いや本当に、今なら浦島太郎の気持ちが分かるかも。待って嘘。それはちょっと話盛った。

 何が言いたいのかというと、これは本当に驚きだし私以外の皆にも驚いて欲しいところなんだけど、起きたら一ヶ月以上経ってた。


 普通に意味がわからなくない? 一ヶ月って何。学期末テストどうしようとかいう問題じゃなくなってくる。冗談抜きで進級の危機だ。それに皆にも心配をかけてしまったようで、どうにも申し訳ない気持ちが募る。

 よく寝たなあと思って目を覚ましたら体が有り得ないぐらい重くて指先すら動かせないし、喉はカラカラというかガラガラだし、竜胆くんはもうめちゃくちゃ泣いてるしで、私は最初から事態についていけていなかった。私の名前を呼んでずっと泣いている竜胆くんはそのままに採血されたり問診を受けたりレントゲンを撮ったりと慌ただしく時間が過ぎて、状況を説明してもらえたのが目覚めてから数時間後。
 一ヶ月以上意識が戻らなかったんですよといつも私の担当になる顔見知りの看護師さんに言われた時は竜胆くんに支えてもらって体を起こしてちまちま水を飲んでいたけれど、普通に全部吹き出したし気管に水が入って死にかけた。看護師さんには勢いよく水を飲むせいだと怒られて、駆け付けてきてくれた両親と兄にもそんなに急がなくても水は逃げないんだから落ち着けと窘められて、なんだか私が悪いみたいな空気になってしまったものだ。


 まあともかく話を整理すると、私はあのまま一ヶ月以上眠り続けていたらしかった。驚きでしょ。一ヶ月って馬鹿の時間じゃない? しかもそんなに寝たならしばらく寝ないで平気かもとか考えていたのに普通に夜もぐっすり寝れた。完全に体が寝ることに慣れてしまっていてダメ。

 結局昨日はそんな風に時間が過ぎていって、面会時間が終わる頃に竜胆くんと両親と兄はまた来るからと連れ立って帰って行ったのだった。父が相変わらず竜胆くんに怯えていて面白くて笑ったけれど、さしもの私も留年しかけていることを告げられた時は泣いた。辛すぎる。体が満足に動かないこととかあちこち痛むことよりも留年が辛くて悲しい。
 お腹が空いたといって食べれるわけないだろと看護師さんに怒られたり留年の危機に泣いたりぐっすり眠ったりしながら夜が過ぎ、朝が来て、今。固形食どころか流動食もまだダメらしくて悲しんでいたのだが、これから毎朝行われるという採血と問診が終わったあたりでぶち壊すつもりじゃなかろうかという程の強さで引き戸が跳ね開けられた。看護師さんと揃ってそちらを見る。

 ドアの取っ手の部分に手を添えたまま呆然とこちらを見つめて立ち尽くすその人は、起きてすぐ家を出てきてくれたのかあちこち寝癖が色んな方向に向かって伸びていた。騒がしくするなという看護師さんの言葉も無視して、何度か瞬きが繰り返される。驚きとか喜びとか悲しみとかそういう感情が全部ごちゃごちゃになったような表情に思わず笑いそうになって、でもそこで立ち尽くされていても困るから声を掛けた。

「おはよう、お兄ちゃん」

 私の言葉になにか返そうとしたのかはくはくと口が開いたり閉じたりして、結局何も言わずにそのままぎゅっと引き結ばれる。眉も一緒に寄せられた。覚束無い足取りでこちらに歩み寄ってきたかと思えば、床に膝を着いて私を見上げる形になりながら投げ出していた左手を握られて分かりやすく瞳が潤み出す。
 その顔を見下ろしていたら、私まで泣きそうになってしまった。生きてる。私は助けられなかったけれど、タケミっちはちゃんと助けてくれたのだろう。本当に良かった。イザナが、お兄ちゃんが死んでしまったらなんの意味もないのだ。私が助かったってそれじゃなんの意味もなく、ただ苦しいだけだった。

 竜胆くんと兄にきょうだいたちは皆無事だと聞いてはいたけれど、いざ自分の目でその無事を確認すると感慨深いものがある。撃たれたと聞いたけれど、もう動いて大丈夫なんだろうか。無理はしてないかな。痛い時は痛いと騒いでくれる人だけど、私やエマが関わるとおかしな風に我慢したりもするのだ。

 ひとつため息をついた看護師さんがまた一時間ほどで様子を見に来ると言い置いて病室を出ていった。二人きりで取り残される。堪えきれなかったのか一粒だけ溢れた涙をまだ動かし辛いけれど比較的自由に動く右手で拭い、寝癖を抑えるようにして頭を撫でた。

「泣かれちゃうとどうすればいいのか分かんないよ。イザナも泣き虫になっちゃったの?」
「……リコに似てきた」
「そう言われると何も言えないじゃん。……心配かけてごめんね。来てくれてありがと。よく顔出してくれてたんでしょ」

 ベッドの淵に顔を伏せられてしまったから頭を撫でて髪を梳いて、私に似て泣き虫になってしまったらしいお兄ちゃんに声を掛け続ける。竜胆くんもそうだしお兄ちゃんもそうだし、私の周りにいるとみんな泣き虫になってしまうんだろうか。

 掠れた声で時折返される相槌を待つこともせずに適当に話をしていれば、慌ただしく廊下を走る複数の足音が聞こえてきてこの病室の前で止まり、先程と同じように勢い良くドアが開かれた。顔を上げたイザナと一緒にそちらを見る。立ち尽くしてこちらに向けられるきょうだいたち三人の表情がやっぱりイザナに似ていて、今度こそ笑ってしまった。


 三人の中だと動き出すのはエマが一番早かった。駆け寄ってきたかと思えば少し迷ったあとにベッドに軽く掛けて私の手を握って、涙で揺れる大きな瞳が私を睨めつけるように細められた瞬間にはそのままわあっと泣き出してしまう。イザナもそれにつられたのかまた泣き出して顔を伏せてしまった。

 私に抱き着いて泣く二人に少し困っていたのだが、病室に入りはしたもののソワソワとこちらを見ているだけのシンイチローくんと鶴蝶くんも気になる。椅子は人数分ないけどエマはベッドの上に座っているしイザナは床でもいいみたいだし、二人に座ってもらってもいいかな。目線で合図すれば伝わったのか、慎重にこちらに近付いてきて椅子に座ってくれた。うん。これでいい。

「ねえ、二人とも泣かないでよ」
「ヤダ」
「オレも絶対嫌」
「そんな堂々と……」

 エマもイザナもはこういう頑固なところがそっくりなのだ。シンイチローくんと鶴蝶くんに助けを求める視線を送ったのに肩を竦めて躱された。酷い。

 少し伸びた気のするエマの髪を撫でて、くるくると指に巻き付ける。髪といえば私も結構前髪が伸びていて、起きた時には綺麗にセンターで分けられていた。竜胆くんと兄が言うにはエマがこれも似合うからとそうしてくれていたらしいのでそのままにしているのだけど、自分としては似合ってるのかどうかよく分かっていない。
 せっかくだからこのまま私も思いきって伸ばそうかな。いつも適当な辺りまで伸ばして面倒になって切ってしまっていたけれど、タイミングとしてはちょうどいいのかもしれない。


 泣き続ける二人とどうにも落ち着きのないシンイチローくんと鶴蝶くんを見ながらそんなことを考えて、ふとみんながお見舞いで持ってきてくれた品々の方に目がいった。よく見えないから何となくで判断するしかないんだけど、めちゃくちゃ高級そうなメロンとかある。食べたい。勝手に食べたらダメかな。バレるか。でもこれ私が固形食を食べれるまでに掛かるであろう日数とメロンの保存期間とを考えると絶対食べられないじゃん。本当に食べちゃダメなの?

 じっとメロンを見つめ続けていれば、視線の意味に気付いたのかシンイチローくんが慌てたように声を上げて私とメロンとの間に割って入ってきた。

「流石に、流石にまだ早いだろ!」
「でもメロン食べたいよ!」
「ダメだって! 退院したらまたアイツらに頼んで買ってもらえばいいし、なんならオレも買うから! な⁉︎」
「え、ワカさんたちが持ってきてくれたの? ……ワカさんに手渡されたい……」
「メロンを?」
「メロンを」

 困惑したような顔をしつつもシンイチローくんは頷いてくれた。ワカさんにちゃんとそう伝えてくれるらしい。はあ〜楽しみ。
 エマの髪を撫で続けながら、腕に擦り寄ってきたイザナの頭も軽く撫でる。こうしてると本当に二人とも陽だまりに集まる猫みたいだ。可愛い。流石私のきょうだい。

「メロンがワカさんたちでしょ。花っぽいのは大寿くんって聞いたけど、あとは誰が届けてくれたのか分かる? お礼しなきゃ」
「適当に造花とか入れてる花瓶はケースケ。ケースケが入院した時にマンジローが見舞いに花瓶持ってきたから自分も持ってきたっつってた。で、そこの籠に入ったフルーツはドラケンと青宗が代表して持ってきてたけど、東卍の連中で金出し合って買ったらしい」
「へえ……ワカさんと三ツ谷くんと竜胆くん、じゃなくて蘭ちゃん呼んで、好きな顔頂上決戦……」
「やめような」

 めちゃくちゃ良いこと思いついたと思って口にしたのに鶴蝶くんに可哀想なものを見る目をしてピシャリと断られてしまった。悲しい。本当にワカさんと三ツ谷くんの顔が好きなんだよ。竜胆くんの顔も好きだけど、竜胆くんをそこに混ぜるともう絶対に竜胆くんが優勝してしまうから蘭ちゃんを呼ぼうと思ったのに。

 ワカさんの顔と大人っぽい包容力と三ツ谷くんの顔と年相応な少年らしさと蘭ちゃんの顔とあと顔と顔。蘭ちゃんの他の良いところ……顔。あと何かあるかな。なんだかんだ言いつつ兄として接してくれるとこ? あとは顔。
 多分ほかにもあると思うんだけど、咄嗟に思い付くのは顔だけだ。スタイルがいい。どんな服でも似合う。見た目に関連したものしか思い浮かばないな。こうして考えているうちにあれで案外優しいところもあるよなあと思い出してきたけれど、最初に顔しか出てこないのは本人にバレたらボコボコに殴られる気がするから隠しておこう。


 花は誰が届けているのかよく分からないと首を傾げられたので、そこは私も話を濁しておく。竜胆くんに聞いた感じだと私たちの通う高校や大寿くんの家までわざわざ届けられているらしいんだけど、そこまでする人には一人しか心当たりはない。病室まで来ればいいのにそれをしないで人を介する当たり、やっぱりアイツかなあとは思う。誰と遭遇しても面倒なことになりそうだから大寿くんを利用していると考えると辻褄が合うのだ。まあ大寿くんから話を聞かないとまだ分からないけど。

 私たちが話している間に少し落ち着いてきたのか、エマとイザナのぐずり方もだいぶ静かになってきた。それでもまだぽろぽろと涙を流すエマの大きな瞳にじっと見つめられたので、小首を傾げて話を促す。なにか聞きたいことがあるのだろう。私としてもエマに聞きたいことがあるんだけど、見た感じ問題はなさそうだから先に話してもらおうかな。

「お姉ちゃん、その、後遺症とか……」
「んー、まあ、目は霞んでる。全然見えないって程じゃないんだけどね。細かい検査は今日のお昼にするらしいから、矯正でどうにかなるものなのかはそれまで分かんないかな」

 これぐらい近付かないとと言ってエマの額に自分の額を合わせれば、遠慮がちに首に腕を回して抱き着かれた。うんうん。そうやって甘えてくれればいいのだ。

 他にはとシンイチローくんに聞かれたので、エマの背を撫でながら何かあったっけなと考える。まあそれっぽいのはあるんだけど、こういうのって時間の経過と共に分かるイメージあるよね。まだなんとも言えないというか。
 なんとなくそう伝えたのだけれども、それっぽいのがあるならそれを言えとイザナに言われてしまった。潤んだ瞳で睨まれても迫力はないんだけどもそれを言ったら余計に怒られそうなので、仕方ないから答えることにする。

「左耳があんまり聞こえない。あとは左腕の感覚が鈍いのと、歩けないぐらいかな。殴られたの左側だったでしょ? だから左半身ばっかり不調が出てるってことだと思うの」

 目は両方とも全然見えてないんだけど、やっぱり左目の方が余計見えてない気もするんだよねと言いながら片目ずつ瞑ったり開いたりしていたのだが、きょうだいたちはなんの言葉も返してくれなかった。エマの表情は見えなかったけれど他の三人は揃って苦々しい顔をしている。え。私なんかヤバい事言った?

 普通に聞かれたこと答えただけだったのだけど、もしかしたら気付かないうちに何かおかしなことを言っていたのかもしれない。私としては別に昨日も話したよねぐらいの感覚なんだけど、実際には一ヶ月ぶりのきょうだいたちとの会話だから何か狂っている可能性は十分にある。

「なに? どうかした?」
「……ウチ、この先一生お姉ちゃんの車椅子押すから! ずっとそばにいるからね!」
「ん⁉︎」
「オレだってリコのそばにいる! 行きたいところあったら言えよ! 車出すからな!」
「え⁉︎」
「オレとイザナも、欲しいものとかあったら言ってくれればなんでも買ってくるから……! そうだろイザナ!」
「……リコ、オレがお前の足になってやる」
「待って、何⁉︎ どうしちゃったの⁉︎ ねえ、勘違いしてるよね⁉︎ 私が歩けないのアレだから、ずっと寝てたせいだから! リハビリ次第で何とかなると思うって言われてるから!」

 私の肩を可愛らしい力で掴んで熱弁したエマやそれに同調したシンイチローくんと鶴蝶くん、わりとマジのトーンで普段の様子からは想像出来ないようなことを言ってきたイザナにぎょっとしてしまう。そういうこと? だからさっき葬式みたいな顔してたの?
 絶対みんな勘違いしてるよと叫べば、しんと病室が静まり返った。静かな空間で久々に大声を出したせいでゼェハァと息を切らしていたのだが、誰も何も言わないので数秒空けてから下に向けていた顔を上げる。一番最初に目が合ったイザナには遠慮なく舌打ちされた。

「おいブス、紛らわしいこと言ってんじゃねえ。今のは明らかにテメェの後遺症の話してた流れだっただろうがよ」
「酷すぎでしょ」
「そうだよ、ニィ言い過ぎ。お姉ちゃんだって起きたばっかりだから混乱してただけだもん。歩けるならそれが一番だからね」
「え〜ん、エマの優しさをイザナに分けてやってほしい……いや、は⁉︎ 私別にブスじゃないし! お兄ちゃんがブスとか言ってきたって竜胆くんに泣きついてやるから!」

 冷静に考えるとブスは謂れもない罵倒すぎてイライラしてきた。つい昨日まで床に伏せて意識の戻らなかった妹に言っていい事じゃないだろ。可愛いよとか言って見せろよ。

 キッとイザナを睨み付ければ、鼻で笑って返される。先程までの瞳の潤みや涙なんかはもうすっかり消えていて、小憎たらしい表情を浮かべられてしまった。まあ泣いているよりかはそういう顔をしている方が全然私としても嬉しいけれど、だからってブスはない。
 シンイチローくんに視線を向ければ普通に笑って可愛いよと言ってくれたし、鶴蝶くんも照れながらも可愛いと言ってくれた。エマも可愛いって言ってくれてるし、竜胆くんだってきっと可愛いと言ってくれる。イザナだけだぞ私のことブスなんて言うのは。

 自分でそんなこと言うなって感じだろうけど、別に私はブスじゃない。可愛いというよりかはキレイ系だと思う。エマはもう本当に目に入れても痛くないぐらい可愛いから可愛い系で、ゆずちゃんはクールビューティーって感じだからキレイ系。つまり私はゆずちゃん寄りってこと。これ大寿くんに言ったら半殺しにされそうだな。
 言葉にしないだけで弟妹を大切に思って溺愛している節のある大親友のことを思い出しつつ、そろそろいいかなとずっと聞きたかったことを尋ねようと口を開く。私のことをブスとか言ってくるお兄ちゃんは無視の方向で。

「私は別になんとでもなる気がしてるからどうでもいいんだけどさ」
「良くないだろ」
「なんとでもなる気がしてるってなんだよ」
「お姉ちゃん、本当にそういうこと言うのやめて」
「リコ、今のはお前が悪い」
「はい……すみませんでした…………」

 出鼻からくじかれてしまった。言葉選びの時点で失敗していたらしい。シンイチローくんにまで私が悪いと言われてしまうとそれを認めざるを得なくなる。
 意味もなく頭を下げたりしながら、それでと切り替えるようにまた言葉を口にした。もう余計なことは言わない。また怒られそう。

「エマは大丈夫だった? 痛いところとかない? 今もまだエマも入院してるんだよね。後遺症とかは?」

 それがずっと聞きたかったのだ。本当のことを言うと昨日のうちに竜胆くんと兄にきょうだいたちのことは一通り聞いてはいたから、エマに後遺症が残っていることも知ってる。でも本人の口からちゃんとそれを聞きたくて、また私の首に腕を回して肩に顔を押し付けてきたエマの頭を撫でながらも、正直に話してねと声を掛けた。
 エマはこう言う考え方を私がするのは嫌だろうけど、私としてはちゃんと庇いきれなかったことを悔やむ気持ちが強い。あの瞬間は咄嗟に体が動いただけで覚悟も何もなかったけれど、きょうだいたちのためになら死ねるとは常々思っているのだ。

 それでも、それと同じだけ今は竜胆くんと生きていきたいと思っている。ここからはちゃんと竜胆くんに全部を打ち明けて、今はまだ難しくたって一緒に荷物を分け合って生きていきたい。背負いすぎるところがあると何度も言われてきたけれど、今回の件があってようやくそれが身に染みて分かったのだ。ああ死ぬかもって思った瞬間に、ここで死ぬことに悔いはないけれど竜胆くんと生きていきたいと思ってしまった瞬間に、欲張りすぎたのかもなあと気付いた。

 だから、優先順位は決めないにしても色々とこの辺りで整理しておきたい。そのためにもエマの口から話を聞きたいのだ。

「これ言うと卑怯かもしれないけどさ、私は話したんだからエマにも話して欲しい。お姉ちゃんのこと頼ってよ」
「……もう頼ってる。ちょっとフラフラするかなって言うのと、耳鳴りとか頭痛とかがするぐらい。痛いところはもうないよ」
「そっか。エマ、ちゃんと庇えなくてごめんね。生きててくれて本当に良かった。これから色々大変かもしれないけど、お互い頑張ろ」

 鼻を鳴らして小さく返ってきた言葉に背中を撫でることで聞こえているよと返して、薄い体から聞こえてくる心音に耳を澄ませる。この小さな体に後遺症なんてものを背負わせるのは心苦しいけれど、生きていてくれて良かった。もしもエマを亡くしていたら死んでも死にきれない所だった。

 何を思ったのかベッドに乗り上げてきたイザナが空いている方の肩に額を押し当ててきたので、それも受け入れて動かしにくくて痺れの残る左手を伸ばしてその頭を撫でる。この体勢は少し肩がキツいけれど、そんなことも言っていられないだろう。愛しいきょうだいたちがこうやって甘えてきてくれているんだから、それを受け止めたい。
 シンイチローくんと鶴蝶くんも良ければこっちにに来たらと声を掛けたのだけれども、遠慮されてしまった。そう。じゃあ今はイザナとエマちゃんに抱き締められていようかな。シンイチローくんは絵面がどうのこうのと言っているけれど別に気にしなくていいのに。きょうだいなんだし。

「あ、そうだ。私のフェックス、カクちゃんにあげるね」
「オレに?」
「うん。リハビリすれば歩けるようにはなると思うって言われたけど、バイクはダメっぽいからさ。免許取ろうと思ってたのになあって感じなんだけど、もう仕方ないでしょ? どうせならきょうだいに乗って欲しくて」

 昨日お医者さんに私の体の状況を伝えられた時から考えていたことだ。ようやく誕生日を迎えて免許を取ろうと思っていたタイミングでこれは少し悲しいけれど、元々私は左腕に痺れがあったから免許が取れるかどうかも微妙だったし、そこまで心残りはない。運転は好きだけど最近だと人の後ろに乗ることがほとんどで、そっちにも慣れているし。
 祖父からシンイチロー君に譲られて、シンイチローくんから私に譲られた愛機。私が誰かに譲るのだとしたらきょうだいたちが良いとは前々から思っていた。でもシンイチローくんはもう何台もバイクを持ってるし、イザナとマンジローにはバブがあるし、お兄とケースケだってそれぞれバイクを持ってる。そうなってくるとエマか鶴蝶くんに譲ることになるけれど、エマも平衡感覚が危ういならやめておいた方がいいだろう。結果として、消去法というわけではないけれど鶴蝶くんしか残らない。

 突然の指名に驚いたように瞬きをしていた鶴蝶くんも、私がそう説明すれば一応分かってくれたのか頷いてくれた。感極まったように瞳を潤ませ始めた鶴蝶くんはシンイチローくんに背を撫でられていて、その様子にふと言葉が溢れた。

「私の周りって、泣き虫ばっかり」

 私がそうだから移っちゃったのかなと続けて、今度は泣いてはいないけれどくっついたまま離れないイザナの頭を撫でる手を少し緩める。エマちゃんはどうやらまだ軽く泣いてはいるようだけれども、だいぶ落ち着いてきたようでもあった。

「それに私に無茶するなって言っておいて自分たちだって無茶するし」
「流石にリコ以上に無茶した奴はいない気がする……いやそんなことないな」
「ほら、シンイチローくんもそう思ってるんじゃん。本当に、イザナもカクちゃんも無茶しちゃダメだよ。言ったでしょ。人は銃には勝てないんだからね」

 二人が撃たれて入院していたと聞いた時、たとえ無事だと知っていたとしても私がどんな気持ちだったか。心配かけないで、反省してよねと言えばシンイチローくんと鶴蝶くんににコイツは何を言っているんだとばかりの目で見られた。え、なに? 私また何か変なこと言った?

 二人のよく分からない表情に困惑していれば、それまで無言だったイザナが突然笑って私ごとエマを抱き締めてきた。きょうだいサンドだ、わーい嬉しいとでも言おうかと思ったのだが、相変わらず愉快そうに笑うイザナに名前を呼ばれて遮られる。あ、愉快そうというか少し不機嫌そうでもあるかもしれない。イザナがこういう声を出す時、というか分かりやすく不機嫌さを覗かせる時って、何があったっけ。なんかすごい嫌な予感がしてきたぞ。

「シンイチローの言ってる無茶したってのはオレと鶴蝶のことじゃねーよ。竜胆のこと」
「は?」
「あー、やっぱり聞いてなかったのか」

 そうかそうかと呟いてシンイチローくんは苦笑し、鶴蝶くんもそういうところがあるからと頷いた。イザナがカッコつけてるだけだろと吐き捨てて、今度は愉快さをしまって不機嫌さだけを表に出してくる。
 ねえ本当にめちゃくちゃ嫌な予感がするんだけど。ポンコツになってたと思ってたのに私の第六感は正常に作用しているらしい。全然嬉しくないな。もっと他にちゃんと動くべきところがあったはずだろ。今更過ぎる。

 聞きたくないですと言葉にはせずに態度に表してみたのだが、イザナには無視をされた。私の後ろを陣取られているせいでその顔が見えない。でもシンイチローくんと鶴蝶くんの表情を見る限り、不貞腐れた顔をしていそうだ。

「オレ、竜胆に庇われてんだよ。リコの次に重傷だったのが竜胆。アイツもお前ほどじゃないけど十日は意識が戻ってない」
「はあ?」
「昨日が退院日だったはずだから、そのままここに来たんだろ」
「いや、私そんなこと欠片も聞いてないんだけど」
「カッコつけてんだろ。好きな女には良いところ見せたいんじゃね」

 タケミっちがどうにかしてくれたんじゃなかったわけ? 託せた気になってたけどそうじゃなかったのかな。今更冷や汗が背中を伝い落ちていく。みんな無事でよかったなんて軽く考えて安心していたけれど、竜胆くんがそんなことになっていたなんて。

 いや、竜胆くんがなんでそんなことしたのかは何となくわかるんだよ。多分私のしたかったことがイザナを庇うことだって分かって代わりにやってくれたのだろう。そんなこと頼んでないよと言うのは簡単だけど、でも実際にイザナは庇われた結果生きているし、竜胆くんだって昨日見た感じでは普通に泣いて笑って話してた。それにもしそこにいたのが私だったら、私は死んでいたのだ。竜胆くんだからこそ自分も生き残って、イザナのことだって救ってくれた。


 だけどあんまり嬉しくない。無茶しないで欲しいし、自分を投げ出すようなことはして欲しくないのだ。生きていて欲しい。私は竜胆くんと生きていきたくてきっとここに戻ってきたのに、竜胆くんが死んでしまっていたらなんの意味もない。竜胆くんがいなきゃ私は生きていけないのに。

 そうやって無茶するところも似てきてると呆れた声でイザナが言ってきたので、身を預けるようにしてエマごともたれかかる。ちょっと衝撃の事実すぎて考えが追いついていない。

「はあ……お説教だよこれは」
「お前が竜胆に?」
「うん。私には散々無茶するなって言っておいてこれだもん。……まあ、生きててくれるならそれでいいんだけどさ」

 本当に、それだけでいいんだけどね。でもやっぱり死にかけたりされると心臓に悪いし黙っていられても困るので、この後ちゃんとお話をしよう。言いたいことも言わなければいけないことも沢山あるわけだし。
 小さくため息を吐き出せば、シンイチローくんにじとりとした視線を向けられた。鶴蝶くんも似たような顔をしている。おっと、これは何を言われるかはもう私でも分かるぞ。

「オレらも同じこと思ってるんだからな」
「はい……」
「生きててくれればそれでいいよ。だけどリコは無茶しすぎ。エマを庇うためだったとはいえ、これからはもうこんなこと絶対にやめてくれ」

 お前が目が覚めたって連絡もらうまで生きた心地がしなかったと呟いたシンイチローくんに申し訳なさはあるのだが、うん、でも次もなんだかんだ言いつつ目の前できょうだいたちが危なくなったら勝手に体が動く気がしているから、絶対にもうしませんとは断言出来ない。そっと目を逸らす。

「そういえば竜胆くんから聞いたんだけど、エマ、私にいくつか話したいことあるんだって? 聞くよ」
「おい話逸らすな」
「……その、ケンちゃんに告白された」
「え?」
「は?」
「はあ⁉︎」

 全く想像していなかった方向に話が流れて思わず間抜けな声が出た。分かりやすく話を逸らした私に語気を強めたシンイチローくんも、エマの突然の言葉に目を見開いている。パッと私たちから離れたエマは顔を赤くさせてキャーッと黄色い悲鳴をあげているが、耳元で聞いてませんけどとばかりに叫んだイザナの反応からして多分誰にも話していなかったな? いや、よく見ると鶴蝶くんは平然としているからそこには話をしていたのか。
 というか弟妹たちが相談したいことがあるみたいだと竜胆くんに聞いた時点で、それこそまだ顔を出さない弟関連の話かもなと何となく考えていたんだけれども。こっち方面だとは思っていなかったから心の準備が何も出来ていない。

 ケンちゃんって絶対ケンチンくんじゃん。エマがこんなに嬉しそうにしているあたり絶対そう。前に名前で呼んでみたいって言ってたし、私が寝ている間に二人ともめちゃくちゃ距離を詰めてないか。兄さんもお兄ちゃんもしっかりしとけよ。
 そういう意味合いを込めてイザナは私の背中に抱き着いたままで表情が見えないのでシンイチローくんを見れば、そちらもそちらで口を開けたまま唖然としている。聞いてないんですけどの顔だ。鶴蝶くんが面倒なことになったなと言う顔で分かりやすくため息をついたから、この子は絶対に聞いていたな。よくよく考えてみると竜胆くんもそういう顔をしていた気がするから、聞いていたのかもしれない。兄たちに言えば騒ぎ立てることは分かっているから、冷静に聞いてくれそうな鶴蝶くんと竜胆くんには話をしたって感じか。

 フリーズしたまま何も言えずに自分を見ることしかしない兄と姉に気付いていて放置することにしたのか、それとも気付いていないのか。エマは色付いた頬に手を当てて可愛らしい表情で照れながら話を始める。

「まだ返事はしてないんだけどね、そろそろウチも好きって言おうかなって思ってて」
「いやおい、エマにはまだお付き合いとか早いだろ。せめて高校に上がるまで……それだとリコと竜胆のことも認めることになるからダメだな……十九になるぐらいまではそういうのはやめとけって」
「そうだぞエマ、オレだってまだ彼女居ないのに」
「ニィの言うこと守ってたら四年とか五年とか経っちゃうし、真兄に彼女出来るの待ってたらウチおばさんになっちゃうじゃん」
「それはまあそうだけど」
「いや、二人とも酷すぎんだろ……鶴蝶もなんか言ってやってくれよ」
「シンイチローのことを好きになってくれる人もいつかきっと現れるはずだ」
「そっちじゃなくて! リコ! 頼れるのはもうお前だけだ!」

 シンイチローくんからもエマからも縋るような目を向けられてしまったので、答えないわけにはいかなくなる。これでも四人の話を聞きつつ考えて自分の思考をまとめてはいたのだ。まず大前提として、エマにはもちろん幸せになって欲しい。ケンチンくんのことが大好きなのは知っている。祝福したい。でもそれらの気持ちと同じぐらい、まだお付き合いとか早いんじゃないのとも思う。

 私が中二の時は毎日楽しく喧嘩、それから竜胆くんって感じで……今思うとあの頃から竜胆くんはスキンシップが激しかったし普通に口以外ならセーフだからと謎の理論をかざしてキスしてきたりもしていたし、つい私もへえセーフなんだとキスを返したりしていたんだけど、まあそれは置いておいて。

 エマの意思も尊重したいけれど、姉としてはまだ早くないかなと思う。うん。それが結論だ。

「ケンチンくんが私と殴り合って、勝てたらエマとの交際を認めるってことで」
「いやいや待て待て、それはドクターストップかかってるだろ。オレがやるわ」
「じゃあオレも」
「いや、シンイチローはいい」
「シンイチローくん弱いから」
「なんなんだよお前ら!」

 わっと泣き真似を始めたシンイチローくんと呆れたようにその背を撫でる鶴蝶くんにエマが笑う。つられるようにして私とイザナも笑ってしまって、一気に病室が和やかな空気に包まれた。

 私はさっきの発言に関してはわりと本気だったんだけれども、冗談として流されたな。リハビリに時間は掛かるだろうしこうなる前の強さを取り戻すことは多分絶望的だろうけど、力が衰えても技は衰えないんだからね。女は殴らないと言っているケンチンくんは多分私に殴られてくれるだろうし。
 まあエマと付き合いたいならそれぐらいの覚悟は決めていてくれるだろう。シンイチローくんは置いておいて鶴蝶くんだってこれで手強いし、イザナだって多分本気でかかる。嫁に出すわけでもないのに必死すぎではという声は心の内にしまっておいて欲しい。それぐらいエマのことが大事なのだ。

 一度話がしたいから家に連れてこいと言い出したシンイチローくんにエマちゃんが過保護過ぎると文句を言って、まあ挨拶ぐらいなら連れてくればいいんじゃないのかと鶴蝶くんも言ったせいで三人が仲良く騒ぎ始めた。私の背中に抱き着いたままのイザナは何も言わずにそれを見ている。

「ねえ」
「ん」
「あの頃も今も、幸せでしょ」

 三年前にはじめてちゃんと本音をぶつけあった時のことを思いながら聞けば、ちゃんと伝わったのか腹に回された腕に力が込められた。それでも手加減してくれていることは分かるから甘んじて受け入れて、肩に寄せられた頭に自分の頭を寄せる。背中越しにイザナの心音が聞こえてくるのだ。同じように、私の心音もイザナに聞こえているのだろう。


 いつだったか佐野家の一室で私がイザナに願ったことは、過去を振り返った時に昔も今も幸せだと思えるようになることだった。あれからそれほど長い年月が経ったわけでもないけれど、私たちは少しずつ大人に近付いて変わって行きつつある。あんなに小さかったエマはもう恋人が出来てしまいそうだし、このままじゃ結婚したい人がいるだなんて紹介される日もすぐに来てしまいそうだ。
 私たちはそうやって変わっていって、いつかはきょうだいたち以外の人と生きていく道を選ぶのかもしれない。まだまだ未来のことなんて分からないけれど、ずっと全員揃って一緒にいるなんてことはきっと出来ないのだ。住む場所は離れて、一緒に過ごす日々が減って、きょうだいたち以外にも大切な人たちを見つけていく。

 だけど、どれだけ変わってしまったって、離れていたって、それこそ血が繋がっていなくたって、私たちが今感じている幸福も愛も消えたりなんてしないのだ。私たちは永遠にお互いを愛してその幸福を願って、あの頃も今も幸せだときっと胸を張って生きていける。

「こういう時間を大切にして一緒に生きていこう。竜胆くんとみんながいてくれなきゃ、幸せになんてなれないからさ」
「……オレも、リコがいてくれなきゃ幸せになんてなれねえ。きょうだいみんな揃ってなきゃ、ダメだよな」
「うん。私たち、きょうだいだもん。どれだけ変わっちゃっても、離れても、それだけは永遠に変わらない」

 わあわあと賑やかにしている三人を見つめながら、お互いにしか聞こえないような声で話す。きっと今、私たちは揃ってあの子のことを考えている。

 あの子はただ不器用なだけ。たくさんのものを背負って、みんなの幸福を願って、そのみんなの中に自分を組み込もうとしない。大切な人たちの幸福のために身を砕いてひとりぼっちになれてしまう。
 可愛い弟。大切な弟。愛している。私もイザナもそれこそ他のきょうだいたちも、みんなあなたを愛しているの。


 竜胆くんと兄から少しだけ話は聞いている。東卍を解散させて、あまり家にも帰っていないらしい。エマとなにか揉めたようだとも聞いた。それに、今までのあの子だったら絶対にきょうだい揃ってここに来てくれたはずなのに、今も来てくれていない。

 それでも私は、あの子が必ず私に会いに来てくれることを知っている。

「みんな私のこと馬鹿だとかなんだとか言うけど、あの子が一番の馬鹿でしょ。きっと私たちのことも突き放せると思ってる」
「まあリコはオレたちから離れようとはしねえしな」
「そりゃね。離れられないのが分かってるのに離れようとなんてしないよ」

 でもあの子は、離れられないのが分かっていても離れようとしているわけで。


 本当に馬鹿な子。もしも私たちから手を離すことが出来たって、私たちがあなたから手を離すことが出来ないのだ。何を言われたってどれだけ傷付けられたって、きっと永遠に離せない。離れたくない。

 私たちの愛しい弟。大切なマンジロー。まだ私からは会いに行けそうにもないの。だから早く会いに来て。そして抱き締めさせて。あなたを愛しているのだと伝えさせて。

根太はデブに押させよ

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