わたしの陽だまり

02


「アジームさんの家のカリムくんと会わせてもらえることになったぞ」
 父の持ち帰ったその報せは、サナにとってとんでもないことだった。
 年頃の娘が、同じように年頃の男性と会うというのは、しかもそれを親が持って帰るというのは、すなわち見合い話ということだ。その上相手は、あのアジーム家の長男カリムである。しかしサナにとって、カリム・アルアジームと見合いをすることは、家柄や利益以上に大きな意味を持っていた。

 髪の手入れはいつもより入念に、お化粧も、上手なお姉さんに教えてもらって、お気に入りのヒジャブを身につけ、いざアジーム家の屋敷に赴く。
 音楽隊に出迎えられ、サナは緊張しながら宴に参加した。そして宴の中に、彼の姿を認める。
 白く短い髪。髪を彩る白いターバン。耳元に揺れる蛇のピアス。赤い瞳は砂漠の夕焼けの地平を思わせる。
「サナさん、紹介しよう。これが息子のカリムだ。どうか仲良くしてやってくれ」
「はい」
 幼い頃から強く憧れていた少年を前に、どうして緊張せずにいられるだろう。
「じゃあ、一緒に魔法の絨毯に乗って空を飛ぼうぜ! たくさん話せば、緊張もどこかへ行くって!」
「気をつけろよ、カリム」
「分かってるって」
 カリムの父とカリムの従者に見送られて、魔法の絨毯とやらに載せられる。そもそも空を飛ぶという経験のないサナは、緊張と恐怖で身体が小刻みにふるえていた。カリムの前で恥ずかしいものだが、カリムは笑顔でこう言った。
「大丈夫、オレを信じろ!」
 あのカリムがそのように言うのなら、信じるしかない。
「はい!」
 それで恐怖や緊張が消えるわけではないし、なによりカリムとの距離が近い。絨毯はそのまま月夜に舞い上がった。
「わあ、本当に飛んでる!」
 最初に口から出た言葉がそんなものだったから、サナはますます恥ずかしくなった。
「はは、すごいだろ?」
「はい。カリム様のおうちが、もうあんなに小さくなって」
 地平線。どこまでも広がる夜空と大地。緊張で体温が上がっているのか、寒さは若干肌寒いという程度で済んでいる。
 けれど、カリムと話しているうちに、緊張はほぐれていった。カリムはとても気さくで、たくさんの話を聞かせてくれたし、たくさんの話を聞いてくれた。
 カリムの同い年の従者のこと、在籍している学園のこと、たくさんの弟妹たちのこと――本当にたくさんのことを話してくれた。中でも従者の話題は尽きることがなかった。
「そのジャミル様というお方は、本当にすばらしいお方なのですね」
「ああ! 本当に優秀で、なんてったって親友だからな!」
「素敵なことですわ」
 そのときだった。カリムがあまりに当たり前のように手を握るので、サナは戸惑いがちにカリムを見上げた。月に照らされたカリムの顔は、それはそれは美しい。
「カリム様」
 肌寒いと思っていた風が、今はなんだか心地よい。触れなくても分かる程度に暖かいカリムの肌の温度か、それとも心臓が跳ねるような自分の温度か。どちらだってかまわない。この夢のような時間に、心臓がはちきれてしまいそうだけれど、ずっとこの時間が続けばいいとさえ思う。

 どんな時間にも終わりがやってくる。
 魔法の絨毯は宴の場に戻ってきてしまった。
「ありがとうございます、カリム様。とても楽しい体験でしたわ」
「ああ、オレも楽しかった。サナ、今はまだこんな感じだけど、学園を卒業したら結婚しよう」
 結婚。結婚。
 確かにこの場は、カリムとの見合いを兼ねた席だった。しかし事態を飲み込むのに時間がかかり、言葉を発するのに遅れが生じた。
「ほ、本当ですか?」
「ああ! サナと一緒なら、きっと楽しく過ごせる」
「ありがとうございます。とても嬉しく思います……」
 こんな夢みたいなことが本当に起きるなんて。もしも今日、家に帰って寝て起きたら、本当に夢かもしれない。
 現実であって。夢なら醒めないで。サナは初めて、心からそう願った。



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Written by @uppa_yuki
アトリエ写葉