私の朝は早い。五時には起床し、兄がまだ寝ている六時には家を出る。高校に入ってからはずっとこの生活を続けている。高校入学とそう変わらないタイミングで私の朝に新たなルーティンが組み込まれたからだ。
 今日は竜胆くんと蘭ちゃんの家に兄と共にお泊まりをしたわけだが、それでも誰よりも早く家を出てきた。竜胆くんは起きて見送ってくれたけど、蘭ちゃんと兄は熟睡。慣れたものなので何も思わない。

 高校は渋谷にあるため電車に乗って、しかし新宿に向かう。目指すは夜の街、歌舞伎町。私が到着する頃には既に朝であるため、あちらこちらで酔っ払いがひっくり返り、喧嘩でもしたのか傷だらけの男たちが血を流して倒れている。その中を突っ切っていくつかの角を曲がり、道なりに進んだ先に、目的地がある。
 この三ヶ月で既に歩き慣れた道を通り、顔馴染みになったそっちの筋の人や付近の店の嬢と挨拶を交わし合う。ここに通うようになって初めて知ったのだが、祖父は私の想像以上にそちらの人たちに顔を知られ、慕われていた。で、何故か私まで顔を知られている。厄介な人たちに目を付けられないで済むのは幸いだけれど、知らないところで自分の顔が知られているのはなんだか微妙な気持ちになるのだ。

 毎日のようにそんなことを考えながらここを歩いているわけだが、これまたいつものように最後の曲がり角を曲がればその思考は吹っ飛ぶ。湧き上がってくるのは闘志だ。寂れた煙草屋の前、置かれたパイプ椅子に掛けて雨風に晒されて薄汚れた机に長い腕をついて暇そうに煙草を吹かしているそいつを見た瞬間、頭の中でゴングが鳴った。そいつは私の気配に気付いたのかこちらを見上げ、口角をゆっくりあげた。毎朝思うが性格の悪さが滲み出ている。

「なに、今日遅くね?」
「竜胆くんの家から来たからね」
「ヒュー、付き合ってもねえのにお泊まりかよ。お盛んだなァ」
「黙りな、死神」
「おいおい、オレに勝たねえと愛しいリンドークンに告白も出来ねえからって怒んなよ、不死鳥ちゃん」
「ほんとそれやめて。フェニックスとかダサすぎ」

 向かいのパイプ椅子にかけて、それしか入れていないスクールバッグからラジカセを取り出す。机の上に投げるようにして置けば、位置が気に食わなかったのか手直しされた。こういう所がムカつくんだよな。
 私がやめろと言ったことで余計調子に乗ったのか歌うようにフェニックスフェニックスと繰り返し、怒鳴らないようにと唇を噛んで耐えていれば指を指して笑ってきた。本当にこいつはよォ。人を苛立たせるためだけに生きてるのかな?

 机の角で煙草の火を消して、最悪な態度で肘をついてその手の上に顎を載せるとまた性格の悪さの滲み出た笑みを浮かべた。何が罪と罰だよ何が。私は、罪には罰を。尻には線香花火を。を座右の銘にやってるんだ。尻に線香花火ってスミ入れるぞ。

「昨日から予告してたけどダンスバトルね。まあ私が勝つけど一応聞いておく。死神は今日の命令はどうするの」
「あ? あー……負けた瞬間にリンドークンここに呼び出してオレの目の前で告白しろよ」
「は? ふざけんなカス。私が勝って竜胆くんに告白するんだけど。意味ないだろうがそれじゃあよ。私と竜胆くんをテメェの愉悦に使われるとか不愉快」
「別に良くね? もう飽きてきたわ。不死鳥ちゃんは三ヶ月間で何回負ければ気が済むんだよ」
「公式戦で負けたのは三回だけだわ馬鹿が! あとは全部非公式なんだよ!」
「うるせ〜。どーでもいいけどよ、一生オレに勝てねんじゃね? ってか、もしかして不死鳥ちゃん勝つ自信ない感じ?」
「は⁉︎ あるわクソが! テメェのそのやっすい挑発に乗ってやるよ! ダンスで私に勝てると思うなよ!」
「負ける気しねえ〜」

 椅子を蹴っ飛ばしながら立ち上がり、憎たらしい顔面に向かって中指を立ててやる。勝つといったら勝つ。物心着く前から小学校入学までソーラン節を踊り狂って父をソーラン節ノイローゼにさせた私の実力を甘く見るなよ。


 +


「それでよくオレに勝負挑む気になったな。ここまで下手だと思ってなかったわ」
「うわああああ」
「おらケータイ寄越せ。リンドーリンドー……不死鳥ちゃんの通話履歴リンドークンばっかじゃん。あ、もしもしリンドークン? オレオレ〜。今から不死鳥ちゃんがリンドークンに告るからすぐ歌舞伎町来て。は? 知らね〜。生きてんじゃね? いつものとこ行っから早く来いよ〜」
「ダメダメダメ、やめろ、やめろって! 竜胆くん来なくていいからね! 来ないでね! 来ちゃダメだから!」
「もう切れてっから何言っても聞こえてねえぜ」

 愉快そうに笑って死神は私の携帯を投げ戻してくる。アスファルトに膝と腕をつく私はそれを受け取ることも出来ずに、また叫んだ。毎朝恒例になったこの勝負をいつものように見に来た野次馬たちがゲラゲラ笑いながら引いていく。告白頑張れよって、おいふざけんな。この馬鹿の暴挙を止めろよ。

 死神はダンスが上手かった。上手すぎたのだ。あんなに手足が長いくせに、適当なくせに、思わず感心してしまうぐらいのダンスを踊ってみせた。対する私は野次馬たちが思わず押し黙るほどの出来だったといえば分かるだろうか? 自分でも知らなかったけれど、私はダンスがド下手くそだったらしい。こんなところで知りたくなかった。
 また煙草をスパスパやりながら、敗北者の格好で泣き喚く私を笑っているその様はまさに死神だ。このクソ野郎。いつか絶対に尻に線香花火を突っ込んで火をつけてやる。その時泣いて喚いて許しを乞うても無視してやるからな。


 死神と私は、別に友達でもなんでもない。高校の同級生でもない。名前で呼び合うことも無いただの知り合いというか、ライバルというか。中学卒業前から抗争先だったり日常生活の中でだったり、行動範囲が被っているのか顔を合わせることはあった。そのまま流れで何故か話をするようになり、高校入学と同時に私たちのこの勝負はスタートしたのだ。
 その頃竜胆くんとの関係がお友達のままであることに悩み、欲深くも恋人になりたいと思っていた私は死神の言った「じゃあオレに勝ったら告白したらいいんじゃね?」という言葉に上手いこと乗せられてしまった。勝ったら告白。確かに私らしい気がしたのだ。今思えば単なる馬鹿である。自分のタイミングで告白した方がいい。絶対に口車に乗せられてはいけなかった。

 だって私は、死神との勝負で勝てたことが一度もないのだ。公式戦三回、非公式戦は私が学校に通う日はほぼ毎日、その何れでも一度たりとも死神に勝てていない。公式戦ではラップバトル、ウォーリー早探し対決、大食い勝負を行ったがその全てで負けた。大食い勝負なんてどうしても勝ちたくて兄を代役に立てた結果、普通に反則負け。あの時は兄にまでそりゃ負けるだろと言われ、ただ私が試合にも勝負にも負けて二人の食事代を払っただけになってしまった。

 そして今回もまた死神の挑発に乗り、結果として私は敗北している。二度とダンスなんてしない。次は格好付けずに最初からソーラン節で勝負を挑む。見栄えを気にした時点で私の負けだった。

 一応、殴り合いだったら勝てるだろうなとは思っているのだ。二年前にシンイチローくんの店での事件があってから、私は力に物を言わせるだけの戦い方はやめ、より技を磨くことに専念してきた。左腕はあまり使わないようにしているが、まあ使っても使わなくても死神には勝てる。「人間スカウター」も死神に反応しこそすれど、マンジローやイザナに対するような反応の仕方ではない。体躯の差が少しネックだが、まあそれがあっても多分勝てる。
 だからこそこの勝負には殴り合いは持ち込まないことを死神と最初に決めている。律儀に死神がそれ守る以上、私が破るわけにはいかないのだ。永遠に私の負けになってしまう。以前オセロで勝負した時に負けた私がブチ切れてオセロ盤で殴り掛かったのは、机で防御されたためセーフだと認識している。

「なんて告るか決めてんの?」
「決めてるわけねえだろ……ってかそもそも告白しないから。こんな狭苦しくてヤニ臭いところでさ……臭い着くからお前もう吸うのやめろって何度も言ってんじゃん…………」
「あれじゃね、リンドークン愛してる、とか言っとけよ」
「死神が言うと安っぽいんだよなあ。というか竜胆くんの家からここに来るとしたらどんなに急いでも三十分はかかるから、私そのうちに逃げる。死神が竜胆くんに無理矢理呼び出してごめんなさいって謝っておいてね」
「まあいいじゃん、なんて告るかだけでも考えてけよ」
「は? 直球勝負で好きです付き合ってって言う。はい考えた、じゃあ帰るから」
「うん、付き合おう」
「えっ? え? 何? ちょっと待って、え、待って……え、竜胆くん?」
「そうだよ。まさかリコから言ってくれるなんて思ってなかったから驚いたけど、嬉しい」
「う、うわああああ⁉︎」

 負けたショックと無理矢理事を進められた苛立ちでよろけつつも立ち上がり、膝についた汚れを払う。服も払うために顔を下に向けた姿勢のまま死神と会話をしていれば、ギュッと後ろから抱き締められた。よく知ったその温もりに思わずスカートを払っていた姿勢のまま固まり、吃りに吃った声で竜胆くんを呼ぶ。肯定されたので絶叫した。
 死神はそんな私を見て泣く勢いでゲラゲラ笑っているし、竜胆くんはすっかり私の告白とも言えない告白を受けて喜んでくれているみたいだし、私はついていけないしで多分今ここは地獄だ。三者三葉が過ぎる。

 どうにかしなくてはと思って、しかし私も私でめちゃくちゃに混乱していたので普通に竜胆くんの腕を振り払って勢い良く振り返って抱き着いた。いや、何? 私何してんの? 他にすることあるでしょ死神を殴り飛ばすとか、死神を蹴り飛ばすとか、死神の尻に線香花火を突っ込むとか。
 竜胆くんは竜胆くんでなんとも嬉しそうに私を抱き締め返してくれたので、あ、と思う。やばいこのままじゃ流される。最近なんとなく分かってきたんだけど、私はなんだかんだといつも竜胆くんに流されているのだ。

「り、竜胆くん、今のはなんというか、実はもっとちゃんとしたタイミングで言う予定だったというか」
「でもオレはリコの告白を受けたし、リコのことが好き。で、リコもオレのことが好き。付き合わない理由なくね?」
「そ、そうかな? そうかも……」
「そうだよ。でもリコがもっとちゃんとしたとこで告白したいんなら、オレは付き合う。どこがいい? 今から行こう」
「今から⁉︎」
「今から。ひとまずそのくっせえ煙草の臭い落とそうぜ。一旦オレの家帰ろ」
「え、ええ……? 学校は……」
「どうせ遅刻なんだし一日ぐらいサボっても平気だって。どうしても行きたいんなら午後からにして。オレ送るから、それまで家で一緒に過ごしたい」
「……いやでも、私付き合うって何するかとかよくわかんないというか、なんというか……」
「今とたいして変わんねえよ。それに全部オレが教えるから、リコはオレに身を任せてればいいの。さ、帰るぞ」
「そ、そっかあ……じゃあ死神、私帰るみたいだから」
「流されすぎてて面白かったわ。じゃあな〜」

 ラジカセで適当に曲を流しながら手を振ってくる死神に手を振り返しながら、竜胆くんに腕を引かれて家路に着く。学校に行くために出てきたはずなのに、死神と勝負して竜胆くんに告白をして何故か竜胆くんの家へ帰っている。意味がわからない。というかラジカセ置いてきちゃったよ。まあ父のだからいいかな。


 竜胆くんの家へ帰宅後、浴室に突っ込まれるままにシャワーを浴びた私を上機嫌で抱き締めて離さない竜胆くんに一応、なぜあんなに早く着いたのか聞いてみた。ダンスバトルを始めた時点で見学していたらしい。つまり私の告白発言はずっと聞かれてたってこと。ダンスが下手でも可愛いと言ってくれたけれど、少々複雑だ。


 +


「それで結局竜胆くんと映画見て過ごしたんだけどさあ……あのさ、恋人って何するもの? 何したら恋人?」
「……」
「いや、せっかく付き合えたんだから私も竜胆くんに喜んで欲しいんだよね。ほら、今まではたくさん私が喜ばせてもらってきたわけじゃん。返していきたいの、その喜びを」
「……」
「でもこんなこと共通の知り合いに相談できなくて。で、思い出したんだよね。私には大親友がいるって」
「……」
「大寿くん、大親友の私に知恵を貸してくれない? あ、もしかしてもう考えてくれてる?」
「テメェの殺し方をな」
「またまたぁ。あっ、大寿くんって大親友の恋バナとか聞くの嫌なタイプ? だったらごめん。でもこれからも相談したいからここで慣れておこう」
「話を聞くか死ぬか選べ」

 腕を乗せていた机が消えた。私が支えを失って上半身の体勢を崩すのと同時に、階下から何かが大破する音と複数人の悲鳴が轟く。授業間の休み時間だったために和やかな空気に包まれあちらこちらで談笑が繰り広げられていた教室が、一瞬で静まり返る。しかしクラスメイトたちも慣れたもので、私たちの方を見ようとはしない。ぐるっと教室内を見回して目が合った生徒は「ヒィッ」と嬉しそうな歓声をあげて目を逸らした。
 そのまま大寿くんの方に視線を戻す。彼はゆっくりと椅子から立ち上がり、空っぽなので軽い机を手際良く蹴飛ばしている。私たちの間ではどちらかが窓の外に机を投げ捨てるのが開戦の合図なので、お互い机の中には何も入れず、脇にも何も掛けないのだ。授業中以外は教材や筆記用具もロッカーに全て入れている。投げるのに邪魔だからね。

「一昨日替えてもらったばっかりなのに、大寿くんすぐ机投げてダメにするんだから。ものに当たっちゃダメだよ」
「オレにものに当たらせてるのはどこのどいつだ?」
「さあ……少なくとも大親友の私ではないことだけは確か」
「授業が始まる前に片をつける」
「えっ、それじゃ全然時間足りないんだけど! もっと恋バナしようよ!」
「殺す」

 ノールックで振り抜かれた拳を片手で受け止め、ね? と大寿くんに同意を求めたのだがダメだったようだ。大寿くんはすっかり青筋を立ててやる気である。仕方ないので一度ストップしてもらうために左手を翳し、大人しく止まってくれた大寿くんの机を窓の外に向かって投げ捨てる。また破壊音の後に複数の悲鳴が響いた。

 私たちの教室は三階だが、真下の一階はちょうど職員室がある。入学三ヶ月でそれぞれ十回机を交換してもらったわけだが、その度に職員室の先生方は落ちてくる机を目撃することになってしまっていて、ちょっと可哀想だ。まあ最近では他に被害が行かないようにと私たちが毎度毎度机を落とす場所から半径十メートルの範囲で頑丈な柵が設置され、職員室以外からは上から見下ろさない以外机の破壊跡が見えなくなっている。職員室からも柵で見えなくすれば良かったのにね。
 私たちも私たちで馬鹿ではないので、元々誰も通らないような場所であることと自分たちなら正確に囲いの中に見なくても机を落とせることが分かっていて、これを狼煙代わりにしている。でなければ無関係の他人に被害が出るかもしれないような危険なことはしない。


 大寿くんが納得してくれないのであれば、拳をぶつけ合うのみ。フィールドの選択権は今日は偶数日なので私にある。どこにしよっかな。教室はクラスメイトを巻き込みそうだからダメ。廊下はすれ違う生徒を巻き込みそうだからダメ。屋上は登るのが面倒。校庭は下るのが面倒。うーん、全部面倒。

「どこがいいよ。流石にここだと人いっぱいだし巻き込みそうじゃん。やっぱり外かな」
「別にどこだっていい。今日決めるのはテメェだ」
「えー……ん? 大寿くん、なんか来てるよ。知り合い?」
「ア?」

 改造車らしくけたたましい音を鳴らして数十台の単車が校門の前に集まっている。うるさ。校門を無理矢理開けて押し入ってきた見たことの無い特服の集団がギャーギャーと何か喚いている。この距離で聞こえるわけないけど、馬鹿だから分からないんだろうな。
 大寿くんと一緒になって、私たちが机を投げすぎるせいで二人学校に揃う日は登校早々ガラスドア自体外されてしまうので開放感に溢れるドア枠から外を覗く。特服の色は黒だけど長ランだから東卍ではない。ここらで幅を利かせてるもうひとつのチームである黒龍も、総長にお伺いを立てに来たには物騒なので違うだろう。

 そのままじっと見つめていれば、始業のチャイムが鳴った。しかし気付けば到着していたこの時間担当の数学教師も外を気にしており、誰も授業を始めようとはしていない。他のクラスもそうなのかもしれない。なんせどこのクラスも静まり返っている。
 誰も外に出てこないことに痺れを切らしたのか、特服集団の中でも一番偉そうで一番長いリーゼントの男が前に出てきた。そのままどこから取り出したのか、拡声器を調整している。いやそこは地声で行けよ。

「外やばそー……巻き込まれるの面倒だし屋上行こうよ。いや敢えて外行く? どっちが片付けるの早いか競争でもいいよ」
『あー、あー、テステス』
「テメェで決めろ」
「えー。ってか、テステスってなんか笑えるね。聞こえてるかどうかとか気にするんだ。外行くかあ」
『出てこい、フェニックス・ガリ子! テメェにチーム潰された恨み、ここで晴らしてやる!』
「うーん、外はやめよう。はい、皆さん授業始めましょう。私数学大好きだから、数学の授業早く受けたいなあ!」
『聞こえねえのか! この学校に通ってんのは調べがついてんだよ! フェニックス・ガリ子、早く出てこい! それから黒龍十代目総長、お前もだ! お前も出てこい!』
「数学! 早く数学はじめて!」
「おいフェニックス、呼ばれてるが」
「ああああ! 黙って大寿くん! フェニックス⁉︎ ガリ子⁉︎ 違うから! 私じゃないから! ってか大寿くんも呼ばれてるじゃん!」

 ギャーギャーと拡声器越しにそのクソみたいにダサいあだ名を叫ばれると腕が震え出す。なんだよフェニックス・ガリ子って。なんでそれとそれを組み合わせようと思うんだよ。まだ死神の言う不死鳥ちゃんのほうが五千倍マシ。フェニックスはダメ。カタカナにしたせいで余計にダサい。


 一昨年の夏、シンイチローくんの店で私とシンイチローくんが殴られる事件があったあと。一週間以上眠り続け、目覚めたあとも私は昏睡状態が長かったからと十日間は入院することになっていた。しかしそのタイミングで夏風邪を拗らせ、更に入院期間は延長。丸一ヶ月入院していたのだ。
 そうなってくると、事情を知っている夜ノ塵はともかく、他所のチームでは「夜ノ塵のツートップの片方を最近見ない」ということになってくる。兄はかなり慌ただしくしていたそうだし、私と親しくしていることが広く知られている灰谷兄弟の片割れである竜胆くんも目に見えて動揺していたらしい。その二人の様子が影響したのか、ヤバい怪我をして入院したらしいという噂は私が姿を見せなくなって一ヶ月もする頃には死にかけているらしいという噂に形を変え、退院後のリハビリや詰め込み修行を終えてチームに戻った十月の中頃には他所のチームには私の訃報が流れていた。

 いや、ふざけんなよ。勝手に殺すな。死んでねえわ。死にかけたまでは合ってるけど、その噂が流れてた頃に私は既に退院している。もうピンピンしていたし、そこら辺を自分の足で歩き回っていた。一ヶ月間は元の体力と筋力を取り戻そうと四苦八苦していただけである。

 そうして自分の訃報が流れていることなんて露知らず、夜ノ塵と上野の新興チームとの抗争に復帰戦として参加した私は、兄と二人相手の雑魚共の群れに突っ込み、殴り蹴り吹っ飛ばし、相手チームのトップの前まで辿り着いた。そして幽霊を見たような顔で絶叫され、初めて知るのだ。自分が死んだことになっていると。
 あの時の動揺は一言では言い表せない。混乱のあまり相手チームのトップを殴ることしか出来なくなった私は、兄に羽交い締めにされなければ多分本気で相手の手足を潰していた。しかも悲しいことに生きてるんですけどと叫びながら殴る様がおかしな方向に噂をねじ曲げ、気付けば私は上野の不死鳥と呼ばれるようになってしまった。いや、まだそれはいい。二つ名感がギリギリある。

 でもフェニックス・ガリ子は本当にダメだ。蘭ちゃんと二人で六本木を歩いている時に突っかかってきた野良の不良にフェニックス・ガリ子だ! と叫ばれた時は普通に泣いた。なんなんだよほんとフェニックス・ガリ子って。リングネーム付けてるんじゃないんだからさ。私に代わって不良をボコボコにして竜胆くんを呼んでくれた蘭ちゃんに抱き着きながら過呼吸を起こすぐらいに泣いてしまったし、駆け付けた竜胆くんは蘭ちゃんに泣かされたのかと聞いてくれた。違うんだよ。意味分からないあだ名をつけられて悲しくて苦しくて屈辱的で泣いてしまったの。

 ガリ子だけでも最悪なのにフェニックスが着いたことで、最悪と最悪が混ざってもう屈辱的だ。まだ兄とセットのガリ子の方がマシ。


 しかし、私はその屈辱に負けるような女ではない。屈辱を糧に上に行く人間だ。今も拡声器を通して学校中にフェニックス・ガリ子とかいうふざけたあだ名が知られていっているのかと思うと怒りで視界が真っ赤になってくる。なるべく静かに冷静に踵を返してロッカーに向かい、ロッカーに突っ込んでいた鞄から震える手で耐摩耗の手袋を取り出した。そのまま手袋を嵌め、肩を回し腕を伸ばす。軽く屈伸してその場で飛び跳ね、コンディションを確認する。よし、問題ない。

「窓から行くのか」
「うん。大寿くんは普通に降りる?」
「この距離から飛び降りるわけねえだろ」
「そっか。リーダーはもらうね」

 手頃な机を掴み、狭いベランダに出る。そのまま勢い良く振り被って、投擲。この時ほど私と大寿くんの机が周囲に空席を置いて隔離されていることに感謝することは無い。投げられる机のストックが多いから。
 机は想像以上に良く飛んで、拡声器を振り回しているリーゼントのすぐ近くに落ちた。もしかしたら私、投擲選手になれるかも。次はあのリーゼントを投げて記録を伸ばそうかな。

 しん、と辺りが静まり返る。どこのチームかも知らないが、私の敵であることは確かだ。そして私に喧嘩を売っていることも確か。大声で禁句を叫び人を侮辱するのだから、まあ殴られる覚悟はしてここに来ているんだろう。最近はここまで愚かな喧嘩の売り方をしてくる馬鹿は居なかったから手加減ができる気がしないんだけど、別にいいかな。結局私に喧嘩を売る方が悪い。

 ベランダの手摺の上に立ち、露出した排水管を掴んで飛んだ。一階まで直通の排水管がすぐ側にあってよかったし、パルクールをやっていてよかった。壁に足をかけて減速しつつ、机の破片が飛び散るのを防止するために設置された柵の上に着地する。この高さだったら問題なく降りられるのでそこからは飛び降りた。
 地面を意味もなく確認して爪先を打ち付けていれば、ばちりとリーダー格のリーゼントと目が合う。大破した机の前で立ち尽くすリーゼントの顔が引き攣るのと同じくして、私はニコッと笑顔を作ってみせた。まず間違いなく引き攣っているし、口角が震える。

「潰す」

 語尾にハートが浮かぶのは親愛ではなく、燃えたぎる怒りだ。うん、潰す。手袋はもう用がないので外して投げ捨て、助走の勢いをつけて殴り掛かった。先手必勝とはよく言ったものだよね。吹っ飛ぶリーダーリーゼントを無視して、その隣に控えていた更なるリーゼント二名にも頭突きとアッパーを食らわせる。
 そこからはもう乱戦だ。リーダーリーゼントは一撃で意識を飛ばしたらしく、あとは雑魚だけ。まあリーダーも雑魚だったんだけどね。このレベルでは私の相手にはならない。入学数ヶ月で慣れた気配が突っ込んできたので、後ろから殴りかかって来た雑魚は無視する。瞬く間もなくそいつは吹っ飛んでいき、力だけならやっぱり私より全然強いんだよなあと場違いにも感動してしまった。

「雑魚しか居ねえじゃねえか」
「でもまあ、黒龍総長として名指しされてたんだからチームに喧嘩売られたようなもんじゃん? 私たちからしたら大義名分貰ったようなもんよ」
「テメェはそんなもんなくても暴れるだろうが」
「いや、最近は本当に落ち着いてたんだって。でもさあ、この馬鹿共がさあ、意味分かんないあだ名で呼んでくるから、仕方ないんだよ」
「ハン、どうだか」
「ま、背中は頼むよ大親友!」
「その呼び方はやめろ」

 相変わらず大親友は不服みたいだ。いつか絶対認めさせてやろーっと。

 因みに喧嘩の結果は言うまでもない。私たちの圧勝だ。無傷の勝利に乾杯と言ったら殴られて、私と大寿くんの乱闘に発展したのは言うまでもない。

デブに金棒

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