大寿くんが帰って、オレとドラケンくんがエマちゃんの手術が行われている方に向かってからしばらく。手術室の前のベンチに座っていたシンイチローくんと場地くんの隣に声を掛けられるままにドラケンくんが座って、オレはその横に立つ形になった。
少し離れたところで壁に寄りかかって目を閉じていたリコちゃんのお祖父さんがちらりと目を開けてこちらを見たので、頭を下げておく。そうすれば数秒の沈黙の後に、取りなすように場地くんが口を開いた。
「貴彦サン、コイツがさっき話してたタケミチ。で、タケミチ、この人がリコとリオの爺ちゃんの貴彦サン。前に会ったことあんだろ?」
「はい。十二月の一日に病院で、確か……」
「その前にも会ったことはあるが、まあそうだな」
「え?」
「十月の終わりの頃に孫共のチームでゴタついて、リコの方が軽く刺されただろ。あの時だ。病院で軽く顔を合わせた」
まあ覚えてないだろうがと呟いて、お祖父さんは検分するようにオレをじっと眺める。今は国家公務員だけど昔は色々やっていたらしいというリコちゃんの言葉通り、隻眼に着流しで一切隙のないその見た目や立ち居振る舞いは緊張感を抱かせるには十分なものだった。睨むようなその視線に思わずたじろぐ。
ある程度時間を置いたことで落ち着いたのか、それとも不穏な空気を感じたのか、シンイチローくんがオレに軽く説明を始めてくれた。場地くんがそれに補足して、ドラケンくんもたまに口を挟んで話が進んでいく。
「タケミっちの話はオレとかマンジローとかがよく貴彦さんにもしてたんだよ。たまに家にも来てくれるし、じいちゃんとも仲良いしさ。オレたちここまで色々とタケミっちに世話になってきたから、こう、恩人の話を聞かせるノリで」
「そーそー。タケミチってなんかシンイチローくんに似てるし、特にマイキーはよく話してたな」
「それ言ったら場地もだろ」
「はあ? そんなことなくね? オレは普通だろ」
「いや、ケースケも結構話してた気はするけど……まあそんな感じで、貴彦さんにはオレらから今までに色々とタケミっちの話してたってわけ。でも一応面識はあるんだよな?」
先程のお祖父さんとの会話からそう推測したのか、シンイチローくんは疲労の滲む顔でゆるりと笑って小首を傾げてみせた。マイキーくんとよく似てはいるが、マイキーくんは浮かべることのない笑みだ。特に今のマイキーくんは笑うことはおろか、泣くことだって出来ないだろう。
そう思って顔を顰めて言葉に詰まってしまえば、何も言わなくてもそれが分かったのかシンイチローくんは分かりやすく困った顔になる。ドラケンくんと場地くんも黙ってしまい、決まりの悪い沈黙が訪れた。
数十秒ほどそうやって四人で無言になっていたのだが、そんなオレたちに呆れたようにお祖父さんが大きくため息をついて口を開く。
「実行犯の二人組は捕まえられてない。部下使って足取りを追わせてはいるが、どうやら相当上手く隠れてるようだな」
「稀咲と半間、ですよね」
「ああ。その二人だ。付近の防犯カメラ確認したのとシンイチローに聞いた感じじゃ間違いはなさそうだが、シンイチローは会ったことはないんだってな」
「話は聞かされてたし警戒するようにとは言われてたけど、まあそうなんだよ。でもタケミっちはどっちにも会ったことあるんだろ?」
ケースケに確認してもらおうかと思ったんだけど結構防犯カメラの映像が荒くてさ、と続けて頼み込むようにして軽く頭を下げられた。思わすぎょっとしてしまったが、頭をあげてくださいと声をあげるよりも早くお祖父さんがオレを呼んだ。
「現場に居合わせてホシの両方と面識があったのはお前とマンジローとリコだけだ。今リコに話を聞くわけにもいかないし、マンジローだってそんなこと話せる状態じゃないだろ」
「……本当に稀咲と半間だったかどうか、オレの証言がいるってことですか」
「そういうこった。別に証拠なんざ後からいくらでも作れるが、一応目撃者の証言も欲しくてな。稀咲を銃刀法違反でしょっ引くのは確定だとして、半間も揃えて殺人未遂で指名手配して組織内で様相だけでも共有しておきたい」
銃刀法違反と場地くんが若干片言で反芻し、ドラケンくんが小さくため息をつきながら説明を始めた。だがそれは分かっていたらしく、馬鹿にされたと感じたのか怒りつつもそういうことじゃないと声をあげる。
曰く、自分はそんな話は一切聞いていないと。ドラケンくんはその言葉に気まずげに押し黙り、シンイチローくんもああと小さく呟いた。お祖父さんはひとまずそちらの話の展開を見守ることにしたのか、口を閉ざしている。
「マイキーとドラケンは知ってたのかよ」
「……まあな。っつっても、知らされたのはつい昨日だよ。お前と三ツ谷にも今日、抗争の前に時間取って話すっつってた。マイキーは結構前から知ってたみたいだけど、敢えてオレらにはギリギリまで話さないことにしたんだろ」
「はあ? なんでだよ」
「そりゃお前、稀咲が持ってんのは銃だぞ。一発撃たれただけで死ぬ。そんなことしねえとは誓えるが、もしオレらがどこかで情報漏らしたりしたら大変な騒ぎになる」
「……」
「それに、護身用だなんだっつーならまだしも、エマとリコさんがアイツに何されたか分かるだろ。話聞いた限りだと狙いはエマだったようだが、稀咲は殺す気で襲い掛かってきてんだ」
そこでドラケンくんは言葉を切って、下を向く。場地くんもドラケンくんの言いたいことは分かるのか、苦々しい表情で舌打ちをして稀咲に対して悪態をついた。
マイキーくんがドラケンくんにすら情報を下ろさなかった理由は、まさにその推測通りだった。リコちゃんの言葉を借りるならば、稀咲はこれまでにずっと裏から手を引いて人を使って、姑息なやり方で利益を得て思うように事を進めようとしていた。自分の手は極力汚さないようにしてきたのだ。
だけど今回は違う。私兵を投じてお互いのチームを騙って喧嘩を売らせ、東卍と天竺と夜ノ塵の三つ巴の抗争になるように状況を整え、そのやり方はこれまでと同じようには見えるが、手がかかりすぎている。尻尾を掴まれていることだって分かっていただろうに天竺に残留し続け、イザナくんから今回の抗争の裏にいるのが稀咲だと知らされていない面々はすっかり良く動く参謀だと認識してしまっているらしい。
それに銃を手に入れた時だって人を使えばいいのに自ら取引現場に赴いている。これまでの稀咲のやり方からしてありえないことだ。
恐らく焦っていたのだろう。稀咲もオレと同じようにタイムリープが出来るのだとしたら、もう後がないはずだ。未来の竜胆くんは稀咲を殺す気で撃ったようだったし、先ほどドラケンくんが言っていたように銃弾なんて普通一発食らっただけで死ぬ。あの後オレにとっての直人のような、稀咲のタイムリープに関わっていたトリガーの誰かが駆け付けたとしたって、死は回避できなかったはず。
オレと同じで、稀咲は今を変えなければもうタイムリープをして未来に変えることが出来ないのだ。
思わずごくりと唾を飲めば、何を思ったのかこちらを見た場地くんと目が合った。その眼光の鋭さにたじろいでしまう。
「タケミチお前、知ってたんだろ」
「……え?」
「稀咲が銃持ってるっての、知ってたんだろ? で、他にもなんか隠してるよな」
最後のそれは疑問なんかじゃなく、明らかな確信だ。何を言ってるんだという顔をしていたドラケンくんとシンイチローくんも、オレが言葉に詰まったことで場地くんの言葉が事実なのだと気付いたのかこちらを唖然と見ている。
何か言わなくてはと思うのだが、何も言葉が出てこない。いっそのことここで全部打ち明けてしまうか? でもそんなことしたって、なら何故リコちゃんとエマちゃんがこんなことになっているのかという話になるだろう。こんな時にふざけた話をするなと一喝される未来まで見える気がする。
リコちゃんがどう考えたってもう動けない上に状況に大きな差異が出た以上、今日の抗争ではオレが未来を変えなければいけない。ドラケンくんたちに協力してほしい気持ちはやまやまだが、それでもタイムリープに関して今ここで話すことは得策ではないだろう。
それでも話さないならば話さないで何かしら言わなくては。行き当たりばったりにはなってしまうが仕方ないと意を決して口を開いたタイミングで、重々しいため息が聞こえてきた。
「リコが話したんだろ」
お祖父さんだ。何を考えているか分からない瞳でこちらを見ながら、ベンチに座る三人に言い聞かせるようにしてまた口を開く。
「きょうだい巻き込むのには躊躇ったが、コイツなら稀咲のことどうにかするっつー目的も一致してるし、そもそも身内じゃない。だからリコも花垣には話せた。それだけの話だ」
「……へー?」
「そもそもリコに外に情報撒くなっつったのはオレだ。覚悟が出来てるかは置いておいて、人を殺すことに躊躇いのないような輩にこっちが情報を掴みましたなんて知られてみろ。面倒なことにしかならねえだろうが」
「…………まあ確かに、貴彦サンの言う通りではあるな」
「だろ? 大体よ、ケースケ、テメェその話マンジローから聞いて稀咲ボコそうって思考にならねえって言えるか?」
数秒の沈黙の後、場地くんが目を逸らす。言えないと自分でも判断したようだ。シンイチローくんとドラケンくんも、まだオレを疑っているような目で見てはいるが、それでも一応納得したのだろう。言及の視線ではなくなった。
一先ずタイムリープに関しての面倒事が去ってくれたことに安堵しつつ、お祖父さんをちらりと見る。はんとひとつ鼻を鳴らした後に、貸しひとつだとばかりにため息をつかれた。恐らくではあるが、意図して庇って話を逸らしてくれたのだろう。ありがたい助太刀だった。
このまま放置していても面倒なことになるやもしれないと判断したのか、お祖父さんはそれ以降誰かが話す素振りを見せるよりも早く再び口を開き、話を戻すがと呟いた。一旦中断した問答に戻るつもりのようだ。
「運転手は半間で、殴り掛かったのは稀咲。それで間違いないんだな?」
「はい。リコちゃんも半間って言ってましたし、半間の方もリコちゃんのことを呼んでました。バイクから降りてリコちゃんの方に来ようとしてた半間を止めた声は稀咲のものだったはずです」
「じゃあ下にそれ伝えてくるから、お前らはここでエマの手術が終わるのを待ってろ」
別にそう昔のことではないし、ついさっきと言ってもおかしくはない程度の記憶を思い起こしながら答えた。元々リコちゃんと半間は一年ほどの付き合いだとは聞いていたが、時折リコちゃんから聞かされる愚痴のようなものでも、聖夜決戦時に半間から軽く話を聞いた時も、二人はお互いをあだ名で呼んでいた。友達なのかと聞いた時に揃いも揃って「コイツ何言ってんだ」という顔をしてオレを見てきたことを覚えている。
でも、半間は明らかに倒れ伏すリコちゃんを見て動揺していたのだ。リコちゃんはそんな半間を見て笑っていたようにも見えた。オレが知らないだけで、あの二人にはあの二人で何かあったのかもしれない。
しかしお祖父さんはそこまでは興味が無いのか、オレの返答にひとつ頷いて、背を預けていた壁から離れて踵を返したさっさと歩いていく。ついでに外で煙草を吸ってくるから戻るのは遅れると言い、ああそれからとこちらを振り返った。オレ以外の三人もそちらを見る。
「今日の抗争、行くか行かねえかさっさと決めろよ。行くってんなら稀咲に殺される覚悟は決めておけ」
言外に、行くなよと釘を刺されたのだ。ひとつ鼻を鳴らして、二度は言わないと呟いてお祖父さんはオレたちの顔を順繰りに眺めた。
その後に再び歩き去っていったその背中に何も答えずに、ドラケンくんが祈るような目で手術室を見つめる。オレたちも同じように手術室を見つめ、どうか二人の手術が無事に終わりますようにと祈った。
+
一時間ほど経った頃だろうか。手術中のランプが消え、一番最初に立ち上がったのはドラケンくんだった。数十秒後にドアが開いて、そのままシンイチローくんと一緒に足早にそちらに駆け寄る。少し疲労の滲む顔をしながらも、お医者さんは目尻を弛めて笑ってみせた。その顔に場地くんが小さく拳を握り、オレも思わず視界が潤んで泣きそうになってしまった。
「今はまだ麻酔が効いていて眠っていますし、頭部の怪我ですから後遺症が残る可能性は大きいですが、手術は成功しました。妹さんは無事ですよ」
飛び上がるようにして立ち上がった場地くんが、呆然と立ち尽くすドラケンくんに近付いて背中をバシバシと叩き始める。ありがとうございますと何度も頭を下げるシンイチローくんの横で、足腰の力が抜けてしまったのかよろめいて場地くんに支えられながらも、絞り出すように良かったと震える声でドラケンくんが繰り返した。エマちゃんが今のドラケンくんを見たら、呆気にとられたあとに仕方ないんだからと言って嬉しそうに笑う気がする。
後の話はオレがするからと言ったシンイチローくんに背を押されて、三人で足早にマイキーくんたちの方に向かう。何の連絡もないということはリコちゃんの手術はまだ終わっていないということなのだろう。でもひとまず、エマちゃんの無事をマイキーくんに伝えたかった。
今日の抗争に関して話すドラケンくんと場地くんの話に相槌を打ったりしながら歩を進め、曲がり角を曲がった。この先がもうすぐに手術室だ。
何か声が聞こえてきたから、もしかしたらマイキーくんも喋れるぐらいには回復したのかもしれない。オレと同じようにそう思ったのかドラケンくんも分かりやすく安堵しつつ、ベンチの方を見た、のだが。
『なんで、なんでリコとエマが、どうして』
「どうしてって、聞きてえのはこっちだって一緒だよ。イザナ、お前はひとまず落ち着け」
『落ち着ける訳ねえだろ⁉︎ 妹が死にかけてんだよ! リコとエマが死んだら、オレ、オレもう生きていけねえよ……!』
「だから、妹が死にかけてんのはオレだって一緒だって。聞くが、オレらが今ここで泣き喚いてたらリコもエマも助かるのか? 助からねえだろ」
携帯をスピーカーにしているのだろう。わあっと泣くイザナくんと思わしき声が聞こえてきて、ガリ男くんがため息をついた。それから顔を上げてこちらを見る。似たようなタイミングで、その隣で無言でマイキーくんの背を撫でていた竜胆くんも顔を上げてこちらを見た。オレたちが揃ってこちらに来たことでエマちゃんの手術が終わったことを察したのか、その顔に安堵の色が乗った。
想像していなかった状況にぎょっとして固まってしまったオレたちを放って、場地くんがそちらに近付き、電話の向こうのイザナくんを呼ぶ。
『誰だよ……ケースケ?』
「そう。エマの手術は今終わった。後遺症は出るかもしれねえけど、ひとまず無事だってよ」
電話越しに大きくイザナくんが息を飲む。そのまま今度は声を押し殺して、エマちゃんの名前を繰り返しながら泣き出してしまった。その近くで良かったと言いながらイザナくんを呼んでいるのは、声はよく聞こえないけれどもしかしなくてもカクちゃんだろうか。
以前再会した時に、リコちゃんやマイキーくんたちとはきょうだいのような仲だと言っていた。以前リコちゃんに家族を紹介された時に今日はいないけれど後で合流する予定だと言っていた二人がガリ男くんとカクちゃんなのだとその時知ったのだ。
譫言のように漏らされるイザナくんの嗚咽混じりの言葉にガリ男くんと場地くんが代わる代わるに相槌を打つのを横目に、竜胆くんがマイキーくんに声を掛けている。エマちゃんの手術、無事に終わったって。良かったな。後遺症? うん、それは……でも、大事なのは生きてることだろ。な? マンジロークンがそばにいてエマちゃんのこと支えてやればいいんだよ。
マイキーくんは俯いてしまっていて顔が見えないし声も聞こえないけれど、恐らく隣に座る竜胆くんには聞き取れるような声で何か言っているのだろう。その一つ一つを拾うように竜胆くんは返事をして、背を撫でながら先を急かすことも無くマイキーくんの声を聞いている。そんな竜胆くんの姿は、どことなくリコちゃんに似ていた。
ドラケンくんと揃って立ち尽くしたまま二人の姿をまじまじと見つめてしまっていたのだが、ガリ男くんに名前を呼ばれた。
「テメェらは……というよりも、東卍だな。東卍は今日、どうするつもりだ」
「……抗争に行くか行かないかってことですか」
「まあ、普通に考えてそうだろ。オレは行かねえ」
「え?」
平然と、それでも苦々しく吐き捨てたガリ男くんに思わず声を上げてしまった。ギロリと睨まれてたじろげば、竜胆くんが制するようにガリ男くんを呼ぶ。
「コイツらはエマちゃんの方に行ってたから聞いてないんだよ。説明してから話せって」
「……」
すんと押し黙って俯いてしまったガリ男くんに、イザナくんと電話を代わったのか、カクちゃんがオレから言おうかと提案する声が聞こえた。震えた声だ。どうにも嫌な予感がして、ドラケンくんと顔を見合わせる。場地くんも強ばった嫌そうな顔をしていた。
しばらく迷ったのだろうが、ガリ男くんは弟にそんなこと言わせるわけにはいかないからと言って顔を上げた。その顔色は、やはり悪い。
「リコは助からないかもしれない」
「……は?」
「手術が成功する可能性、五分五分なんだってよ。臓器と脳のダメージが深刻過ぎて、こうしてる間にもどんどん悪化してってんだと」
数秒の沈黙の後、再び電話越しにイザナくんの泣き声が聞こえ始める。マイキーくんも顔を伏せるようにして俯き、ガリ男くんは両手で顔を覆った。竜胆くんだけが、凪いだ瞳でただ前を見ている。
助からないかもしれない。頭の中をその言葉がぐるぐると回っている。リコちゃんは死ぬかもしれない。ここでだ。手を伸ばせば、オレの方がもう少し早く気付けば、助けられたかもしれないのに。それなのに、オレはリコちゃんを助けられなかった。
「だからオレは行かない。オレとリコ、どっちかでも居ないと不戦敗だっつーならもうこのまま負けってことでいい。後のことはイザナとマンジローが決めてくれ」
投げやりな声でそう言って、今のマイキーくんは話が出来ないと踏んだのかイザナくんを呼ぶ。嗚咽しながらもイザナくんは声を上げた。
『オレは……オレ、約束したんだよ…………明日、ケーキ作ってやるって……そうだよなあ、今までずっと、リコには作ってやった事なくてさ……』
どうしてリコがとわあっと再び泣き出してしまったイザナくんの痛ましさにガリ男くんが眉を寄せる。マイキーくんも更に背中を小さくさせて、もしかしたら泣いているのかもしれなかった。ドラケンくんと場地くんも口を出せないようで押し黙ってしまっているし、そもそも場地くんはほとんど当事者のようなものだ。リコちゃんは場地くんのことだってきょうだいとして認識しているようだったし、場地くんもいつだったか千冬とオレに姉みたいなヤツだとリコちゃんのことを語って聞かせてくれた。
だんだんと場の空気が悪い方向に向かっていくのを肌で感じ、どうにかしなければと自分でも分かるぐらい焦ってきた。ガリ男くんの口ぶりからしてクマくんたち他の夜ノ塵のメンバーは抗争に出向くのだろうが、トップの両方を欠いて片方が死の淵に立たされた現状では元々の力を発揮できないだろう。
そもそも未来の大寿くんから軽く抗争の話を聞いた限り、未来ではリコちゃんとマイキーくんとイザナくんは冷静さを失っていたものの三人でぶつかり合ってお互いを牽制し合っていたはずなのだ。だからこそ最後まで決着が付かず、乱入した稀咲がイザナくんを撃とうとしたのを庇ったリコちゃんの死を持って最悪の形で抗争は終了した。相次いだきょうだいたちの死におかしくなってしまったマイキーくんとイザナくんは稀咲の言いなりになって、その結果として東卍と天竺は統合されたのだ。夜ノ塵はガリ男くんや幼馴染みだったという幹部陣が無理矢理解散させたらしいから統合の際には組み込まれていなかったが、一部の下っ端は取り込まれてしまったとも聞いた。
今の時点ではその未来に至る道が変わっていない。シンイチローくんとエマちゃんは生きているが、リコちゃんは今も手術中で、こんなことは言いたくないけれどどうなるかが分からない。マイキーくんもイザナくんもリコちゃんの危機にかなり弱っていて、今はまだ稀咲に対する殺意に近い敵意があるだろうがリコちゃんが死んでしまえばそれすら壊れてしまってもおかしくない。そうなってしまえば、未来は何も変わらないのだ。
このままじゃダメだ。あの最悪な未来を変えるために、みんなで笑って過ごせる未来を手に入れるために、オレは今ここにいるんだ。あの竜胆くんの笑顔を思い出せ。心底幸せそうに笑って死を選んで、最後までリコちゃんの名前を呼んでいた。
復讐のためだけに生きた竜胆くんの十二年間を、オレだけが知っているんだ。お互いを失って死ぬためだけに生き延びた二人を、オレだけが知っている。その未来を変えられるのはオレだけなんだ。
気付けば下に向けてしまっていた顔を上げて、作戦も何も無いけれどこのままじゃダメなんだと伝えなければと口を開いた時、パチリと竜胆くんと目が合った。マイキーくんの背を撫でてイザナくんを泣き止ませようとしながらも、その名前の色をした瞳だけは真っ直ぐにオレを見ている。思わず口を開けたまま固まれば、馬鹿にするように口角が上げられた。
「リコになんか言ったの、お前だろ?」
「え?」
「リコがあんなに悩んでたのも、お前がなんか言ったからなんだろ」
「……はい」
突然投げ掛けられたその言葉に最初は困惑したものの、言いたいことは分かった。竜胆くんはやっぱりオレがタイムリープしてここにいることに関して、なんとなくでも理解と確信をしている。今のは問なんかじゃなく、確認だ。そうなんだろうと確認して、己の中で何かを決めたのだろう。
どこか泣きそうな顔で仕方ないなとばかりに笑って、竜胆くんはオレから目を逸らして手術室を見る。その奥では、まだリコちゃんが手術を受けているのだ。死の淵に立って、それでもまだリコちゃんは竜胆くんやきょうだいたちと生きることを望んでいるのだろうという確信がオレにだってあった。竜胆くんだって、マイキーくんたちだってそれは分かっているのだろう。
「オレ、やっぱりリコのそういう所だって好きなんだよなあ……」
「……お前はリコの全部が好きなんだろ。今更驚かねえけど、オレこう見えてもリコの兄貴だからな。兄貴の前で妹との惚気とかやめてくれ」
「良いだろ別に。聞かされたことで悩んで迷って泣いて、でもオレたちに何にも言えない。それなのに嘘も隠し事もド下手くそだから、なんだかんだ言いつつオレらみんなリコが悩んでることは気付いてただろ? そういう所、可愛いよな。隠せてないって自分でも分かってるくせに、今は言えないとかいつか言うとか馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返してさ」
甘ったるい声でやっぱり可愛いと一言呟いて、竜胆くんはベンチから降りてマイキーくんの前にしゃがみこむ。それからいつの間にか血を落とさせたのか綺麗になっているその手を握り、顔を覗き込んだ。
竜胆くんにリコちゃんとの惚気のようなものを聞かされたことで少し持ち直したのか鼻を鳴らしているイザナくんがカクちゃんに何か言われている声しか聞こえなくなった。竜胆くんはしばらくマイキーくんを覗き込んだ後に、リコちゃんがマイキーくんや場地くんと一緒にいる時によく見せる顔をして、マイキーくんの名前を呼ぶ。
「マンジロークン……マンジロー」
「……」
「オレは行く。リコならきっとそうするだろうから、本当はここに居たいけど行くよ」
「…………リンドーくんはさ」
「うん。何?」
「……なんでそんな、リコのこと信じられんの」
弱りきって震えた声で、それでもマイキーくんがたしかに喋った。ドラケンくんが小さくマイキーとその名前を呼ぶ。場地くんは無言で未だに俯き続けるその横顔を見つめていた。オレも何も言えずに、見つめることしかできない。
竜胆くんは困ったように笑ってから、もう一度マイキーくんを呼んで口を開いた。
「マンジローにはオレがリコのこと信じてるように見えてんの?」
「見えてる。だって、リコ、死ぬかもしれねえじゃん。もうオレたち、二度とリコに会えないかもしれない。でもリンドーくんはオレとイザナと違ってちゃんと前見て、リコならそうするだろうからって、考えられてんだろ。オレには無理だよ」
「正直オレもめちゃくちゃ不安だし、信じられてはないと思うけど。リコが死んだらどうしようって今も叫び出したいぐらい。信じてるって言ったら大寿だろ。アイツが一番リコを信じてたよ」
「……」
「でもさ、やっぱそれってなんか、こう、ムカつくだろ。大寿はリコのこと信じてて、リコもきっと大寿を信じて大寿にだけは全部打ち明けた。オレたちが何聞いたって泣きながら話せないって断られたようなことを、リコは大寿には話せた」
「…………」
「でもそれはお互いの荷物を背負うようなことじゃないだろ。リコの荷物を背負うのはオレだし、オレが辿り着く先に居るのがリコだ。だからリコを信じるのは大寿に任せる。オレは、リコならそうしただろうなって思うことをリコの代わりにする」
マイキーくんは一度は饒舌に喋っていたものの、今は再び押し黙って俯いている。見兼ねたのかひとつため息をついたガリ男くんが、これまで竜胆くんが座っていた場所に詰めてマイキーくんの背を乱暴に撫でた。竜胆くんと比べれば手付きの荒いそれにマイキーくんは僅かに上体のバランスを崩して、更に深く俯く形になる。でも竜胆くんにはその顔がよく見えているのだろう。
「リコは無茶しかしない」
「本当だよな。いくら言っても止まらないし、自分じゃ止まれないんだよ」
「……リンドーくん、ごめん……オレがあの時動けてたら、もっと早く気付けてたら、リコは……」
「謝んなって。マンジローのせいじゃないだろ? リコが自分で選んでエマちゃんを庇ったんだ。それにリコは、エマちゃんじゃなくてお前が危なかったんだとしても、絶対に庇ってた。分かるだろ。お前の姉ちゃんはそういう女なんだよ」
「…………守る守るってそればっかりで、オレらの気持ちなんてなんにも分かってなくて……それで、すぐ自分のこと投げ出して……」
「うん。酷い奴だよな。守れないかもって思ってたくせにオレたちと約束ばっかりして、隠れて泣いて、本当に馬鹿で酷い女で、だけどやっぱりオレはさ、その全部を愛してる」
マイキーくんが顔を上げ、竜胆くんがリコちゃんによく似た笑顔で笑う。仕方ない弟を見るその笑顔は、本当に驚くぐらいリコちゃんに似ていたのだ。マイキーくんもそれが分かったのだろう。ぐしゃりと表情を歪めて、その瞳が潤み出す。
ふと、大寿くんが似たもの同士と言っていたことを思い出した。長い時間一緒にいると似てくるものらしい、だから私ときょうだいたちも似てるでしょと以前リコちゃんが笑っていたのも一緒に思い出す。
リコちゃんと竜胆くんも、そうして時間を共にするにつれて少しずつ似てきたのだ。未来のお互いを失ったリコちゃんと竜胆くんならば、きっとこんなふうに笑えはしなかった。今こうして、二人で生きていく未来を諦めていない竜胆くんだからこそこの顔で笑うことが出来るのだ。そう気付いた瞬間に涙が溢れて来てしまって、場地くんがぎょっとしてこちらを見ているのが分かっても涙が止められずに必死で両手の甲で拭う。
「本当はお前らきょうだいが羨ましいよ。正直今回の件だってこの馬鹿女って怒鳴りつけてぶん殴ってやりたいぐらいには色々思ってるし、結局オレと生きることを選べない女なんだなってことがよく分かった」
「……でも、その全部が好きで、愛してる、だろ」
「そう。全部好きで、愛してるし、リコがオレと生きることを選ばずにオレと死ぬことを選んでくれるならそれでいいかなってもう吹っ切れた」
「じゃあここでリコが死んだらリンドーくんはどうすんだよ」
「さあ。まだなんとも言えない。リコが本当にオレのこと置いて死んでからそれは考える。オレにはもうリコがくれた呪いがあるから、今はひとまずリコがしたかったことをする。だから手始めに、お前の背中を押す」
「……オレには、リコのしたかったことは出来ない。リコがいなきゃ無理だ」
「無理でいいよ。立ち止まっていい。それはオレがするから、マンジローはオレの分もここに居てくれたっていいし、抗争に行ったっていい。自分で決めろ」
「……」
「お前がどれだけ変わったって、弱くなったって、たとえそばにいられなくたって、リコはお前の全部を愛してるし、お前の全部を受け入れる」
「…………」
「リコなら、お前が抗争に行かなかったんなら行かなかったで危ない目に遭わなくて良かったってお前を抱き締めるし、お前が抗争に行ったら危ないことしないで無理しないでって自分を棚に上げてお前を叱るよ」
分かるだろ、そういう女なんだよと竜胆くんが呟いて、マイキーくんはひとつ頷いた。再び俯いてしまったから髪に遮られて顔は見えなくなったけれど、震える肩と僅かにこぼされる嗚咽が全てを物語っている。竜胆くんは手を伸ばしてそんなマイキーくんの頭を撫でて、ガリ男くんも名前を呼びながらその背を撫でていた。電話の向こうのイザナくんが、自分だって泣きながらマイキーくんを名前で呼んでいる。いつもはマイキーと呼ぶのに、肝心な時はマンジローと呼ぶらしい。
お前はそこにいていいとかリコのそばに居てやってとか、そういう言葉が出てくるあたりイザナくんは今日の抗争にこのまま出る予定なのだろう。竜胆くんも立ち上がって、イザナくんに声を掛けた。
「そろそろオレもそっち戻る。ってか、大将こそこっち来なくていいのかよ」
『……多分今行ったら戻れなくなるから、今日終わったら、鶴蝶と会いに行く』
「りょーかい。兄ちゃんも急に出てきちゃってごめん。間違えて兄ちゃんのバイクで来ちゃったから事故らないように気を付けて戻るわ」
『んー。こっちは別になんともねえし、そんな急いで戻ってこなくていいからな。リオも夜ノ塵はこっちで適当にどうにかしとくから来んなよ〜』
「蘭のどうにかって半殺しとかだろ……」
ガリ男くんは嫌そうな顔をして、やっぱりクマたちにも行くなって言っとくかと呟いた。嫌な意味で信頼を寄せているようだ。
そのまま一言二言交わして、イザナくんとカクちゃんはそれぞれマイキーくんにも声を掛けてから電話を切る。その後すぐに竜胆くんはグッと伸びをして、もう一度マイキーくんの頭を撫でてから手術室の方を見た。分かりやすくその瞳が揺れる。
本当はここに残りたいのだろうし、リコちゃんのそばに居たいのだろう。だけど竜胆くんは、リコちゃんのしたかったことをするという言葉の通りに、抗争に行くことを選んだ。リコちゃんならばきっとそうしただろうからと。
止まらないし止まれない。本当にその通りなのだろう。誰かが外からブレーキをかけないと、リコちゃんは止まることが出来ない。その止まることが出来ないリコちゃんなら、きっと抗争に行ったはずだ。実際に未来のエマちゃんを助けられなかったリコちゃんは、それでも抗争に向かっているし参加している。
ガリ男くんにリコちゃんのそばにいてやってと言ってから踵を返した竜胆くんとパチリと目が合った。咄嗟に頭を下げる。ここでは何も言えないけれど、今回の件はオレにだって原因がある。もっときちんと調べてから戻れば、今日エマちゃんが稀咲たちに襲われることは分かったはずだ。詳しい時間は分からなくたって、予想をつけることぐらいは出来た。それをしなかったのは、出来なかったのは、オレがシンイチローくんとリコちゃんを助けることだけに必死になってしまっていたから。
そこまで見透かしたのか竜胆くんはため息をついて、頭を下げ続けるオレの肩を小突いた。黙ってそれを受け止めて、顔を上げろと言われたのでそれに従って上げる。正面に立つ竜胆くんはまじまじと俺を見下ろした後に、いつかのようにあからさまに見下してひとつ鼻で笑った。
「やっぱりお前は気に食わねえわ。当分リコの隣に並ぶなよ。ダサいのが移る」
そのまま呆然としているオレを置いて、じゃあなとヒラヒラ手を振って歩いていってしまう。その背中に、また涙が溢れてきた。
信じるのは大寿くんに譲るといいながら、竜胆くんだってリコちゃんを信じることをやっぱりやめてなんていないのだ。
デブと白鷺は立ったが見事