冬休み最高。ほぼ毎日竜胆くんと過ごせるので今年から好きになった。今まではそこまで長くもないくせに課題が大量に出る面倒な休みぐらいの感覚だったが、今年からは最高な休み認定をしている。
 更に、真面目で賢い大親友も仲間に加わったわけだ。大寿くんの分も私が遊びまくるから、課題は大寿くんに任せる。それで私は竜胆くんと時間を過ごす。完璧すぎる計画だ。


 別に遠出をしなくたって幸福な休日を過ごせると証明しよう、というのが私たちのこの冬の目標。だから近場を回って、色々と楽しく過ごしている。二人で見る景色はどんなものだって最高に思えるのだ。

 通り魔に襲われた際の竜胆くんの怪我は本人が言う通り本当に掠っただけのもののようだったけれど、大事をとってせめて十二月中はバイクに乗ったりするのはやめてもらっている。それでまた竜胆くんが怪我をしてしまったりしたら、今度こそ本当に私の心臓が止まるからだ。心配で心配で死んでしまう。
 それに伴って遠出をする計画も尽く先に延ばすことになった。私たちにはまだこの先も時間があるんだから、楽しみは後に取っておこうという話になったのだ。私たちはお楽しみを後に回す派のカップルである。

 この先の約束を沢山して、そう言えばこれも見たいあそこにも行きたいと話して、そういう時間が好きだ。竜胆くんと過ごすこの先の未来を思う時間が好き。この先もそのそばにいたいと強く思う。


 クリスマスだということもあってか人の多い噴水前で、いつものように二人で並んで座りながらあとはどこに行きたかったかと指折り数える。約束していた海は大晦日に初日の出を見に行くまでやっぱり止めておこうという話になったから、今日は朝から色んなところを回ってあれやこれやと買い物をしたり、パンケーキを食べたり、初心に帰ろうということで出会ったあの日に二人で訪れた公園に行ったりもした。ブランコもシーソーも私たちにはもうすっかり小さくて、お互い遊具が全くサイズが合っていないことに笑いあったものだ。
 楽しい時間は早く過ぎるとはよく言ったもので、もう夕方だ。この後の予定は特に決めていないけれど、私はひとつ竜胆くんに頼みたいことがある。前々から言いたかったし頼みたかったけれど、やっぱり特別な今日お願いしたいこと。

 それはともかくとして、蘭ちゃんとデブから送られてきた通天閣前でのツーショットを二人で見つつ、なんとなくそろそろかなという空気になってくるのが分かる。膝に置いた鞄の中の箱に意識を向け、それから意味もなく手袋に包まれた指を動かした。うん、緊張してる。

 竜胆くんと出会って五年、一緒に日々を過ごせるようになってもう四年近く。これまで沢山の行事を一緒に迎えてきたわけだけれども、その分お互いに贈り物をする機会は多くなる。となると、だんだんとお互いの好みや欲しいものが分かるようになってくるのだ。だから今回は、私なりに考えて選んだつもりで二つプレゼントを用意した。片方は物で、片方はまあ、概念のような。
 きゃあきゃあとはしゃぐカップルや親子連れの中、二人で無言になってぱちりと視線を交わす。数度の瞬きの後、私に最初にプレゼントを渡す権利が譲られたことを悟った。ふむ。女は度胸とも言いますし。鞄に手を突っ込んで、ひとまず今渡せる物の方を取り出す。緊張を押し隠すようにして箱を開け、竜胆くんに差し出した。

「この前バイク走らせたら凄い手が冷たくなっちゃったから、やっぱり冬だしいるかなーって思って。私とお揃いの革の手袋」

 因みに兄とも、恐らく蘭ちゃんともお揃いだ。あの二人はアレでマメなのでクリスマスにはプレゼントを交換し合う。でも私たちとは違って二十五日になった瞬間に交換するタイプなので、もう蘭ちゃんの手にも渡っていることだろう。
 受け取って素直に嵌めてくれたその手に自分の手を合わせて、お揃いなんだよとアピールをする。しばらくそうしていたのだが、無言のままの竜胆くんに気恥ずかしくなってきて斜め下を向いた。じわじわと頬が熱くなってくる。何か言ってよと言う意味で名前を呼べば、鼻の頭に唇が落とされた。そういうことじゃないんだけど。

「嬉しい、ありがと。大事にする」
「うん……あの、そんなに見られると照れるから、ね?」
「照れてるところももっと見たい」
「意地悪言わないで……」

 互いに手袋越しに指を絡められ、下に向けた顔は簡単に覗き込まれる。こういう時に身長が大して変わらなくて目線にも差異がないと困るのだ。逃げられない。

 流石に人目があるここで直接唇にキスをするつもりは無いらしく額や鼻の頭に唇が触れたり離れたりするのを感じながら、小っ恥ずかしくて唸る。どの道恥ずかしいことに変わりはないのだ。どうせならお互いの家でこういうことはしてほしい。ここだと私の家から近すぎて、チームの誰かに見られているかもしれないし。
 逃げるようにまた斜めに目を逸らせば、父親らしき人と手を繋いでいる小さな女の子とぱちりと目が合った。真っ白な耳当てをして、ほのかに赤くなった頬の上の大きな瞳がこちらを真っ直ぐに見ている。竜胆くんも見られていることに気付いているだろうに、止まらずにまた目尻に軽く唇が落とされた。女の子にどうか黙っていても目線で合図すれば、勢いよく頷かれる。それでも目を逸らしてはくれなかった。興味津々な視線が痛い。

「竜胆くん、あの、小さい子も見てるから……」
「じゃあまた後で、続きは家でする」
「……うん」

 どちらの家かなんて野暮なことは聞かないで、すっと私から顔と手を離した竜胆くんが懐から取り出した小箱に目をやる。たいした大きさではないそれの中身をアクセサリーか何かだと予想したのだけれど、数秒も置かずに開けられた箱の中身はやはりネックレスだった。
 壊れ物に触るみたいに慎重な手つきで竜胆くんが箱からネックレスを取り出して、私の目の前に翳す。見覚えのある色の石がゆらゆら揺れていた。思わずニヤけてしまいそうになって唇を噛む。

「ラピスラズリでしょ」
「やっぱり分かるか。そうだよ。リコに渡すならこれだろうと思ってた」
「私がリコだから?」
「そう。お前がリコだから」

 今度こそ堪えきれずに笑ってしまう。竜胆くんが何か言うよりも早くマフラーを外して首元を自由にしながら、じっとそのネックレスを見つめる。私が私だからラピスラズリを選ぶなんて、最高だ。嬉しい。

 付けてと無言のアピールで髪をあげる。満足そうに笑う竜胆くんが言葉もなく私の首に手を回してネックレスを止めてくれたので、お礼にすぐそばにある頬にキスをした。驚いたようにこちらを見た竜胆くんのその顔が珍しくて、ひとつ笑って今度は唇のすぐ横にキスをする。続きはまた後で、だもんね。

「ネックレスありがとう。大事にする。それで、来年のクリスマス……よりも、誕生日の方が早いか。竜胆色の何かプレゼントするね」
「オレが竜胆だから?」
「ふふふ、そう。あなたが竜胆くんだから、竜胆色。私も名前の色だけど、竜胆くんの目の色も竜胆色なんだよね。好きだな、その色」

 顔をぐっと近付けて瞳を覗き込んで、ああまつ毛が長いなと思う。バシバシだ。目に入ったら痛そう。

 竜胆くんのその名前の色をした瞳と、私の瞳は、きっと暗いところで見ればよく似た色をしている。でも私は竜胆くんの瞳が好きだ。全部が好き。綺麗な瞳も、長いまつ毛も、その色も、全部が好きなのだ。
 こういう時にその全てが好きだとまた実感する。どこかひとつ好きなところをあげると、連鎖するように他にも沢山好きなところが思い浮かぶ。そうして竜胆くんの全てを愛していると思うから、多分これが幸せなんだろう。

 幸せを自覚すると、あんなに緊張していたのにもうひとつのプレゼントも竜胆くんにさっさとあげたくなってきてしまった。なんなら他にもあげたい。浮かれた気分でそのまま口を開く。

「実は私、竜胆くんにもうひとつプレゼントを用意してるんですけど」
「マジで?」
「マジで。でも今幸せだから、他にもあげられるものがあるならあげちゃう。欲しいものある?」
「誕生日」
「私の?」
「リコの誕生日の日、丸ごと一日オレにちょうだい。この先もずっと」

 らしくもなく緊張した顔と声音で竜胆くんが言うから、我慢出来なくなって声を上げて笑ってしまう。そのまま竜胆くんの首に腕を回して、人目なんて気にせずに思いっきり抱き着いた。動揺して私を呼ぶ竜胆くんを無視して髪をかき乱すみたいにその頭を撫でる。夕日が目に痛くて、幸せすぎて、泣き出しそうだった。

「いいよ。あげる。この先もずっと、私の誕生日、竜胆くんにあげる。でもそれだけでいいの?」
「……つまり?」
「誕生日だけじゃなくて、明日も、明後日も、一週間後も、一ヶ月後も、一年後も。私のこれから先の未来、全部竜胆くんにあげる」

 竜胆くんが息を飲んだのが伝わってきて、ぎゅっと腕の力を強めて全身で竜胆くんに擦り寄る。恐る恐る背中に回された腕がやっぱりらしくもなく感じられて、また笑った。それから涙が溢れてくる。

「これが私からのもうひとつのプレゼント。私の未来だけじゃなくて、私の全部。この瞬間から、私の全部はもう竜胆くんのもの。ねえ、受け取ってよ」

 文字通り何もかも全部を竜胆くんにあげる。捧げられるものは全部竜胆くんにあげられる。身も心も未来も運命も、私の全てが竜胆くんのものだ。

 竜胆くんがゆっくり吐き出す息が聞こえてきて、頬に触れる毛先が少しくすぐったい。でも離れたくなくてもっと竜胆くんに近寄った。何もかも溶け合って、ひとつになれればいいのに。心の底からそう思う。

 もうずっと前から竜胆くんに私の全部をあげようと思ってはいたのだ。たまたまこのタイミングで渡すことになってしまったけれど、クリスマスだからプレゼントは私だなんて、定番中の定番もいいものだろう。

「本当にオレでいいんだよな。もう絶対に手放せないし、撤回されたって返せない。本当にこの瞬間から、リコは全部オレのもの。リコの全部をオレが貰う」
「うん、いいよ。全部あげる。何もかもあげる」
「じゃあ、オレの全部もリコにあげる。今からオレの全部がリコのものだ」
「交換ってこと? ……嬉しい。全部ちょうだい。竜胆くんの全部、今この瞬間から私のもの。ああ、本当に嬉しい」

 ネックレスをもらえただけで、竜胆くんの今日という一日をもらえただけで本当に嬉しいのに、それ以上に大きなものをもらえてしまった。
 プレゼントは竜胆くん。こんなに幸せなことってない。何よりも好きで、大切で、誰よりも愛しい人がクリスマスに幸福を背負って私を抱き締めてくれた。あなたのすべてを私にくれてしまった。

 それしか言葉が出てこなくなってしまって嬉しい嬉しいと何度も呟いていれば、背中に回された竜胆くんの腕に力が籠ってオレも嬉しいと言葉が返ってきた。少し弾んだその声を聞けば嘘じゃないということはよく分かる。また嬉しくなってきてしまって、笑いながら軽く竜胆くんに体重をかける。本当に嬉しい。幸せ。

「竜胆くん知ってる? 私の誕生日、あと一日ズレてたらにゃんにゃんにゃんの日だったんだよ。猫がいっぱい」
「じゃあそのにゃんにゃんにゃんの日も一緒に過ごそうぜ。猫見に行く?」
「見に行く! 人間の猫はいっぱい触ってるけど、本物の猫は最近触ってないなあ……」
「人間の猫ってなんだよ」
「イザナとマンジローとエマ。私に寄ってくるから猫みたいなんだよ」

 抱き締め合ったまま、くだらない会話をして時間が過ぎていく。こんな時間がずっと続けばいいのにと本気で思った。
 そういえばと思って先程女の子がいた方を見れば、まだ居たようでぱちりと再び目が合った。笑って軽く指先を振る。振り返された小さな手のひらが可愛い。今日見た事は黙っていてね。私たちの秘密。

 それはそうとして、実はもうひとつ頼みたかったことをそろそろ頼んでもいいだろうか。前々から話したかったし、お願いしたかった。でも何となく、今日だと思ったのだ。

「竜胆くん、お願いがあるんだけど」
「オレに出来ることなら何でも言って」
「竜胆くんを後ろに乗せて、バイク走らせたいの。付き合って」

 数秒後、竜胆くんが笑う。それが肯定のサインだ。


 +


 バイクに乗るならスカートはダメでしょ。

 ということで、一度帰宅して楽なパンツスタイルに着替えて、オシャレより防寒重視で身格好を整えた。財布と携帯とバイクのキー以外は全部部屋に置いていく。竜胆くんの家にお泊まりすることになったけれど服や下着はもう全部向こうに置いてある。持っていくものは特にないのだ。

 結局兄と蘭ちゃんも大阪で一泊することにしたらしい。まあ送られてくる写真からして、夕方になっても遊び歩いているんだから帰ってくる気は元々なかったんだろう。祖父に小言を言われないように最初は日帰りと言っておくか、みたいな感じ。相変わらず仲のいい二人だ。
 また送られてきたたこ焼きを食べるデブの写真に顔を見合わせて笑い合いつつ、母と父に竜胆くんの家に泊まることを告げて玄関を開けた。父が何か泣き言を言っていたけれどよく聞こえなかったのでスルーしておく。うんうん、帰ってきたら聞くよ。

「雪だ」
「雪だな」
「絶対寒いねえ」

 玄関から外に出た先、ぱらぱらと舞い落ちる雪に手を伸ばす。そういえば今日は雪の予報が出ていた。ホワイトクリスマスなんて数年ぶりだ。

 寒いのはあまり好きじゃない。それを言ってしまえば私は暑いのだって嫌いだ。でも雪は好き。しかもクリスマスに雪が降るなんて、特別な感じがする。竜胆くんにそう伝えれば、目を細めて笑いながら頷いてくれた。その腕に自分の腕を回してぎゅっとくっ付いて、竜胆くんの鼻の頭にうりうりと指を押し付ける。赤くなってて可愛い。

「どこまで行くか決めてないんだけど、適当に走らせてもいい?」
「いいよ。でも寒いし風邪引いても困るし、あんまり遠くまで走らせるのはダメ」
「はあい……ねえ、ちゅーしていい?」
「は⁉︎ ちゅー⁉︎」

 声をひっくり返して叫ぶ竜胆くんに思わず笑ってメガネを何か言われるより早くサッと取り、そのマフラーを掴んでぐっと顔を引き寄せる。どうせ誰も見てないし二人きりなんだし、別にいいだろう。唇と唇を合わせる。たっぷり五秒ほどそうしてから顔を離せば、竜胆くんは耳まで真っ赤にして呆然とこちらを見ていた。寒さから来る赤さではないだろう。

 何もおかしくないのに笑えてきてしまってそのまましばらく笑っていれば、赤い顔のまま眉を寄せた竜胆くんが私の肩を掴んで顔を寄せてくるので、咄嗟にその口を手袋越しに手で覆う。驚いたような、怒ったような顔が可愛い。でも、本当は私も今ここでもっとキスをしたいけれど、お楽しみは後に回す。

「また後で、ね」
「……覚悟しとけよ」
「もうとっくにしてる。私の全部、竜胆くんにあげるって言ったでしょ?」

 メガネをかけ直してあげながらその手を引いて車庫に向かう。なんだかんだと言いつつバイクには乗っているけれどある程度の距離を走らせるのは本当に久々だ。安全運転を心掛けなくては。

 ため息をついた竜胆くんが私の手を握り直したのを確認して、楽しくなってきてその手をぶんぶん上下に振った。言った通り、もうとっくに全部をあげる覚悟は決めているのだ。


 +


 寒いとか冷たいとか凍るとか二人でわあわあ騒いでバイクを走らせた。こんな寒い日にバイクを走らせるのは余程の物好きだけだと話して笑い合いながら、休憩で立ち寄ったコンビニの前で肉まんを食べる。缶コーヒーを飲んでいる竜胆くんにもちまちま分けてあげながら、まあそもそも竜胆くんに買ってもらったんだけど、二人であれやこれやと話す。

「あれがオリオン座じゃねえ? なんかこう、三角ふたつ繋げたみたいな」
「嘘、どこ? えっ待って見えない、竜胆くんメガネ貸して」
「別に貸しても意味ないだろ」

 そうは言いつつ私にメガネを掛けてくれる竜胆くんは優しい。でもこのメガネはかなり度が強いので、竜胆くんの言う通りなんの意味もなかった。視界がぐにゃぐにゃしている。
 うええと声を上げれば、ケラケラ笑った竜胆くんにメガネをサッと取り上げられた。まだまだ回っている気がする視界で竜胆くんを見上げる。余程面白いのか、例の蘭ちゃんとよく似た笑い方でずっと笑っているのだ。そんなに面白いか? これ。

「見えた?」
「全然見えない……竜胆くん、よくメガネしてもぐにゃぐにゃにならないね」
「オレは餓鬼の頃からずっとメガネしてるから、慣れてんの。リコは視力いいもんな。この先ずっとメガネなんて掛けることないだろ」
「目がいいことも私の取り柄だから、うん、メガネはいいや。ぐにゃぐにゃ嫌」
「慣れれば何にも気になんないけどなあ」
「じゃあ竜胆くんはアレにはしないの? アレ、あの、コンタクト」
「あー、まあそのうち?」
「私メガネ掛けてる竜胆くんも好きだから、もしコンタクトにしても私の前ではたまにメガネ掛けてね。約束だからね」
「そんな拘ることか? でも、いいよ。家ではメガネのままだろうし」

 約束だよと再び言い含めて、最後に残していたひと口を口に放り込む。あちこちを走り回っていたからもうかなり遅い時間だ。同じようにコーヒーを飲み干した竜胆くんとそろそろ帰ろうかと会話を交わしてぐっと伸びをする。幸せな時間が過ぎるのは早い。もう今日という一日の終わりがすぐそこに迫っているのだ。

 終わって欲しくないなあと思いつつも、まあこのあとも私たちには色々とあるわけなのでポケットに手を突っ込んでキーを探す。ちょうどその時、同じポケットに入れていた携帯が震えた。電話だ。何となく嫌な予感がして引っ掴んで相手を確認する。

「電話?」
「うん、ゆずちゃんから。ちょっと出るね」

 取り出した携帯を揺らしながら竜胆くんに見せ、特に迷うことも無く応答ボタンを押す。どうにも、時間を空けてはダメな気がした。

「もしもし、ゆずちゃん? リコだけど、どうかした?」
『……』
「ゆずちゃん? ……ゆずちゃん、今何しようとしてる? どこにいるの?」

 呼び掛けても返事は聞こえず、静かな息遣いだけが聞こえてくる。特に揺らいでもいないのに思い詰めたようなそれに嫌な予感は増すばかりだ。もう一度ゆずちゃんを呼ぶ。

 気付けば下に向けていてしまった顔を上げて、ぱちりと竜胆くんとアイコンタクトを交わす。もしかしたら帰るのは日付が変わってからになってしまうかも。ごめんねと見つめていれば、呆れたように笑いながらそっと首を横に振られる。こういう時に、そばにいてくれるのが竜胆くんで良かったと心底思うのだ。こうやって私の手を離さないでいてくれる。

『リコから見て、大寿って、どういう奴』
「すごく不器用で、それでもずっとあなた達を深く愛している人」
『……大寿のことをそんなふうに思えるのはリコだけだ』
「同じお兄ちゃんとお姉ちゃんだからね。きょうだいを愛する気持ちはよく分かるの。それに私は所詮大寿くんの友達で、家族じゃない。だから外から客観的にあなた達を見ることができる」

 ゆずちゃんが絞り出した震える声に、捲し立てるようにして返事をする。何となく言いたいことが分かってしまった。やろうとしていることも、分かってしまったのだ。
 電話越しに何が出来るのかと言う話ではあるが、ここで言葉を尽くさない訳にはいかない。大寿くんのやり方は間違っていた。でもその愛は間違ってなんていない。本人たちに伝わっていなくたって、大寿くんは今日この日までずっとゆずちゃんと八戒くんを愛している。いいや。ゆずちゃんはもうその愛に気付いているはずなのだ。

 再び無言になってしまったゆずちゃんに言い聞かせるようにして言葉を重ねる。止まって。お願いだからそんなことはやめて。もしもそれをするならば、私はゆずちゃんを殴ってでも止めなければならなくなる。
 それでも頭では私の言葉なんかではゆずちゃんを止められない可能性を考慮して、大寿くんが今日いるはずの教会への道のりを考え出している。そこまで距離がある訳でもないし、今日はバイクがある。そう時間をかけずに辿り着けるはずだ。

「ゆずちゃん、それはダメ。やめなさい。後悔するのはあなたで、苦しむのもあなただよ」
『この先一生後悔したって、苦しんだって、アタシが今日……もう全部終わりにする』
「あなたがそれを選ぶなら、私はあなたを殴ってでも止めなきゃいけなくなる。止めないわけにはいかないの。あなたは大親友の妹で、私にとっても大切な女の子。そんなことはさせられない」
『でも、アタシが八戒を守らなきゃ』
「そうだね。ゆずちゃんは本当に良いお姉ちゃんだ。弟を愛する気持ちはよく分かる。私だってマンジローや鶴蝶くんに何かあったら、ううん、何も無くたってあの子たちを守りたいよ。でもね、大寿くんを殺して終わりにして、本当にそれが八戒くんを守ったことになるの?」

 核心をつけばゆずちゃんは黙り込んで、さっきよりもずっと荒くなった呼吸音だけが聞こえてくる。泣いているのかもしれない。ゆずちゃんは賢い子だ。自分が何をしようとしているのか、きちんと分かっているはずなのだ。


 殺すことは守ることじゃない。もしこれでゆずちゃんが本当に大寿くんを殺したりすれば、八戒くんは間違いなくその罪を被ろうとするだろう。姉が弟を守りたいと思うように、弟だって姉を守りたいと思っている。弟妹は守られているだけの存在ではないのだ。私だって兄たちに守ってもらった分、兄たちを守りたいと思うのだから。

 今のゆずちゃんは冷静になれていない。目先の物事に囚われて、全部終わりにする方だけを選ぼうとしている。それだけこれまで悩んで苦しんで迷ってきたということなのだろう。でも、だからって殺しはダメだ。

「ゆずちゃん、お願いだから、考え直して。私なんかよりもずっとゆずちゃんの方が大寿くんを知ってるでしょ。あの人の不器用さも、愛情深さも、あなたはちゃんと知ってる」
『……リコの言う愛って、何?』

 その後にはもう何も聞こえてこなかった。機械音だけが耳に届いて、思わずため息をつく。最悪だ。
 急いで大寿くんに電話をかけながら、竜胆くんを見遣る。私を見つめながら浮かべられた相変わらずの呆れたような笑みに申し訳なくてたまらなくなってしまう。またため息が口をついて出た。

「ごめん竜胆くん、私行かなきゃ」
「謝んなって。リコがそういう女の子だってことはもう知ってるから。場所は分かってんの? 行くなら早く行こうぜ」
「場所は、うん。分かってる。大寿くん出ないな……先に千冬……タケミっち…………いや、マンジローに電話させて」

 大寿くんは電話に出ないけれど、今日この時間は電源を切っているだろうとは思っていたのでダメージは少ない。恐らく時間的に仕掛けるなら今だろうから、もうタケミっちも千冬も電話もメールも確認出来ないだろう。ココくんはそもそも私を着否しているし、ワンちゃんも気付かない時はとことん気付かないから連絡するだけ無駄。死神は今回の件に関わっているようだけど、嫌な予感がするから今は掛けない。
 となると、三ツ谷くんかマンジローぐらいしか頼れる相手がいない。三ツ谷くんは三ツ谷くんで動いていそうだから、今一番電話に出てくれる可能性が高いのはマンジローだろう。

 その予想は当たり、数秒のコールの後にマンジローはすぐに電話に出る。

「お姉ちゃんだけど、マンジロー、アンタ今どこにいる?」
『ケンチンとバイク走らせてたとこ。で、今から引き返してタケミっち迎えに行く』
「タイミング最っ高。場所伝えるからそこに行って。タケミっちはそこにいるし、三ツ谷くんもいる。私は手出せないから、苦戦してるようだったらマンジローが手貸してやってくれないかな」
『別にいいけど。三ツ谷とタケミっちってことは八戒の兄貴のやつ?』
「そうそう。大寿くんたちの件。場所は昔エマに強請られて見に行った教会。分かる?」
『分かる分かる。リコも来んの?』
「うん、今から行く。じゃあなるべく早くお願いね。報酬はマカロニグラタンで」
『オレの分野菜少なめにして』
「はいはい分かりました。また後でね」

 電話を切って、竜胆くんと顔を見合わせる。振り回してしまって申し訳ないと謝れば、オレの全部はリコのものなんだから思う存分振り回してと返された。照れ臭いから突然そういうこと言わないで欲しい。

 祖父からシンイチローくんに譲られ、その後シンイチローくんから私に譲られた愛機に跨ってエンジンをかけながら、またひとつため息が口をついて出た。ゆずちゃんの言葉を思い出す。私の言う愛とはなんなのか。今からそれを示しに行ってやろうじゃないか。
 それに、ゆずちゃんだった私にそんなこと聞かずとも、もう愛が何かなんて分かっているんだろうに。

 教会を目指してバイクを走らせながら、後ろに乗せた竜胆くんが楽しそうに景色を見ている気配がすることだけが救いに感じられた。

デブの上にも三年

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