未来を変えた。そう思って戻ってきたのに、変わるどころか、今度は東卍の幹部になったオレが命令してアッくんにヒナを殺させていた。最悪な未来だ。守ろうとしてきた人を、オレ自身が殺したようなものじゃないか。
床に座り込んで泣き項垂れるオレを見下ろしながら、ナオトは口を開く。
「東京卍會の幹部会、空席はいくつありましたか」
「……二つだった」
「聖女様の話題は、あがりましたか」
「聖女様? ……確かパーちんくんがそんなこと言ってたような気が」
やっぱりと呟いて押し黙ったナオトを思わず見上げる。その苦い表情は見覚えがあった。これまで過去を変えて未来に戻ってくる度に、とある人の話をする度に見てきた表情だ。まさか。唇が戦慄くのを感じる。
「二〇〇八年のクリスマス、高賀リコは轢き逃げにあって死亡する。タケミチくんが改変する前の未来ではそうでした」
苦い表情のまま、でもそれは変わったとナオトは続ける。
「高賀リコは生きています。二〇〇八年のクリスマスに彼女は恐らく外出すらしていない」
「じゃあなんで、マイキーくんは巨悪に、東卍はこんなことになってるんだよ……! リコちゃんはマイキーくんを止められる人だ! 止めないはずがない!」
「簡単な話です。佐野万次郎がそうなるよりも早く、高賀リコがダメになった。今の彼女には意思と言えるものがありません。誰かの命令がなければ生きることも出来ない、思考を放棄した人形です」
「え……?」
「十二年前の十二月一日、高賀リオと灰谷竜胆が通り魔殺人に巻き込まれて殺されています。それから彼女はおかしくなった。タケミチくんは知らないでしょうが、この未来には思想団体『ゆりかご』を名乗る組織があります。カルト宗教ですよ。高賀リコはその教祖です。というよりも、稀咲鉄太によって祀り上げられ、傀儡として『ゆりかご』のトップについている」
矢継ぎ早に告げられるその言葉に、そういえば稀咲はハロウィンの抗争以来ずっとリコちゃんのことを気にしていたことを思い出す。花を送ったりしていなかったか。気味が悪いとリコちゃんはそれを場地くんの病室に置いていったそうだけど、あの頃から予兆はあったんだ。
ナオトは尚も言葉を続ける。東卍の息のかかった宗教だということは前々から分かっていて、探りを入れていた。一度一虎くんと場地くんと共に面会したこともあるという。その時の彼女は用心に用心を重ねて一番監視の目がないからと自宅に三人を招き、それでももう二度と会いに来るなと言い捨てたのだという。
「彼女は思考を放棄してはいますが、自我はある。場地くんと羽宮くんのことを今でも大切に思ってもいるようだったし、一度会っただけのボクのことを気遣う姿勢すら見せました」
「なら、警察がリコちゃんを保護すれば……」
「もちろんボクもそれを提案しました。でも彼女は受け入れなかった。これが最後、二度と顔を見せるなと何度も言って、閉め出すように追い返されましたよ。……ただ、タケミチくん、キミには会いたがっていた」
沈黙が訪れる。ナオトは迷うようにしながらも胸ポケットから携帯を取り出し、それでも力強くそれを差し出してくる。思わず受け取ってしまった画面には誰かの電話番号と発信ボタンが表示されていた。
まさかリコちゃんの電話番号かと聞いたけれど、それには首を振って返される。側近の男のものだという。もしもオレがリコちゃんと会話をする意志を示したならその時は掛けてこいと教えられたのだと。
「こんなことをしているのがバレたら免職ものですよ。でも、キミは高賀リコと話をするべきだ。彼女は恐らく今の佐野万次郎を知っている」
「えっ⁉︎」
「彼女の自宅には彼女と側近以外の生活感もありました。それに何より、彼女自身が佐野万次郎に繋ぎは取らないと断言してきた。でもキミならもしかしたら……」
それっきり言葉を切ってこちらを見下ろすナオトの強い視線に促されるようにして、震える手で発信ボタンを押す。数回のコールの後、電話の向こうから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「っ、リコちゃん……、オレです!」
『……タケミっち?』
「はい! あの、オレ……」
『……やっぱり、許しを望んでいたのは私だったのね』
想像していた以上に落ち着いてはっきりとしていてあの頃と変わらないように聞こえるその声と、聞いたことの無い耳障りな環境音にふと嫌な予感がする。リコちゃんは泣いているのかもしれない。誰か、恐らく男の声が至近距離で何かを囁いているようなのだがよく聞こえなかった。
「あの、今どこにいるんですか。さっきから変な音が聞こえてて」
『集会所のような所。変な音は多分、炎の音かな』
「え?」
『もう終わりにしようと思ったの。苦しいだけで、辛いだけ。今日まで生きてきた意味なんて何も無いって気付いたの、やっと』
「リコちゃん、まさか、」
『許しを与えるだなんて言って、たくさん人を殺してきたの。許されたかったのは私だった。ずっと許されたかった。ごめんね、約束したのに、こんなことになっちゃった。せめて最期は姉として、万次郎と一緒に地獄に落ちる。約束に報いる』
リコちゃんは死ぬ気だ。ハイになっているのか矢継ぎ早に喋り倒しながら、恐らく嗚咽している。慰めているのか何なのかそばに居る誰かが何かを言う声に時折相槌を打っているのだろう。途切れ途切れの声で、ひっきりなしにお兄さんと竜胆くんの名前を呼んで許しを乞うている。
「そんな、やめてください……そこから逃げてくださいよ……!」
『罪には罰が、与えられるべきなの。死んで償う。もう終わりにさせて。こんなことになってから、よく考えてたの。タケミっちは未来が見えてるみたいだった。だから貴方から今連絡が来て、許されたと思った』
「意味わかんないこと言ってないで、逃げろよ!」
『キミに未来が見えてたんなら、キミが何か……過去を変える術を持ち合わせてるんなら…………』
火の手が回ってきたのだろう。呼吸が苦しいのか余計に言葉が重くなっていく。支離滅裂としか言いようのないあっちに行ったりこっちに行ったりする言葉が伝えようとしていることは分かるのだ。でもその分、リコちゃんが本気で死のうとしているのだといることも分かってしまう。
『あの人の腕の中で、眠りたい』
「そんなことっ……そんなこと、竜胆くんは望んでない!」
『竜胆くんも、お兄も、みんないなくなった。私にはもう、万次郎と蘭しかいないの。なんで? 楽になりたい。許されたい。終わりにしたいよ』
「……リコちゃん、オレ、過去を変えられるんです。リコちゃんの言う通り、未来を知ってたんです……!」
『……』
「助けます! また戻って、絶対、絶対にお兄さんも竜胆くんも助けます! だからそこから逃げてください……生きることを、諦めないでくださいよ……!」
電話の向こうから息を飲む音が聞こえた。苦しそうな呼吸の合間に、リコちゃんは信じられないとでもいうように鼻を鳴らす。それから小さく、本当に小さく笑った。
『ありがと。ごめんね。……でも、これは私たちの復讐だから。稀咲に全部奪われて、諦めて、ここまで来ちゃった』
「リコちゃん?」
『タケミっち、私の全部、キミに託すよ。……私たちを、助けて』
それが最後の言葉だった。何か言うよりも早く通話が切られ、ツーツーと終了を知らせる機械音が耳に響く。急いで掛け直しても、繋がることはもうなかった。
呆然とこちらを見つめるナオトを見上げ、数秒見つめあった後に震える手で携帯を返す。過去で見た、兄弟を紹介する時の幸せそうな笑顔が浮かんで涙が溢れて止まらなかった。
+
特技、インターホン連打。
最早「ピピピピピピピピピンポーン」としか聞こえないような速度でインターホンを連打しつつ、そんなことを考える。電話もメールも無視なのでわざわざ家まで来たのだが、居留守まで使うとは。大親友相手になんと姑息な。
「たーいっじゅくん、あっそびっましょー!」
居るのは分かってるんだぞ〜と言いながらまだまだインターホンを元気に連打していたのだが、たまたま通り掛かった柴家のお向かいさんがこの時間は誰もいないかもしれないよと親切に教えてくれる。
夏休みの課題を写させてもらおうと家を特定して以来週一の頻度で訪れてインターホンを連打しているので、お向かいさんからもすっかり大寿くんの大親友認定を受けている。大寿くんは外面がいいので、人前では青筋を立てて私を射殺しそうな形相で睨みつけるだけに留めてくれるのだ。
そんなぁとか何とか言いつつ、抱えていた紙袋のひとつから林檎と梨と檸檬をいくつか取り出してお向かいさんにもお裾分けする。いつも通り祖父の知り合いから大量の野菜や果物が届いていて、消費のペースが供給のペースに家庭内では追いつかなくなったのだ。佐野家には既に大量にお裾分けをした後で、ふと思い立って大寿くんの家まで来てみたというわけである。
あそこのパン屋さんが美味しかったとか新しく出来たイタリアンのお店のパスタがめちゃくちゃもちもちだったとかいう世間話をしながら十分ほど大寿くんの家の前で彼を待ち、その間もインターホンを鳴らし続けていたのだがやはり出てこない。いつもならここまでしつこくすれば殴り倒しに出てきてくれるので、これは本当に居留守ではなく不在なのかも。
とは思ったが、せっかくここまで来たので弟さんか妹さんが帰宅されるまで待ちますとお向かいさんに頭を下げ、堂々とインターホン前の階段に座り込んだ。ここで居留守を使う大寿くんを待つことにも慣れたもので、特に勉強道具は何も入っていない学生鞄から膝掛けを取り出して膝にかけリラックスできる体勢をとる。一個ぐらい摘んでもバレないだろうと脇に置いた紙袋から林檎を掴み取り齧り付きながら、一人しりとりをする。哀れになるので嫌なのだが、暇だ。
しばらくそうして時間を潰していれば、わらわらと特服姿の厳つい集団が集まってきた。うーん、高級住宅街の景観を阻害している。集会他所でやりなよと何度も言っているのに、大寿くんは場所を移そうとしないから困った人だ。
イザナの代からの顔見知りが何人か頭を下げてくるので私の前に列を作らせ比較的すぐ食べれそうな林檎や梨をひとつずつ配っていたのだが、バッと列を作っていた不良たちが一方に頭を下げ始めた。ふむ。こういうビビられ方をするのはワンちゃんだな。
「ワンちゃんも林檎食べる? 梨もあるけど、林檎の方が今すぐ食べれるよ」
「食う。ココも食うか」
「いやオレはいいし、そもそもボスに林檎なんて食ってるところ見られたらぶん殴られるぞ」
「大丈夫だよ、これ青森の林檎だから。めちゃくちゃ美味しいから大寿くんも気に入るって」
「そういうことじゃねえんだよなあ……」
呼べば直ぐに寄ってきてくれたワンちゃんに林檎をひとつ差し出す。列を作っていた不良たちは勢いよく散らばっていったが、ワンちゃんはそんなこと気にしていないようだ。私よりも豪快に齧り付きながら、その目が見つかる前に食べ終われば問題ないと雄弁に語っている。だよね。見られなきゃ問題ないんだよ、結局。
ココくんの代わりに私がもうひとつ林檎を食べながら、そろそろ大寿くんも来るのかと二人に尋ねる。ワンちゃんは頷いてくれたがココくんは見なかったふりをして横を向いて口笛を吹き出した。誤魔化し方が露骨すぎるんだよ。
「リコくん、先月のウチの件、ありがとね。おかげで無事にウチが本気だって伝わったみたいで雑魚も散ってったよ」
「対価持ち込まれた以上やらねぇわけにはいかなかったんだよ。出来ればお前とは関わりたくない」
「だから着否してメール無視して携帯変えたの?」
「分かってんならボス通して連絡してくるのをやめてくれ」
「分かった。今度からは大寿くんじゃなくてワンちゃん通すね」
「分かってなくね?」
「……ガリ子はやっぱりココのストーカーなのか」
「いややっぱりってなんだよ。別にストーカーじゃないから。仲良くなりたいだけ」
「でもボスもガリ子はココのストーカーだっつってたぞ」
「なわけねえだろうがよ。普通に、何? 仲良くなりたいわけよ」
「オレは別に仲良くなるメリットを感じてないから、パス」
「パスってなんだよパスって。誰にパスしてんだよ」
「オレもパス」
「ふざけんなよお前らホント」
全員同い年なので気の置けない仲ではあると思うのだが、コイツらは私に失礼すぎる。どこの誰にパスしてんだよ。で、ワンちゃんはなんでそれを受け取って更にパスしたんだよ。他に受け取ってくれる人誰もいないだろうが。私が受け取れってか? 意味ないだろ、それじゃ。私が私と仲良くすることになる。
そのまま三人でグダグダと話し込んでいたのだが、ふと遠くの方にいた下っ端たちの空気が変わった。立ち上がってそちらを見たのだが、何分遠くなのでよく見えない。突然の私の行動にとうとう気が狂ったかと言葉に出して告げてきたココくんの頭を叩いて、誰か来たみたいだと告げる。
「ゆずちゃんと八戒くん帰ってきたんじゃないの」
「……違ぇな。オレが行く。イヌピー、この馬鹿から目ェ離すなよ」
馬鹿って言う方が馬鹿なんだよとその背中に呟いたら振り向くことも無く中指を立てられた。クソが。言っとくがタイマン張ったら私が勝つからな。頭脳では負けてもパワーでは私の勝ち。力こそパワーの精神でやってるんだぞ、こちとら。
ギリギリと歯軋りをしていれば、ワンちゃんが私の膝掛けを引っ掴んでスカスカの学生鞄に突っ込み、紙袋とまとめて大寿くんの家のインターホンの真下に置いた。そして立てと促してくる。差し出された手を掴んで立ち上がりながら、なるほどと頷く。
「ワンちゃんは私から目を離すなって言われてるんだから、私がワンちゃんと一緒に動けばいい。なるほどそういう事ね」
「ああ、そういう事だ」
「さすがワンちゃん、天才だ。今度カレー作ったらハンバーグと目玉焼き入れてあげる」
「人参は小さめで頼む。流石にあの大きさはキツい」
「うん。イザナに文句言われたから今はアレの四分の三ぐらいの大きさにしてる」
「……オレの時は半分でいい」
クソデカ人参カレーはお気に召さなかったらしい。まあ竜胆くんと鶴蝶くんからもさすがにこのサイズは有り得ないと言われたので、頑固者と評される私でもクソデカ人参カレーはやめた。今はチョイデカ人参カレーだ。
以前作ったカレーハンバーグドリアは当たりだった、アレは多分チーズをトッピングしても美味いという話をしながら人混みを掻き分けて歩いていたのだが、見えてきた人影に思わず声を上げてしまった。何故ここに。
知り合いかと聞いてくるワンちゃんに是と答えたのだが、はたして彼の身分は答えていいものか。直接聞いてはいないけれど、マンジローやケースケから話は聞いているのだ。昇進おめでとうと今度会ったら祝おうと思っていたんだけれども、祝える空気ではない。
「うーん……あの子は何、なんと言いますか……女の子の方はエマちゃんの友だち……」
「高賀、テメェの知り合いだろ? なんか言ってやれよ」
「リコちゃん⁉︎」
「えっ、ココくんここで私に話振る? 知り合いだけどさあ……待って、タケミっち泣いてる? こら、年下の男の子泣かせちゃダメだぞ、ココくん!」
「やっぱりお前は引っ込んでろ」
私に話を振ったものの対応が面倒になったのかココくんはしっしっと手を振って私を追い払う仕草をする。それからブツブツと見張ってろっつったろとワンちゃんに文句を言っていた。ワンちゃんは何処吹く風と言った様子でタケミっちたちを睨み付けている。この子の方がしおんちゃんより全然狂犬だからなあ。同じチワワはチワワでもしおんちゃんは丸っこくてポメラニアンとチワワの血が混ざってる感じの子犬で、ワンちゃんは血統書付きで体も大きい成犬って感じだ。
などとくだらないことを考えていたのだが、タケミっちが泣いている方が問題だ。私の顔を見た途端に泣き出したけど何? 私何かしたか? 殴ったり蹴ったりはしてないと思うんだけど。
そう思っているうちに私を蚊帳の外に話が進み、八戒くんが下っ端を殴ったかと思えばワンちゃんに凄まれている。こらこらナイフはダメだぞーと声を上げたのだが全員に無視されてしまったので、ワンちゃんがゆずちゃんに蹴っ飛ばされた時に回収しておいた。そのまま懐にしまって隠しておく。銃刀法違反で逮捕されたらどうしよう。弟の病室にお見舞いに行って林檎を切るつもりだったんですと言って誤魔化そう。
蹴られたことが気に食わないらしく目に見えて怒り出したワンちゃんが女だろうが関係ないと宣い出したのでいざと言う時は鉄拳制裁、黄金の左腕が唸るな……と思っていたのだが、黄金の左腕の出番は訪れなかった。
大寿くんが愉快に歌いながら登場したからだ。ドレミの歌なのにドしか歌ってくれなかったので、私が勝手にレを歌う。檸檬のレだ。今日持ってきてるし。青筋を立てた大寿くんによって振り翳される拳を避けたり受け止めたりいなしたりしながら、ミは蜜柑のミまで考えたのだが、ファで躓いた。ファは……ファはファックのファ。
手応えのない私に飽きたのか大寿くんがタケミっちを殴り始めたので、一応仲裁に入る準備はしつつ伺っておく。殺す気の一撃なら間違いなくあれより重いし、流石のタケミっちでもそもそも一撃で意識を飛ばしているはずだ。何発も殴られてもまだ意識があるということはアレで手加減はしている。大親友なのでそれぐらいは分かるのだ。
「大寿くん、ゆずちゃんとヒナちゃん殴るのはやめてねー。大寿くんの馬鹿力で殴ったら私でもなきゃ次の日腫れるから」
「ガリ子、ナイフ返せ」
「百万で返す」
「……ココ」
「うーん分かった待って返す。でも人に向けちゃダメだよ」
「分かった」
「分かってないなあ……?」
分かってるにしては返事が軽すぎるんだよなあと呟きながら、すっとワンちゃんの隣から離れてゆずちゃんの方に向かう。大寿くん繋がりで知り合った年下の女の子だけど、可愛いんだよね。あと料理が上手くてお裾分けするといつも食材を活かした美味しい料理を作ってくれる。取り敢えず煮込むか焼くか炒めるかすればなんとかなる理論で料理をしている私とはレベルが違うのだ。
タイミングよく振り被られた拳を受け止めて、それでも掠ったのかよろめいたゆずちゃんを受け止める。すんと押し黙った大寿くんが八戒くんから目を逸らしてこちらを見てきたので、私も見つめ返した。その視線攻撃は私には効かないぞ。
「これはウチの問題だ。柚葉の躾の甘さを咎めてる」
「前に言ったよね。流石に大親友とはいえご家庭の事情にまで首突っ込めないから黙ってるけど、私の前ではそういうことやめて。見えるところでやられると止めないわけにはいかなくなるの」
「じゃあテメェはさっさと帰れ」
「お裾分け持ってきてるからそういう訳にもいかない。帰らせたいんなら早く終わりにしてよ」
周囲からの視線は感じるが無視して大寿くんにそうお願いすれば、ひとつ息を吐き出してから八戒くんのそばを離れてタケミっちの方に向かっていった。おっとこれはもしかしなくても失敗したぞ。やばーいと小声で呟いている間にもタケミっちが大寿くんに女を殴るのかと食って掛かっており、ゆずちゃんは焦ったように私の制服の袖を引っ張ってくる。
そのままタケミっちは殴られ始めてしまったのだが、ゆずちゃんの頼みとは言えど私が割って入ったら余計酷いことになりそうなのだ。多分、八戒くんへの揺さぶり目的でやってる。私が何か言って本気にさせてしまったら本当に全治半年とかの大怪我になりそうで、止めるに止められない。いや無理矢理押し入っても良いんだけど、そんなことしたらゆずちゃんへの躾がもっと厳しくなってしまう。
大寿くんの、というよりも柴家の「躾」に関しては私は恐らく人並み以上にはその内情を理解している。やめなよとか他のやり方があるかもしれないとか言葉は尽くしたのだが、これはウチの事情だとかお前も殴るのだって愛だと言っているだろうと言われたら何も言い返せなくなってしまう。そもそも私の場合は殴って止めるのが愛だと言っているのだけれど、そこを指摘するのも野暮だ。
人には人の愛の形があって、大寿くんの愛の形が暴力なのだとしたら、私にはその愛を間違っていると否定することは出来なかった。だから目の前でやられたら間に割って入るという方針を採用しているんだけど、目の前でやられることの方が少ない。今回も多分そうなることがもう分かっている。なので、出来ればゆずちゃんが暴力を振るわれない方に誘導したいのだ。
私と大寿くんレベルだったら喧嘩で済むし食らった分だけ殴り返せるけれど、ゆずちゃんはそうではない。いくら強くてもその強さは私の強さとは違う。八戒くんも、何より大寿くんに脅えてしまっているし。
本当に殺されそうになったら止めに入るよと言い訳がましいことをゆずちゃんに言いつつも、そちらを伺う。大寿くんの揺さぶり作戦は多分成功だ。兄だから、弟のことはよく分かるのだろう。
ゆずちゃんがひしと私の袖を離さないのを認めつつ、口出しすることでもないので話の流れを見守る。八戒くんは私の介入を望んでいないだろうと言うことぐらいは分かっているのだ。
黒龍に入ると言った八戒くんの顔はまさにそれしかないからそうした、という顔だった。大寿くんは嬉しそうにしているけど、そんなやり方じゃ上手くいかないんじゃないかなあとは思う。本人に言ったら殴られそうだけど。
八戒くんが意識のないタケミっちを背負うのをゆずちゃんとヒナちゃんと一緒に手助けしつつ、ゆずちゃんのことは先に家に帰す。ちらちらとこちらを気にしていたので大丈夫だよーと手を振っておいた。ゆずちゃんが何か言うよりも、私が何か言った方がいいだろう。家族の外側にいるし、大寿くんの暴力と私の暴力は均衡している。
「大寿くん、ああすれば八戒くんが東卍やめてそっちに入るっていうの分かってたでしょ?」
「あ?」
「分かるよー、きょうだいの考えることはよく分かるよね。大寿くん、ゆずちゃんと八戒くんのこと大好きだし」
「……何が言いたい?」
「そのやり方は嫌いだって言いたい。あの二択は卑怯だよ」
そう言えば左の頬を殴られたので、右の頬を殴り返しておく。口の中で血の味がしてうげーっと顔を顰めれば、大寿くんも同じように顔を顰めていた。お互い今晩は食事に苦労することだろう。
一旦殴り合ったことで言葉はなくともここで今日は終わりだとお互いが理解しているので、ゆずちゃんを玄関まで送った時に取りに行っておいた二つの紙袋を渡したのだが、一つしか受け取ってもらえない。三人しか居ないのにこんなに大量にいらないと言われた。仕方が無いので私たちを囲んでいた不良たちに紙袋の中身をひとつずつ配っていく。ココくんはいらないと拒否してきたのでワンちゃんに林檎と梨と檸檬をひとつずつ渡しておいた。欲張り三点セットだ。
ココくんが拒否してからというもの拒否していいのかと理解したらしい不良たちの何人かはいらないと言ってきたので、紙袋の中には少しだが果物が余ってしまった。えーん、困る。ウチにもいっぱいあるし、佐野家にも分けたし、竜胆くんの家にもお裾分けした後なのに。他に誰かいたっけか、と思ったのだが、一人思いついた。
「じゃあ、私これタケミっちの家に届けてくるから。また学校でねー!」
「英語の共同発表の原稿忘れんじゃねえぞ」
「それ学校に置いてきた!」
「死ね!」
大親友相手に酷い言い様である。ワンちゃんとココくんにも手を振ったのだが、ココくんは私をしれっと無視してワンちゃんは両手に持った果物ごと手を振り返してくれた。今度カレー作ってあげよう。
+
以前お邪魔したことがあるのでなんとなく位置が分かった花垣家にお邪魔したんだけど、タケミっちは居なかった。千冬に連れられてどこかに行ってしまったらしい。
そういうことならと友人が殴ってしまって出来た怪我なのでとお母様に頭を下げて、お見舞いですと果物を渡しておく。こんなに沢山受け取れないと言われたので、家にまだまだあるんですと言って半ば無理矢理押し付けた。消費のペースが間に合わないんならタケミっちのお友達にでも配ってくださいね。
タケミっちのお友達四人衆となんだかんだと話して大寿くんと友達なのかと聞かれたので大親友だよと返しておき、殴られた頬にガーゼも貼ってもらって、そこで夜も遅くなってきたのでお暇させていただく。そのまま家に帰ろうと駅に向かっていたのだが、道中で千冬から電話が掛かってきた。特に急ぎの用もないので立ち止まって応答する。
「もしもし、千冬? どうかした?」
『あ、リコさん……あの、タケミっちが話があるらしくて』
「タケミっちが? それで千冬の携帯から? うーん、よく分かんないけど分かった。近くにいるの?」
『はい。ほら相棒、さっさと話しちまえって』
相棒だって。いいなーそう言うの。私も今度大寿くんのこと相棒って言ってみよっかな。大寿くん失神しそう。
そんなくだらないことを考えていたのだが、数秒空けて電話を代わったらしいタケミっちはどうやらまた泣いているようだった。鼻をすする音が聞こえるので、どうかしたのかと聞いたものの余計に泣き出してしまう。
『リコちゃん、あの、オレ……』
「うんうん。ゆっくりでいいからね」
『オレ、絶対に竜胆くんのこともお兄さんのことも助けますから……!』
「……は?」
『明日、時間ください! ハチ公前で十九時に待ってます!』
「待って、タケミっち、…………切れてる……」
応答時間の表示される画面を見つめながら、タケミっちの言葉を反芻する。竜胆くんと兄に何かがあるのか。この子、未来が見えてるみたいな言動ばかりするし、まさか本当に何か。
どうにも嫌な予感がしてきてはっきりとため息をついて額を押さえながら、電話をするために止めていた足を動かして再び駅に向かう。何はともあれ、明日になってみなければ何も分からないのだ。
デブは憂いもの辛いもの