ベッドの中でうつらうつらとしていたところを、着信音で叩き起こされた。飛び上がるように起き上がって、その弾みで転がり落ちた携帯を手を伸ばして拾い上げる。
日付が変わる以前より竜胆くんと電話をしていたせいで、昼時に近付いた今も実はすごく眠い。携帯はそれで使っていたせいできょうだいたちはそれぞれ我が家の固定電話に電話を掛けてきてくれて、右耳に携帯、左耳に受話器といった感じで代わる代わる誕生日を祝われていた。とても嬉しいんだけど、慌ただしさを感じたのは否めない。
エマちゃんは二月に入ってからずっと、せめて家に泊まるだけでもすればいいのにと言ってくれていた。でもさすがに抗争前日に相手チームの総長の実家に私が泊まりに行くというのも、という話になって断念。二十三日にねということでひとまず納得してもらっている。
少し話は変わるけれど、実はケースケに話を聞いてから改めてマンジローとエマちゃんに注目していたのだ。二人は私が竜胆くんの話をしても平然としているか惚気は聞きたくないと形ばかりの嫌味を言うだけで、どうにもケースケの話した竜胆くんへの妬みのようなものは見えなかった。
でも祝いの電話を掛けてきてくれた時の私が竜胆くんとずっと電話をしていたと知った瞬間の反応で、二人は本当に竜胆くんにヤキモチを焼いてるんだなと分かってしまったのは、多分姉としての勘のようなものでもあるし、その瞬間の二人があまりにも分かりやすかったからでもある。なんで笑うのかと揃って私に怒ったけれど、可愛くて可愛くて。
二十三日はずっと自分たちと過ごしてくれと言われたので一も二もなく頷いてしまった。マンジローは抗争の最後に私を捕まえて佐野家に帰るつもりらしい。それって周りから見たら結構な事だと思うんだけど、イザナの後ろに乗るのとどちらがいいかと聞かれたのでマンジローの中ではきょうだい揃って帰宅することはもう決定事項のようなものなのだろう。行きは兄の後ろに乗っていくつもりだったので、まあ無難にマンジローを選んでおいた。声だけでも凄く嬉しそうにしてくれて、なるほど私の弟は可愛いなと思ったものだ。
結局、私死ぬかもしれないのなんて誰にも言えるはずもなくて、明日より先の未来に向けての約束を私は沢山してしまっている。二十三日は朝から夜までずっときょうだいたちが誕生日を祝ってくれるそうだし、二十四日には竜胆くんがまた海に連れ出してくれるらしい。初日の出を拝みに行った時に相当海が気に入っていたからと言われたけれど、バレていたようだ。
事情を知っているタケミっちや千冬は二十三日に誕生日プレゼントを渡しに行くからだのなんだのと、だから生きろと婉曲的に言ってきたし、私もそれに頷いた。自殺しに行くわけじゃないのだ。ただ、天秤がもう傾いていてどうにもならないというだけの話。そりゃ私だって生き残れるなら生き残りたいと思っている。
眠気で霞む視界で電話の相手を確認し、応答する。うんうん唸りながらおはようだとかどうしたのだとか聞けば、まだ寝ているのかと呆れたように言われた。そりゃまだ寝てるよ。日付が変わってしばらくずっとあなたたちと代わる代わる話をしてたんだから。
『誕生日おめでとう』
「ありがと。でもイザナからそれ聞くの今日で三回目だよ?」
少しずつ覚醒してきた意識のおかげで会話にも問題ない。ベッドに大の字で寝転がりながら、電話越しでも変わらない聞き慣れた大好きな声に返事をした。
イザナから電話が掛かってきたのは、本日二回目。日付が変わってすぐに敢えて私の携帯に掛けてきてくれたらしいんだけどもちろん出れるはずもなく、固定電話の方では既にエマちゃんと話し出していたのでイザナと話せたのは、エマちゃん、マンジロー、鶴蝶くん、シンイチローくんの四人と話し終えた後だった。自分がきょうだいたちの中では五番目だということをそれなりに気にしていた、というか頭に来ていたらしく、竜胆くんとの電話はやめろとかなんだとか文句を言われたことも記憶に新しい。
イザナはこの竜胆くんに突っかかる姿勢をいつまで経っても変えようとしない。時折態度を軟化させることもあるけれど、基本的にはずっとこの姿勢だ。ケンチンくんに対しても強気の姿勢を貫いているので、多分兄として妹と付き合っていたり良い感じの男は気に食わない……みたいなアレなのだろう。エマちゃんとは過保護なお兄ちゃんだね〜とよく話す。
そんな過保護なお兄ちゃんは、共に過ごした年月があと一年程度で干支を一周しそうだからかなんなのか、私のことをよく分かっている。ケースケほどド直球に踏み込んでくることもなければ兄ほど私の言葉を信じることも無く、チクチクチクチクと針で刺すようにして私を探ってきていた。
何か隠し事をしてるのかとはそれこそエマちゃんやマンジローにも聞かれたし、私はそれを誤魔化した。いや、誤魔化したというよりかは竜胆くんにしたのと同じように隠し事じゃなくて悩み事だからと屁理屈を押し通したという方が近い。いつか相談するねと来るかも分からないいつかを盾にして、きょうだいたちの私を思う優しさを踏み躙ったというわけ。
実際問題、突然姉が「私、お兄ちゃんのこと庇って死ぬかもしれないんだよね」などと言ってきたら、あの子たちはかなり動揺した後に私たちを守ろうとしてくれてしまうだろう。周囲に協力を仰いで、どうにかこうにか私とイザナが生き残る道を模索するはずだ。
でももしそれが意味を為さず、私が本当に死んでしまったら? イザナを庇いきれずに二人とも死ぬことになったら?
そうしたら、優しい二人は一生それを背負って生きていく。何も話さずに隠し通したまま私が死ぬよりも、打ち明けて背負わせて死ぬほうがあの子たちにとっては残酷だ。
だから二人のことは全力で誤魔化してなんてことは無いように演じていたけれど、イザナの場合はそうもいかない。それとなく竜胆くんや蘭ちゃん、しおんちゃんにまで話を聞いているようだから相当だ。
おかげでしおんちゃんと蘭ちゃんから心配する連絡をもらってしまった。しおんちゃんはこう言っちゃなんだけど馬鹿なので難なく煙に巻けたけれど、蘭ちゃんはそうもいかない。竜胆くんも気にしているようだし抱え込むとろくな事にならないからさっさと話せと灸を据えられてしまったし、お互いのチームの士気に関わる云々などと説教を受けることになった。
話を広めたって後から面倒なことになるだけなのであれこれ探るのはやめてほしいのだが、そうイザナに言ってもならお前が話せばいいだろと返ってくるだけなのは目に見えているので、何も言えない。
しかしそんなイザナも今日ばかりはとことん私を甘やかしてくれるつもりなのか、最近はくどくどと探ってくるのにそれも鳴りを潜めて上機嫌に私の名前を呼んだ。
『なんか欲しい物あるか。なんでも買ってやるし、用意してやるよ』
「えー、なんでもって範囲広くない?」
『金銀財宝、嫌いな奴の首、新しい服でも靴でも鞄でも、オレに用意出来るものならなんでもいい』
余計に範囲が広がったぞ。それに嫌いな奴の首はイザナに頼むはずもない。そんなことしてイザナが犯罪者になるのはごめんだし、そこまで嫌いな奴は居ない気が……しなくもない。
ひとり、嫌いというか人間として好きじゃない奴がいるけれど、ソイツには死んでほしいというよりも破滅して欲しい、法の裁きを受けて惨めったらしく己の罪を悔いろという感情の方が強い。死んでくれとまでは思っていない。
それにイザナだって口ではなんだかんだ言いつつ、嫌いな奴の首を取ってきてと私が言ったらきっと驚くだろう。自分で言うことじゃないかもしれないけれど、私ってそういうタイプでは無いのだ。
イザナに用意出来るもので、私が欲しいもの。それを聞きたくて電話を掛けてきたというイザナの声を聞きながら、何かあったっけなあと考える。死ぬかもしれない私が望んでもいいもの。許されるもの。
「……ならさ、ケーキ作って」
『ケーキって、誕生日の?』
「うん。お兄ちゃんの作るケーキ食べたい」
ケーキならなんでもいいからと付け足して、別に全然構わないけれど本当にそんなことでいいのかと聞いてくるイザナにもちろんと返す。それがいいのだ。
思い返せば、イザナはエマちゃんの誕生日にはケーキを作るし、私たちきょうだいの誕生日には好きなものを買ってきたり作ってくれたりしていたけれど、ケーキはエマちゃんだけの特権のようなところがあった。私たちもそういうものだと思っていたから何も言わなかったし、これまでに手作りのケーキが食べたいだなんて言うようなことはしなかったけれど、今ふと食べたいなと思ったのだ。
お兄ちゃんが私のためだけに作ってくれた、私を祝うためのケーキ。私を思って作られたそれが食べたい。
なら明後日に作ると言ってくれたイザナにお礼を言って、そういえばと出会ったばかりの頃のことを思い出した。
「イザナってもしかして、お母さんがよくケーキ作ってくれてたの真似してる?」
『真似じゃねえ』
間髪入れずに返された言葉に笑ってしまう。図星ってことか。
私の母は料理だったりお菓子作りだったりが好きな人で、コロッケを爆発させたりもするけれど、基本的に暇があれば何かしら料理をしている。デブがあそこまでデブになったのにはそれも間違いなく関係していると思うのだが、実際母の料理は美味い。
そんな母は決まって私たちの誕生日にもケーキやらご馳走やらを作ってくれて、きっと今日も何かしら用意してくれているのだろう。ここ最近は佐野家で祝ってもらうのが通例になっていたから、今年は家で過ごすと言った時にかなり喜んでいたし、またコロッケを作ると言っていた。
イザナは七歳の時から、なんだかんだと誕生日は我が家で過ごしていたのだ。母にとってはイザナも息子のようなもの、というよりほとんど息子だから祝う時に手を抜くだなんてことはしなかったし、なんなら私や兄よりも豪華な晩餐がイザナの誕生日には食卓に並んだ。
言葉にしてくれることはなかったけれど、それはずっとイザナの記憶にあたたかな思い出として残っていたのだろう。だから私たちの誕生日にもその腕を奮って料理やらケーキやらを用意してくれる。自分がされて嬉しかったことを私たちにして、どうにかこうにか喜ばせようとしてくれているのだ。
イザナが一緒に居てくれるだけで私たちはみんな嬉しいけれど、そうやって私たちを喜ばせようと奮闘してくれているのも嬉しい。エマちゃんの誕生日、四人で作ったケーキを見て満足そうに笑っていたその横顔を思い出す。あれはきっと、エマちゃんの喜ぶ顔を想像して、その幸せを思っての笑顔だった。
ああやっぱり自慢のお兄ちゃんで、大好きなお兄ちゃんで、愛しいお兄ちゃんだ。ずっと伝え続けてきた愛に嘘偽りは欠片もない。この先も永遠に愛していると、神様にだって誓える。
最初の頃は素直になりきれなかった私たちが、今ではお互いに愛してると伝えられるようになった。二人で出掛ければ、素敵なお兄さんですねって声を掛けられたりするの。そうなんだよ。素敵なお兄ちゃんなの。大切なお兄ちゃんで、大好きな家族。
『で、結局お前の隠し事、お兄ちゃんに教えてくれねえの?』
「んー? そうだなあ……お兄ちゃんのこと大好きって気持ちを隠してる」
『はあ? 隠せてねえだろ、それ』
ううん、隠してるんだよ。結局突き詰めていけば、あなたへの愛を隠している。微塵も隠せてなんていないであろう愛を最後まで隠して、絶対に絶対に私が守る。愛しいきょうだいの未来は、必ず私が守ってみせる。もうずっと前からそう決めている。
結局言わねえのかよと文句をいうイザナに嘘じゃないよと返して、思わず笑ってしまった。悔いばっかりなのに、イザナを守って死ぬことだけは悔いることが出来そうにもない。
尚も渋るイザナに、無理矢理話を切り替えて明日の抗争の話題に持っていく。もう既にイザナとマンジローには稀咲が銃を持っていることは伝えている。お互い信頼のおける部下にはその話を流しているし、きっと明日も念頭に置いて動いてくれるだろう。
「本当に気を付けてよね。人は銃には勝てないんだから」
『分かってるよ。リコこそ気を付けろよ。無茶したらお前のケーキ、全部オレたちで食うからな』
「こっちの台詞。イザナこそ無茶しそうだし、稀咲に食ってかかったりしないでよ?」
『しねえって。殴りに行きそうなのはリコだろ。オレの作ったケーキ食いたかったら無茶はするな。竜胆にまたオレが殴られる』
「えー、竜胆くんそんな乱暴じゃないからね? でも、うん。……お兄ちゃんの作ったケーキ、楽しみにしてる」
きょうだい揃ってお兄ちゃんの作ったケーキを食べられるその時を、心の底から待ち望んでいる。
+
決起集会だなんて名ばかりの作戦会議は終わった。家で散々ご馳走を食べてきたあとなので、正直もう眠くなってきている。私は食べたら眠くなるのだ。
集会中から顔を伏せて何度も欠伸をしたせいで付近にいた幹部たちには私の眠気はバレバレで、集会終わりの幹部陣だけ集めた話し合いの時にもかなりからかわれた。満足に寝れていないからと言い訳をしたけれど、まあ明日の抗争中にも欠伸を延々としているわけにもいかないので、今日はこのあとすぐ寝よう。まあもう日付が変わりそうなんだけど。
このあとひとっ走りしてくると言っていたクマたちを見送って、兄のバイクの後ろに跨る。運転中に巨体に押し飛ばされそうで戦々恐々なので、今ばかりは眠気だなんだのと言っていられない。
エンジンをかけた兄が腹が減っただのなんだのとデブ発言をしているのを笑いながら、ぐっと腕を伸ばして伸びをした。
「つかれたあ……」
「今日一日ずっと誰かしらと話してたもんな」
「うん。まあこの後も竜胆くんと少し話す予定なんだけどね」
「クマも言ってたけど早く寝ろよ。明日シンイチローに会いにいくんだろ」
シンイチローくんの退院日は明日だ。朝イチで手続きを終わらせて帰宅すると言っていたので、特に朝は予定がない私がお迎えに行くことにした。エマちゃんとマンジローも行くと言っていたので、病院で落ち合って一緒に佐野家に帰る予定だ。
前日の誕生日は抗争相手のチームのトップが佐野家に出入りするところを見られると云々かんぬんとお誘いを辞退したのに当日は行くのかと笑えるかもしれないけれど、こう、何となく感慨深くなってきてしまったのだ。もう死ぬかもしれないんだし、せめて最後に会っておきたいなというアレ。
マンジローとイザナは抗争の最中にだって会えるだろうが、シンイチローくんとエマちゃんにはここを逃してしまえば、私が死ねば二度と会えないことになる。遺言というわけではないけれど、それとなく色々と伝えたいことはあるわけだし。
そう思って迎えに行くと決めたわけだけれど、そうなってくると朝が案外早い。帰ってお風呂に入って竜胆くんと電話して、その時点で日付は超えるだろうから、あまり眠れなさそうだ。まあ、いざとなったら明日昼寝をすればいいか。
そんなことを思いながら早く帰ろうよと兄に行って軽く背中を叩けば、煮え切らない声が返ってきた。どうしたのと尋ねるも、少しの間沈黙が続く。
「……オレも明日行く。暇だし」
「暇だしって、別に私もお兄も暇ではないでしょ。抗争当日だよ? ……でもまあ、行くなら一緒に行こ。人が多い方がシンイチローくんも喜ぶだろうし」
再びの沈黙。兄はアクセルを回そうとせず、私に何か返すこともなく、真っ直ぐ前を見ている。何となく言いたいことが分かってしまって、背を反らして空を見上げた。ぽつぽつと星のようなものが見える。私は星座の名前には詳しくないので、どれがなんという星なのかは分からなかった。
迷った時は星空を見て方角を把握するだとか聞いたことがある。私にはどれがどれだか分からないから方角すら把握出来ず、一度迷ったらそのまま迷いっぱなしというわけだ。竜胆くんや大寿くんはアレで知識が豊富で私よりも星に詳しいし、エマちゃんも前にあれやこれやと私に星座の名前を教えてくれたことがある。でも今咄嗟に思い出せるのは、以前竜胆くんと話したオリオン座ぐらいだ。
そんなことを考えて空を見上げていたのだが、このまま沈黙を続けるわけにもいかないので私から口を開いた。
「悪いけど、まだ言えない。明日が終わったら……二十三日になったら、説明するよ」
「……本当に欠片も話さないで明日の抗争迎えるつもりか? それ関係のことだろ」
「うん。……うん、でもまあ、お兄に聞きたいことはあるんだよね」
聞きたいことというか、私の考えは間違っていないのだと知りたいというか。なんでも聞けと言ってくれた兄の背に身を預けるようにして寄り掛かりながら、回りくどい言い方をして変に穿った捉えられ方をしても面倒なので直球で尋ねることにする。
「お兄はさ、きょうだいに何かあったら庇う?」
「庇えるんなら庇う」
即答だった。だよねと返しながら、ゆっくり瞼を閉じる。
そうなんだよね。何かあったら庇わずにはいられないのだ。目の前できょうだいたちに何かがあるんなら、もう何を考えるまでもなく動き出してしまう。
それ以上は何も言わない兄の背に体を預けながら、息を吸って吐いた。言いたいことは沢山あって、兄に伝えたいことだって沢山ある。でも今言葉に出来ることは、ない。
「私も庇っちゃうんだろうな。きょうだいのこと、大好きなの。もちろんお兄も」
「やめろ、照れる」
「あはは。いいよ照れなよ」
私だってこんなこと直球で言うのは照れる。照れるけれど、今を逃せばもう二度と伝えられないかもしれないのだ。明日の今頃私が生きている確率がどれ程のものかなんて、考えるだけ無駄。伝えなければいけないことも、伝えたいことも、今のうちに伝えた方がいい。
言葉通りに本当に照れているのか、兄は慌てて話を変える。イザナと今日のどこかのタイミングで話したらしく、自分も一緒に明後日ケーキを作ると言い出した。そんなに食べられないと言ったけれど、いつもは試食に専念する兄が作るケーキというのも少し気になる。
それはともかくとしてそろそろ帰るかと言った兄に了解と返しつつ、顔を上げてまた空を見た。どの星を目印にすれば迷いから抜け出せるのか、結局分からないままだ。
+
さっさと帰宅してさっさと入浴を済ませて、現在。あれやこれやと自室を片付けながら竜胆くんと電話をしている。生前整理というわけではないけれど、部屋が汚いままでは死にきれないというかなんというか。
『片付けどう? 進んでる?』
「うん、順調順調。今ねー、先月締切の課題とか出てきてるとこ。これどうしよっかな」
『もう出さなくていいんじゃね?』
「だよね。捨てます」
机の上で山を作っていたプリントの束をろくに確認もせずにゴミ袋にぶち込みながら、特に中身のない会話を続ける。放置していた時点でお察しではあるのだがそこまで面白いものが出てくるわけでもないので、捨てるのにも飽きてきた。全部兄の部屋に押し付けちゃダメかな。
最近は横浜のホテルで蘭ちゃんとお泊まりをしていることがほとんどだったけれど、今日は竜胆くんも六本木の方に帰宅しているらしい。やっぱり家の方が落ち着くという言葉を聞きながら、竜胆くんの家に置いてきていた私物も持ち帰っておけば良かったなあと今更なことを思った。立つ鳥跡を濁さずと言うだろう。
竜胆くんにそんなこと言ったらぶん殴られそうだなと冷静に思いながらも、そこまで考えの及ばなかった自分に嫌気が差してくる。私のことを忘れて生きていってもらうためには、なるべく竜胆くんの周りから痕跡を消した方が良かったのに。
でもそれもまあ、未練たらしく今の今も電話をしてしまっている時点で意味が無いけれど。
『今日一日全部貰うって言ったのに、結局会えないままか……』
「仕方ないよ。ちょうどタイミング重ねちゃったんだし、ね? こうして声が聞けるだけでも私は嬉しい。竜胆くんの声も好きだからさ」
『オレだってリコの声も好きだよ。でもやっぱりさ、今日ぐらいは会いたかったんだよ』
「……私も、会いたかったな。最近あんまり会えてないもんね」
二十二日に抗争をすると決めたとイザナに聞かされた後に真っ先に私に連絡をくれたあの日の竜胆くんの言葉を思い出す。私はもうタケミっちから自分が死ぬことも、その先の竜胆くんのことも聞いた後だったから、電話越しに竜胆くんの声を聞いた時に少しだけ泣いてしまったのだ。
別に次の日が抗争だとか関係ないから私に会いたいと言ってくれた竜胆くんにはなんとか納得してもらった。でも、どうして泣いているのかと聞かれた時にはどうしても誤魔化せなくて、竜胆くんに会えないのが悲しいからと本当のことを答えてしまったのだ。あれは私の本音。あれこそが私の本音で、願いだった。
やっぱり竜胆くんのことが好きだ。一緒に生きていきたい。どうしようもないぐらい愛してる。会えないのは悲しいし、寂しい。そばにいたい。出来ればずっと。
竜胆くんが愛してくれる私を、私は愛して許していける。竜胆くんがいなきゃ、自分が嫌いで嫌いで堪らなくなってしまう。エゴの塊。弱さしか残らない。誰かに縋っていなければ生きてもいけない。
片付けは一旦やめてベッドに座り込む。少し下がってしまった声音から私の考えていることまで分かってしまったのか、竜胆くんは仕方ないなとばかりの声で私を呼んだ。その声も好きだ。
『改めて言うけど、誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう、リコ』
「……ありがとう竜胆くん。竜胆くんこそ、生まれてきてくれてありがとう。私に出会ってくれて、ありがと」
『それ全部俺のセリフ。なあ、来年はちゃんと隣で祝わせて。一日中ずっと、オレのそばにいて』
「…………うん」
そもそも明後日を迎えられるかも分からない私に来年の約束は少しハードルが高すぎる。でも一緒に過ごしたいと思っているのも事実だ。竜胆くんが来年の今日を私と一緒に過ごしたいと思ってくれていることを喜んでいるのだって、全部本当。何も嘘なんかじゃないの。
だから直接何か言うことも断ることも出来なくて、またこうやって先の約束を重ねる。ダメだよなあ。約束だけ残して、全部破って死ぬなんて最低だ。分かってる、そんなこと。きょうだいたちにしていることも、竜胆くんにしていることも、最低最悪で許されないこと。
だけど望みたい。これから先も生きていくことを。この約束をどうか叶えたいと願ってしまうのだ。
滲んできた視界を誤魔化すように息を吸って笑う。楽しみと言った言葉も本音で、心中で竜胆くんに重ねる謝罪も本物。
『本当は今から会いに行きたいんだけど、そんなことしたらリコ怒るだろ』
「そりゃあね? 抗争は明日なんだから。稀咲を炙り出すためとはいえ、私達もある程度は本気でやらなきゃ。ちゃんとイザナたちと作戦会議した?」
『今日の午前中にしたよ。大将めちゃくちゃやる気出してた』
竜胆くんの言う大将とはイザナのことで、しおんちゃんや蘭ちゃんもこの呼び方をしていた。お揃いっぽくていいよね。私も以前戯れにそう呼んでみたんだけど、自分のことだと思っていなかったようで自然に流されてしまったから、それ以来呼んでいない。
明日の抗争は私やイザナやマンジローからしたらきょうだい喧嘩の延長のようなものなのだが、お互いのチームが絡んでいる以上そう呑気なことも言っていられない。やるからには徹底的に、イザナとマンジローを狙っていく気満々である。それにそうしていた方が稀咲を釣れそうだし。
私が死ぬこととそれとは別と分けて考え、しっかりやりきろうとまた決意する。やらずに死ぬよりやって死んだ方がマシだ。しない後悔よりする後悔とも言うし。
ぐっと腕を伸ばしながら竜胆くんにイザナの張り切り具合を聞いていれば、机の上の時計がカチリと音を鳴らした。日付が変わったのだ。竜胆くんもそれに気付いたらしく、あぁと呟く。
「日付、変わったね。二十一日になる時も竜胆くんと電話してて、終わる時も電話してたんだ。最初に祝ってくれたのも、最後に祝ってくれたのも、どっちも竜胆くんだね」
二月二十二日と三つならんだ二を見つめながら、なんてことは無いですとばかりにそう言う。人生最後かもしれない誕生日、たくさんの人に祝ってもらえてよかった。最初と最後が竜胆くんで、本当に良かった。
感慨深さに小さく息をつけば、竜胆くんもそうだなと言いながらまた私を呼んだ。
『来年もそうなるし、その次だってずっとそうだよ。オレが一番最初も最後も祝うから』
「うん」
『オレの誕生日もそうしてくれよ。最初も最後もリコが祝って。目が覚めても、眠る時も、お前の言葉で祝って欲しい』
「……うん。私も、そうしたいな」
出来ることならば、そうしたい。これから先もずっと。
ねえ竜胆くん。私今日死ぬかもしれないの。怖くはない。いや、怖いんだけど、それは死に対する怯えじゃなくてね。あなたが私が死んだその先で生きていけなくなることが怖いの。
あなたの全部が好きだよ。大好き。愛してる。何もかも全てを愛してる。この先も永遠に、愛してるの。
だから私は、もうあなたに好きも大好きも愛してるも言えない。言わないよ。あなたが私を忘れてくれますようにと、嫌いになってくれますようにと、欠片も本心じゃないことだけを祈らせて。あなたが幸せになりますように。あなたの幸福が、私が隣に居なくたって成り立ちますように。
少ししか見えなかったけれど、星を見たの。でも私は星なんて全然詳しくないから、自分が目指すべき方角を知ることも出来なかった。あなたに手を引かれて生きてきたから、あなたが手を引いてくれないと迷ったままなんだと思う。この先ずっと、迷ったまま。
だけどあなたは星が分かる。あなたは自分の目指す方向に歩いていける。私は置いていって。過去にして。何もかも忘れて。それでいいから、頼れるものが星しかなくなったって、前を向いて生きていくことをやめないで。
『明日一番上の兄貴の退院の日で、迎えに行くんだろ? もう寝た方がいいよな』
「だね。そろそろ眠くなってきちゃった」
『片付けはもう終わりにして、電話切ったら早く寝ろよ。おやすみ、リコ』
「うん、おやすみ……ねえ、竜胆くん」
『ん? どうかした?』
ボロボロ涙が溢れてくる。気付かれる前に切らなくては。名残惜しいけれど、おやすみの挨拶もこれが最後かもしれないけれど、でも、ここで切らなきゃ。
弱くて泣き虫でわがままな私が、泣いていることに気付いてくれればいいのにと願っている。だけど気付かないでとも願っていて、嗚咽は出なかったし声の調子も欠片も変わらなかった。
「ううん、なんでもない。……おやすみ、またあしたね」
『ならいいけど……おやすみ』
ねえ、お願い。あなたの声で名前を呼んで。私が居なくても平気でいいから、私のことなんて忘れていいから、他の誰かを愛したっていいから、だからお願い。私を呼んで。それだけでいいの。
通話の切れた画面をしばらく見つめてから携帯を閉じて、ベッドに伏せる。嗚咽も涙ももう止まりそうになかった。
山より大きなデブは出ぬ