季節は冬に変わった。竜胆くんとお兄さんが逮捕されてから半年が経ち、私は月に二回ほどのペースで竜胆くんに近況を伝える手紙を送り、イザナにも親切心から修行内容を書き出して手紙にして送ってあげている。こんな技を使ってこんな風に殴られるかも、というのが事前に分かっていた方が心構えも出来ることだろうという配慮だ。
 祖父の伝手を辿って諸々の審査を割と無視して出している手紙なので返事は滅多に来ないが、その滅多に来ない返事の中でいつも竜胆くんは私が無茶していないかを心配してくれていた。それがなんと、全然してない。逆に修行がめちゃくちゃ楽しくてそちらに身が入りすぎて学校の成績が不安になるぐらいである。後はお兄さんからの伝言でデブの漢字の間違いが酷いからどうにかしろとの事だった。デブが馬鹿でごめんね。小学生の漢字ドリルを解かせています。期待しないで待っていてください。

 兎も角竜胆くんは、案外順調に少年院で過ごしているらしい。祖父もたまに情報を落としてくれるのだが、兄弟揃って余計な問題は起こしていないようだ。良かった。なるべく一分一秒でも早く竜胆くんに会いたいので、今後も問題は起こさず真面目に過ごして欲しいと思う。このまま行けば模範囚扱いで予定より早く出所できる可能性もあるとの事だったので、本当に頑張って欲しい。
 河川敷で夕日に照らされながら殴り合って友情を再構築することは確定だとして、出所のタイミングでビンタの一発はかまそうと思っている。約束の不履行に対する罰だ。私は本気で傷付いて泣いたんだから、今後も一緒に居るために余計な禍根は残さないためにも、一発はかます。デブにもシンイチローくんにもフルスイングはやめろと言われたので、五割ぐらいの力で。

 そんなこんなで竜胆くんの出所を待ちつつ、私は修行を続けている。イザナに宛てた手紙の返事が返ってきたことは一度もない。正直竜胆くんたちよりイザナの方がヤバい問題を起こしかねない気がしているので、心配だ。心配で心配で修行に余計力が入り、秋から始めた体操の跳馬で県内一位を獲得してしまった。ゆかも二位だったので、適当に基礎を学んだら辞めようと思っていたが少し続けてみようかと考えを改めたところだ。
 それを祖父に報告したらまた項垂れて、近いうちにイザナに関しても情報を持ってくると言ってくれた。わーい。それにしても最近項垂れてばっかりだけど平気かな? この半年でかなり強くなったから悩みがあるなら相談してよといえば無言で首を横に振られてしまったため、今の私では力不足らしい。待ってて。もっと強くなってみせるから。

 この半年で私は本当に強くなった。デブもシンイチローくんも、嫌々ながらにマンジローも認めてくれた。デブのチームでは副総長の座こそ譲られていないものの、デブと併せてツートップだなんて呼ばれているし。今ではデブのチームである夜のゴミ……まあいいや、夜ノ塵は他を寄せ付けず上野のトップを張っているし、他のシマのチームとも対等かそれ以上に渡り合えるぐらいの実力を有している。私が抗争に参加すると女だガキだと舐められることが大半というか、まあ初手で舐めてかかられなかったことが一度もないのだが、やはりこの拳がものをいう。非礼なヤツらに払ってやる義理は持ち合わせていないので遠慮なしにボコボコにしている。

 そうしてまあ紆余曲折を経て、かつて竜胆くんたちと出会った時は嫌々着ていた兄の特服は既に私の肩に羽織られているのが当たり前になり、兄は夜ノ塵初代総長と刺繍されたズボンを履いている。普通のチームなら有り得ないことだが現状夜ノ塵は文字通りツートップ体制で存在しているのだ。
 うん。私の覇道の一部として素晴らしいと思う。六本木のカリスマ兄弟と言われていた竜胆くんたちにも引けを取らない気がするし、勝負の舞台に上がれている。後は向こう側の選手がリングに上がってくるのを待つだけ。

 私が体操の跳馬部門で県一位に輝いたことを祝う会を開いてくれた佐野家のみんなに感謝し、「ボクシングに空手に体操ってセッソーナシじゃん」と言ってきたケースケに「最近は剣道もまた始めたよ」と言ってから頭を叩き、玄関まで見送りに来て私におやすみのバグをしてくれたエマちゃんを抱き締めて、いつも通り駅まで送ってくれると言うシンイチローくんと今日は珍しく着いてきたマンジローとくだらない話をしながら暗い道を歩く。シンイチローくんは私が上野のツートップだなんて呼ばれていることを知っているが、マンジローには教えていない。ただでさえも喧嘩ばかりしているらしいマンジローにそんなこと知られたら面倒なことになりそうだからだ。
 つい先日の漢字テストで悲惨な点数を取ったらしいケースケのことを三人で笑いながら繁華街に続く角を曲がる。リーゼントの見るからに不良ですと言った集団が車道越しにぎゃあぎゃあと騒いでいて煩かったので三人揃って無視した。ああいう手合いは目を合わせないに限るのだ。熊は目を逸らしちゃいけないが、不良は目を合わせたらダメ。目と目が逢うその瞬間喧嘩が始まるから。

 私がケースケの頭を叩くせいでケースケが馬鹿になるんだというマンジローにアイツが元々馬鹿なだけだと返しながら、また曲がり角を曲がる。その瞬間に、後ろから腕を掴まれて思いっきり引っ張られた。体勢を崩すことはなかったが足は止まり、突然乙女に触れる無礼者に物申してやろうとそのまま振り返る。先程のリーゼントの集団が居た。は? なんだコイツら。

「てめえ! さっきから無視しやがって!」
「はあ……?」
「夜ノ塵のガリ子だろ⁉︎ ここは俺たち黒龍のシマだ! ぬけぬけ入ってきやがって……どうなるか分かってんだろうな!」
「はあ…………?」

 いや、誰だコイツら。

 もちろん私だって、流石に黒龍というチームは知っている。何年か前に日本のトップに立ったという伝説級のチームだ。でも代替わりして何年かは立っているはず。言っちゃ悪いが、今の黒龍に当時ほどの力はないだろう。特服の腕の刺繍を一応確認しておくが六代目。……六代目かあ。
 再度腕を掴んで来ようとするのを振り払って、私の後ろにいるシンイチローくんとマンジロー、正確に言えばシンイチローくんを振り返る。あちゃーっと言った顔で手で目元を覆っていあ。まあそうだよね。六代頭がも移り代わってれば当時とは方針もやり方も変わる。良くも悪くもこれが今の黒龍だということなのだろう。
 シンイチローくんを見るのはやめて目線を移したマンジローはと言えば、ガリ子という呼び名に反応したのか、やっぱり……! とばかりの顔をしていた。何となく気付いていたらしい。それなりに私も名が売れてきてるからなあ。だからといってまさか特服を着てもいないこんな繁華街で絡まれるとも思っていなかったのだが。

 騒ぎを起こして警察を呼ばれたら面倒だ。今は夜だしここは繁華街だしで、既に私たちの周りには野次馬が集まりつつある。先程夜ノ塵のガリ子と呼ばれてしまったせいで最悪足がつく。それにここにはシンイチローくんとマンジローも居るし。
 振り返っている間も何度も伸びてくる腕を振り払い続けていたが、どうやら向こうは痺れを切らしたらしい。ぐっと胸ぐらを掴まれて、顔をそちらに向けざるを得なくなる。私も私で背が低くないせいで、黒龍六代目総長だというその人とかなり顔が近くなる。ブッサイクだな。こんな至近距離で見つめ合うなら顔がタイプの竜胆くんがいいんだけど。

「ガリマンの妹だろ⁉︎ 女に興味はねえんだよ、兄貴連れてこい!」
「いやがりまん? って人は私知りませんよ」

 デブはガリ男だし。ガリマンなんて知り合いに居ない。人違いじゃないですか、といえば総長さんは余計に苛立ったように顔を近付けてきた。唾が飛ぶから離れろや。
 その様子に何を思ったのか私の名前を呼んで飛び込んでくれようとした背後の二人を後ろ手で制する。そのまま私の鞄も適当に放ったのだが、落ちる音がしないあたりどっちかがうけとめてくれたのだろう。

 まあ悪いが、コイツらも私の敵じゃない。それにガリマンって誰なのか気になるし、手を出すのはその後でいいだろう。

「はあ⁉︎ ホラ吹いてんじゃねえぞ! 夜ノ塵のトップはガリマンとガリ子だって割れてんだよ!」
「はあって、こっちのセリフなんですけど……うちの兄のあだ名はガリ男ですよ。カタカナのガリに男でガリオ。ガリマンじゃないんで人違いだと思います」
「何言ってんだブス! カタカナのガリに男でガリマンだろ⁉︎」
「いやブスじゃないしガリマンでもないし……知らないところであだ名変わったんですかね、ウケる。ってか顔離してくれません? キモいんで」

 ガリマンはどうやら兄らしい。意味わかんないな。上野ではガリオで通ってるのに外ではガリマン。私たちのあだ名の名付け親のお兄さんが出所してきてあだ名が変わっていることを知ったら、めちゃくちゃ理不尽にキレそうだ。キレられても私達もどこであだ名が変わったのか分からないから正直どうしようもないけど。
 キモいと言ったことが気に触ったらしい六代目総長のリーゼント……長いからリーゼントでいいや。リーゼントが額に青筋を立てる。それが見えるぐらいの距離だってことだ。冗談抜きで本当にキモい。煽るだけ煽ってそろそろ離してもらおう。帰るのがあまり遅くなっても両親に心配をかけるし。

「っつーかさっき私が無視したとか言ってましたけど、無視も何も無いんですよね。虫の羽音の方がよく聞こえるし、それこそ虫の方が存在感ありますよ」
「……は? テメェ糞ガキ、黙って聞いてやってたら何だって?」
「何、顔と頭だけじゃなくて耳まで悪いの? 雑魚過ぎて存在感ねぇっつってんだ、よ!」

 手の甲を掴んでぐっと反対に捻ってやる。そのまま倒れ込む身体の勢いを利用して、腕を抑え込んだ。リーゼントは何度か呻いて立ち上がろうとしたからその脇腹を軽く蹴ってやる。うーん圧勝。やばーい、綺麗に技が決まった。誰か映像に残してくれてないかな。お手本にできるレベルで綺麗に決まってたと思うんだけど。

 リーゼントから離れてわざと音を鳴らして手を払いながら、残った黒龍六代目メンバーの皆さんに笑いかけてやる。めちゃくちゃ可愛い笑顔だと思うのに皆々様方の顔が引き攣った。なんで?

「喧嘩売る相手の力量ぐらい知っときな、雑魚共」

 語尾にハートマークが付きそうなぐらい声が弾んだ。そうだよねえ。チーム間の抗争となると基本奥の方でデブと待機している私まで辿り着く奴ってあまり多くないのだ。雑魚とはいえこんなに大量に相手に出来るのは久々だし、私の力試しにはちょうどいい。
 果敢にも向かってきてくれたさっきとは別だがこれまたリーゼントに向かって一応力はセーブして拳を振りかぶる。鼻を折らないように頬にぶち込んでやる優しさも持ち合わせているのだ。しばらく食事が苦しいかもしれないが、まあ名誉の勲章ということで。殴られても諦めずにまた向かってきてくれたので、感謝と感激の気持ちを込めて背中を蹴っ飛ばして未だ這い蹲るリーゼント総長の近くに転がしてあげた。そこでようやく背中の刺繍が見えたのが、どうやら六代目の特攻隊長らしい。特攻隊長の名に恥じぬ素晴らしい特攻具合だった。花丸百点をあげたい。

 さあ次の相手は誰だと髪を軽くかきあげながらまだまだ人数はいる集団に顔を向けたのだが、何故か誰も来ない。もしかしなくで臆病風に吹かれたな? 雑魚で臆病とか全然良いところないじゃん。うちのチームの馬鹿共は最初は私に反抗してきたりもしたが、拳を混じえて肉体言語で語り合ってからは年下のガキでもチームの一員として認めてくれる良い奴らで、更には臆病なんて言葉とは程遠いが命を無駄に捨てたりはしない、見極める目もある奴らなのだが。どうやら今の黒龍は違うらしい。
 誰も来ないものだから飽きてしまって、はあとため息をつく。そるから私のお願い通りに大人しく待っていてくれたらしいシンイチローくんとマンジローを振り返った。野次馬はこの際無視だ。警察が来たら逃げよう、うん。

「シンイチローくん、一応謝っておくね。シンイチローくんの後輩に手ェ出してごめん」
「いや……こっちこそ悪かった。今度コイツらに詫び入れさせる。今日の所は後はオレが話をつけるから、マンジロー、リコのこと駅まで送ってやれ。リコもそれでいいか?」
「……ん」
「別に詫びなんていらないよ。一度自分が売った喧嘩なら最後まで責任持てとは言っておいて」

 本当、喧嘩売る相手のことぐらい知っておいた方がいい。私の後ろに居たのが自分たちのチームの初代総長だと知らないわけでもあるまいに。
 持っていてくれたらしい私の鞄を離さないままさっさと歩き出したマンジローに続いて歩きながら、今更気付いたのかシンイチローくんに顔色を悪くさせている黒龍六代目の皆さんを最後に横目で見た。どーんまい。喧嘩を売った相手が悪かったということで、諦めて。

 繁華街を抜けて辺りの喧騒が引いてもマンジローは無言だ。だから私も無言でその後に続く。シンイチローくんの言い付けを守って駅まで送ってくれるつもりはあるらしい。足早に歩く私よりも低い位置にあるその背中を見て、そろそろかなぁと考える。シンイチローくんに前々から予告されてはいたし、私も覚悟は決めている。今日の出来事はその引き金としては最適だっただろうし。
 駅まであと少しのところでマンジローは足を止め、私を振り返る。私も少しの距離を開けて足を止め、マンジローを見つめた。冬の冷たい風が私たちの間を通り抜けていく。先に口を開くのはマンジローだ。私はそれを待つだけ。似たもの同士なのかなんなのか、そういうことがよく分かる。

「来週の土曜日、十六時から、オレと勝負して」
「いいよ」
「この半年、リコを倒すためにやってきたから。負けないよ」
「強くなったのはマンジローだけじゃないってこと忘れないでよ。私だって負ける気は一切ない」
「オレだってない。絶対勝つ」
「……女は殴んないんじゃなかったの?」
「リコはそういうんじゃないから。女とか男とかじゃない」
「何それ。……でもまあ、そうだね。私とマンジローはそういうんじゃない」

 うん、確かにそういうんではない。私とマンジローは女とか男とか関係なく、純粋に対等な二人だ。でも結構名が知られてきてるマンジローと私の勝負ともなればそのうち箔がつく気もするなあ。プレミアになったり。
 まあそういうことを考えるのはやめて、マンジローに駆け寄ってその手からカバンを奪い取る。そのまま何歩か先に進んで、振り返った。もう駅は見えているし、ここから先は一人でも大丈夫だ。もう遅い。マンジローも早く帰った方がいい。

「気をつけて帰りなよ、マンジロー!」

 大きく手を振れば、マンジローも手を振り返してくれる。駅舎についてから振り返っても、まだマンジローは私を見ていてくれた。


 +


「それで結局、どっちが勝ったんだ?」
「引き分け」
「え、あの二人が?」
「うん。っていうか、勝ち負けが三時間半経っても決まらなかった時点で真兄とリオくんが間に入って止めてた」
「でもよく止まったな」
「ううん、止まらなかったよ。でもマイキーもリコちゃんも相当疲労は溜まってたみたいで、離せってちょっと暴れてたけど二人とも気絶しちゃって、引き分けになった」
「あー……」
「二人とも全然攻撃当たってないように見えてたんだけどその分防ぐのに必死になってたみたいで、よく見たら痣だらけだったし。元気そうだったら次の日にじゃんけんとかで勝ち負け決めるかって話も出てたんだけど、二人とも次の日は筋肉痛で起き上がれなかったから結局引き分けで終わり」
「再戦の予定は?」
「今のところない。二人も流石にキツかったみたいで、次はちょっと時間あけるって言ってた」
「それでもやるって言うのが凄いよな」
「ね。あ、でも、ここだけの話なんだけど、リコちゃんはニィたちのことで怒ってなかったら負けてたかもって言ってた」
「やっぱりあれ怒ってたんだ。オレには平気って言ってたけど、確かに見るからに平気じゃなかったもんな」
「出所どれぐらい伸びるんだっけ」
「正確には分からないけど、多分結構伸びるって。リコちゃんの友だちはそこまで伸びないのかもしれないけど、イザナは半年ぐらい伸びるかもってリコちゃんの祖父ちゃんは言ってた」
「……ねえカクちゃん、ニィ、出所したらウチに会ってくれると思う?」
「……言葉にはしなかったけど、絶対イザナはエマに会いたがってた。一緒に会いに行こう」
「……うん」


 +


 一番悩んだのは服装かもしれない。部屋中引っくり返す勢いであれでもないこれでもないと服を選んで、でも決まらなくて、結局制服にした。中学に入学してからも身長がぐんぐん伸びてもうスカートは膝上になったけれど、まあ夏っぽくて良いだろう。鏡の前でくるくる回って変なところがないか確認する。髪は昨日切ったし、早くに寝たから隈もない。ここ最近は派手な喧嘩もしていないので目に見えるところには痣も傷もない。大丈夫。普段通りの私だ。
 ハイソックスを履いてからリビングで待たせている兄と祖父の元に急げば、二人は階段を駆け下りて飛び込んできた私を見てぎょっと目を見張った。しばし二人で視線を交わしあった後に、代表して兄が口を開く。

「制服で行くのか?」
「うん。見せたいから」

 欲を言えば一番最初に見せたかったのだが、それは無理だった。入学してもう二ヶ月経つし、正直もう兄たちには新鮮味もないのだろう。でもやっぱり出来るだけ早く見せたくて、どうせ着る服が決まらないならとこれを選んだのだ。

 待たせていたのは私だと分かっていても早く行こうと急かして、我先にと祖父の車に乗り込む。外車だと目立つからと選ばれたのはミニバンで、正直これを祖父が運転するのはミスマッチだなと感じた。普段乗っている外車の方が断然祖父の纏う空気にあっている。
 急かす私に分かったと何度も言いながら祖父は車を発進させ、私は意味もなく髪を耳にかけたりスカートの裾を弄ったりしながら早くつかないかと何度も窓の外を見る。兄はそんな私に呆れたように笑っているけれど、自分だって案外楽しみにしていたくせに。そう言って突っかかれば別にそんなことないと言い返してきて、車内の空気が一気に和む。祖父も少し笑ってからまだ時間はかかると呟いた。バックミラー越しに私たちを見つめるその目が嫌に優しくて少し心がざわつく。

 祖父が今日の送迎を申し出てくれた時、私も兄も正直かなり驚いた。蓋を開けてみれば古くからの知り合いだという人に頼まれた……というよりも押し付けられたからだと言っていたけれど、それでも驚くものは驚くのだ。
 だって祖父はこの二年あまりずっと、私たちが彼らとの交流を断たないことに良い顔をしていなかった。それどころか逆に「普通」では無い方に傾き出したこともあり、嫌うまではいかなくても良くは思っていないとばかり思っていた。いや、良く思っていないことに変わりは無いのかもしれないけれど。それでも押し付けられたとはいえ更にそれを人に押し付けることをせずに私たちをそちらに送り、それどころか彼らを乗せて帰ることを認めるなんて。
 兄は天変地異の前触れではと言っていたけれど、私もそう言われた方が正直納得できる。途中で立派な邸宅の前で車を停めて私たちを置いてそこに入っていき、暫くして両手にいくつも紙袋を持って出てきた時点で兄の言う「明日多分槍が降るな」に私まで頷いてしまったぐらいだ。

 後ろに積んどけと言って渡されたそれを大人しく積み、無遠慮に中身を見ている兄の腕をどつく。せめて祖父に隠れてやれ。
 祖父はまたそんな私たちにケラケラ笑って、開けた窓から顔を出して誰かに大声でおいと呼びかけた。自然と私と兄もそちらを見て、ぴしりと固まった。まるで休日の祖父のような着流し姿で煙管を片手にまじまじとこちらを見ているタレ眉にタレ目のその人は、私たちが今から迎えに行く二人の片割れに生き写しのように似ている。そうしている間にも祖父が私たち側の窓も勝手に開け、私たちとその人は数秒見つめあった。慌てて頭を下げれば、ふんと一つ鼻を鳴らしてから邸宅に入っていってしまう。
 祖父が窓を閉めて車を発進させてから、どっと疲れが出た。深く息をついて兄と似たようなタイミングで背もたれに寄り掛かる。何あの人。いや何となく分かるんだけど、でも、何あの人。

 言葉にせずとも私たちの気持ちが伝わったのか祖父が答えてくれる。分かりきっていた答えだった。

「灰谷んとこのも隔世遺伝だな。孫の方が息子よりも似てる」
「似てるって言うかもうあれ瓜二つじゃん……」
「リコは婆ちゃんにそっくりだし、リオも多分痩せればオレに瓜二つだ」
「痩せるも何もオレ別にデブじゃない」
「鏡見なよデブ、最近また太ったくせに」
「おーおー、喧嘩すんなよ。まあでも、オマエたちも面は覚えておけば損はしないだろ。どっかで会う可能性は十分ある」
「……なるほど」

 曖昧に答えて、ため息を殺して目を瞑る。寝たい訳じゃないけれど少し疲れた。休憩。


 次に気付いた時には車は停まっていた。兄がぼけっと手元を見つめており、祖父はいない。どうやら私は寝ていたらしかった。どれぐらい寝てたかと兄に聞けば、一時間ぐらいと答えられる。案外寝てる。私やっぱり図太いんだよな。自画自賛というわけでもないが自己評価を下しながら、時計を確認する。聞いていた時間まであと十分ほど。ちょうどいい気がする。
 時計から目を離したタイミングで祖父が運転席のドアを開ける。起きたのかと私に言ってから、親指で外を指した。

「手続きがもう終わったらしいからそろそろ出てくる。オレはちょっと中で話してくるから、オマエら適当に時間潰しとけ」
「ん。リコ行くぞ」
「はーい」

 兄がドアを開けてくれたのでそれに続いて降りる。祖父は車の鍵を閉めてから私たちを待たずにさっさと歩いていって、慣れた様子で建物の中に入っていった。あれが少年院。イザナも中に居るんだろうか。

 近付きすぎるのもなんだしということで五十メートルほど離れた駐車場付近で待つことにして、この付近に公園があるらしいと兄と話す。ずっと突っ立っていても目立つし合流したらそこに行くつもりらしい。別にいいと思うので賛同しておいた。というか今の私はそれどころでは無いので、賛同するしかできない。
 緊張かなんなのか震え出した手を開いたり閉じたりしながら、何度か深呼吸をする。そのまま俯いて目を瞑って何度か唸っていれば、兄があ、と声を上げた。咄嗟に顔を上げて目を開く。まあそうすると当然視界に飛び込んでくるものに、私も兄に続くようにして、あ、だとか、う、だとか、意味の無い呟きを漏らす他なかった。

 体を預けていた飛び出し防止の柵から無意識に離れ、二人で何事か話しながらこちらに向かってくる二人を見つめる。先に気付いたのはお兄さんの方だったみたいで、私たちの方を指さして片割れに何か言っていた。この距離じゃそれが何かなんて聞こえない。
 言ってやりたいことが沢山あったはずなのに、気付いたら全部飛んでいる。手が震えるのは間違いなく緊張だ。足が竦むのもそう。息が上手くできていないのも、そう。らしくもないと分かっているのに、強くなったつもりなのに、結局ここに来て怖気付いている。
 思わず背後にいる兄を見上げれば、大きく頷かれた。そのまま背を押される。その瞬間にはつんのめるようにして竦む足で駆け出してしまっていた。鍛えていてよかった。五十メートルもないこの距離なら六秒程度で走り抜けられる。

 押し退ける必要もなく勝手に退いてくれたお兄さんに感謝をしつつ、身構えるその人に向かって拳を振り上げる。一発ぐらいグーで殴ってやろうと思ってたのに平手打ちになってしまったけれど、綺麗に決まった。多分冷やさなきゃ赤くなる。スポーツ刈りだと些か見当違いなことを思いながら、勢いが良すぎたのか頬を手で押えて尻もちを着いたその人を見下ろす。大して走ってもいないのに荒くなった息をどうにかしようと呼吸をしたら、不格好なぐらい鼻が鳴った。私を見上げる瞳が見開かれて、次の瞬間には視界が一気に潤んでそれがよく分からなくなった。
 いつの間にか追いついて来ていたらしい兄とお兄さんが笑っている声が聞こえてきて、なんだかムカついて、お兄さんに向かって思いっきり回し蹴りをかます。視界がぼやけていてよく見えないけれど、お兄さんの尻に的中したらしい。多分呆然としながらこっちを見てきたので、逃げられると思いましたかと言ってやった。ざまあみやがれ。

 今度はコソコソと兄と何かを話し始めたからもう無視して、相変わらず座り込んだままのその人に近付く。セーラー服の袖で溢れてくる涙を拭って、それでも視界が鮮明にならないから、顔をよく見たくて私もしゃがんだ。困ったような瞳が私を見つめている。初めて見る顔かもしれない。ううん、初めて見る顔だ。
 一緒に居られた一ヶ月で見ることが出来た表情なんて、この人の一部でしかなかった。もっと見て知りたかったけれど、私たちにはその時間が足りなかった。眼鏡をしていないところだって初めて見たし、この髪型も初めて見た。尻もちを着くところも、頬に手を当てるところも、困った顔も、全部初めて。


 遠慮がちに伸びてきた手が私の涙を拭っていく。記憶の中で既に朧気になった声よりも低い声が、泣くなってと私の名前を呼ぶ。それが多分合図で、私の涙腺は決壊した。


 竜胆くんに飛び掛るようにして抱き着いて、首に腕を回してわあわあと声を上げて泣く。こんなに泣いたのは竜胆くんから最後に電話がかかってきたあの日以来で、涙の止め方がもう自分じゃよく分からなかった。焦ったように私の頭を撫でて背を擦る腕に甘んじて泣いて泣いて泣くことしか出来そうにない。竜胆くんのために取っておいた涙が、二年間ずっと泣かないで頑張ってきた全部が、溢れ出して止まらないのだ。
 正直楽なことだけじゃなくて、苦しいことだって沢山あって、どうしてって思う夜が何度もあった。そういう時にいっつも、私に笑いかけてくれた竜胆くんを思い出したのだ。竜胆くんを思い出して、竜胆くんの隣に居たくて、竜胆くんを諦めたくなくて、この二年間ずっと頑張ってきた。出来ることが増えて、強くなって、有名になって、今日胸を張って竜胆くんに会いに来れた。竜胆くんの隣に立って、間違ったことをするんなら殴ってでも止められるぐらいの私に、多分だけど、なれたのだ。
 全部竜胆くんのおかげ。竜胆くんのおかげで私は、竜胆くんに出会えたおかげで私は、今ここにいる。


 一ヶ月しか一緒に居られなかった私の友達。二年間も離れ離れだった私の友達。それでも、私の大切で大好きで、はじめてのともだち。

「りんどうくん」
「うん」
「もう約束、やぶんないで」
「うん、破らない」
「制服可愛いっていって。ほんとは、竜胆くんに、一番に見せたかった」
「……可愛いよ。めちゃくちゃ似合ってる。後でもっと見せて」
「う、うう……頭じょりじょりする…………」
「擽ったいからあんまり触んないで」

 近所の犬にするようにして竜胆くんの頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜる。今まで味わったことのないジョリジョリだ。鶴蝶くんの頭とも、マンジローやシンイチローくんの刈り上げとも違う。わしゃわしゃとかき回していれば、もうやめろとばかりに背を叩かれた。あやすようなそれに、止まりかけていた涙が今度はずいぶんと静かに溢れてくる。竜胆くんは私を泣かせる天才かもしれない。
 竜胆くんの頭をかき回す手を止めて、また首に腕を回す。こうすると竜胆くんが凄く近くなる。襟ぐりや肩が私の涙や鼻水でぐちゃぐちゃな件に関しては、後でお詫びをする。替えの服も多分竜胆くんのお爺様から預かった荷物の中に入っているだろうから、そこは安心して欲しい。

 竜胆くんの早くもなく遅くもない心音が伝わってくる。私のぐちゃぐちゃな感情を少しずつ紐解いてくれるそれをずっと聞いていたいと思った。竜胆くんの傍は落ち着く。私の弱い所を許して認めて、涙を受け止めてくれる。

「竜胆くん」
「うん」
「私、強くなったよ」
「知ってる。さっきの平手めちゃくちゃ痛かった」
「あれは結構手加減した」
「あれで? ……まあ、無茶はあんますんなよ」
「うん。気を付ける……ねえ、竜胆くん」
「なに」

 柔らかい声で竜胆くんが先を促す。もうずっと逸るばかりだった心臓が竜胆くんの心音に同調するかのようにしてどんどんのろまになっていくのを聴きながら、竜胆くんの声が好きだと思った。名前を呼んでと強請れば、仕方ないなと笑って何度も呼んでくれる。何度か互いの名前の応酬を交わして、瞬きをしたタイミングで目尻に残っていた涙が頬を伝っていくのを感じながら、竜胆くんの首に回す腕に力を込めた。

「またあとで名前呼んで」
「別にいーけど、今じゃなくていいの?」
「うん、後ででいい。……明日も呼んでね」
「いいよ」
「明後日も、その先の日も呼んでよ」
「言われなくても呼ぶって」
「竜胆くん」
「なに、リコ」
「……一緒にいたい」
「……」
「そばにいさせて」


 掠れた声で漏らされた酷く小さなそばにいてという言葉と、強められた腕の力が全部の答えだった。

デブに真珠

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