episode4
こんなことになるのなら
部屋まで聞こえるシャワーの音はいつもならわたしの耳に心地よく響くのに。人間の耳になった途端、その音は何故かわたしの心を切なくさせた。
例えば、人間になったわたしの姿に幻滅しているとか。
でもそんなことはないはず、だってはじめは人間の姿になったわたしに優しく微笑んでくれたし。
ただ、ありがとうは伝えられたから、それだけでも満足はしている。でももっと何か出来る事はないかなんて思うのは、我儘なのかな。
「……………桃矢君」
お風呂場にいってしまった桃矢君の名前をぽつりとつぶやくと、部屋にわたしの声が響いた。猫のときとは違う、わたしの声。ちらりとのぞけば部屋に置かれた鏡にうつる、猫のときとは全く違う姿。
「わたし、」
猫だから、桃矢君はわたしを可愛がってくれていたのだ。猫だから、食べものをくれて、部屋にすませてくれていた。猫は可愛い姿をした動物だから、猫をみているだけでも人間に癒やしをあたえる。
わたしが猫の姿にもどったところで、この人間になったわたしの姿が、桃矢君の記憶から消えることはないはずだ。これから先も、ずっと。
なんてことをしてしまったのだろう。
わたしは感謝の気持ちを伝えたいと言いながら、桃矢君の気持ちを何一つ想像も出来なかった自分勝手な猫だったんだ。
ありがとうと伝えた後はまた今までと同じ楽しい毎日が続くんだとばかり思ってたけれど、それは違った。
人間の姿になったわたしをみた後も、桃矢君は猫の姿のわたしを前と同じように可愛がることはきっと出来ない。
優しい、優しい、桃矢君でも。
ぽたりと自然にながれた涙に、これが人間のながす涙か、なんて、思った。
後は身体が勝手に動いた。まずは桃矢君にいままでありがとうと伝えて、同時にごめんなさいと、さよならを。
「桃矢君、お誕生日おめでとう!その…まだちょっとはやい、けど、」
「ん、何だー?」
「ごめんなさい!わたしここを出ていきます!」
シャワーの音のなかから桃矢君の声が聞こえたけれど、何と言っているのかはわからなかった。
そしてわたしは靴もはかずに部屋を飛び出した。猫のときは靴なんてはかないから、人間になっても裸足のほうがわたしにはずっといい、だって走りやすいし。
ずっと走っていたら、段々息が切れてきて、慣れない脚におもわずつまづいた。身体がとっさに受け身の体制をとった。そして地面に吸い込まれるようについた手は猫の手。さっきより軽い、猫のからだ。
「にゃーっ……」
体力がなくなるともどってしまう、と男の子は言っていた。こんなにもあっと言う間に、息が切れただけでもどれるんだ。
『こんな事になるなら、ずっと猫のままでいればよかった』
すうとなくなっていく意識に、まるでこの世の終わりみたいな絶望感がわたしに襲いかかった。こんな道の真ん中で倒れていたら、車にでもひかれてしまうかもしれない。
けれど、もう、それでもいいと思った。
「やはり、」
「エリオル!はやく!」
その場に現れた男の子は、倒れている猫を優しく拾いあげると、すぐどこかに向かって歩きはじめた。
「どーしてもっとはやくとーや君家の猫だって言ってくれなかったのよっ!」
「おや、言っていなかったかな」
「言ってないわよ、それに、一人暮らししてるとーや君家、こっちの方向じゃないわよ?ね、スッピー?」
「どこに行くんです?エリオル」
「無視……っ」
男の子はいっしょにいた2人に、それは着いてからのお楽しみだというように微笑みかけた。
「歌帆が、」
「どうしたの?」
「この猫に会いたいそうだよ」