目的が手段に変わって、約束は呪いに変わって、思い出すら悪夢に変わる。がらんどうに今更何を詰め込んだって、がらんどうのままなのだ。


 起こされる時間に起きて、用意された朝食を食べて、既に選ばれた服を着て、ただ座り込んでいるだけで化粧も髪もどうにかしてもらえる。手を引かれるままに人に会ったり会合に顔を出したりして、望まれるままに喋る。一から十まで記された台本を諳んじているだけなのにまるでそれが私の言葉のように持て囃されるのは奇怪で、何より楽だった。
 思考することにも選択することにもエネルギーを使う。でも、人の考えを読み上げてさも自分が選んだかのように振る舞うのにはエネルギーを使わない。全部任せてしまった方が楽なのだ。何かを考えることも、選ぶことも、意味の無いことなのだと理解してしまったから。

 今日もいつもと違わずに決まりきった時間に起こされて、日差しが差し込むダイニングで朝食のトーストを食べながら一日の予定を聞かされる。万次郎の分の朝食は用意こそすれど手を付けられないことが常だ。今日も何時から誰々との面会が、などと言いながら誰に許可を取るまでもなくさっさと食べてしまっている。

「それから、十八時から木下の爺さんがまた会食でもどうかっつってるそうだ」
「……稀咲くんはなんて」
「特に何とも言われてねえけど、東卍の得意先ではあるな」
「…………修二くんに確認して」
「了解。乾と九井からも食事の誘いが入ってたからそれは勝手にこっちで予定を組んどく」
「うん。蘭に任せる」

 蘭の口振りからしてその木下さんは以前も会食をしたことがある人なのだろうが、何も思い出せない。人を人と区別して食事をしているのではなく、そう指示をされたからその場についているだけなのだ。きっと今日会ってみても、明日の朝には顔も名前も思い出せなくなっていることだろう。

 私の返事に頷いた蘭はさっさと平らげたトーストの乗っていた皿を横に避けて、私によく見えるように手元の書類数枚を机の上に置く。促されるままそれを見下ろし、記された文字を目で追う。調査報告書。頼んだ覚えもなければ頼む筈もないものだ。
 内容を検めることはせずにこれは何と目で問えば、ひとつ鼻で笑って蘭はテーブルに肘を着く。

「この前、場地圭介と羽宮一虎と橘ナオトをここに入れただろ」
「……うん」

 話がしたいと言われたから、一番監視の目が少ないここに招いた。ケースケと一虎は蘭と万次郎以外の全てをなくした私に、それでも戻ってこいと呼び掛けてくれる優しい人たちだ。無下にすることも出来なかった。

「ここまで連れてきたことはバレてはねぇけど、探ってる奴らがいるとは知られた。多分調べてた奴は三人の名前や所在まで掴んでたようだが、覚えてるか、先週許しを与えた男。アレがそうだったみたいで、そこまでは報告書をまとめる時間がなかったみたいだな」
「…………そう言えば、あの呼び方をしてきた男がいたから……」
「そうそう。残ってたデータも信者使って潰させたし、リコは心配しなくていい」
「……分かった」

 でも一応目は通しておけと差し出された書類を目で追うだけ追う。本当に目を通すだけだ。蘭だって分かっていてそう言ったんだろう。もっと重要な書類なら、理解しろと言う。

 残っていたトーストの半分に、蘭がブルーベリーのジャムを塗っていく。丁寧に伸ばされていくそれと、楽しそうにしている蘭を見ながら、ふと、もう全て早く終われと思った。


 +


 誰が決めたのかは知らないけれど、聖女様は白い服しか着てはいけないらしい。イメージ戦略だのなんだのと言いながら贈られたワンピースに袖を通したことを確認してから、結局アイツの趣味だろと嘲笑する蘭が背中のジッパーを引き上げた。そのまま編み込んで結ってと髪型を整えられ、施される化粧を受け入れる。されるがままで身を委ねていられるこの時間は好きだ。何も考えなくていい。ただ指示された通りに動いて、決まりきったことをすればいいだけ。

 蘭の指が私の鎖骨のあたりを戯れに撫でる。襟ぐりが広いワンピースだから刺青がよく見えるのだ。花弁に振れるようにそれを撫でて、うなじに唇を落とすその様を化粧台の鏡越しに見つめる。こういう時に思うのだ。私たちはどうしようもないぐらいに哀れで、無様だ。


 こんな高層階に押し入って来る奴がいるのかといつもの文句を言いながらも蘭が戸締りとセキュリティを確認しているのを横目に、自室に向かう。自室とは言っても概念の曖昧なベッドしかない部屋。ワイドキングサイズベッドの中心で毛布をひしと掴んで手足を丸め小さくなっているその剥き出しの背に触れて、鼓動を確認した。

「万次郎、おはよう」
「……リコ」
「行ってくるね」
「…………ん」

 すっと起き上がった万次郎から触れるだけのキスを受けて、それを了承の合図と受け取って立ち上がる。今更気付いたが、昨晩脱ぎ捨てた私たちの服がどこにもないあたり蘭が拾って洗濯してくれたのだろう。そういえば私を起こしに来た時に何か拾い上げていた気がする。

 自室を出て玄関に向かう。既に準備を整えて全身鏡を見つめていた蘭が緩慢な動作で振り返り、すっと私のつむじからつま先までを一巡する。問題は無いと判断したのか手を差し出され、それに支えられるようにして用意されていた靴に足を通した。キツくないかと聞かれるので頷いておく。そう歩かないから靴擦れの問題もないだろうと蘭は言って、玄関を開けた。


 +


 全身に纏わりつくような鉄臭さと硝煙の独特な匂いに鼻を鳴らして、頬についた返り血をワンピースの袖で拭った。斜め後ろに控えていた蘭がそのワンピースは捨てなきゃなと小さく笑うのが、巻き起こる歓声の中でも不思議とよく聞こえた。すっかり手に馴染んだ銃器が後ろから伸びてきた手に奪われる。豪奢な玉座の手摺に肘を着き、四方八方から聞こえる聖女様を讃える声に何を思うまでもなく、先程まで生きていた死体を見下ろした。


 初めて人を殺した時のことはよく覚えていない。確かこの椅子に座り始めて半月ほど経った頃だったから、多分もう十年は前だ。

 万次郎と共に蘭に世話を焼かれるままに思考を放棄して生きていた私の元に、稀咲くんがやって来て一言だけ言ったのが、これの始まりだった。ようやく私に相応しい玉座が見つかったと。

 最初にこの場所に連れられてきて、この玉座に座った時。御簾越しに、姿さえ見せない私に向かってひれ伏す人々を酷く哀れんだことを覚えている。虚像でしかない聖女様に縋って、救いを求めている。私がひとつ声をあげれば歓喜の涙さえ流してみせるのだ。なんて哀れで無様なんだろう。

 週に二回のこの集会は、御簾越しに私が事前に用意された台本を読み上げて、ご高説を垂れるだけの会。今となっては巨悪に身を落とした東京卍會のひとつの資金繰りのルートとして用意された宗教は、私を聖女と崇める信者たちが集まって成り立っている。最初からそれはずっと変わっていない。

 この玉座に収まって半月ほど経った頃、御簾越しに誰かが私を「竜胆様」と呼んだのだ。男だったかも女だったかも覚えていない。若者だったのか老人だったのかも記憶にはない。ただその名前で呼ばれた瞬間に、私はその信者を御簾のこちら側に呼び寄せて、その時はそばにいた稀咲くんの銃を奪い取って撃ち殺した。
 御簾は私の全身を覆い隠すものではない。隠されるのは上半身だけだ。だから首から足首に至るまで全身に彫ったその花の刺青が見えていて、私を愚かにもそう呼んだのだろう。そして私はその名で呼ばれてしまった以上その信者を殺さないわけにはいかなかった。違うからだ。

 一度信者を殺したことが、恐らくこの宗教をより一層盛り立てる引き金になったのだろう。いつからか私は許しを与える聖女様になった。私が許しを与えるといえば何をしても許される。引き金を引くのはいつも一瞬だ。許しを与えますと、そう言えばいいのだから。

 今日もそうだった。信者の誰かが、私をその名で呼んだのだ。私が御簾の内側に呼び寄せるのが先か、蘭が銃を差し出してくるのが先か。御簾の内側にやってきて、歓喜に打ち震えながら私をもう一度その忌々しい名で呼んだ信者の脳天に銃口を当てながら、決まりきった宣告をする。許しを与えます。


 ああ、なんて哀れで無様なんだろう。この世に許しなんてもの、あるはずがないのに。死こそが救いであり許しなのであれば、私はもう、死んでしまいたい。

 血溜まりを踏み付けて私の正面に回り込んだ蘭が、感情を伴わず流れ落ちる私の涙を拭う。名前を呼べば、分かっているとばかりに頷かれた。聖女様バンザイと響く中で、顔を耳元に寄せて小さく私の名前が呼ばれる。その度に思い知らされる。

 私は、この花の名を名乗っていいほど美しい人間などではないのだ。


 +


「また殺したんだって?」
「……」
「気に食わないのは分かるけどよ、週二でバカスカ殺すのはやめろって。警察に目ェつけられてんだよ」
「……」

 かつては死神と呼んでいた男から投げ掛けられる声が左から右に抜けていく。目の前の皿に乗せられたザッハトルテを小さく切り分けて口に運びながら、着替えされられた黒と金のワンピースが窮屈に感じられて軽く身を捩る。趣味が悪いと蘭は笑っていたし、私もあまりこの色合いは好きではない。

 私が返事をしないことに痺れを切らしたのか、糾弾は蘭に向けられる。ショートケーキを食べていた蘭はその手を止めることなく、ひとつ鼻で皮肉るように笑って肩を竦めて見せた。

「信者を殺されたくないんならそっちが呼び方の統制でもしてやればいいんじゃねえの。そうすりゃあリコだって軽率な殺しはしねぇよ」

 なあと同意を求められたので、頷いておく。食べ終わったのでカトラリーを置いて口元をナプキンで拭い、カトラリーケースの中の手を付けられていない小さなナイフとフォークを意味もなく見つめた。

「あー、竜胆様だっけ?」

 フォークをひっ掴むのも、煩わしそうに蘭がため息をつくのも、あっとその男が声を上げたのも全て同時だった。飛び上がるようにして立ち上がって、机の上に乗り上げて胸倉を引っ張って首にフォークを突き付ける。こんなにも至近距離でこの男の瞳を覗き込むのは久々だと考えながら、震える手がどうにも誤魔化せなかった。

「おいおい、そんな怒んなって。口が滑っただけだろ」
「私は、違う」
「はあ? 違うっつったって、全身に竜胆のスミ入れて、今でもずーっと引き摺ってんだろ?」
「違う……ちがうの……」

 私がその花の名前を背負って良いはずがないのだ。あの人はもっと綺麗な人だった。優しくて、美しくて、正しい人だ。私なんかとは違う。
 一人で生きることも出来ない。なにか選ぶことすら出来ない。一人になってそれが露呈した。私は、あの人がそばに居てくれなければ生きることすらままならない弱さを抱えていた。ずっと。

 蘭に抱えられるようにして机から下ろされ、立っていられなくなって座り込む。ぐるぐると頭の中で私を呼ぶ声が聞こえる。人は人の声から忘れていく。それなのにいつまで経っても、ずっと、その声が私を呼ぶのだ。窘めるように、咎めるように、いつも私の名前を呼んでいる。
 もう何も考えたくないのにその声が聞こえてくる度に、現実に引き戻される。思考を放棄することが罪だと突き付けられる。頭を抱えて蹲りながら嘔吐くようにして何度も謝って、許しを乞う。ごめんなさい、許して。本当にごめんなさい。許されないことをしている。許さなくていい。だけどお願い、お願いだから私を許して。


 死こそが救いであり許しなのであれば、もう死んでしまいたい。そうして楽になってしまいたい。全て捨てて終わりにして、楽になって、何もかもをもう諦めたい。

 誰か私に許しを与えて。


 +


 満足に眠れなくなったのは十二年前の、あの日から。慰安室から引き摺り出されて一晩中病院のロビーで泣き続けたあの晩から私の体はおかしくなってしまったようで、一人で寝付くことが出来なくなった。

 夢を見るのだ。決まって幸せな頃の夢。隣に居られるだけで幸せだった。一緒にいるだけで、ああこれが幸せなんだなといつも思っていた。幸せだよと伝えると、オレも幸せだと返してくれる。そう返ってくる度に、私はまた幸せだと思ったのだ。
 その頃の夢を見て泣きながら飛び起きて、泣き疲れて意識が落ちてもまた同じ夢を見る。そしてまた飛び起きる。その繰り返しだ。


 だから、お互いに眠れない万次郎とは最初から利害が一致していた。どうしても眠れなくてダメになる日は抱いてくれと頼めばいい。向こうから抱かせて欲しいと頼まれることもあるし、なし崩しでベッドに沈み込むこともある。お互い体力を使い果たして気を失うまで、一晩夢を見ないためだけに体を繋げる。息も出来ないぐらいに泣いて泣いて泣いて、誰でもない誰かに謝りながら、ずっと。

 私たちは近いところに居すぎたのだ。あまりにも似すぎていた。きょうだいたちが居なければ、姉と弟として成立することも出来ない関係だった。殴って止めると意気込んだあの頃が懐かしい。先にダメになったのは私だ。一緒に泥沼に沈んで、同じだけ罪を重ねて、苦しみだけを共有し続けている。


 竜胆くんと兄が殺されたのは、二〇〇五年の十二月一日。冬のとある日だ。私が連絡を受けて病院に辿り着いた時にはもう全ておしまいになっていた。泣き縋る私の肩を掴んだ蘭の腕が震えていたこと。一晩中私を抱き締めていた蘭が本当は泣いていたこと。あの時ダメになったのは何も私だけではない。

 竜胆くんと兄は私の全てだった。私たちの全てだったのだ。二人がいなくなって、私は立ち上がることすら出来なくなった。嘘だと泣いて喚いて、いつしかそれすら出来なくなっていた。

 そんな私を支えてくれたのがきょうだいたちだった。そばに居ると言葉を尽くしてくれたきょうだいたち。私の大切なきょうだい。でも、そのきょうだいたちですら奪われた。そうして私と蘭と万次郎には何も残らなかった。泥沼に沈む感覚だけがして、思考を放棄して、がらんどうのままただ惰性に生きている。
 お互いにお互いを縛り付けて、枷になって、そうでもしなければ生きていけない三人が、普通の顔をして生きているのだ。普通が何かなんてこともう分からなくなっているのに。


 見上げた万次郎の額を伝い落ちた汗が、私の額に落ちる。お互いの荒い息の中、どちらからともなく泣き出してからが本番だ。万次郎の瞳からこぼれ落ちる涙と、私の瞳から溢れ出す涙とが混ざり合っていく。意味の無い口付けを交わして、体を混じえて、何もかもに謝りながらそれでも私たちはこの馬鹿げた行為をやめられない。

 どうしてこうなってしまったかなんて問うことすら馬鹿らしい。奪われたものが返されることは無いと分かる年齢になった。子供のままではいられない所まで来てしまった。お互い人を殺して、誰かを不幸にして、人から幸福を奪って生きてきた。生き永らえてしまった。

 蘭とは違って、万次郎は酷くしてと言えば酷くしてくれる。生き永らえてしまったもの同士殺し合うことなんてできないと分かっているのに、万次郎は私の首に手を掛けてくれるし、私は万次郎の首に手を掛けることが出来る。殺すことなんてできないと分かっているのに。共に過ごせば過ごすだけ、分かり続けているのに。

 首にくっきりと手型の痣を作って裸のままで泣き合う朝を迎えた私たちを、蘭はいつも抱き締める。許しを与えてはくれないのに、私たちを許すかのようにして抱き締めて背を撫でるのだ。とうの昔になくした愛しい人の温もりを思い出すその抱き締め方が、私たちを余計に苦しめる。


 泥沼の中で沈み行きながら、三人揃って輪になって手を繋いで、いつか許しを与えてもらえるその時をずっと待っている。


 +


 冬は嫌いだった。ひとつの冬が訪れてから去る前の間に、私たちは全てを失った。

 朝も嫌いだ。あの人の腕の中で眠れた幸福な日々を思い出す。夢を見て飛び起きる度に、頭の中でとうに忘れてしまったはずのあの人の声が私の名前を呼ぶ度に、忌々しい名前で呼ばれる度に、あの日々の全てが鮮明に思い出される。

 昔、幸せだった頃、私たちの近くにいた一人の男の子。まるで未来が見えているかのような言動をしていた。たくさんの人を救って、その心を掬い上げた男の子。あの子のことを最近よく思い出す。


 大嫌いな冬の朝、起こされるより早く目が覚めて、涙のあとを残したまま眠る万次郎を見た時か、私を起こしに来た蘭を見た時か。それとも、あの幸福だった日々の夢を見たと自覚しているのに、涙のひとつもなく目覚められたことを知ったその時か。


 今日で何もかも全部を終わりにしようと思ったのだ。

 珍しく朝起きて一緒にダイニングに着いてくれた万次郎のトーストにイチゴジャムを塗ってあげる。そんな私の様子に蘭は少し驚いてから、オレのトーストにも塗ってと皿ごとこちらに寄越してきた。まるであの頃のように笑う蘭になんだか嬉しくなって、万次郎よりも少し多めにジャムを塗る。万次郎は何を思ったのか私のトーストにイチゴジャムとブルーベリージャムを半分ずつ塗るものだから、私まで思わず笑ってしまった。ぱちくりと瞬きをした蘭と万次郎が顔を見合わせて笑い出して、結局三人で涙が出るほど笑った。

 化粧台の前で蘭がずらりと並べたネイルをあれでもないこれでもないと三人でつつき回して、結局蘭の瞳の色と比べるようにして一番あの人の瞳の色に近い紫を選ぶ。右手は蘭に、左手は万次郎に塗ってもらったのだけれど、これで万次郎は器用だから淡々と手早く塗っていくのだ。完成を見ていちばん満足そうにしていたのも万次郎で、蘭はその表情にずっと笑っていた。

 久しぶりにクローゼットを開けて、この家に越してきてからははじめて自分で服を選ぶ。寄越されるのが白ばかりだったから、クローゼットの中はほとんど白一色だ。その中から三人でひっくり返すようにして他の色を探して、箱から出されてもいなかったワインレッドのワンピースを引きずり出した。鏡の前で合わせてみたけれど、これが驚く程私に似合わない。
 こちらを指差して笑う万次郎を叱りながら自分でも似合わないと思いつつ着込んで、メイクは蘭に一任する。これまでずっと任せてきたし、蘭に任せた方がずっと可愛くしてくれる。口紅を塗りたいと言い出した万次郎にそれは任せたけれど、色がこれじゃ嫌だと文句を言うものだからそこでもまた一悶着起こった。

 そうやって三人でお互いの格好を選んで口を出して考えて、若干頓痴気な格好になりつつも身支度を終える。三人揃ってお互いの格好を見合ってまた笑って、玄関前でまたあーでもないこーでもないと言いながら靴箱をひっくり返す。やっとお互い納得するものを見つけ出し、今度は靴箱の惨状に笑う。これじゃあ強盗が入ったあとみたいだ。

 でももうどうでもいいかという話になって、片付けはせずにそのまま家を出る。蘭の運転する車に乗り込んで、道中の屋台でたい焼きを買って三人で公園のベンチに座って食べた。休日だからか親子連れが多い。あの人に出会った日のことを思い出す。
 転がってきたボールを子どもに渡してやる万次郎を見ながら、不思議と軽い心で考える。私とあの人にも、こんな風に子供を連れて休日に公園に訪れるような未来はあったんだろうか。普通の家族になって、何気ない日々を共に過ごしていけるような未来が。大切な人が誰ひとり欠けることなく、みんなで笑って、生きていける日々が。


 しかしそんなことを思っても現実は変わらないし、私には過去に戻って人生をやり直すようなこともできない。今ここにあるのは私たち三人が今日まで三人で生きてきたという事実だけだ。何もかもをなくして、お互いをお互いで縛り付けて、それでも愛はあった。あったはずなのだ。


 再び蘭の車に戻って、通り慣れた道を進む。このルートから向かうのははじめてらしい万次郎が興味津々といった様子で車窓を覗き込んでいるので蘭と二人で色々と話して聞かせながら、目指すのは私を聖女様と祀りあげる宗教団体の本部だ。誰も言葉にはしていないが、許しを与えてもらうのであればあそこしかないだろうと三人とも認識しているから、蘭の運転にも迷いはない。
 かくして辿り着いた本部で、突然の来訪に驚く数人の信者たちに余計なことをされる前に全員撃ち殺しながら奥へ奥へと進む。万次郎はさすが犯罪組織の長だけあって動く的を狙うのも上手かった。蘭もその腕に衰えはなく、多分三人の中で一番下手くそだったのは私だ。動かない的なら綺麗に撃てるようになってきたんだけどと呟けば、二人には経験が足りないと笑われた。

 本部に到着してから信者を殺して回りながらずっと色んな部屋に火を付けてきたおかげで、火の手が回るのが想像以上に早い。辿り着いた玉座の間と勝手に呼んでいる普段集会を行う部屋にも火を付け、見た目だけが豪奢な玉座を囲むようにして三人で座り込む。拭い切れなかった血が椅子の足にこびり付いていて、私たちこそ全身返り血で汚れているのに、それを笑った。
 笑いが止まらないのに泣けて泣けて仕方がなくて、あんなことがあったこんなことをしたと三人で幸福だった日々を思い返しながら声を上げて笑う。寄り添いあって子供のようにきゃあきゃあとはしゃぎながら、煙たくなってきたせいで息が上手く出来なくて一人が噎せればそれにも笑う。そのせいで全員が噎せて、結局面白くなってきてまた笑った。


 しばらくそうして笑っていたのに、ふと真顔になった蘭が懐から私用の携帯を取り出してすっとこちらに向けてくる。どうしたのと聞けば花垣武道だと言われた。前に自宅に招いた時に橘ナオトと、タケミっちからの電話の時以外は掛けてくるなという条件で番号を交換していたのだという。私が話したいと言ったから、だそうだ。嬉しい。
 迷うことも無く携帯を受け取って、応答ボタンとスピーカーボタンを押す。電話越しに聞こえるタケミっちの声は記憶にあるより低くなっているような気がしたけれど、記憶の中にある温かみを失ってはいなかった。

 その声に名前を呼ばれた瞬間に、なんとなく、やはり今日で全てを終わりにするべきなのだと思った。タケミっちなのかと問う万次郎に相槌を打ちながら、遺言のようなものだとタケミっちに今思ったことをそのまま告げていく。思考を放棄していた罰なのかなんなのか、今更になって言葉が止まらないのだ。

 そうして話しているうちに今まで以上に涙が止まらなくなってきて、この十二年間ずっと呼べずにいた竜胆くんと兄の名前を呼ぶ。ごめんなさい。許して。こんなところまで来てしまった。許されないことをたくさんした。蘭と万次郎に背を撫でられながら何度も何度も懺悔して、ふと、タケミっちに聞いてみたくなる。
 キミはずっと未来が見えているみたいだった。まるで過去を変えようと足掻いているようにすら見えた。だからもし、もしキミが過去を変えることが出来る人なのであれば。その問いには幾ばくかの応酬という間を置いて、確固たる断言が返ってきた。

『助けます! また戻って、絶対、絶対にお兄さんも竜胆くんも助けます!』

 私の肩と背中に回された蘭と万次郎の腕に力が篭もる。顔を見合わせて、涙を流しながら笑ってしまった。本当はスピーカーにしてるんだよってタケミっちに言った方がいいかな。蘭も万次郎も、キミの言葉を聞いてるんだよ。
 でも野暮な気がしてそんなこと言わずに、とうとう間近に迫った炎と木が焼け焦げていく匂いを嗅ぎ分けながら、確信する。


 私が、私たちが今日まで生き永らえてしまっていたのは、きっとタケミっちのその言葉を聞くためだ。過去を変えてくれるキミに出会うためだった。何もかも奪われてなくして許しを望んでいた私たちに今、許しが与えられたのだ。

「私たちを、助けて」

 告げる言葉はそれだけで事足りる。あとはもう全部、私たちが背負って持っていく。それぐらいはするよ。


 死こそが救いであり許しなのであれば、私たちは今ここで、確かにこの瞬間に許されたのだ。
 三人で抱き合って名前を呼び合いながら小さく笑い合う。もう何も怖くはなかった。


 どうか次に目が覚める時は、あなたの腕の中で眠っていられますように。

幕間 ゆりかごでは眠れない

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