アレスティオの花嫁

第二章 激動の一日

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 王弟のことが気になっていたからだろうか、祭りと任命式の練習にあまり身が入っていなかったらしいリクは、ロスタムから直接注意を受けた。
「リク。建国祭はジャスティールにとって、非常に大切なお祭りなのです。上の空なのは結構ですが、真面目にお願いします。最悪、あなたに下りた内示を取り下げる必要が出てきます。それはあなたも困るでしょう」
「はい、ロスタム様」
 建国祭――それはロスタムの言うように、ジャスティール王国において古くからとても大切にされている行事である。ロスタムによれば、ジャスティールははるか昔、ひどい荒れ地で、恐ろしい竜の住処だった。そこに住むことを余儀なくされた人々は、代表を選出し、最も強い竜のところへ向かわせた。代表に選ばれた人物は、最も強い竜と知恵比べをし、見事勝利する。代表を気に入った竜は、人間のために住処を提供するとともに、その地に住まう人間を守ることを約束した。その代わり、竜の住まう森を荒らさないことを条件とした。このようにして《約束》が交わされ、当時の代表が最初の王となる。
 建国祭は、ジャスティールで十年に一度執り行われ、初代国王がかつて最も強い竜と交わした約定を再確認し、より強固なものにするための儀式なのである。
「お祭りの前にはリクも正式に、宮仕えの騎士に任命されるのですから、その名に恥じぬ行動を心がけてください」
「はい、ロスタム様」
 リクは自らの返事に劣らぬよう、ロスタムから注意を受けてからは人一倍、練習に真面目に取り組んだ。しかし、気にしないように努めれば務めるほど、王弟のことが気にかかる。
 練習がひと段落したところで、リクは違和感を解消すべく、ロスタムにそれとなく切り出した。
「そういえばロスタム様、先日陛下の弟君とお会いしたのですが……」
 王弟が南から仕入れた茶を手にしていたこと、騎士に任命されることに関して鼓舞されたことを話した。
「そうですか。弟君も、陛下のことを心配しておられるのでしょう。あまり話す機会はないでしょうが、弟君もそれはそれは勤勉で文武に長け、お人柄も素晴らしいお方ですよ」
 もともとバルディアーは次男坊だったらしいが、長兄は身体が弱く、病に倒れ、若くして崩御し、世継ぎの座はバルディアーのものになった。バルディアーも穏和だが決断力に優れ、また民と治世のことを一番に考えられる王になるだろうと、周囲の期待を背負っていた。そしてなにより、民衆からの人気もあった。その折、先代の王も若くして崩御し、急遽王位をつぐことになったバルディアーのことは、先代によく仕えていた大臣たちはもちろんのこと、王弟もしっかり支えていたのだとか。
「弟君も優秀なお人柄ですし、建国祭のことも、宮仕えの騎士たちのことも、真剣に考えておいでなのでしょう」
 それならば、王弟のあの発言に違和感を抱くなど、不敬にもほどがあることだ。リクはそのように納得した。
「ありがとうございます、ロスタム様」
「いえ、リクの求めていた答えと合っていればよいのです。ところで、サイを呼んでいただけますか? 私としたことが、大切なものを忘れるところでした」
「はい、ただちに」
 リクはロスタムの指示通り、すぐに同期のサイを呼びつけた。
「これを、リクとサイに」
 ロスタムに差し出されたものは、手のひらに収まる大きさの小袋だった。金の糸で刺繍が施されており、なにやら薬草のにおいが漂う。リクは地元の村で世話になっていたマリーのことを思い出した。
「これは何でしょうか?」
 サイが小袋のにおいを嗅ぎながら尋ねる。ロスタムは「お守りです」と答えた。
「建国祭の説明はしましたね? そのお守りは、竜から身を守るためのものです。初代の王は竜と知恵比べをする際、そのお守りを持っていたと伝えられています。ですから、勇敢なる騎士に任命される者たちに餞別として送られるのです。身につけても身につけなくても自由です。私は身につけていますが、身につけている人も、記念に大切に保管している人もいるようですよ」
 ロスタムは笑顔で、懐からお守りを取り出しリクたちに見せた。リクが受け取ったものから香ったようなにおいは全くしなかったし、くたびれた様子からも、かなり年季が入っているようだ。
「このにおいは何ですか?」
「このお守りには、竜が苦手とする薬草が入っています。そのにおいでしょう」
 竜が苦手とする薬草、と聞き、リクは少しうつむいた。
 リクにとって竜は、幸運の象徴だ。地元ではそう教えられてきたし、リクも信じている。少なくともリクがエルフリーデに出会ったあの日、リクは竜の声を聞いたのだ。けれど、この国で竜はそのように認識されていない。そのことが、少し淋しかった。


 その日の練習や勉強を終え、サイと共に部屋に戻り、寝支度を整える。
 サイとは年が近く、寝床にしている部屋が同じ仲間なのだ。そのサイが、突然リクの背中を思い切り叩いた。景気のいい音と、サイのカラッとした笑い声が鼓膜を揺らす。
「お前、なにに落ち込んでるのかしらないが、元気出せよ! どうせロスタム様に窘められでもしたんだろ?」
「別に落ち込んじゃいないし、大して怒られたわけでもないよ」
「そういうことにしておいてやるよ。どうせ、バルディアー様のところに気軽に通えなくなるのが淋しいんだろ?」
 きっと正式な騎士になったとしても、バルディアーやエルフリーデのことだ、リクに対する態度が変わることは特にないだろう。変わるのはリクの立場だ。今は見習いだから気軽に遊びに行っているが、これからは立場が許さない。
「ま、どんなに陛下が気さくとは言っても、毒味を通さずに直接ジャムなんか届けるのはお前くらいなもんだしなぁ、陛下も少し淋しくなるかもな」
「そうだな」
 それがリクに対してのみ許されていることも知っている。
 しかし、そうだ。これからリクが気軽に会いに行けなくなるのは、バルディアーよりも、エルフリーデだ。彼女の側にいたくて、彼女と同じ時を過ごしたい一心でジャスティールに残り、ついに明日、正式な騎士に任命されるわけだ。騎士になればもっとエルフリーデのために働けるのだと思えば、それも悪くはない。
「サイ、俺たちもなんだかんだで付き合い長いよな。俺とお前は出発点が一緒で、最初は文字も読めなかったけど、お前みたいな、年が近くて頭も似たようなやつがいてくれたから、張り合いがあったよ。楽しかった。本当の騎士になっても、仲良くしてやってくれよな」
 サイはリクにとって良きライバルだったし、良き友だった。時に競い合い、時に励ましあった見習いの日々も、すでに懐かしいように思う。
「なんだよ、気持ち悪い。お前なんか、一生俺に負けてぴーぴー言ってればいいんだ」
「はは、相変わらずひっでぇなぁ。サイだって、最初は母ちゃん母ちゃんって泣いてたくせに」
「うるせぇうるせぇ。ま、俺もお前には感謝してないこともないぜ。これから先も、仲良くしてやってもいい」
「ああ、よろしくな」
 ひとしきり笑い合い、ふたりとも眠りに就いた。


    ◆


 エルフリーデは月を見ていた。
 リクがジャムを持って会いに来る時間は、エルフリーデにとって楽しい時間のひとつだ。それは単純に、リクの前でなら楽にしていいからというのもあるが、理由はもうひとつある。リクがジャムを持ってくるということは、リクの母親が健在だということに他ならない。だからリクの村の人たちも、きっと元気にやっているのだろう。エルフリーデにとってそのことは、とても大切なことだった。
 まだリクが字を読めるようになる前は、バルディアーが面白がって手紙を音読したりして、リクも有り難がりながらも恥ずかしそうにしていたものだ。しかしその文面からは、リクを慈しむ様子が伝わってきたし、時に村人の様子も記されていた。リクのご近所さんのエーリクの夫人が懐妊したという報せがあった時など、自分のことのように嬉しかった。
 エルフリーデはジャスティールに嫁いできて五年もたつのに懐妊の兆候もなく、周囲からいろいろと噂を立てられているのは知っているが、そういうものはバルディアーが一身に引き受け、エルフリーデの耳に入らないようにしてくれていた。
 バルディアーとは何度も身体を重ねている。いつもとても優しくエルフリーデの肌に触れ、大切に包み込むように抱いてくれる。最初のうちは恐怖を感じもしたが、それも含めて丸ごと抱かれていくうちに、性交への恐怖心は次第に、バルディアーへの愛情へ変わっていった。だからバルディアーのためにも、彼の子を身ごもりたいと思っている。
 そしてリク。リクはずっとエルフリーデと本当の友人のように接してくれる。バルディアーとリクと一緒に過ごすお茶の時間は、エルフリーデにとって楽しい時間なのだ。
 愛する夫と、ずっと一緒にいてくれる友人。彼らと過ごす時間が、これからもずっと続くといい。そう思える程度に、エルフリーデは幸福だった。
「エルフリーデ」
 寝室で髪を梳いているエルフリーデに、バルディアーが声をかける。
「あなたの国から、あなた宛てに手紙が届いていますよ」
 バルディアーから手渡されて、エルフリーデはけげんな顔で封筒を見つめた。差出人は両親。最初から結婚式に来る予定ですらなかったのに、この期に及んでなんの用があるというのだろう。ひとまず封筒を開け、手紙に目を通す。読み進めていくうちに、血の気が引いていくのが自分でもわかった。
「どうしましたか、エルフリーデ?」
 簡素な内容だが、エルフリーデを怖がらせるには十分すぎる内容だった。エルフリーデは手紙をその場で燃やし、バルディアーに飛びついた。
「エルフリーデ?」
「抱いて。抱いてください。お願い……」
 バルディアーは何も聞かず、ただ悲しそうな、憐れむような、慈しむような顔を見せ、壊れ物のようにエルフリーデを優しく抱いた。



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