年明け早々どうにも騒がしく忙しないのは、本当にどうにかならないのか。鉄拳制裁ということでイザナとマンジローに一発ずつ拳骨を落とした鶴蝶くんとその隣で二人を叱りつけているエマちゃんを横目に、山積みになった紙の束を一枚ずつ捲って確認していく。

 私の横で半泣きで目当ての書類を探していたシンイチローくんがお茶を飲みたいと立ち上がり、流れるような動作で机に躓いて机上の資料が一気に崩れる。思わず六人揃って無言でその惨状を見下ろしていれば、無遠慮に縁側から上がってきたデブが襖を開けた瞬間に冬特有の身を刺すような冷たい風が吹き込んできて、紙が一気に舞い上がった。デブは咄嗟に襖を閉めたものの、ひらひら舞い踊って地に落ちていく大量の紙でほとんど遮られた視界の中で喋り出す者はいない。

「……全員でやれば、夕方までには終わるだろ」
「……だな。やるか」

 ぎゃあぎゃあと喧嘩していたはずのイザナとマンジローまでもが私たちに気を使って場を取り繕い、二人揃って率先して散らばった書類を掻き集め始めた。鶴蝶くんとエマちゃんがその姿に感動したように顔を見合わせてから後に続く。デブも申し訳なさそうに巨体を丸めて紙を一枚ずつ拾っている。
 呆然とそれを見ていてもこの二時間ずっと書類を捲っていた成果が帰ってくる訳でもないし、勝手に目当ての書類が出てくる訳でもない。仕方ないから私も拾うかと腰をかがめようとしたところで、無言で立ち尽くすシンイチローくんに気付いてそちらを見た。パチリと目が合い、そう暑くもないのにダラダラと汗を流しながらシンイチローくんは引き攣った笑みを浮かべる。……嫌な予感がする。
 そう感じたのは私だけではなかったようで、私たち以外の五人も腕を止めてシンイチローくんを見ている。シンイチローくんはそんな私たちを見渡してから、弱り切った声で泣き言を呟いた。

「実はあとダンボール四箱分ある……」

 その言葉に六人で顔を見合わせ、床が見えないほどに散らばる紙を見つめる。これで二箱だ。この二倍。エマちゃんの顔がシンイチローくんとはまた別の感情で引き攣ったのが見えた。来る、と思わず身構える。

「今すぐ取ってきて! すぐに! 早く!」
「はい!」

 妹相手に情けない返事をして、シンイチローくんが凄い勢いで廊下を駆け抜けていく。逃げるようにしてイザナとマンジローとデブがその後に続き、初動が遅れて奇妙な体勢で残された私と鶴蝶くんはエマちゃんに気付かれないようにアイコンタクトを交わし合う。ヤバい。ヤバいよね。

 そうしている間にもこちらを睨むように見上げたエマちゃんが一言、早く拾ってと言い放った。揃って返事をして屈み込み、これ以上怒られないようにとなるべく俊敏に紙を拾い集めていく。私たちの中で一番怒ると怖いのは、間違いなくエマちゃんだ。


 事の始まりは、久々に七人揃って佐野家で寛いでいた時にシンイチローくんが思い出したように声を上げて立ち上がったことだった。エマちゃんを囲むようにしてイザナと三人でファッション誌を覗き込んでいた私たちも、なんだかんだと意見交換という名の雑談をしていたマンジローと鶴蝶くんも、それこそシンイチローくんと軽食を摘んでいたデブもみんな揃ってシンイチローくんを見上げ、一体どうしたのかと目線で問うた。それに返ってきた答えが「そう言えば、町内会に提出する来年の役員決めの諸々の書類どっかいったんだよな」だ。

 シンイチローくんはまあどうでもいいだろと笑ってまた座ろうとしていたけれど、エマちゃんが飛び上がって声を上げたのだ。

「それ、出さないと強制で役員にさせられるやつでしょ。出さない人なんてほとんど居ないからストレートで町内会長にさせられちゃう」

 うちの町内会はそこまで面倒じゃないけど佐野家の方は面倒な感じなのかと私とデブが顔を見合わせていれば、それが分かったのか、それとも鶴蝶くんに説明しようとしたのか、マンジローが今度は口を開いた。

「誰も参加しねー季節のイベントの主催とか、夜間の見回りとか、ここらの地主のご機嫌取りとか、地域の治安向上とか、めんどくせーことばっかやんなきゃなんねーの。ウチはオレとシンイチローが不良だし、イザナたちも見た目からしてヤンチャしてますって感じだろ。結構目ェ付けられてんだよな」

 問題はどうやらそちらのようだと察して、イザナと鶴蝶くんも含めて四人で視線を交わした。第二の実家である佐野家に帰って来れなくなるのは困るし、師範はお年を召していることからして町内会長にはシンイチローくんが就く可能性が高い。そうなったら私たちが構ってもらえる時間が減る。それは困る。

 私とイザナがそう頷き合い、鶴蝶くんとデブも気圧されるようにそれに続き、エマちゃんとマンジローも書類を探すことに賛成したために、今こうして全部まとめてダンボールに突っ込んで放置されていた紙の束を一から洗い直しているのだ。


 マンジローが白紙で提出したテストとか、エマちゃんが学校で配布されたものを持ち帰ってきた手紙も入っているせいでなかなか本題の書類に辿り着かない。それに私がせっせと目を通した分の書類も、デブの行動のせいでそうでないものと混ざってしまった。二箱見るだけで二時間は掛かったのだ。ここからはイザナとマンジローが協力的になってくれたとしても、長く見積って六時間。夕方に終わるかどうかは微妙だ。
 まあ今日は全員泊まる予定で来ていたから時間は気にしなくてもいい。私たちの夕食が遅くなるぐらいだ。つまり大した問題ではないということ。

 帰ってきたシンイチローくんたちがどっと床にダンボールをそれぞれ置いて疲れたのとなんのと口にし出したので、慌てて鶴蝶くんとおいやめろと睨みつける。怒られるぞ。察しのいいデブとマンジローはすんと押し黙ったものの、シンイチローくんとイザナは状況把握に遅れが出た。

「真兄もニィも口動かしてる暇あったら手を動かして!」

 言わんこっちゃない。身を竦ませた二人に余計なことをするなと睨み付けつつ、再び床に落ちた紙を拾う作業に戻った。


 死神から連絡が入ったのは、夕方を過ぎて師範がご友人との集まりからご帰宅された頃の事だった。帰ってくる前に全部終わらせようと話していたのだが間に合わず、最後の一箱を七人がかりで必死になって捌いているところをバッチリ見られてしまい、諸悪の根源であるシンイチローくんは正座をさせられガミガミと叱られていた。それを横目に見て少し同情していた時に、電話は掛かってきたのだ。

 最初は出るかどうか迷ったけれど、随分とコールが続いた以上出ない訳にもいかなくなってしまった。一度着信が切れた後に数秒置いて再びコールの始まった携帯を手に持ち、みんなに一言断ってから部屋を出る。そのまま迂回して縁側に向かい、座り込んで足を伸ばしながら応答ボタンを押す。

「なに?」
『出るの遅くね? どうせ暇してんだろ』
「別に暇なんてしてないよ。特に今日は忙しかったのに」
『なに、リンドークンとデート? それともお楽しみ中だったか〜?』
「きょうだいみんなで兄さんの尻拭い。アンタ私のこと竜胆くんと一緒に居ない時は暇してると思ってんの?」

 失礼な奴だなと悪態をつきながら、風に煽られてぶわりと広がった髪を適当にまとめて括る。いつものあの世の中を舐め腐ったような笑い方をした死神は、何が楽しいのか私に今日一日の行動を説明しろと言ってきた。下手に抵抗しても話が長引いて面倒なことになりそうなので、大人しく話してやって、途中でひとつ欠伸をする。一日中紙の束と向き合っていたせいで目が痛いし、何より疲れた。

「アンタは何して……待って、いい。やっぱり今のなし。ろくなことしてなさそうだし聞かない」
『フツーにさっきまでパチンコ打ってた』
「ほらね、やっぱりろくでもないことじゃん」

 聞かないと言ったのに無視して平然と答えてくる死神に再び悪態をつきながら、体感では勝っただのトータルで見れば負けてるだのとあーだこーだと中身のない話をする。競馬で大負けした話は以前も聞いた気がしたので指摘すれば、最近また負けたらしい。学ばない馬鹿か?

 死神との会話には中身なんてものもオチも必要ないから、話していて楽なのだ。あれやこれやと考えて話す必要が無い。取り繕う必要もないし配慮もないので、お互いに対する罵倒と文句がポンポン飛び出す。


 冬になったから今まで通り煙草屋の前で勝負をするのは寒すぎて環境を変えるべきなのではと議論をしつつも、合間合間に遠くなる声にまた煙草を吸っているのかと察して顔を顰める。本当に匂いがキツいから早急に辞めてほしい。朝の数十分間一緒に居るだけで匂いが着くのだ。

「アンタの隣にいる人間は副流煙で死ぬことになりそう」
『隣にいる人間ってそもそも誰だよ』
「えー……アンタの交友関係よく分かんないからな……あ、稀咲とか」

 わりと一緒にいるんでしょと言えば、数秒考え込んだ後にまあ確かに最近はと声が返ってくる。死神が相手を振り回すんじゃなくて、素直に駒に徹しているんだから相当お気に入りなんだろう。私は人間性が理解出来ないし、そもそも根本的に相性が悪いと思うので出来ればもう二度と会いたくないと思っているけれど、それとこれとは別だ。お互いの交友関係には口出ししないのが長い付き合いを続かせるコツというやつ。

 先日の一件以来羽虫とは一切顔を合わせていないし、聞けばゆずちゃんに大寿くんを殺せばいいと吹き込んだのもアイツだったらしい。手を貸すと言いつつ千冬とタケミっちを裏切ったりもしたそうで、それらの件を報告されたマンジローによってとうとう東卍を追放されたと聞いた。死神もそれに追従し、羽虫と共に東卍を抜けたそうだ。
 そもそも私は死神が東卍に入って暫くしてからそれを知り、抜けてから一応稀咲に関する人間に報告するという形でタケミっちに話を聞かされたぐらいの、あくまでも他所のチームのトップでしかない部外者だ。強いていえば総長の姉だけど、壊滅寸前ぐらいまで揉めない限りは首を突っ込まないようにしようと決めている。

「稀咲と言えばだけど、死神が東卍の特服着てるの結局見ないままだったな。どう? 自分としては似合ってたとか思うの?」
『オレが着ればどんな服でも似合うに決まってんだろー?』
「寝言は寝て言えよ」
『相っ変わらずオレに遠慮しねえよなあ。あ、てか今マイキーと居んだろ? オレらが東卍抜けたってもう聞いた?』
「聞いたよ。だからアンタの特服姿見ないまま終わったなあって言ってんの。まあ、私としては弟のチームから目障りな連中が消えてくれて嬉しいけど」
『ひでぇ言い方』

 ケラケラ笑う死神のその笑い声をバックミュージックに、軽く伸びをする。背骨と腰がボキボキと音を立てた。想像以上に体は疲れているようだ。

 襖越しに聞こえてくるきょうだいたちの賑やかな雑談と師範に怒られて謝っているシンイチローくんの弱り切った声に耳を澄まして、緩む口角を隠さずに死神の話にも相槌を打つ。やはり羽虫の耳にまであのクリスマスの夜に私も教会にいた話は届いているらしい。流石ストーカー。ワンちゃんと大寿くんにこういうのをストーカーと言うんだよと説明してあげたい。

「あの日は私は特に何もしてない。ゆずちゃんに会いに行っただけ」
『ああ、柴柚葉? そいつのことも稀咲が計画潰されたってキレてたぜ』
「姑息なことするからだって言っておいて。あと、私の前に二度と現れるなとも言っておいてね。次会ったらメガネかち割って鼻の骨折るから」
『……まあ確かに、お前ら引き合わせたらどっちもダメになりそうだからなあ。こんな面白えおもちゃ早々見つかんねえから、ここで壊れるには惜しい』

 しみじみと呟いた死神にお前は何様のつもりだとひとつ鼻で笑って、それはともかくとしておもちゃ呼ばわりはそろそろやめろと何度目かの抗議をする。

「あのさあ、本当に人のことおもちゃ呼ばわりするのやめてくれない? 私は死神のおもちゃじゃないんだけど」
『あー、分かる分かる。不死鳥ちゃんだもんな?』
「違う。不死鳥ちゃんでもない。私の名前、知ってるでしょ? 呼んでみろよ」
『あ? それが人に物頼む態度かよ。テメェこそオレの名前呼んでみろ、ほら』
「は? 人に名前聞く前にテメェが名乗れっつーだろ。それと一緒なんだよ。人に名前で呼ばせる前にテメェが呼べや」
『おもしれー冗談だな。それで行くならオレが呼ぶ前にテメェが呼べ。そういうことだろ?』
「はー、もういいわ次会った時がお前の最後な。僕の負けですすみませんでしたって泣き喚く準備しとけよ」
『こっちの台詞だわ。土下座の練習でもしとけ』

 お互いに罵倒を繰り返し、電話越しだから見えることは無いと分かっていても中指を立てて電話を切る。本当にムカつく野郎だ。次こそ必ず私が勝つ。そしてお前は負ける。

 ブツブツ文句を言いながら、もう一度迂回して部屋に戻るために立ち上がったタイミングでバッと襖が開かれる。開かれた襖の億で無言で数枚の紙を掲げるイザナと数秒目を見合わせ、次にその手の中の紙を見つめ、それからお互いの健闘を讃えるために拳を突き合わせた。その後ろではきょうだいたちがシンイチローくんを責めつつも喜びあっている。予定時刻を大幅に過ぎて、私たちの共同探索は終わったようだ。


 師範が出前でも取るかと言っている声を聞きながら、イザナに並んできょうだいたちの元へ向かう。ふわりと欠伸をするイザナは、いつだか話したように猫によく似ていた。


 +


 どうにもこうにも嫌な予感がする。

 兄とそう言葉を交わしたのは、今朝起きてすぐのことだった。似たような時間に起きて、同じようなタイミングで自室のドアを開け、そう離れていない隣室の扉から顔を出してこちらを見る兄と目を合わせ、一番最初に出てきた言葉がそれだ。兄も頷いて似たようなことを言い、お互いその嫌な予感を言語化しようとして、チームに関わることではないかという話になる。
 だから、この夕方にクマを呼び出していつものファミレスでここ最近何かおかしなことはなかったか話し合おうということになった。事によっては幹部や古参にも伝えなければならないかもしれないが、今はひとまず私たち三人で話す。

 ウチは最近、兄たちの高校卒業に合わせてトップから幹部に至るまで面子を総入れ替えするということでとうとう道が決まり、まだ古参にまでしか話は回していないがなかなか慌しく過ごしているのだ。だから今回はこれ以上面倒なことにならないように、厄介事は共有する前に上で対処の可不を話し合おうという方針をとった。

 の、だけど。

「オレは何も思い当たらねえ」
「私も」
「でもリオとお嬢のそういう勘は当たるんだよ。で、今回はお前らどっちも嫌な予感がしてんだろ? 絶対に何かある」

 クマがそう断言して、だがやはり思い当たることはないのか腕を組んで唸り出す。兄も兄で記憶を思い返しては居るようだけど、何も思い付かないようだ。かくいう私も全くもって心当たりがない。


 私たち兄妹はそれぞれ察する力が強いというかなんというか、祖父に似たのか祖母に似たのか第六感に優れている。兄の方は「人間スカウター」が強くて、私はそれこそ本当にこういう嫌な予感の方が強い。私の「人間スカウター」はイザナやマンジローとよく一緒にいるせいで既にポンコツになってきており、雑魚には一切反応しなくなってしまった。その代わり年々嫌な予感などの方面での察知能力ばかりが強くなって、蘭ちゃんには「野生の獣」などとからかわれることもしばしば。

 普段はお互い役割分担でもしているのかというぐらいにはお互いに任せっきりなのだが、今回は揃って嫌な予感がしている。そしてそのせいで更に嫌な予感がしてくるんだから、堂々巡りだ。


 そんなことをつらつらと考えてメロンソーダの入ったグラスに口を付けながら、クマと兄にだけ任せるのもなんなので私も一応思い当たることがないか振り返る作業は続ける。十月のチーム内での事件があって以来チームの結束は強まったし、過激派も一掃されたとは言えないものの落ち着いている。私たちの引退こそ周知すれば荒れはするかもしれないが、ヒラたちが夜ノ塵を継いでいきたいと言うにしろ、ここで終わりにすると言うにしろ、私たちが引退前に抑え込める程度の諍いにしかならないだろう。

 つまり、現状チーム内の問題の火種になりそうなことがない。

 では外部からまた何かされるのかと思わず眉を顰めたタイミングで、兄が声を上げた。それから私を見てアレだよと言ってくる。どれだよ。

「前から言ってただろ。イザナが横浜でチーム組んで、関東のトップになるって」
「あー、天竺ね。でも天竺か……それこそ竜胆くんから何にも言われてないし、お兄だって蘭ちゃんから何にも言われてないでしょ? イザナと鶴蝶くんが私たちに黙って何かしたりするかな」
「天竺って、獅音貸してるやつか?」
「そうそう。それこそもし万が一イザナが私たちに黙って何か仕掛けてきたとしても、しおんちゃんが私に報告しないなんて有り得ない」

 竜胆くんとは隠し事はなしと約束しているし、この件に関しては引退前に真っ正面からぶつかり合って最後に一花咲かせるとかと兄と話したばかりだ。イザナもその会話をした時にそばにいたから、こんなタイミングで黙って仕掛けてきたりはしないはずだ。鶴蝶くんがそれを許すとも思えない。
 最近はイザナたちに連れ回されていてあまりチームにも顔を出さないしおんちゃんを思い出しているのか、クマが何もやらかしていないといいがと小さく呟く。この数年間飴と鞭で躾をしてきたつもりではあるが、あの子は突然意味のわからないところで気の緩む子だ。私の監視の目が無くなった途端に暴れ回っている可能性もなくもない。

 しおんちゃんを思い出してまたちびちびとメロンソーダを飲んでいたのだが、兄はもっと真剣に考えろとばかりにこちらを睨んでくる。考えてるんだよ、これでも。というかもう、現実逃避をしているというかなんというか。

「でもそれ関連で確定だろ。オレはそんな気がする」

 お前は、と目線で問われたので曖昧に頷いているのか首を振っているのか分からないような動作をしてみる。数秒そうしていたのだが、クマからもじとりとした視線を向けられたので仕方がないから両手を上げて降参のポーズをしてみせた。

「してるしてる。私も、それ関連な気はしてるよ。でもそれにしては違和感も感じるっていうか……」
「……まあ確かに、オレたちに連絡も寄越さずに攻め込んでくるとは思えねえな……」
「でしょ? 私的にはイザナたちも関係してるけど、他にももっと何か面倒なことがある気がするんだよね。これはそういう嫌な予感だ」
「どの道めんどくせえ事に変わりはねえってことじゃねえか……どうする。今のところ連絡も来てないし、何かあってから……おい待て」

 私と兄の応酬に顔色を悪くさせてため息をついたクマが連絡が来てないと示すように携帯を取り出して、すっと真顔になった。私と兄も何かあったなと察してどうしたのかと聞こうとしたのだが、その瞬間に携帯が着信を告げて震え出した。しかもほとんど同時にだ。
 顔を見合わせる間もなくお互いに電話に出て、聞こえてきた声からそれなりに親しくしているチームのヒラだと判断する。しかし、らしくもなくひっくり返って飛び飛びな声だ。嗚咽のようなものまで聞こえる。

『リコさん、サーセン、や、ヤバいです』
「うん、まずは説明。深呼吸して。……したね? 何があったのか教えて」
『ッス……あの、オレらは普通に歩いてたんスよ。そしたら東卍の特服着た連中が、その特服夜ノ塵だろっつって急に襲いかかって来やがって』
「東卍が?」

 遮るようにして声をあげれば、こちらを見た兄とクマがそれぞれ頷いた。兄に電話を掛けてきた相手も、クマにメールを送ってきた相手も、東卍の関与を報告しているのだ。額に手を当てて、どういうことなのかとぐるぐる回る思考を落ち着かせようと目を閉じる。

 嗚咽のせいで聞き取りにくいヒラの話に相槌を打って先を促して、続いた言葉に思わず額を抑えていた手を机に叩き付けてしまった。グラスが揺れて周囲の視線がこちらに寄せられる。でもそんなことは気にしていられない。そういう話を今、聞かされた。

「うん、分かった。ひとまず全員命は無事なのね?」
『はい。でも……』
「取り敢えずあなたも手当は受けなさい。それから、そうだな……連絡を取れる連中に、特服を着て歩くなって急いで連絡して」
『分かりました』
「今日の夜かな、多分集会を開く。それも合わせて連絡を回しなさい。その時も特服は着てきちゃダメ。それが目印になってる」

 言い含めるようにそう話しながら兄とクマを見れば、また頷かれた。やはりそれで当たりなようだ。確かに特服を着ていればウチの連中だと分かりやすいだろう。そこを狙われた。

 一言二言更に申し付けて、相手に復讐しようだなんて思わないようにと厳命してから電話を切る。相当手酷くやられたのだろう。普段は快活な奴なのに、声から分かるほどに怯えていた。その声を思い出してひとつ舌打ちしながら数件入ってきているメールを確認する。全部この件だ。
 また舌打ちしてから顔を上げ、既にそちらも電話を終えたらしい兄と相変わらずメールをあちらこちらへ送っているらしいクマを見る。机に叩き付けた手のひらをもう一度額に当てて、我ながら深いため息をつきながら二人に聞かせるようにして口を開いた。

「ヒョウがやられた」

 怒りと困惑に満ちた私の声に反応して兄とクマが弾かれるようにしてぎょっと顔を上げる。言葉も出てこないようで、何も返ってこない。そりゃそうだろう。ヒョウは夜ノ塵の幹部で、喧嘩の腕はもちろん頭だって回る男だ。それに防御が上手いから、不意打ちか集団で掛かられるかしなければ余程酷い怪我を負うはずも無いのだ。その防御の上手さは私も兄もずっと評価していた。

「後ろから思いっきり獲物で殴り付けられて、そのままリンチだって。相当な怪我らしくて、搬送されて今手術中」
「……東卍にか?」
「東卍にだ。他にも三件私に報告が来てる。そっちは」
「オレは電話で一件、メールで四件だな」
「オレの方にはメールが七件」
「十は軽く超えるね。今もどっかでやられてて連絡が取れない奴らもいるかもしれないから、少なく見積って二十ってとこか」
「件数で言えばだろ。やられた人数で言えばそんなもんじゃ足りねえ。今の時点でオレらの両の指足してもそれじゃあ全然だろうよ」

 私の言葉に兄がそう返し、三人揃って押し黙った。おしぼりで先程机を叩いた際に僅かにこぼれたメロンソーダを拭いながら、再び舌打ちをする。こうしている間にもまた一件メールが届いた。私が携帯を開くのと同時に、クマが携帯を閉じて沈黙を破る。

「幹部と古参には注意喚起のメールを送った。直にヒラにも回るだろうが、それでもどうしようもないぐらい被害はデケェ。今夜緊急集会を開く」
「リコ、どっちが出る?」
「お兄よろしく。私がマンジローに話付けに行くから」
「お嬢が一人でか?」
「うん。チームのトップとしての公式なものじゃなくて、姉と弟としての非公式なものだから私だけで行く。……あ、竜胆くんから電話。出るから」

 普段は兄と二人揃って集会に出るが、今回はどちらも集会なんぞに参加していては更に後手に回ることになる。早急に東卍の意志を確認したい。マンジローがこんな卑怯なやり口を命令するとも思えないが、馬鹿にならない数の人間が何人も東卍にやられていて、それを目撃している者も大勢いるのだ。手は早く打ちたいし、相手が何を思っているの知る必要がある。

 集会でのヒラたちへの伝え方や対策、今後の東卍との姿勢に関して話し合い始めた兄とクマを横目に応答ボタンを押し、竜胆くんを呼ぶ。先に続いた厄介で憤りすら感じるほどに卑怯な攻撃に対して感情が抑えきれず、かなり機嫌の悪そうな声になってしまった。
 しかし、いつもならばそんな私に気付いて何か言ってくるはずの竜胆くんもどうにも焦っているようで、私の名前を呼んでから矢継ぎ早にあれやこれやと話し出す。マンジロークンからなにか連絡は、東卍にオレらが喧嘩を売ったことになってる、オレらの方でリコたちにボコされたってやつらが出てきてる。要約するとそんな感じ。

 話についていけずに相槌を打つというよりかは延々と、は? だとか、何? だとか言い続けていれば、私たちの会話になっていない会話に気付いたのか兄とクマが揃ってこちらを見てくる。電話中なので何か言うわけにも行かず、紙ナプキンを取ってクマの手から奪い取ったボールペンで図を書いていった。
 東卍から夜ノ塵に矢印を伸ばして、夜ノ塵から天竺に矢印を伸ばして、天竺から東卍に矢印を伸ばす。最悪なトライアングルの完成だ。二人が分かりやすく顔を顰めてこちらを見てきたので、首を傾げて返しておく。今はまだ私も何が何だか分かっていないのだ。

「私たちはそんなことしてないよ」
『オレらもしてないんだよ。でもオレと兄ちゃんの命令で三ツ谷殴ったっつってるヒラがいるし、イザナの命令だってヒラに言われてモッチーも獅音も東卍ボコしてるし、鶴蝶だってヒラ連れてどっか行っちまうし』
「ええ……? イザナは? イザナはなんて言ってるの?」
『ああ、イザナ? 今すぐ隣にいるから代わる。おい大将、リコが話したいって』

 分かりやすく慌てている竜胆くんはいつになく素直にイザナに電話を代わってくれた。私を見ている二人の視線を感じつつも、電話越しに強ばった声で呼ばれた名前に答え、私もイザナを呼ぶ。嫌な予感ばかりが増していく。

『悪い、やらかした』
「何したの」
『チームの中の誰かがオレたちの名前使ってヒラ動かして東卍に喧嘩売った』
「モッチーくんとしおんちゃんは? 鶴蝶くんも動いてるって聞いたけど」
『二人は、アレだ、ヒラにオレがそう言ってたって言われて渋谷行って東卍ボコボコにしたらしい。鶴蝶は多分分かってて探りに行ってる』
「鶴蝶くんに危ないことはするなって伝えて。というかウチにボコされたって言ってる奴らが出てきてるそうだけど、引退前にそんな面倒なことしないって言い訳させてね」
『そんなの分かってる。お前らが今オレらに喧嘩売って得することなんてないだろ。っつーか夜ノ塵にまでオレの命令だっつって突っ込んでった馬鹿いねえよな?』

 イザナと二人で困惑しつつも話を進めていく。竜胆くんの話はあちこちに飛び飛びだったけれど、概ね的は射ていたようだ。さすが竜胆くんと場違いな賞賛を送りつつ、ひとまずイザナの方では冤罪だと理解してくれているのだと分かって安堵する。一人でもそういうことを言い出す奴らが居てそいつらに一度名前を挙げられた以上厄介なことになったことには変わりはないが、チームのトップが無実を信じてくれているのといないのとでは面倒具合が大いに変わってくるのだ。
 分かってくれてるみたいと兄とクマに指で丸を作って合図しつつ、イザナの質問に答える。天竺の連中はウチにちょっかいを掛けてきたりしていないので、返事は否だ。そこは安心してくれていい。

 そう伝えればイザナは、知らないところで自分の名前を使われて両方向に喧嘩を売っているようなことになっていなかったことに安堵の吐息を吐き出した。なので間髪入れずに、でもと言葉を続ける。

「でも、ウチは東卍にやられてる」
『は? 夜ノ塵が東卍に?』
「そう。ヒラだけじゃなくて幹部も袋叩きにされて何人も病院送りにされてる。私が分かってる限りでやられた幹部は半殺しにされたようなもんで、今手術中。悪いけど、このままじゃ三つ巴だ」

 何処と何処と何処の三つ巴かは敢えて言わなかったが、イザナは察したのだろう。低く唸り、自分の名前を使って面倒なことを引き起こした誰かに文句を言っている。

 しかしそうは言っていてもどうにもならないと考え直したのか、私に何分あれば佐野家に迎えるかと聞いてくる。ここで軽く兄とクマと話を詰める時間を確保したとしても、一時間あれば十分だろう。そう返せば、そうかと相槌が返ってきた。つまり佐野家に集合ということだ。

『今こっちにマンジローから連絡来て、竜胆が代わりに出てる。一時間後に集合でいいな』
「良いよ。三人だけで、きょうだいとして、それぞれチームのトップとしての話し合いってことでいいんだよね」
『そりゃそうだろ。っつーかお前もリンチされないように気をつけて来いよ』
「はいはい。じゃあまた後でね」

 些か和やかになりつつも話を終えて、電話を切る。折角の竜胆くんとの通話だったのに全く話せなかった。また後で掛け直すか、少し落ち着いてから会う時間をとるか。しばらくは間違いなく忙しくなるだろうから、竜胆くんとの時間を確保するのも難しそうだ。

 話を聞いていたからある程度は分かったのだろう。兄とクマに目を向ければ、二人は今日の集会で話す内容と恐らく殺気立っているであろうヒラたちの沈め方に関して相談を始める。私もそれに混ざってあーでもないこーでもないと案を出しながら、隠れてまたひとつため息をついた。


 まさかこのタイミングでこれほど大きな面倒事が持ち込まれるとは。何も無く平穏に引退するのは無理そうだ。

当てずっぽうの通りデブ

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