集会も終わり、人気の引いた廃工場でそれぞれの定位置に掛けてあーでもないこーでもないと幹部陣と話し合っていた時に竜胆くんからの電話は掛かってきた。携帯を見て相手を確認し、少し抜けると宣言してから廃工場から出て入口の方でまだ屯っていたヒラたちに早く帰れと手の動きで帰宅を促して、デブのバイクに座って電話に出る。
「もしもし、竜胆くん?」
『うん。今ちょっといいか?』
「もう集会も終わってるから全然平気だけど、どうかした?」
『リコの声聞きたくて』
嬉しいことを言ってくれる。返した声がつい弾んでしまって、それが分かったのか竜胆くんは電話越しに笑ってから、最近会えてないけど何も無いかと聞いてくる。
竜胆くんたちはやっぱり受験生だから、私も一応気を使って会いたいとは言わないようにしているのだ。そこまで根を入れて勉強しているわけではないようだけど三人の中だと竜胆くんは一番勉強をしている。祖父が「竜胆はお前たちとは違って真面目なのにお前たちと来たら」とデブと蘭ちゃんを正座させて叱り付けていたから間違いない。
そんな竜胆くんに私の都合で会いたいとか声が聞きたいとか理由もなく呼び出したり電話をしたりするのはほんの少し、気が引ける。去年のこの時期は私たちは大喧嘩をしていてひと月ほど連絡すらしていなかったし、それと比べると会いたい時に会えて電話したい時に電話を出来る今は恵まれているなと思うのだ。まあ私からは当分は遠慮し続けることになりそうだけど。
大寿くんからもらったメロンパンが美味しかったことや母がコロッケを爆発させてレンジが大破した話などをしながら、相槌を打ちつつ自分の話もしてくれる竜胆くんの声に耳を傾ける。竜胆くんの声は好きだ。声以外も全部好きだけど、この優しい声はやっぱり好き。私の名前をずっと呼んで欲しいと欲張りたくなってしまう。
「そうそう、柚子もお祖父ちゃんの知り合いからすごいいっぱい送られてきたから、明日お兄に持たせるね」
『あー、去年食べてみて美味かったやつ?』
「うん。去年と同じ人からのだから今年も美味しかったよ。蘭ちゃんと食べてみて」
『分かった。貴彦さんにもオレたちから今度会う時改めて言うけど、一応お礼伝えておいて』
「気にしなくていいのに。でも伝えとくね」
蘭ちゃんは梨が気に入ったらしい。まだまだ家にあるし、それも明日デブに持たせよう。あのデブは果物ならいくら食べても太らないからとか言って馬鹿みたいに食べて、また母から食事制限を受けている。本人は本格的に受験勉強を始めたらきっと痩せるから今のうちに蓄えておくんだと謎理論を展開していたけれど、母は「なら今から勉強しなさい」と言ってデブを突き放したので、当分デブの孤独なダイエットは続くだろう。
私はデブとは違って出生時低体重児ではなかったそうだけどこの身に肥満に至る可能性は秘めている身として、食べたら食べた分だけ修行をするようにしている。なので最近はジムに通い詰めてサンドバッグを殴り続ける日々だ。つまりそれだけ食べているってこと。
そのままお互いの学校での話になり、大寿くんの話になり、自然な流れで竜胆くんから黒龍と東卍の話を振られる。やはり不良界隈は話が回るのが早く、もう六本木の方まで話が流れているらしい。
「一応は和平交渉成立って形になってるから、今のところはそこの辺りの勢力図が大きく変化するようなことにはならないかな」
『一応はってことは、この後なんかあるってことだ』
「うん。とは言ってもチームとしてぶつかると言うよりかは個人としてぶつかりに行くだろうから、私たちに影響が出るほどのことにはやっぱりならないと思う」
『リコの知り合いが絡んでんの?』
「知り合いっていうか、まあ大親友の所のチームの話だし、東卍の方でも今回のことに関わってくるのは三ツ谷くんだから、うん」
『……三ツ谷ってリコの好きな顔の』
「わー! 待って待って、竜胆くんの顔のが好きだからね⁉︎ いや顔だけじゃなくて、竜胆くんの全部が好きだから! 三ツ谷くんは顔がタイプってだけ!」
そんなこと言ったら蘭ちゃんの顔だってタイプだよ、といらない告白までしながら喚いていれば、数秒の沈黙の後耐えられないとばかりに竜胆くんが笑いだした。あ、わざとやってたな。ムッとしてその名前を呼べば、笑い声の中に軽い謝罪が混ざった。もーと声を上げつつも、怒るようなことでもないし普通に受け入れる。
にしても、こうやってケラケラ笑い続けているとやっぱり兄弟だなと思う。笑い方が似てるのだ。私と兄も些細な仕草が似ていると言われるし、きょうだいはやはりそういうものなのだろう。最初から似ているのかどんどん似てくるのかは分からないけれど、それでも似ている。
意味もなく竜胆くんに会いたいなあと思いつつ、私も笑う。しばらく二人で笑いあってから、そういえばと思い出した。忘れていた訳では無いけれど、今なら聞けるだろうか。
「タケミっちから連絡来た? お兄は来たって言ってたけど」
『ん? ああ、来たよ』
「話してみたら案外いい子でしょ。シンイチローくんに似てる」
泣き虫なところとか、意志が強いところとか、真っ直ぐなところとか。殴られても殴られても立ち上がるところなんてまさにシンイチローくんみたいだ。弱いくせに諦めない。あの強い目は私は好きをマンジローがあそこまで気に入るのも分かる。
そういえば壱番隊の隊長就任おめでとうって伝えてないなあと思い出す。バタバタしていてつい伝え忘れていた。今度会う時にでも伝えるか。
ケースケの後押しと千冬の推薦を得てタケミっちは東卍の壱番隊隊長になった。副隊長はそのまま千冬。ケースケはまだ復帰には時間が掛かりそうだとの事だけど、その二人がいるんなら帰る場所は確保されたも同然だろう。そもそも減ってしまって今は一緒に居られないとはいえ創設メンバーもケースケの一分一秒でも早い復帰を望んでいるはずだ。マンジローなんてケースケがケースケがとうるさいし、前回のハロウィンの抗争で余程思うことがあったのかケースケに自分のお守りを渡して、マンジローはケースケのお守りを持ち歩いている。仲良しなのだ。
弟たちの様子を思い返して微笑ましさから来る笑みを浮かべつつ、竜胆くんもシンイチローくんのことを思い出して比べているのか、分かるような分からないようなと言った声で難しそうに唸っているのを聞く。私やイザナを通じて竜胆くんはシンイチローくんとも関わりがあるけれど、そこまで親しくしている訳では無いから確信は持てないのだろう。
「でも、本当にいい子なんだよ。あんまり威嚇しないであげてね」
『それはアイツの態度にもよる。……あのさ、花垣って前からちょっと変な言動したりしてた?』
一度押し黙った後に投げられたその問いに思わず黙り込む。電話越しにそちらを伺うが、所詮は電話越し。声音は極めて平然としていたし表情は分からないしで、何を考えているかが分からない。
でも何となく、分かるのだ。嬉しいのか悲しいのか、竜胆くんの考えることはなんとなく分かる。ずっと一緒にいたからかもしれない。平静を装って返事をする。
「結構あったよ。タケミっちって、魔法使いみたいな子だから」
『魔法使い?』
「うん。未来が見えてるみたいな言動ばっかりするから、魔法使い。まあそんなのありえないとは思うんだけどね」
『……』
「……それがどうかした?」
『……いや、なんでもない』
嘘でしょと反射で咎めそうになって、頬に落ちてきた髪を指に絡める。こんなことで竜胆くんと喧嘩をしたくないし、竜胆くんが私を思って隠し事をしていることも分かる。兄もここまで何も言わなかったということはそういうことなのだ。タケミっちが二人に齎した情報を、二人は私に隠すことを選んだ。
まるで三年前にイザナと喧嘩した時みたいだねと言いたくなって、でも言えるはずもないからまた黙り込む。あの時は逆だった。私は竜胆くんに心配を掛けたくなくて何も言わなかったし、竜胆くんはそんな私に怒った。あの時の竜胆くんもこんな気持ちだったんだろうか。
ぐるぐる考え事をしている私のことを見透かしたみたいに竜胆くんはいつも通りの声で私を呼ぶ。竜胆くんが呼んでくれるからこの名前が好き。竜胆くんが私を呼んでくれる度に、私はこの名前が好きになる。竜胆くんの声で呼ばれるこの名前が、好き。竜胆くんのことが、結局、好き。
『リコは何にも気にしないでいいよ。クリスマスに海行くの楽しみにしてて』
「うん」
『じゃあもう遅いから切るけど、ちゃんとガリ男と帰れよ』
おやすみと言う大好きな声におやすみと返して、今日は私から電話を切る。ハンドルに頭をもたげて、心を落ち着けようと息を吸ったら鼻の奥がツンとした。そのまま視界が滲み出す。
気にしないでいいって、そんなの無理に決まってる。気にするに決まってる。竜胆くんのことが好きだから。竜胆くんが私の全てを受け止めるって言ってくれたみたいに、私だって竜胆くんの強さも弱さも受け止めたい。受け止めたいとずっと思ってる。それなのに。
「……竜胆くんのうそつき」
なんでもないなんて嘘でしょ。私には心配かけてって言うのに、心配させてもくれないの。私の抱える荷物は一緒に背負ってくれるのに、私には竜胆くんの荷物を一緒に背負わせてくれないの。私ってそんなに頼りなくて、弱そうに見えるの?
弱くていいと言ってくれたのは竜胆くんなのに、竜胆くんと居るとやっぱり強くなきゃダメな気がしてくる。もう最悪だ。こんな所でぐずぐず泣いてるだけで結局竜胆くんにも兄にも何も咎められない自分が嫌になる。尋ねて踏み込むことを怖がっている自分が嫌で嫌でたまらない。
竜胆くん、私たち、本当に海に行けるんだよね。竜胆くんはそばにいてくれるんだよね。いなくなったりしないよね。
「うそつき、ばか……ひとりにしないでよ」
溢れて止まらない涙を拭うことも出来ずに、届かないと分かっていて竜胆くんを咎める。怖気付いて竜胆くんには直接告げることも出来ないような言葉がこういう時に溢れてくるのだ。私は卑怯者で、愚かで、結局弱い。ずっと変われてなんていなかった。あの頃から変わらず、弱くて、一人じゃ何も出来ない愚図のまま。
やっぱり弱い私なんて大っ嫌いだ。
+
最悪な気分で一人で歩くとどんな街並みも最悪に見えてくるから、ある意味最高だ。驚きの新発見。最高すぎてキレそう。
絡んできた野良の不良を蹴っ飛ばして意識を飛ばすまでいたぶってから、なんてことは無いという顔をして路地裏を出る。雑魚はやはり身の丈が分かっていない。時間潰しにもストレス発散にもなりやしない。舌打ちをして、血に濡れた拳をそのままに繁華街を通り抜ける。
今日はもうダメだ。学校には行ったけれど大寿くんは来ないし暇だしやる気は出ないしで一限の途中で抜けてきた。そのまま渋谷をさまよって身の程知らずにも向かってくる不良たちを痛め付けてを繰り返していたけれど、ストレスが溜まるだけで何もマシになんてならない。これなら家で寝ていた方が百倍マシだった。
何か言ってナンパしてきた男を突き飛ばすようにして振り払いながら、駅に向かう。みんなみんな邪魔。誰も話しかけてこないで。歩道橋を足早に進んでまた舌打ちをする。自分で自分の感情を制御出来ていないのが何よりの弱さだ。嫌になる。
今ムカつくやつが声を掛けてきたら半殺しで済ませる自信が無いなとどこか冷静に考えながら階段を降りようとした時、左側から声を掛けられた。荒れ狂っていた感情がすっと落ちていく。
我ながら笑えるぐらい機械のような動きでそちらに向き直りながら、最悪だとだけ思った。
「……何の用」
「あなたと話がしたかった」
「私はお前と話すことなんてないよ、稀咲」
相変わらずのムカつく面だ。ぶん殴ってやりたくなる。従者のように斜め後ろに控えている死神にコイツを連れてどこかに消えてと目線で訴えたものの、諦めろとばかりに首を振られた。肝心な時に使えない木偶の坊め。
舌打ちを隠さずに腕を組んで、こちらに歩み寄ってくる稀咲を睨み付ける。自分から相手のリーチに入るなんて馬鹿か? 喧嘩のいろはも知らないんだろうか。頭を使うことばっかり。人を動かして、自分はその利益を如何に十全に得るかだけを考えているような姑息な人間。大嫌いだ。
「私と話したいとかいうくだらない目的でこんな所までつけてきたわけ? 笑える。なんなの、アンタ。結局私のストーカー?」
「違う。ただ、高賀リコ、あなたを知りたい」
「気味が悪い」
吐き捨てて舌打ちし、近寄られた分一歩下がる。本当に気味が悪い。
ただでさえも機嫌が悪い時を狙ってどうして声を掛けてくるのか。つけてきていたんなら私が今まで何をしていたかも知っているんだろう。もしかして自分は殴られないとでも思ってる? 勘違いも甚だしい。殴っていいならとっくに殴ってる。
ああもう、イライラする。
「あなたは強く美しい人だ。もっと上に行きたいとは思わないのか」
「強い? 美しい? 知ったような口聞かないで」
「喧嘩の腕のことを言ってるんじゃない。あなたのその瞳のことを言っている」
「はあ? 瞳? 意味がわからない。これ以上イライラさせないで」
このままじゃあ止まれなくなりそうだ。マンジローのことを散々止めるだのなんだの言っていたが、今はマンジローに私を止めに来て欲しい。
強いも美しいもお前が偶像崇拝の対象として見ている虚像の持ち合わせたものだ。私のものじゃない。私は弱いし、美しくなんてない。そんな私が大嫌いで大嫌いで、それなのに私を何も知らない人間はこうやって簡単に私を強い美しいと言う。そんなことないのに。
この手の人間の言っていることは理解が出来ないのが常だ。どこか別の次元に思考を飛ばしているとしか思えないことしか言ってこない。だから私も真剣に聞いたりなんてしない。無視してその場から歩み去る。そうでもなきゃこちらの頭がおかしくなる。
行き過ぎた信仰の先にあるものはいつだって破滅だ。そしてその信仰を向けられるには浅すぎる器に信仰を注ぎ込み続ければ器から信仰は溢れ出し、やがては器ごと壊れる。
誰が壊れてなんてやるものか。私を私として見ることすらしない人間たちの信仰と心中するなんて真っ平御免。
そう分かっているからいつも話なんて聞かないようにしていたのに、コイツはあまりにもタイミングが悪い。もしくはそれすらも分かっていて今日この日この時に私を付け回して声を掛けてきたのか。今なら私が揺らいでいると分かって? 姑息だ。本当に姑息な野郎。やはり嫌いで嫌いでたまらない。
「あなたならもっと上に行ける。オレにあなたが上に行けるように手助けをさせてほしい」
「そんなことは望んでない。私の望まないものを理解者面して私に押し付けるのはやめて」
「ならあなたの望むものはなんなんだ」
「……黙って」
「今以上の強さか? それともあなたに相応しい玉座か」
「黙って」
「望むものは必ずオレが用意する」
「黙れ!」
咄嗟に腕を伸ばして胸ぐらを掴みあげて頬を殴り飛ばす。よろけた体を押し倒すようにして馬乗りになって、拳を振り上げる。
コイツはダメだ。理解が出来ない。ダメになる。話を聞き続けていたら私はダメになってしまう。
黙らせなきゃと思って拳を振りかざし続けていたのだが、突然凄い力で上から腕を掴まれた。顔を上げて見上げる。すんと真顔になった死神だ。そのまま腕を引っ張りあげられて立ち上がらせられて、それでも立っていられずに座り込んでしまう。荒い息を隠すようにして口元を血で濡れた掌で覆い隠す。
死神は一度私の前にしゃがみこんでから顔を覗き込み、そのまま稀咲を起こしにかかった。稀咲は稀咲で私に殴られていたくせにじっとこちらを見つめてくる。そういえば殴っている最中もずっとこちらを見ていなかったか。ああ、私を見るな。頭がおかしくなりそう。
「死神……ソイツのことどっかに連れてって」
「まー、流石に殺されちゃ面白くねーしなあ。ほれ稀咲、今日のところは引くぞ〜」
早く消えてと思いながら下を向く。歩道橋の下を通る車の音が騒々しい。それからカラスの鳴き声のようなもの。夕日が眩しくて、もう間近に迫った冬を思わせる身を刺すような冷たい風が私の髪を攫う。手の下で荒い呼吸を繰り返しながら、ただただ早く居なくなれと祈った。
「その目だ」
「は?」
「その目が見たかった」
思わず顔を上げて声の主を見る。顔中血塗れの癖して、目だけは爛々と輝かせながら私を見ている。その目ってどの目。ぐるぐると思考が周り出して、思わず立てた爪が頬を抉る。息が上手く出来なくてもう吐きそうだった。
逆光で表情の読めない死神に早くと投げ掛けた言葉が聞こえていたのかは分からない。そもそも私は、何か言葉に出来ていたんだろうか。
+
夜景が見たい。大親友からは数秒の沈黙の後に是と返ってきた。
通された高層マンションの中層階、既に何度かお邪魔しているので堂々とキッチンに押し入って紅茶を入れる。出せば飲むことは分かっているので二人分準備して、何故か用意されている銀のお盆にティーカップを載せてキッチンを出た。
ローテーブルにティーカップを並べて、大寿くんの向かいに座る。何かしらの資料を真顔で捲っている大親友を見つめながら、私は私で鞄から消毒液やらガーゼやら鏡やらを取り出して、紅茶を飲みつつ頬に貼り付ける。想像以上に爪先に力を込めすぎてしまっていたようで、しばらく跡が残りそうだ。
適当に貼り付けたせいでよれているガーゼに意味もなく触れながら、鏡を覗き込んで己と目を合わせる。整っていると自分では思うけれど、寸分足りとも表情の狂わない顔だ。感情が乗っていない。瞳もそう。
だというのに、この目の何が良いのか。何も無いだろう。強さも美しさもどこにもない。あるのはがらんどうだ。
羽虫の発言を思い出しながら目元に触れる。強さも美しさも私には無い。この目の中にあるがらんどうに誰かが投影しただけの都合のいい偶像。本当の私は脆く、惨めで、弱いだけ。
ぐるぐると回る思考で、ふと気になって声をあげる。
「大寿くんは、私の目見て、なにか思うこととかある?」
「はあ?」
資料から顔を上げた大寿くんかを訝しげな声で唸る。睨むようにこちらを見てくるので一切怯まずその顔をじっと見つめ、何度か瞬きをした。無言の時間が部屋に満ちていく。
私はこの目をがらんどうだと思うけれど、羽虫はこの目が見たかったと言った。意見は食い違っているようで食い違ってはいないが、私にはこの目を見たかったと思う気持ちが一切理解できない。だったら第三者の意見を聞くのが一番早いだろう。
答えを促すように見つめ続けていれば、大きなため息が返ってきた。それから大寿くんは目を逸らしてどこか遠くを見つめ、口を開く。
「お前の名前は瞳の色に因んで付けられたのかとは思った」
「名前?」
「同じ色だろ」
私も大寿くんから目を逸らして鏡を再び覗き込む。紫を帯びた深い青。なるほど確かに、言われてみれば同じかもしれない。ふむとひとつ頷いて鏡の中の己の瞳を見つめる。
以前大寿くんの名前は素敵だと褒めたことがあって、その流れで私の名前の由来も話したのだ。つまり大寿くんはそれ以前に私の名前の由来は瞳の色なのかと思っていてくれたということだろう。やはり大親友、私よく見てくれている。
でも本当に言われて見れば同じ色だ。名前の由来になった言葉の色をした瞳なんてすごい偶然で、素敵では。にわかに元気になってきた。
「すごいね、本当に色が一緒だ。えー、こうやって見てると私の目の色めちゃくちゃ良くない?」
「チッ、騒がしくなりやがって……」
「やっぱり羽虫なんかより全然大寿くんの方が私のことよく見てくれてる。おかげで元気出た! ありがとうね!」
「ならさっさと帰れ」
「嫌だよ、夜景見に来たんだから!」
本当は真っ直ぐ家に帰れる気がしなくて、咄嗟に頼れる人として思い浮かんだのが大寿くんだっただけなんだけどね。
勝手に窓を開けてベランダに出て、高層ビル故に強く吹く風に巻き上げられる髪を抑える。手すりに手をついてそこかしこに立つ高層ビルやその下でキラキラ光る家や店の灯りを見下ろした。ここから見ると車も小さい。ランプをつけてすいすい進んでいくその流れを見ながら、息をつく。ここから見下ろす景色は好きだ。ゴチャゴチャしているけれど、全部小さく見える。私の悩みも小さいもののように思えてくる。
空気を吸い込むように何度か深呼吸をしてから、手すりに腕を預けて室内を振り返った。ティーカップ片手に資料を捲っている大寿くんをしばらく眺める。もうひとつ、大親友に質問をしてもいいだろうか。視線に気付いたのか鬱陶しそうに大寿くんがこちらを見たので、その分かりやすい表情に笑ってしまった。
「これ、強くて美しい瞳に見える?」
私には見えないと内心付け足して、自分の目を指差す。大寿くんは私の目を見てから、いつもの顔をして鼻で笑った。
「冗談は寝て言え。今のお前を見て強くて美しいなんて言う奴がいるんなら、ソイツは脳が腐ってるかお前を何も知らないかのどっちかだろ」
「だよねえ。さすが大親友。私のことよく分かってる」
「……ならその大親友との約束、守れよ。以前テメェとココを繋いだ時に『今後一度だけ必ずオレの言うことを聞く』って約束をしたな」
「うん、したよ」
後ろから吹き付ける風のせいで髪が散らばって視界が遮られる。それを押さえ込みながら、きちんと大親友の目を見て返事をした。ここに来て大親友としての関係性を盾にしてくるとは思えなかったが、盾にするほど私に守らせたい約束となってくるとかなり絞れてくる。家に二度と来るな、とか、もう関わるな、とか。それからあともうひとつ、今一番可能性が高いもの。
来るならそちらだろうな、と思って笑ってしまう。大寿くんはやっぱり私をよく分かっている。大親友との約束は守る女だし、関係性を盾にすれば必ず頷くと理解しているんだろう。これまでの付き合いは伊達じゃないということだ。
大寿くんは私の笑いに不機嫌そうな顔を作りつつも、もう一度絶対に守れと言い含めてきた。そんなに言わなくても守るよ。また笑ってしまう。
「今回の件から手を引け」
「……やっぱり、分かってた?」
「三ツ谷に交換条件が云々吹き込むのなんてお前ぐらいしか居ねえからな。柚葉も八戒もそんなことはしねえ」
「あはは。でも三ツ谷くん、ちゃんと私の言ったこと参考にしてくれたんだ。何を対価に何を望んだの?」
「八戒を手放す代わりに柚葉を解放しろだと」
「で、ゆずちゃんはお役目から解放したんだ? 流石大寿くん、約束を守る男だねえ」
今日の大寿くんはお喋りな大寿くんらしく、その後も言葉が続く。三ツ谷くんはやっぱり八戒くんがゆずちゃんを守っていると勘違いしているらしい。まあ仕方ないだろう。そういう説明の仕方を選んだのは八戒くんだし。
首を逸らして階下に広がる景色を眺める。暗くなってきたせいで車のランプが流れていくのが綺麗だ。天の川みたい。所詮は人工的な光に過ぎないその天の川を見下ろしながら、八戒くんをフォローするわけではないけれど、と前置きして大寿くんに告げる。
「大事な人に弱い所を見せたくないとか、強く見てほしいとか、私は分かる。一度ついた嘘を撤回できなくなっちゃうのも、まあ分かるかな」
「……」
「きっといつか八戒くんが腹決めて三ツ谷くんたちには話すでしょ。お兄ちゃんは見守ってあげなよ」
八戒くんの気持ちはよく分かる。こんなに出来るんだよ、強いんだよって自分を大きく見せたくなる気持ち。私もそうだ。竜胆くんに弱い所を見せられるけれど、やっぱり弱い自分は嫌い。好きになれる日なんてきっと来ないまま。
大寿くんは視線を他所に逸らしてひとつ鼻を鳴らし、またこちらを見る。私が悩んでることぐらい分かってるだろうに、敢えてつついてこないのだ。そういうところも全部含めて、さすが私の大親友。
「それで、手を引けだっけ。いいよ、引くよ。キミたちきょうだいの話には首突っ込まない。でもゆずちゃんの相談にはこれからも乗ってあげていい?」
「……勝手にしろ」
「はあい」
そう返ってくるだろうと思ってた。ゆずちゃんの息抜きに私を当てるのはちょうど良いと思ってるんだろう。大寿くんがいようがいまいがあの家で堂々と寛げる他人なんて私ぐらいのものだろうし。それに、私と話してると良い感じに悩みも忘れられるってひと月ぐらい前に大寿くんも青筋立てて私のこと張り倒しながら言ってたしね。いやあれ別に私の事褒めてなくない?
手を離したら一気にボサボサになるので、まだ髪を抑えながら上を向く。十一月も終わりに近付いてきているから日が暮れるのも、もう随分と早くなった。すっかり暗くなった空でチカチカ光っているのは飛行機か何かで、星ではない。
やっぱり東京じゃ地上の灯りが眩しすぎて星空なんて見えないか。もっと上に登れば見えるのかな。でももっと上にある私室に大寿くんが私を素直に招いてくれるとも思えないからなあ。前にお邪魔した時に大雨が降って交通機関がストップして帰れなくなった時は毛布一枚与えられて、今大寿くんが座っているソファーで寝かされたのだ。寝床と食事と衣服を与えてくれたのは嬉しかったし感謝したし、そもそも大親友とは言えど仕事のための部屋なら兎も角プライベートルームに異性を招き入れるのもどうなのだという話にはなってくるが、それはそれ、これはこれだ。
「あー、流れ星流れないかなあ」
「流れたところで見えねえだろ」
「良いの良いの。それっぽいのが見えたら三回きっちり願うから」
神様、どうか弱い私を殺して、強い私に生まれ変わらせて。
飼いデブに手を噛まれる