女の子の買い物は長い。古今東西、そういうものだ。多分人間としてそういう作りになっている。
私の手を引いて歩くエマちゃんに大人しく従いその話に相槌を打ちながら、先程まで食べていたパンケーキを思い出す。前評判の通りの味だったし、軽食としても良かった。今度竜胆くんとも行きたい。まあ、今は少し連絡を取りにくい空気になってるけど、いつか。
カフェから程近いショッピングモールに入ったあたりで、エマちゃんは午後の目的を話し出す。午前中もあれやこれやと買い物をしていたけれど、午後はここで見たいものがあるようだ。
「お姉ちゃんが前履いてたアイボリーのスカート、あれと似てるのが欲しいの」
「別に買わなくても貸すけど」
「全然サイズ違うからウチが履くと引き摺るでしょ!」
私の言葉に怒ったように振り返ってこちらを見上げるエマちゃんを見て、思わず笑う。まあ確かにそうだ。私のスカートじゃエマちゃんには少し長すぎるだろう。
ショッピングモールの案内板を二人で見ながら、夕飯を食べれそうな店にも目星を付けておく。買い物を終えて時間があったらこの近くのイタリアンのお店にでも連れて行く予定だが、なければ適当にモール内でエマちゃんの好きそうなお店に入る。うん、そうしよう。
シンイチローくんから少しお小遣いをもらっているのでそれはエマちゃんに美味しいものを食べさせるのに使いたい。絶対彼処のパスタ好きだと思うんだよね。店の雰囲気もエマちゃんの好みだと思う。連れて行ってお気に召したようならケンチンくんにも教えてあげよう。
回りたい店に目星を付けたらしいエマちゃんに再び手を引かれながら、エスカレーターに乗る。朝待ち合わせをした時から仕切りに話されるきょうだいたちへの文句や愚痴がまた始まったので同意したり意見したりしながら、相変わらずエマちゃんは天使みたいに可愛いなあと内心呟く。キラキラしてる。こんなに可愛くて良い子が妹なんて私は前世でどれだけ徳を積んだんだろう。
「ニィもカクちゃんも忙しい忙しいって、ずっとそればっかり!」
「あの二人は今、ほら、横浜の方で暴れてるから。やるって決めたらとことんやる二人だから暫くはこうじゃない?」
「その暴れてるっていうのもウチは嫌なの! 危ないことしてるんでしょ?」
「まあそれは確かに、関東統一みたいなこと言ってたからなあ……」
関東統一を目標にされるとどこかしらできょうだい同士でぶつかり合うことになるわけだが、それも分かって言ってるっぽいし。それぞれ力を増した私とイザナとマンジローの三人がぶつかるとこれまでとは比べ物にならない大惨事に繋がる気しかしないから確かに危ないかも。エマちゃんはそういうことが言いたいわけではないんだろうけど、私としてはそういう所見である。
でもひとまずイザナと鶴蝶くんなら危ない橋を渡ったりはしないだろうから私はそこまで心配していない。あの二人もあの二人で、小さい頃からうちの祖父に懇々と超えちゃいけないラインを提示され続けた二人だ。イザナは特に祖父に雷を落とされているし、身に染みてるだろう。もし何か倫理的に危険なことをするなら私も容赦なく殴り付けて木に縛り付けるぐらいのことはする。
だからといってエマちゃんはやはり心配らしく、可愛らしくぷんぷんしながらあーだこーだと文句を言っている。今日で何度目かになるそれを指摘することも無く聞きながら、妹に心配かけるようじゃまだまだだよなあと思った。鶴蝶くんは同い年だし妹というよりかは友人兼家族みたいな感覚なのかもしれないが、私とイザナからすればエマちゃんは可愛い妹だ。
「私からもイザナに、エマちゃんが心配するからせめて家には帰ってこいって改めて言っとくよ。ケンチンくんに取られちゃうぞってね」
「もう、そうやってすぐからかわないで!」
「あはは、ごめんごめん。でも仲良くやってるんでしょ? 絶対脈アリなんだからエマちゃんから押せ押せで行っちゃえばいいのに」
顔を赤くして腕を叩いてくるエマちゃんを受け止めて、でも本当に脈アリだと思うよと念押ししておく。そこはお姉ちゃんを信じて欲しい。たまにマンジローもケンチンくんとエマちゃんを見ながらニヤニヤしてることがあるし、脈アリどころか両思いだろう。
それに私としてもケンチンくんになら可愛い可愛い妹を任せられる。誠実な子だし、何よりエマちゃんを大切にしてくれているし、優しいし。未来の義弟候補というか、もう義弟のようなものだ。
今度はきょうだいたちの愚痴から恋バナにシフトすることにしたらしい。まだ赤い頬をそのままに、手を伸ばして意味もなく服をとって広げたりしながらケンチンくんとの話を聞かせてくれる。その中には相談もあった。冬休みもお出かけに誘いたいけど、どこがいいか。
「エマが行きたいって言ったらどこにでも着いてきてくれそうだけど、それじゃ嫌なんでしょ?」
「うん。ウチだけじゃなくてドラケンにも楽しんで欲しいの。お姉ちゃんはリンドーくんと今年もクリスマス出掛けるんでしょ。どこ行くの?」
「……んー?」
「もうあと一ヶ月でクリスマスだよ! 決めてないわけじゃないんでしょ?」
「まあ決めてはいるよ。海見に行くの。冬の海が見たいって前に私が言ったこと覚えてくれてたみたいで」
「えー、いいなー!」
目をキラキラさせて私を見上げたエマちゃんは、私たちがどこに行く予定が知ったことで自分たちが行きたいところも思い浮かんできたのか、色々と候補を上げ始める。相槌を打って返事をしながら、なんとなく手に取ったワンピースを体に当ててみた。鏡を見なくてもわかるぐらいサイズが全くあってない。
仕方が無いのでエマちゃんに合わせてみると、こちらは少し大きいけれどちょうど良いぐらいだろう。シンイチローくんがこの前プレゼントしていたコートにも合う気がする。本人も気に入ってくれたらしく試着するというので、店員さんに声を掛けて試着室に向かっていくその背を追った。
「結局お姉ちゃんって今身長どれぐらいあるんだっけ」
「九月の終わりぐらいに測った時は百七十ギリギリないぐらいだったから、今はちょうどぐらいかな」
エマちゃんが結局購入したワンピースと自分用に買った何枚かのトップスが入った紙袋を持ちながら、また手を引かれるままにショッピングモール内を歩く。お目当てのスカートは見つからなかったから次の店を目指しているのだ。なんならお古にはなるけれど私のスカートを仕立て直して渡すのにと言えば、そういうことじゃないと首を振られてしまったので素直に手を引かれている。
うちは父こそあまり上背はないが祖父や母の背が高いので、私も兄も平均以上の身長は持ち合わせている。私はもうだいぶ伸びが緩やかになってきたけれどこれでもエマちゃんとは二十センチ差だ。見上げる形になるし、見下ろす形になる。その分余計にエマちゃんが小さく可愛く見えるのだが、これは前に言ったら怒られたので言わないようにしている。本当に可愛いのに。姉と妹って感じがして最高でしょ。
「出会った頃はあんなにちっちゃかったエマちゃんがもうこんなに大きくなって来年は受験生だもんねえ……」
「そうやってすぐ母親面するんだから。でも、そうだよ。お姉ちゃんに初めて会ってからもう五年も経つんだからね。ウチもこれでも成長してるんだから!」
自慢げに鼻を鳴らしてこちらを見上げるエマちゃんの頭を撫でてあげながら、知ってるよと笑って答える。五年間ずっと一緒にいた可愛い妹のことを知らないわけがない。ケンチンくんへの恋を自覚した時に真っ先に相談を受けたのも私だし、女の子同士のデリケートな相談を一番に受けてきたのも私。それからエマちゃんにとってのお姉ちゃんも、私だけ。
イザナのケンチンくんへの妨害行為は適度に防いでいるけれど、可愛い妹を心配する気持ちは本当はよく分かる。離れていってほしくない、大人にならないでほしいという気持ちも分かる。私も一緒だ。私たちの可愛い妹が大人になっていくのは嬉しいし微笑ましいけれど、ずっと小さくて可愛い妹のままでいてほしいとも思う。私たちは、わがままでいつまで経っても妹離れの出来ないお兄ちゃんとお姉ちゃんなのだ。
エマちゃんはこの先もずっと私たちの妹で、私たちはこの先もずっとエマちゃんのお兄ちゃんとお姉ちゃんだ。でもずっとずっと一緒に生きていくことは出来ない。エマちゃんは家を出て、別の誰かと家庭を持って、そうやって私たちの与える幸せとは別の幸せを自分で掴み取って、愛しい人と幸せになっていく。私たちは家族だけれど、この先の未来でエマちゃんにも私たちとは別の大切な家族が増えていく。
もちろん私たちにだってそうやって家族を増やして、別の誰かと生きていく未来がきっとあるのだ。でもお兄ちゃんお姉ちゃんとしては、可愛い末の妹が幸せになる未来を想像するのは嬉しく楽しいことでもあって、悲しくて寂しいことでもある。なんとも複雑な兄姉心。
私の考えを知ってか知らずかこちらを振り返ったエマちゃんは大人びた笑みを浮かべ、ぐっと私の顔を覗き込んだ。出会ったあの日、そっと私の服の裾を掴んだ小さな掌と遠慮がちな声音。本当にこの子は大きくなった。きっと近い未来、私たちが手を引いてあげなくても先へ先へと進んで行けるようになる。なんなら今もこうやって私の手を引いて歩いてくれているぐらいだ。
「ニィもお姉ちゃんも心配性だよね」
「そう?」
「うん。ウチだってこんなに大きくなったのに、ずっとあの頃の小さい妹のままだと思ってる」
「だって、エマは私たちにとってはずーっと可愛くて小さい妹だもん。そう思われるのはいや?」
「別にいやじゃないけど、過保護! 二人が心配しなくてもウチだってこれで上手くやってるんだよ」
それは知ってると返して、ひとつ笑う。そんなこと知ってるよ。知ってて、それでも心配してる。家族できょうだいなんだから、幸福を願うのは当たり前だ。愛しいきょうだいを大切に思わない人間なんてきっとこの世にいない。少なくとも私たちは、エマちゃんを愛している。
そう伝えれば、エマちゃんは照れ笑いを浮かべてから通路の隅によってぎゅっと抱き着いてくる。抱き締め返して、その頭を撫でた。私の可愛い妹。
「……本当過保護だけど、そういうところ、ウチ好きだよ」
「私はエマの全部が好きだけど」
「張り合わないでよ。……でも、ウチもお姉ちゃんの全部が好き。大好きなお姉ちゃん」
「ふふ。……可愛いエマ、私の大切なエマ。たった一人の妹。エマのことはお姉ちゃんがなにものからも守ってあげる。苦しいことも辛いことも、悲しいことも痛いことも、お姉ちゃんがその全部からエマを守るからね」
「……幽霊とか猛獣とか神様とかからも?」
「幽霊も猛獣も神様も、運命からも、絶対にお姉ちゃんが守るよ。約束」
いつかあなたを守る役目を、その隣で生きる誰かに譲り渡すその日まで、絶対に。
+
天気予報で今日は一日中晴れで洗濯日和だと言っていたから、佐野家にお泊まりした翌朝、嫌がるマンジローを説き伏せて例のタオルケットを洗った。その結果として、私は今マンジローとエマちゃんに膝を占領されている。
うんうん唸りながら器用に膝の上で寝返りを打って私の服の腹の部分を掴んだマンジローの頭を撫でて、すやすやお行儀よく眠っているエマちゃんの顔にかかった髪を払う。そのまま二人にそれぞれ掛けたブランケットの位置を調整した。
タオルケットの代わりに膝を貸せと喚いたマンジローに根負けして胡座をかいてからもう二時間近く経つのではないだろうか。愛しい弟妹の寝顔を見ていて飽きることはないが、さすがの私でも足は痺れてきた。途中で師範が差し入れてくれた麦茶入りのペットボトルに口をつけながら、寝苦しそうにまた唸ったマンジローの髪を手で梳く。
お昼になったら適当に昼食を作りたいので、二人を起こしたい。でもそれまで膝枕を続けていたら完全に足が痺れて立てなくなる気がする。私がいる日は私が作るのが暗黙の了解になっているのでそこは変えたくないのだが、いざとなったらエマちゃんに頼むしかないだろう。
そう思ってエマちゃんの髪も梳いていれば、背中にぐっと体重が掛けられた。ここまで器用に気配を消して私に近付くのはマンジローと、もう一人だけだ。背中合わせに座り込んだらしいその膝を後ろ手に叩く。
「おかえり」
「ただいま。マンジローとエマ、なんでこんなとこで寝てんの?」
「私がマンジローのタオルケット洗ったら、代わりに膝貸せって駄々こねられちゃった。エマはマンジローが寝付いたぐらいで寄ってきて自分もここで寝るって言い出したから自由にさせてる」
「へえ。そうしてると二人とも猫みたいだな」
「じゃあ私は親猫?」
「猫が寄ってくる陽だまり」
「ならイザナも陽だまりに寄ってきた猫だね」
もうすっかりおかえりとただいまの応酬を違和感なく交わせるようになったことに内心喜びつつ、肩に乗せられた頭を手を伸ばして撫でる。これじゃあ本当にイザナも猫みたいだ。撫でてやると首筋に擦り寄ってくるところなんて本当に猫っぽい。
イザナと会うのは今日が久しぶり、という程でもないけれど、十日以上は会っていない。最後に会ったのはエマちゃんの誕生日の時だ。順調に横浜で勢力を拡大しつつあるらしく、この前エマちゃんと買い物に行った時に漏らされた通りイザナは滅多に佐野家に帰ってこない。まだ十八になっていないので施設に籍を置いている鶴蝶くんと違って、もう施設を出て佐野家に籍を移したというのに帰宅が少ないんだからそりゃエマちゃんも怒るだろう。あの子はイザナのことが大好きなのだ。
「エマちゃんが怒ってたよ」
「あー、帰らねえからだろ? オレも電話で言われたから今日は帰って来た」
「心配してたよ。帰ってこないのも嫌だけど、危ないことしてるのも嫌だって。マンジローはまだエマちゃんの手の届くところで暴れるけど、イザナは横浜とか行っちゃうもんね。やっぱり不安なんでしょ」
「んー……」
「シンイチローくん以外みんな喧嘩ばっかだからねえ。心配掛けてるのは私も一緒か」
「言われてみればそうじゃねえかよ。一番怪我してんのお前だろ」
「えー? でも生きてるからさ」
「生きてるからって、何回死にかけたか分かってんのか?」
二人を起こさないように小声で会話を続けながら、不満げなイザナの様子に笑ってしまう。兄貴面が板についたものだ。最初の頃は私のことを妹と呼ぶことすら躊躇っていたのに、今ではもうこうやって堂々と妹扱いしてくる。
イザナと出会ってもう十年以上経つ。家族と兄の次に長い付き合いだ。文通仲間だと思っていたはずが気付けば兄のように思っていて、友だちになった。そしてそのまま友だちを乗り越えて兄と妹になったんだから、つくづく不思議な関係だと思う。出会った頃は母の影に隠れて私をじっと見つめるばかりだったのに、今ではこうして背中合わせに座り込んで預けられた頭を撫でることさえしている。こうなれてよかった。
しばらく中身のない応酬を続けていたのだが、イザナがふと思い出したかのように口を開いた。
「当分の間、獅音借りる」
「別にいいけど……とうとうチーム組むことにしたの?」
「おう。いい感じに周りがオレらにビビってる今チーム組んで、一気に横浜を締める」
「へえ。無茶はしないでよ」
「はっ、オレを誰だと思ってんだよ。あー、あと、竜胆と蘭も借りるから」
「それこそ別にいいし、わざわざ私に言ってくれなくてもいいよ」
これまでは鶴蝶くんと二人で動いていたけれど、いつかどこかしらのタイミングでチームを組むとは聞いていた。その時に少年院に居た時に会った「極悪の世代」を集めると言っていたから、元々竜胆くんに収集がかかることも分かっていたし。
半分夜ノ塵のメンバーみたくなってきている獅音ちゃんならまだしも、竜胆くんと蘭ちゃんに関してはどこのチームに入るも誰に力添えするも二人の自由だろう。私が口を挟めることじゃない。
そう思っての発言だったのに、イザナはなんとも不機嫌そうに声を上げた。
「竜胆と喧嘩でもしたのかよ」
「……別にしてないけど、なんで?」
「いつものリコなら真っ先に『竜胆くんのことあんまり振り回さないであげて』とか言うだろ」
「それ私の真似? ちょっと似てるかも」
イザナの問いに答えることはなく、声を潜めて笑う。二人揃って似たような格好で眠るマンジローとエマちゃんの頭を順繰りに撫でて、今度は私がイザナの肩に頭を預けた。髪とピアスが顔にかかってくすぐったい。伸ばされた手が乱暴に私の頭を撫でる。
こうやって自然にお兄ちゃんぶってくれるところ。私たちが文通仲間だった頃から何も変わっていない。今なら分かるけれど、あの頃のイザナは離れて暮らすエマちゃんにしてやれなかったことを私に代わりにしてくれていたのだろう。
「ねえ、相談乗って。お兄ちゃん」
「言っとくが、オレはそもそもお前と竜胆の交際に反対だからな」
「とか言いつつなんだかんだ言って応援してくれてるくせに。そんなんだからマンジローに妹離れ出来てないって言われるんだよ」
「それお前も言われてただろ」
ピンと容赦なく弾かれた額を大袈裟に、それでも二人を起こさないように小声で痛がりつつ、イザナに擦り寄る。なんだかんだ言いつつ話は聞いてくれるし、相談にも乗ってくれるのだ。そして私を妹として甘やかしてくれる。
どこから話そう。全部話すとなるとだいぶ前から話さなきゃいけなくなるし、それはちょっと恥ずかしいし、でも最初から話した方が分かりやすい気がする。
そうやってぐるぐる悩んでいたんだけれど、その時ちょうどイザナが珍しく優しい手付きで私の髪を梳いた。思わず目を動かしてちらりと仰ぎ見た表情までもがあまりにも優しいものだったから、するりと言葉が出てきてしまったのだ。
「竜胆くんとお兄が私に隠し事してる」
「リオもかよ」
「うん」
今回私がこんな風に拗ねているのは、言ってしまえばそれだけが理由だ。二人が、竜胆くんが私に隠し事をして、私を頼ってくれないことに不満を抱いて怯えている。
私ばかりが頼って弱さをさらけ出して、竜胆くんにもたれかかって生きているんじゃないか。仕舞い込めていたその怯えが、また出てきた。そうなってくると捨てられない弱さがやっぱり憎くて、弱い自分を殺してしまいたくなる。今、その堂々巡りの中にいる。
もうその顔を見るのはやめたけれど、きっと優しい顔をしているのだと分かる優しい手付きでイザナはまだ私の髪を梳いている。特に意味もなくずっと前からインナーに入れ続けているワインレッド。イザナはこれを触るのが好きだった。
「でもね、本当は分かってるんだ。心配掛けたくないって思ってるんだろうなって。私もそうだったし、今もそうだからさ」
「おう」
「だけどやっぱり頼って欲しい。心配ぐらいさせて欲しい。竜胆くんを全部を受け止めたい……お兄ちゃん的には、これってわがまま?」
思わず不安になってきてしまってそう聞けば、ひとつ笑って額を叩かれた。イザナがぐっと首を回して私を覗き込んでくる。私もその瞳を見つめ返しながら、やっぱりエマちゃんに似ていると思った。
笑った顔はシンイチローくんに似ていて、不遜な顔はマンジローにそっくりで、照れた顔や瞳がエマちゃんとお揃いだ。驚いた時の仕草が鶴蝶くんに似ている。なにか達成した時の嬉しそうなイザナの顔と、夕飯に好物が並ぶと知った兄の顔がそっくりなのだとここ数年で知った。きょうだいたちはみんなどこかしらが似ている。きっと私も知らないだけで、みんなとお揃いの何かを持ち合わせている。
仕方ないなとばかりの今の笑顔は、なんだか竜胆くんに似ている気がした。竜胆くんに会いたいと漠然と思う。
「お前ら、似たようなこと言ってんな。流石にわがままかどうかなんて聞いてこなかったけどよ」
「私と……誰?」
「竜胆。竜胆も、お前に頼って欲しい、心配ぐらいさせて欲しい、お前の全部を受け止めたいって言ってた」
「お兄ちゃんに?」
「それしかねえだろ。三年前にはじめてきょうだい喧嘩した後にさ、オレ、竜胆に殴られてんの。その時に聞いた」
「……そんなの私聞いてないけど」
「そりゃ言ってねえからな。まさか三年越しに似たようなこと聞かされるとは思ってなかったわ。オレたちはきょうだいだからまあ置いておいて、一緒にいると恋人も似てくるもんなの?」
ひとつ瞬きをした後に堪えられずに流れ出してきた涙をイザナはこちらを見ることも無く器用に拭いながら、まだ眠る二人に気遣いつつ呆れたように、でも柔らかく笑う。
どこまでも優しいその手に拭われるままに泣きながら、やっぱり竜胆くんに会いたいと思った。
「お前らのそれが愛ってやつなんじゃねえの」
「……愛」
「リコはよくオレに愛してるって言うだろ。それとは違うんだろうけど、頼られたいも頼りたいも、心配したいも心配掛けたくないも、支えたいもそばにいたいも、突き詰めていけば愛してるに繋がる、とオレは思う」
「……」
「オレが殴っても突き放しても何してもお前らはオレを愛しいきょうだいだって言い続けてくれた。オレにとっても、あー、照れくせえな……お前らは、オレにとっても愛しいきょうだいって奴なんだよ」
「うん」
「オレに愛を教えてくれたのはお前らきょうだいだ。だから、竜胆とのことってのがムカつくけどオレからもお前に教えてやるよ。リコの竜胆へのそれも、一纏めにして全部、愛でいいんだよ」
泣くなよと言いながら、そのくせして私の頭を撫でてくる。それで泣いてしまうのだ。分かってるくせに撫でる手をとめないあたり確信犯だろう。
私の兄はみんなこうだ。こういう時だけ兄ぶって、全部わかってるみたいに私を諭して、素直になれと何度も言う。そうやって私の手を引いて、背中を押してくれる。いつもいつも一人では答えに辿り着けない私を抱き締めて、一緒に考えてくれる。
「お兄ちゃん」
「なんだよ」
「愛してる」
「……オレも愛してる」
マンジローとエマちゃんが膝の上で寝ていなければ、きっと私はイザナに飛び付いて泣いてしまっていただろう。今だってもうすっかり身を預けて、せめて声は殺して泣いている。
向けた愛に同じだけの愛を返してもらえるのがこんなにも嬉しいことだと思っていなかった。私たちの愛はきちんとイザナに届いていたのだ。そしてイザナも私たちを愛してくれている。
不服だなんだのと口では言いながらも私の話を聞いて、答えをくれた。あの日出せなかった気持ちの違いの答え。竜胆くんが好きなのだと、そこまでしか捻り出せなかったこの感情の全て。
私の足が痺れていることを見越してか、イザナは頭を撫でる手を止めずに、今日の昼は自分が作ると言い始める。それに頷いて受け入れて、久々にみんなでご飯が食べたいと思った。今日居ない鶴蝶くんとシンイチローくんと兄も、出掛けてしまった師範も一緒に、みんなで。
涙が止まるようにと瞳を閉じながら、竜胆くんの姿を思い描く。次に会う時は、きちんと伝えたい。
私はあなたを愛している。
+
「引きが良いのか悪いのか。私は悪いと思うんだけど」
「くじすらまともに引けねえ愚図は喋るな」
「所詮は運でしかないのに酷い罵倒をされた」
小さな紙に書かれた十九の数字にうさぎの耳を描きながら、一応周りを気遣って小声で会話をする。既に発表を始めた一番手のペアがつっかえながらもそれなりにスムーズに話している時点で、この後に続くペアは大プレッシャーだろう。
このペアは最後の方は随分落ち着いて来ていたし、最後に頭を下げるのにも淀みがなかった。先生も満足そうだし初手からハードルが上がった気しかしないな。周囲に合わせてまばらな拍手をしつつ、意味もなくそんな分析をする。
今日は十二月一日、例の英語の共同発表の当日だ。お前は原稿を読み上げるだけでいいと大寿くんに言われているので、それ以上の準備は特にせずに今日を迎えた。私を我慢のきかない幼児か何かだと思っているらしい大寿くんは発表の順番決めのくじを引く役目は私に譲ってくれたけれど、結果はまあ分かりやすく一番最後。やっぱり引きが悪いでしょ、これ。
自分の引きの悪さにため息をつきつつ、珍しく結んできた毛先を後ろ手に引っ張る。相変わらず分かりやすく隠し事をしている兄に、放課後久々に竜胆くんと蘭ちゃんと私たちの二人で遊びに行こうと言われたのだ。だから目新しさを出すために結んできたんだけれど、さっきお昼を食べてる時に突然髪ゴムが弾けて最悪だった。代わりのものを持っていたから良かったけれど、新品なのに予兆もなく弾けたりしないで欲しい。
最近はもう本当に散々で、ここ数日でお気に入りのマグカップは何もしてないのに割れるし、座ってる時に椅子の足が折れるし、昨日なんてコンビニで買い物をしている数分間で傘を盗まれた。もう何もかもが最悪だ。
竜胆くんに会ってきちんと伝えようと決めたのに集会やらチームの面倒事やらでろくすっぽ時間も確保できずに今日を迎えてしまったし。イザナと二人で話してからはせめて声を聞くぐらいはと思って電話をかけたりもしているけれど、お互いのタイミングが一切合わないせいで繋がったことは一度もない。今朝送られてきたおはようの文面を思い出しつつ、どうしてこうも上手くいかないのかとため息をつく。大寿くんには煩わしそうに横目で睨まれた。
「なんでこんなに運が悪いんだと思う? 呪われてるのかな……」
「その呪いとやらで今日の発表をぶち壊すのはやめろよ。テメェがどうなろうが知ったこっちゃねえが、これはオレの成績に関わる」
「……大寿くんも巻き込めますように……」
「死ね」
大親友が本気で悩んでいるのにあまりにも酷い返し方をされたため、どうか次は大寿くんも巻き込んで呪いが発動しますようにと祈る。不良のくせにこういう所で成績を気にする真面目っぷりを発揮しないで欲しい。そもそも私たちがヤバいのは出席数とかそっちの方面なので、今日ちょっとぐらい発表で失敗してもなんとかなるだろう。いざとなったら先生に泣きつけばいい。
一応周りに気を使って小声にはしつつも、他人の発表を見ているだけでは暇なので大寿くんに声をかけ続ける。
「ねえ、やっぱり私たちも賭けしようよ。私のこの呪いっぽい悪運全部大寿くんにあげる」
「ふざけんな、そんなものいらねえ」
「私だっていらないよ! ああ待って凄い嫌な予感してきた……なんか悪い事が起こるよ」
「おいやめろ。お前のそれは当たるだろ。オレを巻き込むな、一人で自爆してろ」
「酷い言い様」
本気で拒否の態度を示してくる大寿くんに怒ったふりをしつつ、手元の原稿を指でなぞる。発音チェックはしてもらったから、もう覚えてないけどぶっつけ本番で何とかなるだろう。自分の成績はどうでもいいけど大寿くんの成績を守ってアピールしなくては。
もう既にあと何組かで私たちに順番が回ってくるところまで来ている。どのペアもたいした失敗をしていないようだし、今更何となく緊張してきた。ここで失敗したらどうしよう。もしかして嫌な予感って今から大失敗しますよみたいな感じのアレかな。
そう思いながら、机の上に放り出していたボールペンにふと目がいく。竜胆くんに借りてそのままになってしまっているものだ。特に理由はないのにどうしても手放せなくなってしまったから、お詫びに私のボールペンを竜胆くんのペンケースに入れてチャラにした。恋人っぽいと何故か兄と蘭ちゃんから好評だったっけ。
その竜胆くんのボールペンから、何故か目が離せなくなってしまう。それまでペラペラと喋っていたのに急に押し黙って机の一箇所を眺め始めた私を不気味そうに見下ろしている大寿くんの視線を感じるけれど、そちらを見ることは出来なかった。
竜胆くんの名前の色のボールペン。よく見ると竜胆くんの瞳の色もこの色なのだ。すごい偶然だけど、運命的なものを感じる。私も瞳の色が名前の由来になった言葉の色と一緒だと言われたばかりだ。余計に運命を感じたの。
どうにも嫌な予感が増してくる。まさか、竜胆くんに何かあるんじゃ。
そう思ってしまったせいでそうだとしか考えられなくなってきてしまった思考を止めるように、廊下を足早に歩く荒い足音が聞こえてきた。誰も気にしていないようなその足音に嫌な予感が増してきて、思わずボールペンからも目を逸らしてそちらを見る。
間もなくしてこの教室が目的地だったのか足音は止まり、間髪入れずにドアが開かれた。見慣れた二つのツートンカラーの三つ編みが揺れている。数秒見つめあって、嫌な予感が確信に変わった。握り込んだ手が震える。そうでもしていなければ何があったのと叫び出してしまいそうだ。
「蘭ちゃん、何が……」
「竜胆とリオが通り魔に襲われたって」
「……は?」
突然の乱入者に静まり返る教室で、ひっくり返った私の声がよく響いた。無遠慮に教室まで入ってきて私を見下ろし、蘭ちゃんは感情を抑え込むようにして私の疑問に答えてくれる。見上げたその目は動揺の色に満ちていた。
思わず椅子を蹴っ飛ばすようにして立ち上がって、でも立っていられずに机に手をついて床に膝をついた私の手を握った蘭ちゃんのその手の少しの震えが、これが現実なのだと伝えている。立ち上がった拍子に揺れた机から落ちたボールペンが、その竜胆色が目に痛くて涙が出てきた。
生簀のデブ