「リコちゃんはウチとウサギ見に行くの!」
「違う! オレとライオン見に行くんだよ!」
「ええ……私今日はパンダ見に来たんだけど……」

 私の意思を無視して盛り上がる二人に思わず呟きを漏らせば、二人は同じようなタイミングで私を見上げ、同じような表情でショックですとばかりに目を見開き、数拍置いてからまたギャーギャーと騒ぎ始めた。両側から引っ張られる腕が痛い。引っ張るのはやめてねと何度も言っているのだが、聞こえていないようだ。なんでこの子達はこんなに元気なんだろう。二歳しか離れていないはずなのについていけない。
 助けを求めてシンイチローくんを見たのだが、彼は彼でパンフレットを熱心に眺めていてこちらを見てもいない。う〜ん、こう言っちゃなんだが肝心な時に使えない。動物園に来るのは久々だと言っていたから、その久々の来訪が上野動物園という素晴らしい動物園で心躍る気持ちも十分に分かるのだが、それでも年長者として間に入るぐらいはして欲しかった。

 そうしている間にも二人が私を引き裂かんとばかりに引っ張るものだから本当に体が真っ二つに裂けそうで怖くなり、諦めてパンフレットをまだ眺めているシンイチローくんを呼ぶ。この子達のことどうにかして。私の声にハッとして顔を上げたシンイチローくんは、こちらを見てからニカッと笑った。

「キリン見に行こうぜ!」

 アホが。


 +


 シンイチローくんはイザナのお兄さん。バイク屋を開きたくて今修行中だと言っていた。私も友達を殴るために修行をしてるんです、お揃いですねと挨拶をしたら「なんて?」と聞き返した気な顔をしながらも笑ってくれた優しい人。まああの時は、初対面の人におかしな挨拶をした私に怒った母に私が頭を叩かれていなければ聞き返されていたと思う。鶴蝶くんがこれ以上私を刺激しないようにと話をイザナに逸らした結果、私が怒り狂ったので有耶無耶になったが。

 母とシンイチローくんは私と鶴蝶くんに微に入り細を穿つまで事の顛末を聞かせようとはしなかった。イザナが不良にリンチされたこと。それに対してイザナはお礼参りをしたこと。主犯に対して行き過ぎた脅しをかけ、主犯が自殺してしまったこと。鶴蝶くんが聞いたという話とそう変わらず、それ以上でもそれ以下でもないようだった。
 二人は私たちに隠すようにして極めて密やかにイザナの今後のことなどを話していたが、所詮は狭い密室だ。鶴蝶くんは私がこれ以上爆発しないようにとソワソワしながら手を離さないし、私は私で自分でも分かるぐらい引き攣った笑顔を維持するので必死だしで、自然と無言になって母とシンイチローくんの会話は筒抜けだった。
 シンイチローくんは自分がもっと向き合っていればと何度も言っていたし、母も母でもっと出来たことがあったはずだと悔やんでいる。鶴蝶くんは今は私を止めるのに必死で、私はイザナをボコボコに殴る瞬間のことを考えて気を紛らわせていて、ちょうど全員が口を噤んだタイミングで私はふと思い出した。そういえば今日はイザナに頼んでシンイチローくんの実家の空手道場に通わせてもらうための諸々の話を詰めるためにここに来たんだった。もうそんな空気ではなくなってしまっているけど。

 今話を切り出したら流石に空気が読めない奴だよなあと思いながらシンイチローくんを見つめる。項垂れていたシンイチローくんは視線に敏感というわけではないらしく、数十秒してからふと顔を上げて、私と目が合うと驚いたように目を見開いた。驚いた顔がイザナに似ているなと思う。それから少し考える時間をとって声をかけてくる。

「あー、リコちゃん。今日はイザナに会いに来てくれたんだろ? ごめんな、こんなことになっちまって」
「いえ。謝らないでください。仕出かしたのはイザナですから、謝るべきなのはイザナであってお兄さんじゃないと思います」

 シンイチローくんは私の刺々しい言葉に苦々しく笑って、呼び捨てでいいと言ってくれた。私ぐらいの歳の弟妹も呼び捨てにしているからと。しかしそういう訳にもいかないので、シンイチローくんと呼ばせていただくことにする。そもそも心中ではとっくにそう呼んでいたわけだし。
 シンイチローくんはそれでも兄だからだのなんだのとごちゃごちゃ言っているが、正直それは本当に今更な話だ。うん、キレそう。いやもうキレてはいるんだけれど、イザナの仕出かしたことと、自分がそれをどうにか出来なかったという事実をシンイチローくんが己を責める度に突き付けられて少し治まっていた怒りがまたふつふつと込み上げてくる。

 母は鬱々とした顔で何度もため息をついていて、シンイチローくんも暗い顔をしているから自然と部屋の中の空気が陰鬱になっていく。それに比例するようにして怒りが爆発的に高まって行き、そろそろまたプツンと行きそうだ。ソファーに座っているというのにわざわざ鶴蝶くんが私に抱き着いてきていなければ、多分今頃机をひっくり返して怒鳴り散らしていた。
 しかし私は大人なので物に当たらないし、室内でスカートの裾を翻して暴れたりはしない。やるなら外でやる。今日この後ボクシングジムに飛び入りで行ってフラストレーションを発散しよう。その後は兄のチームの集会に顔を出して、未だにグチグチと小学生のガキ、それも女が集会に参加することに文句を言っている馬鹿共をボコボコにしてやる。総長や幹部が私を認めてたとしても、その下が私を認めないことは重々承知している。ならそこはもう力比べしかないわけである。私より強くなってからものを言え。

 兄のチームの下っ端共への怒りも湧き上がってきて笑顔がさらに引き攣ってきたちょうどその時、施設長さんが扉を開けて顔を出した。それからシンイチローくんにはまだ待つように言い、母を手招きする。なるほど。まだ成人したばかりの血縁者よりも、施設出身でこの六年あまり何度もイザナを家に連れ帰り、なんなら引き取る話まで出ていたという母が先に話を聞かれることになったらしい。
 シンイチローくんは立ち上がりかけたものの大人しく座し、母は相変わらず鬱々とした表情のまま施設長さんと共に部屋を出て行き、私たちだけが取り残される。決まりの悪い無言が続く。私ぐらいの年頃の弟妹が居ると言っていたシンイチローくんは、年下の扱いには慣れているのだろう。私たちに振る話を考えてくれては居るようだけれども、シンイチローくん自身もイザナの件でかなり動揺しているらしく誰も喋り出さない。……弟妹? 私は妹さんの話しか聞いてないけど。

 このまま無言でいるのもなんだかなあと言った感じなので、そこをつつくことにする。生まれたばかりの弟さんなのかもしれない。イザナも知っていたけれど生まれてから私に言うつもりだったとか。まあ多分明るい話になるだろう。今私たちに必要なのは多分、明るい話題。

「シンイチローくんって、イザナの他にも弟さんがいるんですか? 何ヶ月ぐらいなんです?」
「えっ? 何ヶ月? …………多分百二十ヶ月とか?」
「は? 二ヶ月とかじゃなくて?」
「弟ってマンジローのことだよな? アイツ、リコちゃんと一歳しか変わんねぇから百二十ヶ月ぐらいだと思うよ」
「え〜……? そんな大きいんですか? 先月生まれたとかじゃなくて?」
「? うん」

 いや、聞いてねえよ。イザナの奴、絶対敢えて私に言わなかったじゃん。鶴蝶くんもえっ? て顔してるし、これ絶対弟……? 聞いてませんけど…………? って思ってるよ。

 シンイチローくんも私と鶴蝶くんの表情を見て察したのか、苦笑を浮かべた。こっちはこっちであーやっぱり、の顔だ。明るい話題を選んだつもりだったのにとんでもない地雷を踏み込んだ予感しかしない。

「イザナに聞いてなかった感じか」
「妹さんのことは聞いてましたよ。ね、聞いてたよね、鶴蝶くん」
「うん。オレと同い年の妹がいるって言ってた」
「そうそう。妹のエマは鶴蝶くんと同い年で、弟のマンジローはその一つ上なんだよ。……でもイザナ、マンジローの話はあんまり好きじゃなかったからさ」

 やべー、私間違いなく地雷を踏んだ。全然明るい話題なんかじゃないじゃん。ヤバい話だよコレ。聞いていいの?
 でも正直、イザナがシンイチローくんの弟くんの話題を嫌がるのは分かる話ではある。私にシンイチローくんの話を聞かせてくれるイザナはいつも「オレだけのお兄ちゃん」の話をしてるって感じだったし、そんなイザナにとってシンイチローくんといつも一緒に居られるもう一人の弟の存在は、酷い言い方だけど目障りでしかないんじゃないか。鶴蝶くんも何となくそれが分かったのか、気まずそうにしているし。

 私は多分、イザナと鶴蝶くんと比にならないぐらいに恵まれた生活をしている。両親は揃っているし、祖父もいるし、デブとは言え兄もいる。家族はちゃんと私がなにかした時は叱ってくれて、心配もしてくれる。帰る家があって、そこで待ってくれている人がいる。修行をしたいと申し出たら受け入れて支えてくれる環境があって、何となくここ最近はこの環境は恵まれているのだと考えることが増えてきた。いくら望んでもこの環境を得られない人がいるのだと、わかってきた。だから私は、こればっかりはイザナに何も言えない。何か言える立場に居ない。

 シンイチローくんは黙りこくった私たちに気まずそうに笑って、話を変えるようにしてイザナの話を聞かせてくれと言った。あんまり変わってない気がするけど、でも私も鶴蝶くんもそれに応えて話せる限りイザナの話をする。
 いつもシンイチローくんのことばかり話していたこと。言葉にはしなかったけれどエマちゃんを気にして会いたがっていたこと。私の家に来るとデブといつも喧嘩をしていること。三人で動物園に行った時のこと。
 それから、私の分のクッキーを勝手に食べたこと。私の寝顔がブスだと笑ってきたこと。勝手にテストの点数を見てこんなのも分からないなんて馬鹿だと言ってきたこと。その日の食事メニューしか手紙に書かないことがほとんどなこと。ゴリラを見て私がいると言ってきたこと。

 ……えっ、めちゃくちゃムカついてきたんだけど。

 どんどん不穏になっていく話にシンイチローくんと鶴蝶くんは顔を引き攣らせ、まあまあとばかりに宥めてくる。が、一度膨れ上がって爆発した私の怒りがそう簡単に抑えられるはずもなく、テーブルをグーで殴り付ける音が部屋に響いた後に暫しの無言が訪れた。怒りで震える拳が二撃目をテーブルに繰り出さないようにともう片方の手で抑え込みながら、極めて冷静に笑みを浮かべる。二人の顔が余計に引き攣った。

「鶴蝶くんはもう知ってる話だと思うんだけど、私の友達が一ヶ月前に人を殺して少年院に入ったんです」

 シンイチローくんは人を殺したという言葉にぎゅっと眉を顰め、それでも私の話を聞く姿勢を見せてくれた。鶴蝶くんは今後の展開が読めたのか、私に抱き着く力を一層強めて何とか止めようとしてくる。そうだよね。お兄さんの前でタコ殴りにして這い蹲ってもらいますって宣言するなんて、とんでもない話だよね。分かるよ鶴蝶くん。止めようとしてくれてありがとう。まあ私は止まらないが。

「私、それを聞いて、すごく泣いて、悩んで、後悔しました。友達はそういう超えちゃいけないラインが曖昧なことを、私は知ってたんです。なのに止められなかった。殺させてしまった」

 泣いて悩んで後悔して、熱に魘されながら竜胆くんのことをずっと考えていた。祖父の言う通りだ。竜胆くんは私に優しかったけれど、私に優しいまま誰かを殺せる人だった。誰かを殺した後に私に電話をかけて、約束の不履行を詫びる優しい人だった。泣く私を慰めて、ごめんと謝って、待つといった私に待っていてと言ってくれる優しい人。でも、人を殺せる人。

「友達は友達の人生を変えられないって思いました。私が言葉を尽くしても、縋りついても、止まってはくれない。変わってもくれない。そうなんじゃないかって思ってた」

 あ、泣きそう。イザナが逮捕されたことを知ってから怒りばかりに占領されていた感情の海に悲しみの波が押し寄せてくる。そうだよ。竜胆くんと同じぐらいイザナは大切な友達で、幼馴染みで、大好きな人だ。そんな大切な人が道を踏み外して、悲しくないはずない。
 鼻の奥がつんとして、言葉が途切れる。心做しかシンイチローくんも泣きそうになっている気がした。イザナに聞いていたとおり、泣き虫な人だ。その様子に場違いにも笑いそうになりながらも、それでも口を開く。大切なのはこの後だ。これは私の決意表明。この二人がその生き証人。

「でも、お祖父ちゃんに言われて気付いたんです。言葉で止まらないなら、拳だって」
「えっ」
「もしまた人を殺そうとするなら、誰かを無意味に傷付けようとするなら、その時は私が殴って止めます。ボコボコに殴って、手足を潰して、二度と立ち上がる気力も湧かないぐらいにします。相手が言葉で止まらないなら拳で止めるしかありません。ボッコボコのギッタギタのメッタメタにして、もう誰かを傷付けようなんて思えないぐらいに、私が矯正します」

 潤んだ瞳でこちらを見ていたシンイチローくんがぴしりと表情を変えたのを無視して決意表明を続ける。今更遮ったって無駄だぞ。私はやると言ったらやる女だ。竜胆くんもイザナも、ついでに竜胆くんのお兄さんも、私のターゲットになった以上は覚悟しておいて欲しい。お前たちが少年院から出てくるまでの間に私は変わる。より強くなって、お前たちをボコボコにする。
 鶴蝶くんはもう止めることを諦めたのか何も言わない。それでも手加減はしてあげてと再度言ってきたが、それはアイツら次第だ。反省するまで殴る。壊れた家電は殴って直すのと一緒。

「特にイザナに関しては、私がなんのために修行を始めたのかを知っていたので言い逃れは絶対にさせません。多分少年院に入りますよね。出所したその瞬間に私の拳がアイツを襲いますが、シンイチローくん、見逃してくださいね。愛のムチです」
「愛のムチってか最早ムチの方が優しいだろ」
「というわけでシンイチローくん、ご実家の道場に入りたいので師範代に私を紹介していただけませんか?」
「いや、暴力に転用されると知ってて紹介するのはちょっと……」
「暴力⁉︎ 違いますよ! 愛のムチって言ってるでしょ!」


 ──後に真一郎は語る。ブレーキが初期搭載されていない暴走機関車に軍艦級の武力が搭載されたのは、あの時押し切られた自分のせいだと。


 +


 シンイチローくんは最初は渋ったものの、私が詰め寄った勢いに押されてご実家の道場に連れて行ってくれることを約束してくれた。そこが決まればもうこっちのもんである。取り敢えず次の休日に案内してもらう約束を取り付け、その日は兄が施設まで迎えに来て私は帰宅した。母は遅くまで帰って来なかったし次の日も施設に行ったから、イザナの件は相当な問題になっているらしかった。でも所詮は子どもでしかない私にはそこまで込み入った事情に押入ることも出来ず、日々鍛錬を続けて気を紛らわせていた。

 母が忙しそうにしていて父も仕事の繁盛期なのか帰宅が夜遅く、それでも一応保護者に今度シンイチローくんの実家の道場に行くことは伝えようと思った私は、両親の代わりに夕飯に連れ出してくれた祖父にそれを告げた。のだが、祖父は「ええ、また……?」といった表情を浮かべ項垂れるだけだったため、結局帰宅した母に許可を貰うことになった。最近祖父は項垂れていることが多い。何か悩みでもあるんだろうか。いつかその悩みの種を私が吹っ飛ばせるほど強くなるまで、待っていてほしい。なるべく早く強くなるから。

 基礎体力作りの筋トレとランニングとボクシングとそれから兄のチームの下っ端をボコす日課をこなしながら日は過ぎていき、そしてとうとうシンイチローくんとの約束の日を迎える。わざわざ家まで迎えに来てくれたシンイチローくんがデブと挨拶を交し、何故か握手まで交わしているのを横目に私は一足先に玄関から外に出て、快晴が広がる空を見上げた。夕方になれば、夕焼けの中河川敷で竜胆くんと拳を交えて友情の再構築をする光景をイメトレするようにはしているのだが、青空にはこれといって何も思わない。綺麗だなー。
 デブと話が盛り上がっているらしくなかなかシンイチローくんが出てこないのでシャドーボクシングをしながら待つ。いつでも拳の先には殴るべき対象を思い浮かべ、そうすることでパンチのキレが増す。コーチには並々ならぬ気迫に満ち溢れた素晴らしいパンチだと賞賛を受けた。ですよね。でもここで満足せず、私はもっと強くなります。

 そのまま数分拳で風を切っていれば、ようやくシンイチローくんが玄関から出てくる。拳を振るう私にえっと言葉を漏らして動揺していた。そういえばボクシングやってるって言ってなかったかも。
 道中は結局修行内容の話になり、何故か何度も今日はあくまでも見学しに行くだけだからなと言い含められた。ふふん、そんなの知ってますよ。多分シンイチローくんは私のことを首輪のつけられていない犬か何かだと思っているのだろう。暴走し始めないかどうにも心配しているようだった。

 そうして下らない話をしたり私が何度も見学だからと言い含められたりしながら数十分。漸く辿り着いたシンイチローくんの実家の道場は、まだ朝早いと言うのに随分と活気に満ち溢れていた。繁盛してるんですねと言えば、シンイチローくんも怪訝そうな顔をしている。普段より賑やからしい。
 先に見てくるからちょっと待っててと言われたので、大人しくご実家の庭で待つ。めちゃくちゃ広い。家も広い方だとは思ってたけど、もうこれ本当に庭だ。砂利敷きつめられてるし、なんか木とか生えてるし、祖父の住む別邸より広いかも。
 流石に初めて訪れた人様の家で余計なことをするわけにも行かず、足元の砂利を失礼にならない程度に軽く蹴っ飛ばしながらシンイチローくんを待つ。早く来ないかな。私でも一人を心細いと思う気持ちはあるんだが。

 そういえば前こうやって一人で放置された時は六本木のファーストフード店の前で、そこで竜胆くんとお兄さんに絡まれたんだよなあ。まさかあんな不穏な出会い方をした竜胆くんとここまで仲良くなれるなんて思ってなかった。お兄さんなんて初手で気道を塞いでくる狂人だと思ったし、結局自分のことを蘭ちゃんと呼べと言ってくるヤバい人だったし。デブが蘭ちゃんと呼んだ時にはブチ切れて殴り合いの喧嘩になっていたのに、私には蘭ちゃんと呼んで欲しいらしい。それだったら竜胆くんのことはりんちゃんだろうか。……私との約束を破った罰でそう呼ぼうかな。なんか可愛いし特別感あるし。

 二人に出会った時のことを思い出しつつ、あの時もこんなふうに私の「人間スカウター」が反応していたよなあと思い出す。肌をピリピリ刺激する感じで、そう、本当にこんなふうに……こんなふうに?

「……」
「……」

 スっと顔を上げて前を見れば、道場から出てきたらしい道着姿の金髪の少年と目が合った。不遜な顔が誰かに似ているなと思う。目も誰かに似てるかも。
 しかしそれが誰に似ているのかを考える間もなく、グッと距離を詰めて放たれた蹴りを両腕で受け止める。そのまま蹴りの勢いを使って弾き飛ばし、お返しに利き腕で顔を狙ってあげればそれも受け止められた。どちらともなく距離を取り、互いを伺う。隙を見せれば殺られる。コイツはこちら側の強者だ。私の同類。

「……あ」
「何」
「君、マンジローでしょ。シンイチローくんの弟の」
「……もしかしてお前がリコ?」

 不遜な顔はイザナに、目はシンイチローくんに似ていたのだ。正解だったらしくマンジローは構えを解き、物々しいオーラを引っ込める。私もそれに続いて、じろじろと私を見つめる視線に対抗するためにマンジローをじっと見つめた。こっち見んなとばかりに直ぐに顔を顰められたが、それもイザナに似ている。いやはや、本当に兄弟で似ているものだ。私とデブはデブが痩せない限り多分永遠に似ているなんて言われないだろうに。
 女のコだって聞いてたのにとかなんだとか言ってきやがったが、コイツそういうところもイザナに似てやがる。アイツもアイツで私を良い意味でも悪い意味でも女扱いせず、ゴリラだのなんだのと言ってくるボケナスだった。

「てかマンジロー何してんの? 道場の方行かなくていいの」
「サボり」
「めちゃくちゃ堂々とサボんじゃん。っていうか、シンイチローくんに会わなかった? 道場の方見に行くから待ってろって言われたんだけど、全然来なくて」
「あー……待ってなくていいんじゃね? 道場行こうぜ」

 どうやらマンジローは相当な自由人らしい。突っ掛けていた下駄を脱いで縁側に上がって、私を振り返ることもせずにさっさと歩いて行ってしまう。傍若無人のイザナと自由人のマンジローが弟なシンイチローくんは大変だろうな。まあでも案内してくれると言うし、着いていくか。シンイチローくんなんか遅いし。
 そう長くは無い道を、共通の話題はひとつしかないのでシンイチローくんの話をしながら歩く。イザナの話はしなかった。何となく、今私がしていい話ではないなと思ったので。
 話を聞く限りだが、シンイチローくんは家族揃っての夕飯の席で私を道場に連れてくると言ってくれていたらしい。道場には女子が少ないらしく妹のエマちゃんは私に会うのを楽しみにしてくれていたとか。いや、めちゃくちゃ嬉し〜。女の子の友達って私未だに一人もいないから、出来れば仲良くなりたい。二歳差なんて誤差みたいなものだし。

 見た目に違わず入り組んでいて広いシンイチローくんの実家をマンジローの後に続いて歩き抜け、道場に辿り着いた。渡り廊下を挟んで繋がっているらしい。良い建物だねとかなんだとか話をしながら渡り廊下に差し掛かり、ふとマンジローが足を止めた。なんだなんだと顔を見れば、ウゲッとばかりに眉を寄せている。私もその視線を追い、なるほど、じっと金髪の女の子がこちらを見ていた。

「あの子がエマちゃん?」
「そう。ここからなら分かるだろ。オレ部屋に戻るから」
「いやでもエマちゃんめちゃくちゃマンジローのこと見てるよ」
「だからだよ」
「マイキー! どこ行ってたの!」
「誰?」
「オレ」

 いやなんでマイキー。聞くまでもなく教えてくれたんだが、マイケルでマイキーらしい。マンジローじゃなくて? よく分かんないから私はマンジローって呼んでいいかな。いいよね、うん。さっきまでマンジローって呼んでてもなんにも言ってこなかったし。

 駆け寄ってくるエマちゃんから逃げようとマンジローが一歩引いたため、私は咄嗟にその腕を掴む。振り払おうとしてきたが単純な力勝負なら私の圧勝のようだ。わーい。今はリンゴを素手で潰すことを夢見て握力も鍛えているのだが、その成果が出ているみたいで一安心。
 エマちゃんは私をちらちらと気にしつつもマンジローの方に詰め寄って可愛らしく怒っている。道場の師範代であるお爺様とシンイチローくんがマンジローを探していたらしい。もしかしてこいつなんかやらかして逃げてたのかな。だからあんなに道場が騒がしかったのか?

 早く行くよとマンジローを急かすエマちゃんがめちゃくちゃ可愛い。大きな目がきゅるんきゅるんしてるし、ほわほわの紅色ほっぺに撫で摩って頬擦りしたい。事ある毎に私に頬擦りしたがる父の気持ちがはじめて分かった。やばーいお話したーい、お役に立てば良い印象を抱いてくれるかもしれなーいと思ったのでマンジローを引っ張る。エマちゃんは味方を得たとばかりにマンジローの背後に回ってその背を押した。えっ、両手で頑張ってマンジローを押しているのも可愛い。天使?

 俄然やる気が出てきたので、抵抗するマンジローを無理矢理引っ張って渡り廊下を進む。ゴリラだのなんだの言われたがもうそれはイザナに言われ慣れているので心に響かない罵倒だ。ゴリラで結構。ゴリラ級に強いということで好意的な受け取り方をしておく。
 そもそもマンジローはデブより軽いし力もないので、基本デブもしくはデブの知人で自分よりも年上でガタイのいい男を相手にしている私には適わないのだ。シンイチローくんもなんか弱そうなので私には勝てないと思う。悔しかったら強くなりな。

「アザになる! 訴えるからな!」
「なんないよ。それぐらいの力加減はしてる」
「これで⁉︎」
「マイキー、失礼だよ!」
「ほんと失礼だよ。ほら着いた、おーいシンイチローくん、マンジロー連れてきたよー」
「えっ、リコちゃん⁉︎」

 マンジローの手を離して軽く尻を蹴っ飛ばしてやりながら道場の中でお爺様らしき人と話しているシンイチローくんを呼べば、シンイチローくんは目玉が飛び出すんじゃないかってぐらい驚いてこっちを見た。ギリギリとこちらを睨み付けてくるマンジローは無視して手で追い払う。何度も言うんなら悔しいなら強くなりな。足技だけなら私と同レベル、もしくはそれ以上の実力者なんだろうけど、単純な力で私に負けているようじゃまだまだだ。オールラウンダーを目指す私には勝てないぞ。
 門下生の皆さんのなんだなんだと言う視線を浴びながらシンイチローくんがマンジローの首根っこを掴んでお爺様の元に向かうのを見る。まだ待っててとの事だ。うーん、待ち時間が長い。シャドーボクシングしてていいかな? と聞こうかと思ったんだけど、何か言うよりも早く察したらしいシンイチローくんにとにかくここで待っていろと言い付けられた。まだ暴れてないのに……。

 ぼけーっとお爺様に怒られるマンジローを見ていれば、服の裾を控えめな力で握られた。えっと思って見下ろせば、エマちゃんがまじまじとこちらを見つめている。えーっ、めちゃくちゃ可愛い。見つめ合うと可愛さが、何、爆発してる。目が潰れる。いや多分もう潰れた。こんなに可愛い子この世にいる? いるんだよなあ、目の前に。

「……マイキーのこと引っ張ってくれてありがと」
「いやいや、お礼言われるような事じゃないよ。マンジローがなんかしたんでしょ?」
「うん。指南役で来てた人の事気絶させた」
「気絶⁉︎」
「こう、蹴っ飛ばして」
「蹴っ飛ばして⁉︎」

 いやマンジローやっぱり相当ヤバいやつじゃん。だって多分指南役の人って、道場の隅で転がってる男の人だろう。高校生か大学生か、体は大人にかなり近く、なんなら既に完成されている人だ。それを私より小さいぐらいの上背で一撃で落とすって、自慢するわけじゃないけど私と良い勝負出来るんじゃないの。上から目線で強くなれとか言ってたけど私ももっと強くならなきゃそのうちやられそう。

 怒られている様子を見る限りはそうは見えないマンジローを見ながらやべーと呟いていれば、エマちゃんがまたくいっと私の裾を引く。それから目を合わせて自己紹介をしてくれた。私もそれに応えて自己紹介をし、改めてエマちゃんと呼ぶ許可を貰う。エマちゃんも私のことをリコちゃんと呼んでくれるらしい。マンジローなんて気付いたら私のこと呼び捨てにしてたのに、なんていい子なんだろう。やっぱりこの子天使でしょ。

「リコちゃんはうちの道場に通うの?」
「今のところはそのつもり。マンジロー居るなら競争相手としては良さそうだし」
「でもマイキーいつもは全然道場に顔出さないよ。喧嘩ばっかりしてる」
「喧嘩ァ? えー、怖。私の周り喧嘩好きなやつばっかりだな……でもまあ、うん、通うよ」
「お家から遠いんじゃないの? 真兄が上野に住んでるって言ってた」
「まあまあ距離はあるけど通えないわけじゃないし……強くなりたいからなあ」
「……強くなりたいの?」
「うん。大好きな友達のこと殴るためにね」
「? 大好きなのに、殴るの?」
「大好きだから、殴るの。いつかエマちゃんにも分かるようになるかも」

 竜胆くんのこともイザナのことも、大好きだから殴るのだ。やっぱり愛のムチってやつ。まあムチよりも多少攻撃力はあがるかもしれないが、大好きの気持ちに免じて受け止めて欲しい。

 エマちゃんは大きな瞳で私を見つめてからよくわかんないと呟いて、ぎゅっと私の手を握ってきた。今は分かんなくて良いんだよと私もそれに応えて、二人で怒られるマンジローを見つめた。


 +


 それがどうしてこうなるのか。

 熊を見てわあわあきゃあきゃあ言っているエマちゃんと鶴蝶くんに置いていかれないようにとその後に続きながら、肩を回す。無事に打ち解けてくれたみたいで良かったとは思うのだが、それにしても遠慮なしに引っ張られたせいで肩と腕が少し痛い。修行不足を痛感している。二人の元気の良さに負けないようにも私ももっと強くならなければ。

 隣を歩くシンイチローくんはなんならエマちゃんと鶴蝶くんよりも熊に夢中になっており、二人が先に行こうと急かすのになんとも残念そうに返事をしていた。さっき猿山でも同じような応酬を交わしていたため、私ももう既に今日はシンイチローくんに期待するのはやめている。多分この人が一番楽しんでるよ。

 今日ここにこの四人で来ることになったのも、元を正せばシンイチローくんの発言が原因だった。
 佐野家の道場に通い始めてから二ヶ月ほど経ち、私が修行を始めてからは三ヶ月ほど経った頃。家から道場まで距離があるため土日だけ通う形にしていたのだが、エマちゃんの言葉通りマンジローはかなりサボっているようで全くと言っていいほど顔を合わさなかった。それでも打倒私を目標に掲げ平日はこっそり練習したりしているそうなので、近々私は勝負を挑まれるだろうとシンイチローくんから予告を受けている。私も強くなっているので楽しみだ。最近話すようになったマンジローの幼馴染みのケースケは怪獣対怪獣なんて言っていたから、その頭を叩いておいたが。
 そんなある日、私が休憩中にケースケに頼まれてシャドーボクシングを見せてやっている時にこちらも珍しく道場に顔を出したのがシンイチローくんだった。バイク屋を開くための修行中のシンイチローくんは日夜知り合いのバイク屋で働いており、あまり顔を出さないのだ。そろそろ資格試験があるからそれに受かれば店を持てるかもと言っていたので、私たちは応援している。

 私の拳のキレが増したことを指摘しながら顔を引き攣らせたシンイチローくんは、話題を切り替えるようにして私の家が動物園に近い話を取り留めもなく振ってきた。これは多分、その場にいたエマちゃんをその話で釣って、私がエマちゃん二釣られるのを期待していたんだと思う。私はこの頃にはすっかりエマちゃんに入れ込んでおり、ケースケとマンジローに呆れられて、鶴蝶くんに拗ねられるぐらいにはエマちゃんを猫可愛がりしていた。
 私もシンイチローくんの透けて見えるその思惑に釣られてあげるかなと思っていたのだが、エマちゃんの食い付き具合は軽く私たちの想像の斜め上を行った。行きたい行きたいリコちゃんと一緒に行くと言ってエマちゃんは聞かず、しかし私は毎日修行で忙しく、直近の丸一日オフの日もそれこそ鶴蝶くんと上野動物園に行く予定だったのだ。それを話してもならその日に一緒に行くと言うから、鶴蝶くんに聞いてからねということでその日の休憩時間は終わった。シンイチローくんはエマも女の子だなーとか言っていたけど、他人事すぎてキレそうになった。すっかり私と出掛けるつもりで上機嫌になっているエマちゃんの手前でなければコブラツイストをかけていたと思う。ケースケは暇そうにぼけっとしていた。

 いつも私が道場に通う日は駅まで送ってくれるシンイチローくんと別れ帰宅し、母に頼んで施設に電話をしてもらった。イザナの逮捕以降鶴蝶くんの精神状態を心配したらしい施設長さんの判断で私と鶴蝶くんの連絡手段に電話が増え、三日に一回は連絡をとっていたのだ。
 鶴蝶くんは私からエマちゃんの話を聞いて、少しエマちゃんに嫉妬していたのだと思う。佐野道場に通い始めてからは顔を合わせる度に抱き締められて近い距離でいることが増えたし、あれは私が暴れるのを抑え込むためではなく単純に私と接触することを望んでいたんだろう。可愛い弟分である。
 だから今度動物園に行く時にエマちゃんが一緒でも良いかと聞けば難色を示すかと思っていたのだが、案外すんなり頷いてくれた。イザナの妹に一度会ってみたいとは前々から思っていたらしい。でも今度また二人で出掛けたいと嬉しいことを言ってくれたからもちろんと返事をして、夜も遅かったからその日はそれで通話を終わりにした。


 そこからはトントン拍子で話が進んで引率が母からシンイチローくんに変わり、そう待つ間もなく私たちは今日という日を迎えたわけである。
 二人とも仲良くできると良いけど、とか言いながらシンイチローくんと案じていたわけだが、二人の行動力と結束力は凄まじかった。最初は私を引っ張って揉めていたくせに、今ではもう歩の遅い私とシンイチローくんを叱り付けるようにして二人で次はどこに行こうとか話し合っている。同い年だったのも良かったのかもしれない。エマちゃんにも鶴蝶くんはイザナと同じ施設に居るのだとは話したから、二人でイザナの話もしているのだろうし。

 エマちゃんは家ではあまりイザナの話をしないらしいけれど、私がイザナの友達だと知った時には気にしていたし、直接言葉にはしなかったが会いたがっているように見えた。出所後には様子を見る必要はあるかもしれないが会わせてあげてもいいんじゃないかと私からシンイチローくんと母に進言してもいるから、二人にとってどうか良いようになればいいと思っている。

 名残惜しそうに熊を見ているシンイチローくんを、もうかなり離れた場所からエマちゃんと鶴蝶くんが呼ぶ。鶴蝶くんもこの数時間で随分シンイチローくんへの遠慮が無くなったみたいで良かった。仲良きことは美しきかな〜。

「シンイチローくん、早く行こうよ」
「えー、あとちょっと見て行きたい」
「でもエマちゃんも鶴蝶くんももう次のとこ行く気満々だよ」
「えー……」

 シンイチローくんの手を引いてエマちゃんと鶴蝶くんの方に向かう。シンイチローくんも引っ張ってしまえば諦めてくれたようで、エマちゃんと鶴蝶くんに次は何を見に行くのかと尋ねていた。それから、思い出したとばかりに私に声をかけてくる。

「リコ、ゴリラ好きなんじゃなかったか」
「いや別にそんな好きじゃないけど。何? もしかしてイザナが言ってたの?」
「いや、マンジローが」
「ほんとムカつくなアイツ……」

 ゴリラの力強さは好きだけど、ゴリラ自体にそんなに思い入れがあるわけでもないんだけど。イザナもマンジローも兄弟揃って私をゴリラ好きにして何がしたいんだろうか。そもそもマンジローとは最近好きな動物の話になってちゃんとパンダと豹が好きだって言ったし。アイツ絶対わざとシンイチローくんに私がゴリラ好きだってデマを吹き込んでる。ムッカつくなー……。

「それに私ゴリラはしばらく見ないことにしてるから、他の動物見に行こうよ」
「へえ、ゴリラ断ちしてるんだ。じゃあキリン見に行こうぜ」

 シンイチローくんもシンイチローくんでキリンが好きなんだろうか。エマちゃんがピシャリとウサギ見に行くの! とシンイチローくんを言いくるめて鶴蝶くんと歩いていく。
 私は二人の後ろ姿を見つめながら、ゴリラ断ちの原因になっている人のことを思い出した。最後に電話した時は一人で見に行くなんて啖呵をきったけれど、今のところそんな予定は無い。そろそろ赤ちゃんの一般公開も始まるだろうけれど、それもスルーする予定だ。

 待つと決めたからには、待つ。いつか目の前を足早に行くエマちゃんと鶴蝶くんのように並んで、この場所に竜胆くんと来れるその日を。

 そのためにも側に居て竜胆くんを止められるぐらいもっともっと強くならなくては。二人に置いていかれないようにシンイチローくんの手を引いたまま駆け出しながら、いつか訪れるであろう未来を祈った。

泣きっ面もデブ

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