お兄ちゃんダイエット中なのにお肉焼き過ぎちゃったから、今日竜胆くんのことお家に連れて来てくれない?

 ちょうど放課後に竜胆くんと合流したタイミングで母からに送られてきたメールがそれだった。後ろから覗き込むようにして私の携帯を見ていた竜胆くんは私が何か言うよりも早く一も二もなく了承し、どのタイミングで知ったのか分からないけれど母に直接メールをしていた。竜胆くんだけじゃなくて蘭ちゃんもなんだけど、なんだかどんどんうちに溶け込んで来てるんだよね。祖父と蘭ちゃんがメル友だと知った時なんて、私は恐怖のあまり泣いてしまった。なんでそうなるの?

 そんなこんなでデートの予定は今度に回して、私は竜胆くんと家路に着いたのだ。今日は泊まってくのかとかあのデブがダイエットしたところで何が変わるのかとか他愛もないことを話しながら竜胆くんと歩く道は、歩き慣れていても特別に思える。近所の糞ガキ共に指を指されて「なんでゴリラなのに人間と付き合ってんだよ」と言われた時はさすがの私も糞ガキ共を追い掛け回してしまったけれど、まあその怒りを上回るぐらい竜胆くんと一緒にいると幸せを感じられた。

 そう、私は幸せだった。

「……あの、一応聞くけどさ。何してんの?」
「見て分かれよ、ダイエットだよ……」
「そういうことじゃなくてね。それ何? なんのポーズ? 竜胆くん、このデブを見ないで。目が腐るから」
「……ガリ男、それもしかしてY字バランス?」
「そうだよ! さすが竜胆、やっぱりお前は分かってくれるよな!」
「これが⁉︎ 埴輪のモノマネとかじゃなくて⁉︎」

 玄関を開けてすぐ、廊下のど真ん中でデブが道を塞ぐようにしてだらだらと汗を流しながらなにかのポーズを取っていた時点で、私と竜胆くんのささやかな幸せはぶち壊された。気が狂ったとしか思えないその行動に思わず悲鳴をあげて竜胆くんに抱き着いたし、竜胆くんも一歩引いていた。何とか冷静に振り絞った声も多分恐怖で震えていただろう。

 デブの奇行をY字バランスだと推測した竜胆くんとそれに嬉しそうに同意したデブとを交互に見ながら叫んでいれば、デブの向こう側、リビングから蘭ちゃんが顔を出した。ケラケラ笑いながらこちらを見てはいるが、どうやらもう十分に笑ったあとらしい。初見だったら絶対腹を抱えて笑ってるのに、今はまだやってんのかよという余裕すらあるようだった。

「適当に言ったのに信じてずっとやってんだよ。出来てねえのにな。ガリ子見本見せてやれよ、お前出来んだろ」
「いや、いやちょっと……本当にこれ埴輪のモノマネじゃないの? お兄は本気でY字バランスやってるの……?」
「埴輪のモノマネなんてオレがするわけねえだろ! 今からダイエットして肉食うんだよ!」
「頼むからもう喋んないで。本当に恥ずかしいから。竜胆くん変なもの見せてごめんね。無視していいよ」

 兄が馬鹿すぎて恥ずかしい。今からその贅肉全てを削ぎ落とすことなんて出来るわけないだろ。それこそ本当に肉削がなきゃダメだよ。そもそも今更足掻いたところで母が兄に肉を食べさせるとは思えない。適量以上は絶対に食べさせないはずだ。その為に蘭ちゃんと竜胆くんを呼んだんだろうし。
 竜胆くんに腰を抱かれて促されるままにデブをスルーしてリビングに入る。退けデブ、道を塞ぐな。お前自分がどれだけ幅とるか分かってんのか? 一生そこで埴輪のモノマネしてな。
 私たちが入室したことを確認して、本格的にデブの埴輪のモノマネへの興味を失ったらしい蘭ちゃんがドアを閉めた。向こう側からデブの泣き言が聞こえてくるが無視だ。

 結局そのまま私と竜胆くんは母と夕食の準備をし、蘭ちゃんは祖父と何か話していたので、父が帰宅して夕食を食べ始めるまでデブはずっとY字バランスもどきをしていたらしい。足が上がってないんだよな。本当埴輪のモノマネにしか見えないわあんなの。


 +


 休日の昼間、竜胆くんの家のリビングでぼけーっと四人で借りてきたホラー映画を見ながら。ゾンビが少女に襲いかかっているのを見ながらゾンビの倒し方を考えていた時に、ああそう言えばと前から聞こうと思っていたことを思い出して口を開いた。

「今年は海やめとく?」
「は? なんで? まさか他の男と行く気か?」
「とうとう泳げないこと気にし始めた? 浮き輪の上か竜胆の上乗っとけよ」
「おいおい、さすがに外で竜胆の上はやめろよ。どうせお前毎年泳がねえじゃん。たこ焼き食って寝とけよ」
「竜胆くん以外今から口縫うからこっち来な。ゾンビより酷い顔にしてやるよ」

 竜胆くん、蘭ちゃん、兄の順番に返ってきた言葉に憤慨して中指を立てる。後半二人は確実に私を馬鹿にしてるし侮辱してるしセクハラだ。私は基本的に寛容だけど兄たちには寛容ではないので、余計なことしか言わないその口は縫う。今後二度とそんなこと言えないようにしてやる。
 早く来いと二人を呼べば、近寄ってきたのは何故か竜胆くんだった。ただでさえも並んで座っていたのに、私を押し潰すかのように体重をかけてくるせいで体勢はそのまま横に倒されてソファーの腕起きの部分に頬がめり込む。ちょっと止まって。映画の中で少女に反撃されたゾンビの体が壁にめり込んでいるけれど、このままじゃ私があれになる。

「竜胆くん、待って。ストップ、潰れる」
「なあ、なんで? どうして急に海行かないとか言い出してんの」
「ほんと止まって……いや、あのね⁉︎ 私が行きたくないとかじゃなくて! 三人とも受験生だよね! 大学行くんじゃなかったの⁉︎ 高卒で働くの⁉︎」
「なんだ、そんなことか。それなら平気だからリコは心配しなくていいよ。なんとかなるから」
「そーそー、オレたちならなんとかなるって。ガリ男は無理かもしんないけどさ」
「は? リコ安心しとけよ。兄ちゃん天才だからな」

 いや、そんなことって。なんとかなるとかめちゃくちゃ軽いじゃん。この人たちどれだけ自分に自信あんの。一番の馬鹿は自分は天才だとか言い出してるしさ。もうこの流れで天才だとか名乗る時点で駄目なんだよな。
 私の返答に機嫌を良くしたらしい竜胆くんがとうとう全体重を預けてのしかかってきたので、兄たちへの不満を口にすることも出来ずに呻く。容赦がない。体勢がおかしいせいでキツイから、せめて天井を向かせてほしいんだけど。

 私のせっかくの気遣いを無視し、更には竜胆くんに押し潰されている私の助けを求める視線も無視しながらデブと蘭ちゃんはポップコーンを摘んでいる。正直この映画ハズレだと思うんだけど、なんでそんな夢中になって見ているんだろう。竜胆くんなんて多分もう映画に興味なくしてるし、私は私で少しでも楽な体勢になろうと必死だ。ゾンビも少女から逃げようと必死。

「冬になって泣きついてきても知らないからね!」
「そうだなー」
「あ、今年のクリスマスパーティーの肉どうする? 七面鳥食いたくね」
「どうせお前が全部食うじゃんそれ」

 海を通り越してクリスマスの話を始めた兄たちに呆れてため息も出てこない。こいつら勉強なんて欠片もする気ないだろ。高校受験の時に祖父にしばかれたこと忘れたのかな。っていうかゾンビパニックもののホラー映画観ながらよく肉の話なんて出来るよ。
 竜胆くんは竜胆くんで呻きを無視して私の頬や首筋にキスを落とすのに夢中だし、男連中はもうダメだ。竜胆くんにこんなこと言いたくないけどまともなやつがいない。ここは私が何とかしなければ。

「竜胆くん、せめて竜胆くんの部屋行こうよ……」
「映画観なくていいなら部屋行くけど」
「もういいよ。コレつまんないし、どうせ最後あの子がゾンビに勝って終わるって」

 ようやく身を起こして離れてくれた竜胆くんの手を借りながら私も立ち上がり、のろのろと歩いて竜胆くんの部屋に向かう。兄たちは曖昧に手を振って私たちを送り出し、ソンビをどうやって倒すかと議論を始めている。私もそこに混ざりたいけど、もう疲れた。勝手にベッド借りて寝ちゃおっかな。


 結局、竜胆くんの部屋に着くなり寝たいと言い出した私に竜胆くんは良いよと言ってくれた。三十分ぐらい経ったら起こしてねとお願いしたのだが、起きたら三時間経っていたし竜胆くんも私を抱き締めて寝ていた。うーん。案外疲れてたみたいだ。
 私が目覚めたことに気付きもせず眠り続ける竜胆くんの幼い寝顔をまじまじと数分見つめていたのだがまた眠気がやってきて、その鼻の頭にキスをしてから竜胆くんの腕の中に潜り込む。微睡む意識の中、冬になって受験がやばいと兄と蘭ちゃんが泣きついてきても絶対助けてあげないけど、竜胆くんには応援ぐらいしてあげようかな、と思った。


 +


 時刻は二十時。別に眠い訳でもないのだが大口を開けて欠伸をすれば、兄に軽く脇腹を小突かれた。はい、ごめんなさい。その意味も込めて小突き返す。案外力を込めてしまったらしく兄は呻いた。

「お嬢また夜更かししたのか?」
「んーん、普通に昨日は早く寝たよ。でも今日一日ジムでサンドバッグ殴ってたから、疲れてるのかも」
「夜更かしはすんなよー。早く寝て早く起きてもっと身長伸ばせ」
「余裕ぶっこいてるとクマの身長抜くからね」

 夜ノ塵の副総長で、幹部陣の中でも兄とは最も古い付き合いのクマが上から目線でそんなことを言ってきたのでキッと睨み付ける。自分だって私と四センチぐらいしか差がないくせに、こうやって私をチビ扱いしてくるのだ、こいつは。
 クマと私の応答に他の幹部たちも笑い、一気に和やかな空気になった。元々、旧知の仲の面々しかいない幹部会だ。次回の集会での議題の提案や最近幅を利かせている雑魚共に関しての情報共有も既に終わっているし、こうなればただ友人たちが集まって話をしているだけに過ぎない。

 私たちの話は常に二転三転するので誰が告白されただとかチームの誰が浮気して彼女に殴られたとか、そんなくだらない話を今日もする。私が思っているより男子高校生って恋バナが好きなんだなとこいつらを見てると常々思うのだ。蘭ちゃんから聞いた、兄が学校で一番可愛い女の子に「高賀くんは、ちょっと……」と告白してもいないのにフラれた話をしてあげれば腹を抱えて笑っている。まあこれは私もめちゃくちゃ笑ったので、仕方ないと思う。

「おい勝手に話すな」
「でも事実じゃん。結局お兄、その子のこと好きだったの?」
「好きじゃねえ! 可愛いなとは思ってたけど!」
「ウケる」
「そういうお前こそ竜胆と最近どうなんだよ!」
「どうって、まあ仲良しだと思うよ。聞きたい?」
「おいおい、リオやめろ。オレらはお嬢のそういう話は聞きたくねえんだよ」

 そんなに話を聞きたいなら今度海に行く時に着るつもりで買った水着に纏わる話でもしようかと思ったのだが、兄以外は聞きたくないらしい。兄もこれは意固地になっているだけでそう興味が無いと思うので、話すのはやめてあげた。
 結局兄がモテるために重要なことは何なのかという話になり、兄以外は満場一致で痩せることがあげる。何度も言うけど兄は絶対痩せたら私にそっくりになるから、モテるはずなのだ。祖父寄りの顔になるだろうし背も低くないし運動も出来るから、モテたいなら早く痩せた方がいい。そのためにも先ずは自分がデブなんだと認めるべき。

 自分はデブじゃないと喚くデブとお前はデブなんだよと言い聞かせる私の言い争いの盛り上がりが頂点に達した時に、ふと時計を見た兄が声を上げた。私もなんだよと時計に目をやり、その瞬間にこの後の用事を思い出して飛び上がる。

「うわ、もうダメだ。絶対間に合わない」
「間違いなく殴られるな」
「お嬢この後なんかあんの?」
「妹が恋バナしたいって言ってて、今日向こうの家でお泊まりなの。夜遅いから向こうの駅までお兄ちゃんが迎えになってくれることになってて」
「お兄ちゃんってあれか、パンダゴワゴワの痩せてる方のお兄ちゃんか」
「そうそう。わー、私もう行かなきゃ。次は集会で! じゃあね!」

 着替えやらなんやらは既に佐野家に置いてあるから問題ないので、携帯と財布だけ持ってることを確認して慌ただしく身支度を整える。痩せてる方のお兄ちゃんってなんだよとキレているデブは無視して、クマやその他のみんなに手を振った。

「おー、気を付けろよ!」
「誰に言ってんの! イザナと私に勝ちたいなら誰か人質に取って背後から不意打ち狙ってくれなきゃダメだよ!」
「別にそういうことじゃねえけど、お嬢の例えってやけに具体的だよな」

 絶対大丈夫だから! なんて言って飛び出して、駅まで駆け抜ける。そうやすやすと背後を取られるとも思わないし、不意打ちを食らうとも思わない。今心配なのは、私としてはイザナに殴られないかということだ。私が遅れている以上殴り返すわけにいかないもの。どうか怒っていませんように。弁解のメールを送りながらそんなことを考えていた。


 ……ん、だけど。

「ダメだ、逃げられた」
「まあ相手はバイク乗ってるから……イザナ、そっちの男の子見てあげて。意識ある? こっちの子はどっか骨折れてるかも」
「意識はないけど息はある。相当殴られてんな。鼻とか絶対折れてるわ」
「鞄に色々入ってるから止血出来そうな傷だけ止血しといてあげて。大丈夫だよー、もうすぐ救急車来るからねー」

 下半身丸出しで気を失っているアホ数人は放っておいて、倒れ込んでいる女の子の手を握りながら、血の流れる額にタオルを当てる。酷い怪我だし震えて泣いているけど意識はある。残念なことに上はともかく下は完全に服も下着もダメになっていたので私のパーカーを腰にかけて、大丈夫だよと何度も声を掛ける。
 イザナも適当に私のカバンを漁ってタオルやらなんやらを取り出し、手荒ながらに止血はしてくれているようだ。服は……悪いけど、男の子の方には我慢してもらうしかない。イザナはパーカーなんて羽織っていないし、ここで脱がせたらそれこそ女の子が余計怯えかねない。

 どうやらこの子達は恋人同士らしい。女の子が男の子の方が無事かと聞いてくるので、大丈夫だと答える。今は意識はないそうだし恐らく入院の必要もあるだろうけど、そこまで深刻ではなさそうに見えた。とは言っても私もイザナもその道の専門家では無いので、断言は出来ないけれど。

 駆け付けてくれた近所の交番の駐在さんと顔見知りの刑事さんがまたかという顔をしているので、私は女の子の肩を抱き起こしながら肩を竦めて見せた。こればかりは仕方の無いことだ。一昨年のシンイチローくんの店での事件に関しての事情聴取でも顔を合わせたわけだが、あれは私のせいではないし、今回の件に関しても私たちは飛び込んで助けた側。犯人数名を逃してしまったことは申し訳なく思うけど。


 事の経緯を語るとこうだ。約束からやはり十数分遅れて駅に到着した後、私の遅刻を咎めるイザナを適当に宥めながら、買いたいものがあるというからコンビニに向かっていた途中で女の子の悲鳴が聞こえてきた。戯れではなく切羽詰まったものにしか聞こえないそれに我先にと私が駆け出し、辿り着いたこの公園で集団に暴行される女の子を見た瞬間に、暴行犯たちに殴りかかったというわけ。弱かったのでほとんどは制圧出来たけれど、何人かは取り逃した。そちらは少し遅れて辿り着いたイザナが追ってくれたけれど、相手はバイクに乗っていたのだ。まあ徒歩のイザナが追い付ける訳もなく、逃がしてしまった。

 刑事さんたちの手によってパトカーに詰め込まれていく下半身丸出しのアホ共はまだ気を失っているのが半分、起き出したのが半分。自分たちがお縄につくことが受け止められていないらしくギャーギャーと喚いていたが、あれこそまさに負け犬の遠吠えというやつである。半殺しにしなかっただけ感謝して欲しい。
 パトカーが来て直ぐに到着した救急車に、私の手を離せそうにもない女の子に同乗する形で乗り込む。イザナが代わりに警察に話をしておいてくれるそうだ。当然のことをしたとはいえ警察沙汰に自分から飛び込んだんだとこの辺りでようやく理解してきた。救急隊員の方々に軽く事情と女の子の状態を説明しながらも、すーっと背中を冷や汗が伝い落ちていく。

 本当に当然のことをしたと思っているし、もし目の前でまた同じことが起きたら躊躇わず突っ込んでいってクズ共を殴り飛ばすと誓うが、しかし竜胆くんに怒られることは怖い。今度無茶をしたら本気で怒ると言われているのに。いやでも当然のことをしたわけだし。ああだけど怒られたくない。

 ぐるぐるぐるぐると考えているうちに救急車は病院につき、女の子は手術室に運ばれて行った。頭の怪我はやっぱり縫わなきゃダメみたいだ。ずっと泣いている上に不安がっている女の子に終わるまでここで待つよと声を掛けて、携帯を預かった。ただ待っているだけなのもどうかと思うので、何度も携帯に連絡を入れていつ帰ってくるのか何かに巻き込まれていないかとメールまで送ってくれている、恐らく女の子のご両親であろう方に電話をかける。お母さんって登録してあるんだから、きっとお母さんだろう。どうしようかな見知らぬ他人とかだったら。それはそれで怖すぎるでしょ。

 電話に出たお母様は事情を話せば相当驚き慌てていたけれど、すぐに病院に来てくださるそうだ。男の子のご両親の連絡先も知っているらしく、代わりに連絡していただけるらしい。手術が終わったらすぐに連絡をすると約束をして電話を切る。……あとなんかやるべきことってある? 竜胆くんに怒られる前に懺悔したりした方がいいかな。
 手持ち無沙汰になってくると怒られることがどんどん不安になってきてしまって、どうしようどうしようと思いながら頼れる大親友に相談のメールを送った。

『色々あって警察沙汰に関わっちゃったんだけどどうすれば恋人に怒られないと思う?』

 返信なし。

『私は当然のことをしたと思ってるし、何度だって同じことをすると思う。でも怒られるのは怖い。どうすればいいかな?』

 返信なし。

『大親友の大寿くん、見てますよね? 見てることはわかってるんだよ。もしかして大寿くんは気持ちを文字にするのが苦手なタイプ? それなら電話していい?』

 返信なし。もういいや、電話かけよ。

 斯くして大寿くんと着信と応答拒否を十九回ずつ繰り返し、二十回目の着信でさすがに痺れを切らしたのか応答してくれた。もう怒る気力もないと言った感じでため息をついて時間を考えろと言われたけれど、それでもまだ二十二時にもなっていない。大寿くんって実は二十時には寝る感じの人? と聞けば一言死ねと返された。わあ酷い。大親友に対して暴言が過ぎる。
 大寿くんは電話を切りたくて堪らないようだけど、しかし大親友なので電話を切ればよりしつこく私が出るまで掛け続けることは分かっているのだろう。何を聞いても「死ね」「失せろ」「黙れ」としか言ってこないけど、電話を切りはしない。求めてるのは罵倒じゃなくてアドバイスなんだけどな。

「結局どうすればいいと思う?」
『テメェらがどうなろうが興味がねえ』
「竜胆くん怒るかな……いやでも、怪我はしてない……だけど竜胆くん的にはそんなの問題じゃないんだよね…………」
『はあ……』
「はあ〜……竜胆くん、大好き……」
『死ね』

 わっ、切られた。今日機嫌悪いな。結局私、自分が竜胆くんのことが好きだってことしか分からなかったよ。素直に謝って好きって伝えるしかないか……。

 ここまで忘れていたけどエマちゃんにも到着が遅れることを連絡しようと思って画面を見れば、着信が二十九件、メール五十四件と表示されていた。何? いや、分かるんだけどね。分かってますよ。分かってるんですけど、何?
 先に少ない方から見ようと思って着信の方を確認したんだが、上から下までほとんど竜胆くんだ。意味もなく数えてみたけど二十を超えたあたりでやめた。うーん、見ないふり。メールの方を見よう。

 エマちゃんが大丈夫? とか連絡だけくださいとか十件ぐらい送ってくれている。マンジローからも生きてるかと一件だけ来ていた。勝手に殺すな。あとは兄から何件と、クマたちからも一件ずつ。シンイチローくんや両親からも来ていた。全員に当たり障りなく、生きてます無事です元気です無傷ですと返す。あとのメールは……うん。
 どれも私の安否を心配する内容なんだけど、イザナはなんて説明したんだろう。どんな説明の仕方をしたら私のピンチみたいなことになるの?

 腹を括って、女の子の手術が終わるのとご両親がいらっしゃるまでの間に竜胆くんに謝ろうと、タイミングよく掛かってきた電話に応答する。竜胆くんとその名を呼ぶよりも早く、ひっくり返った声で名前を叫ばれた。思わず携帯を耳から遠ざける。本当にイザナはどんな説明をしたのか。

『無事か⁉︎ 今どこに、いや何があって、ああ違う、』
「私はなんにも怪我なんてしてないし、無事だよ。今は付き添いで病院で、ちょっと事件に巻き込まれちゃって」
『は、事件⁉︎ まって、本当に怪我してないよな⁉︎ どこも痛くない⁉︎ 泣いてない⁉︎』
「うん。どこも痛くないし、泣いてないし、怪我もしてない。心配かけてごめんね。被害にあった女の子がすごく怯えてて、付き添いで病院まで来たの。私は本当に無傷」
『良かった……イザナが電話してきてリコが救急車乗って病院行ったとか言うし、電話繋がんないし、もう気が気じゃなくて…………本当に無事で良かった……』
「心配かけてごめんね。この後女の子のご両親に色々ご説明したりしなきゃいけないから一回切るけど、またあとで電話してもいい?」
『全然いいよ。なんならリコがダメって言ってもオレが電話する。迎えは? 誰か来んの? 一人ならオレ行くけど』
「多分イザナが来てくれると思うし、来てくれなくても無理矢理呼び出すから平気だよ。ありがとう」

 もう何となくわかるんだけど、アイツ絶対竜胆くんにだけ敢えて誤解を招くような伝え方したでしょ。竜胆くんが私をすごく大切に思っててくれて心配してくれてるのは本当に嬉しいんだけど、イザナは竜胆くんの不安を煽ろうとするのやめてくれないかな。いや、連絡してくれただけ感謝してるんだけどね。感謝はしてるけど、それにしたってだよ。
 また同じことが目の前であったら突っ込んでいくけど、危ないことに自分から首突っ込んでごめんねと謝れば、竜胆くんは呆れたように笑ってくれた。

『リコがそういう子だって分かってるよ。でもやっぱり心配はするし、不安にもなる』
「うん」
『一回人殺してるオレが言うのもなんだけどさ、オレはリコには死んで欲しくない。生きてて欲しい。でもこのまま色んなことに首突っ込んで、巻き込まれて、自分投げ出して誰か庇ってたら、いつかリコが死んじゃいそうで怖いんだよ』
「……死ぬ気はない、けど」
『うん、それは知ってる。でも何回も怪我してるだろ。シンイチロークンの時だってギリギリだったよな。心臓が止まってるんだ。あとちょっと救急車が来るのが遅かったら、リコは死んでた。次もしそんなことになった時、誰も助けを呼んでくれなかったらリコは死ぬ』
「……うん」
『オレはリコのことが大切で、好きだし、ずっとそばにいたい。でもこれまでリコになんかあって危なくなった時、オレそばにいられてないんだよ。リコはいっつもオレのいないところで無茶して、死にかけてる。オレがそれを知るのは全部終わったあと。これからはそんなことないようにオレが守りたいって思う。でも怖い』
「……」
『お願いだから、無茶しないで。オレはリコとこの先ずっと一緒に生きていきたい。リコが目の前で何かあったら飛び込まないでいられないってことは分かってるけど、それでもさ』
「……分かった。絶対の約束は、ごめん、できない。でもちゃんと気をつける」
『……うん。今はそれでいいよ』

 竜胆くんはまた呆れたように笑った。私はその声を聞きながら、やっぱり竜胆くんに心配をかけたくないと思う。頼ることは出来るようになったし、相談することだって出来る。竜胆くんには私の弱い所を見せられるし、私の弱さを受け止めてくれる人なのだと分かったから。私がどれだけ弱くたって、情けなくたって、泣き虫だって、竜胆くんは受け止めてくれる。

 でもやっぱり、心配はかけたくないのだ。竜胆くんが案外泣き虫だってことも分かってしまったから。


 詳細は省きつつも軽く何があったのかを話しながら、時間を潰す。今年は少し遠いところの花火大会にでも出向こうかと話している時に、バタバタと慌ただしく駆けてくる音が聞こえた。ご両親がいらっしゃったようだ。

「竜胆くん、ごめん、ご両親いらっしゃったみたいだから切るね。また後で掛ける」
『ん。時間遅いからって遠慮したりしなくていいからな』
「えー。遠慮してって言われてもしないよ、そんなの。じゃあ、またあとで」

 竜胆くんからも同じような言葉が返ってきたのを聞いて電話を切る。そのまま立ち上がり、ちょうどいいタイミングでこちらに駆け寄ってきたご両親に頭を下げた。


 +


「愛美愛主、愛美愛主……愛美愛主ねえ……」
「ウルセェ黙れ。自習をしろ」
「してるしてる」

 夏休みまであと数日ということもあり、授業もほとんど自習時間になっている。教室内には夏休みの課題をやっている人間もいれば、喋っている人間もいるし、本を読んでいる人間もいる。私はといえば、課題はやらず、本を読むことも無く、独り言を言っている。相変わらず隣の席の大親友大寿くんはどうやら夏休みの課題は夏休み前に片付ける人らしい。すごいスピードで消化していってる。
 ボールペンを回しながら唸っていれば、お気に障ってしまったらしくギロリと睨まれた。大寿くんは真面目な不良なので自習時間は自習をするのが当たり前と考えているようだが、私は違うのだ。真面目な不良だけど普通にだらけて過ごすし、課題は最後の一週間で片付けるタイプ。

 私の返答に青筋を立てたものの机を投げ捨てはしなかった大寿くんは、今度は私を完全無視することにしたらしい。黙々と課題を解くのを再開している。どうせ聞いてないんなら話し掛けていいかな。大寿くんとの会話はいつも私の独り言なんだし、そう変わらないだろう。

「大寿くん、新宿の愛美愛主知ってる?」
「……」
「私たちのひとつ上の連中が多いチームなんだけどさ。なーんか、きな臭いんだよねえ」
「……」
「何日か前に夜電話して相談したじゃん? 実はあれも愛美愛主の連中が起こした事件でさ。チームにも入ってない一般人と問題起こして、わざわざ渋谷まで来て、その彼女まで巻き込んであんなことしてんの。……やっぱりなんか嫌な予感すんだよね…………」
「……」
「で、ここからはちょっと話変わるんだけどさ。襲われた一般人が東卍の幹部の一人の親友なんだって。結成メンバーの一人で、まあ私も知り合いなんだけど、やっぱりマンジローもダチの親友とその彼女がそんなことされてるわけじゃん。思うところがあるみたいでさ」

 大寿くんが手を止め、凪いだ瞳で私を見る。やっとこっちを向いてくれた。やっぱりなんだかんだと話は聞いてくれてるみたいなんだよな。
 ボールペンを回す手を止めず、私も大寿くんをじっと見つめ返す。きょうだいたちの話を良くする私と違って、大寿くんは自分の弟妹の話を滅多にしない。それでも私たちは大親友なので、一応家族構成ぐらいは知っている。大寿くんが同じ渋谷のチームだとはいえ東卍を少し気にかけている理由も、なんとなく当たりがついている。何度か私も顔を合わせたことはあるんだけど、大親友にやっぱり似てるんだよね。

「遅かれ早かれそうなる気がするんだよね、っていう話。マンジローってすごく優しい友達想いの子だからさ。私も愛美愛主に関しては色々気になるから姉として関わろうと思ってる。だから、弟くんのこと見とこうか?」
「……良い。お前に借りを作るのは癪だ」
「えー? 私たち大親友じゃん、そんなこと気にすんなって。でもまあ、手は出さないけど適当に見とくね。引き際とかは分かるだろうし」

 宣言してしまえば大寿くんはもう何も言わなかった。そのまま課題にまた目を移し、さらさらと問題を解き始める。流石の手際だ。写させてもらおうかなと思ったけれど、今大寿くんが解いている数学の課題は家に放り出しているので無理だった。答えをメモするのも何か違う気がするし。

 会話が一段落してしまったので、この後の予定を立てることにする。今日は竜胆くんと会う予定もないし、休息日だから修行もないしで暇なのだ。大寿くんに遊びに行こうと声をかけでもどうせ無視されるだろうし、イザナやエマにだって都合はあるだろう。で、今日は東卍の集会があるからマンジローも無理。シンイチローくんのお店に行けばワンちゃんとかいるかな。ココくんはいちいち私に突っ込んでくれるから会話していて楽しいんだけど、着信拒否されているらしく連絡をして予定を合わせることは出来ないし。


 他に誰か気軽に会える知り合いなんていたっけと色んな人の顔を思い浮かべて考えているタイミングで、ふと点と点が繋がって線になるようにして今まで考え込んでいたことととある人物とが結びついた。ボールペンを回す手を止め、意味もなくため息をつく。証拠も何も無いけど確信した。してしまった。

 愛美愛主の件、死神が裏にいる。


 +

 本当は施錠されていて出れないはずなんだけど、うちの学校の屋上の扉は鍵が壊されている。ドアノブを捻れば簡単に開くので、ここは私と大寿くんが戦う時のステージのひとつだ。私たちが根城にしているという噂が流れているらしく、全然他の生徒も教師もここまで来ないこともここを使う利点のひとつ。

 ふらりと教室を出て、誰にすれ違うこともなくここまで来た。給水塔の影に座り込み、携帯を開いて死神に電話をかける。暇だったし、気になったからにはここで聞いておきたい。どうせ明日の朝勝負があって会うわけだけど、そこまで留めておくような疑問でもないだろう。

「あ、死神? 私だけど」
『おー、不死鳥ちゃん、何、暇してんの?』
「いや別に。ねぇアンタ今誰かと一緒にいるの? なんか声聞こえるけど」
『まあ一人じゃねえけど。にしても不死鳥ちゃんがオレに電話掛けてくんなんて珍し〜。他の男に電話すんなってカレシに怒られんじゃね』

 相変わらず軽薄な口調だ。こいつ絶対今あの性格の悪さの滲み出たニタニタした笑みを浮かべてる。私、あれ嫌いなんだよな。あれを見る度に絶対いつか尻に線香花火を突っ込んでやろうと思うもの。
 言葉にせずにその生意気な顔を思い出していたのだが、どうにも死神の声が楽しそうなことに気付いた。いつもの世の中舐め腐ったような憎たらしい声ではなく、何かを楽しんでいるようなそんな声音だ。私が勝負に負けて悔しがっている時に向けられるものと同じ。

「アンタなんかいい事あったの?」
『なんで?』
「楽しそうじゃん。何、一緒にいるの彼女とか?」
『は? 違ぇよ、フツーに男。まあ面白そうな奴だけど。で、何? なんか聞きたいことあんじゃねえの』
「そうじゃなきゃアンタに電話しないからね。あのさ、アンタってどっかのチーム入ってるっけ」
『……黙秘〜』
「じゃあ聞き方変える。アンタって愛美愛主でどういうポジション?」

 電話越しに死神が愉快そうに笑い始める。当たりだったみたいだ。やっぱり私の勘は滅多に外れない。まあ嫌な予感とか、そういう方向にしか働かないんだけどね。

 夏の乾いた風に巻き上げられる髪を片手で抑えながら、死神の言葉を待つ。近くにいる誰かと何事か話しているようだけど、携帯を下げているか何かしているらしく会話の内容まで聞き取ることは出来ない。死神が思う面白そうな奴って、単純にヤバい奴な気しかしないんだけど。絶対そいつも何かしら今回の件に関係してるでしょ。

『不死鳥ちゃんお待たせ〜。なんだっけ、オレが愛美愛主でどんなポジションかだっけ?』
「そう。ご相談は終わりました?」
『終わりましたぁ。最近色々あって名前は入れてるけど、今はフツーにヒラだぜ、ヒラ』
「今はフツーにヒラ。わー、嫌な予感しかしないんだけど。アンタ人の下につくとか無理そうじゃん。上の人間ボコボコにしちゃいそう」
『ヒデェ〜! 不死鳥ちゃんオレのことなんだと思ってんの?』
「死神」

 私の決まりきった答えにいつもの気味の悪い笑い声を一頻り響かせて、死神は今度は分かりやすく近くにいる「面白そうな奴」に返事をした。分かったとか、そろそろ切るとか。急かされているらしい。
 無言でいる私に何を思ったのかその「面白そうな奴」を紹介しようかと言ってくれたけれど、丁寧に遠慮した。そんなとんでもない。絶対にろくでもない奴だという予感がある。なるべく自分から厄介事に首を突っ込むのはやめようとしているところだから、今抱えている以上の問題を抱えたくない。

 絶対やめてと何度も言い含めれば、面倒くさそうに了承してくれた。不安だなあ。大寿くんとはまた違った意味でこいつは私の話を聞いていないのだ。大寿くんが面倒だから私を無視しているとしたら、こいつは聞いていても自分の都合のいいように解釈するタイプ。それならまだ無視してもらった方がマシだ。

「ほんと紹介とかしなくていいからね。私の話もしなくていいから」
『はいはい。じゃあまた明日なー』
「絶対言うなよ! これフリじゃないからな! あと明日のけん玉対決は絶対私が勝つから! じゃあな!」

 最後にもう一度絶対に言うなと怒鳴ったのだが、言い終わるより早く電話を切られた。クソが。人の話は最後まで聞けボケナス。
 地団駄を踏みながら立ち上がり、ぐっと伸びをする。ちょうどチャイムが鳴った。今日はこのままホームルームを終えたら帰りなので、何もすることもないしまっすぐ帰るか。大親友を見習って大人しく課題でもしようかな。

 愛美愛主の裏に死神と「面白そうな奴」がいるとわかった以上絶対面倒なことになるし、嫌な予感もしているのだが、今はそれに気付かないフリをする。無茶するなと竜胆くんは言うけど、無茶や問題から私の方に来てるよ。回避しようとしてもそっちから突っ込んでくるから逃げられない。


 マンジローに一応忠告しておくかと考えながら給水塔の影を出て軽くて首を回しながら歩いていれば、背後からガシャンと何かが落ちる音がした。振り返れば、屋上の端の方に積み寄せられていた机と椅子の一部が崩れている。わー、なんか不吉。

デブの川流れ

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