルディアーとエルフリーデの姿がある。
 リクがジャスティール王国へとどまることを選んでから、すでに五度目の夏を迎えていた。リクももう17歳、立派な青年だ。低かった背丈も三年前から頭ひとつ分くらいは伸びたが、それでも同じ年ごろの騎士見習いの面々よりは小柄である。声もすっかり変わってしまったし、髭のようなものも時々目に入る。バルディアーのように立派なものを蓄えることはできないので、見かけたらすぐに抜いていた。
 そんなリクに気が付いた様子のバルディアーが、植物の陰に隠れるリクに微笑みを向ける。
「リク、そのようなところに隠れていないで、こちらに来て一緒にお茶にしましょう」
 気づかれていたか、と観念し、リクは「はい、バルディアー様」と返事をしながら姿を見せた。
「さ、座って」
「はい、ありがとうございます。母から便りと共に、クランベリーのジャムが届きました。もしよろしければ、バルディアー様とエルフリーデ様にも召し上がっていただきたいと、母が……」
「おや、ありがとうございます。ではせっかくのジャムですし、焼き菓子につけて、いただきましょう。お母さまはなんと?」
「相変わらずですよ。『声変りをしておじさんのようになったリクの声が聞いてみたい』なんて書いてます」
 首を横に振りながら答えると、さっそくリクの持ってきたジャムを焼き菓子につけて食べているエルフリーデが「そうでしょう」とうなずいた。
「リクの声変りは、私にもかなり驚きでしたから。男の子というのは、ああいう風に、大人の男性になっていくのですね、バルディアー様」
「そうですよ。ほら、リクも食べてください」
「はい、ありがとうございます。いただきます」
 侍女が持ってきてくれた茶に口をつけ、息を吐く。大好物のクランベリーのジャムは相変わらずおいしく、焼き菓子によく合った。
「さて、リクは、今日はどうして抜け出してきたのですか?」
 先ほどとさして変わらぬ口調のバルディアーに痛いところを突かれた気分になり、リクは少しむせながら「いえ」と答える。
「あの、抜け出してきたというか、そういうわけでは決してなくて、その、ただ、母からクランベリーのジャムが届いたから、お二方に是非にと思い……」
「それなら、あのようにコソコソしなくてもいいのですよ」
 バルディアーは確かに、公務の時間以外は親しげに民と接する時間を設けている。それはリクがロスタムに連れていかれた、騎士見習いの学び舎でも同じで、数日に一度はバルディアーが学び舎に顔をのぞかせる。最初は全員で緊張していたものだが、バルディアーは昼食の弁当やおやつを差し入れてくれたり、興味深かったり楽しい話をしたりするし、何より物腰柔らかで丁寧な態度なのに気さくな様子なので、騎士見習いたちからも近所のおじさんのように慕われている。
 騎士見習いたちの中でも、リクは割と特別な部類に入ることだろう。なにせロスタムから頼まれたとはいえ、バルディアーの結婚式に参列したのだ。そんなリクだが、学び舎に入るころは同年代の騎士見習いたちから一歩どころではなく遅れていた。彼らが当然のようにできている読み書きはまったくできないし、学もない。そういった志願者は、ロスタムが少人数を集めて直々に指導してくれた。それはそれは厳しかったため、何度か抜け出したこともあり、その折にバルディアーに見つかり、一緒にお茶をしたのだ。その縁からか、リクは恐れ多くも、バルディアーと茶飲み友達のようになったのである。
 そのように前科があるので、「抜け出してきた」などと言われても致し方ない。リクは苦笑いを浮かべた。
「今日はお休みをいただいています。ですがもし、私がここに来ることが知れたら、皆がついて来たがるでしょう。バルディアー様もエルフリーデ様も、皆からの信頼も人気も高いことですから。そうなれば、せっかくのクランベリージャムも足りなくなりますし、そもそも『下々の食べるものを王族に差し入れるとは何事だ!』などと怒られること必須です」
「ははは、違いありませんね。いや、それにしても、リクのお母様がつくったというこのジャムは、いつ食してもおいしいものです」
「ありがとうございます、母も喜びます」
 ちらりとエルフリーデを見ると、エルフリーデはジャムを載せたクッキーを上品に口に運んでいる。
 エルフリーデの表情は相変わらず読みとりづらいが、茶飲み友達を続けているうちに、なんとなく今がどのような気分なのかは分かるような気がした。そして、クッキーを手にしていない間もなんとなく楽しげに動いているしなやかな指が、リクは好きだった。
「それではジャムもおいしくいただいたことですし、エルフリーデ、私たちもそろそろ公務に戻りましょうか」
「はい」
「では、リク」
「あ、はい」
 エルフリーデの指先に見とれていたリクは、慌てて立ち上がり、立ち去る二人に深く頭を下げた。


 庭から宮殿内に入り、出口に向かって歩く。何度来ても場違いなような気がして落ち着かない場所なので、本当は小走りで出て行きたいが、走ったことがわかるとロスタムにこっぴどく叱られるのだ。宮殿内は常に人の目があるのだから、気を付けよと。
 大きい大きいと思っていた宮殿には、リクの村の人口ほど人がいる。地図で見る限りでは山間の小さな国だが、国民は百万にのぼり、ルドラと最初にエルフリーデを届けに街へ入った時に目を剥いたのも懐かしい。村の人たちは全員覚えていたものだが、宮殿の人さえ覚えきれない始末である。
 そんなリクの前から、やんごとなき身分の者が歩いてくるのが見えた。リクは慌てて道を譲る。
「よい、よい。リク、そなたがここにいるということは、また兄上のところに遊びに参っていたのですか?」
 と、このように話しかけてくるのは、バルディアーの弟君である。
「はい、母からクランベリーのジャムが届きましたので、それを届けに参りました」
「そうかそうか。しかし献上品はしかるべき手段を用いるのが通例ですよ」
「存じております」
「ならばよいのです」
 弟君は比較的気さくではあるのだが、ちょこちょこロスタムを彷彿とさせる口うるささがあって、リクは彼が若干苦手だった。しかしどちらかと言えば、バルディアーの親しみやすさの方がおそらくは異質なのだろう。
 弟君から、ふわりと茶の香りがする。これはリクも知っている香りだ。
「南方のお茶ですか?」
「そうです。兄上が好んでおられますから、私もお持ちしようと思っていたところなのでよ。ですがそなたの様子を見るに、兄上はすでに公務に戻っておいででしょうから、このお茶はまたの機会ですね」
「そうなのですね。ご兄弟、仲睦まじい様子で羨ましいです」
「そなたはひとりであったか」
 はい、と短く返事をした。父親の持病のために、リクの弟や妹を成すことができなかったのだと、母親に教えられた。村にいたあの当時は、弟や妹が欲しいと思っていたものだ。近所で子どもが生まれると、「おれもほしい」と母に駄々をこねて困らせていたが、何度目かの時に、母が短く語ったのだ。それからは間違っても「欲しい」ということは言わなくなったし、こちらに来てからは一度もそのように思うことはなかった。
「そういえば建国祭も近いですが、そなたも建国祭の日になれば、正式に宮仕えの騎士の仲間入りですね。我が愛兄のため、そしてこの国のために尽くしてくれることを期待していますよ、リク」
 なにせ遙々田舎から出てきて、ここまで挫けずにやってこられたのだから、と王弟は笑って去っていった。リクはなぜかこの時の王弟の言いように引っかかりを覚えたのだが、はっきりと何がどうということはできなかった。



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