オレには幼馴染みが三人いて、そのうちの二人と行動を共にすることが多い。
 一人は実家の道場で出会った奴で、もう一人は兄経由で知り合った奴。前者は男で、後者は女。家の都合で祖父母の家に引っ越してきたと聞いていて、オレたち二人に関して言えばお互いの兄が同い年なこともあってか話が合ったし、三人とも同い年だったからすぐに打ち解けて、小学校でも一緒にいることがほとんどだった。

 幼馴染みの男の方の場地は馬鹿だけど底抜けに明るいし人が良いしで、色んな奴から慕われる。女の方のナナはと言えば、場の空気を読むのが上手いから人間関係もそつなく一定のラインを維持する。オレたちの友情が十年近く続いたのは、二人の持ち合わせたそう言う部分があったからだろう。男女の隔たりもなく、ただの幼馴染みとしてオレたちの間には筆舌し難いほど強い友情が常にあった。


 そもそも男女の友情の大きな弊害になるものは、妹のエマに言わせれば「恋心」だ。場地とナナにはその「恋心」を幼馴染み三人の中でぐるぐると向け合うつもりが一切ないようだったし、ナナに関しては分かりやすくオレの兄に想いを寄せていた。オレたちは長年変わらないそれを茶化しつつ応援するポジションであり、そうすることによって三人の中からは「恋心」が排除されていく。
 場地は馬鹿で単純だから、恋愛より友情や喧嘩や自分にとって面白いことを優先したがった。ナナはオレの兄であるシンイチローに夢中で、他の男は眼中にない。そうなってくると、友情を維持するためにはオレも「恋心」を捨てて然るべきだという暗黙の了解にすらなれないひとつのルールがオレ自身に課される。

 クラスメイトや他校の友人たちに「誰かが誰かを好きだったりしないのか」と幼馴染み内での関係を問い質されても、場地はアレだし、ナナは兄のことが大好きだからと返せばそれで問答はすぐに終わるのだ。それほどに場地は色事に欠片も興味を示さなかったし、ナナからシンイチローに向けられる想いは強固だった。


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「シンイチローってアイツのこと好きなの?」

 ワンピースの裾を揺らし控えめに手を振りながら向日葵のような笑顔で帰っていった幼馴染みの背中を目で追ってから、その背中に手を振り続けている兄にそう尋ねた。えっと声を上げ、ぎょっとしてこちらを見下ろした様子から察するに、どうやら図星らしい。
 今度はオレに向けて顔の前で両手を振りながらなんだかんだと言い訳をしている兄から目を逸らして、もう背中も見えなくなった幼馴染みの姿を思い出す。中学に上がって制服を着始めてから急に大人びて見えるようになったけれど、兄と会っている時はそれが顕著だ。多分背伸びをしているわけじゃなくて、自然にそうなっているのだろう。つくづく恋とは不思議なものだ。

 聞く耳を持たないオレに痺れを切らしたのか兄はしばらくしてから言い訳を諦めた。もう一度見上げれば、どこか照れ臭そうに頬を掻いて笑っている。

「本人には言うなよ」
「もう気付いてんじゃねえの?」
「え⁉︎」
「ウソ、冗談」

 あまりにも驚くから間を空けずにそう伝えれば、一瞬見開かれた瞳に安堵の色が乗る。あいかわらず面白いくらい表情がくるくる変わる兄だ。幼馴染みも兄のこんなところを好きになったのだろうか。
 カウンターに置かれている小さなカゴの中から適当に飴を取って封を開け、口の中に放り込む。この甘ったるさはいちごミルクか。

「好きって言えばいいのに」
「せめて高校卒業するまでは言わないつもりなんだよ」
「あー、そっか。今付き合ったら犯罪か」

 二人とも誕生日をまだ迎えていないから二十二と十二で、確かに年齢的にはアウトだ。兄が逮捕されるのも幼馴染みが周囲からそう言う目で見られるのもオレ的にも嫌だし、あと五年待つというのはなかなか妥当な判断なのかもしれない。そう考えると案外前途多難な恋だ。

 でも、アイツ結構モテるからなあ。案外五年後には別の男とソーシソーアイってやつになってたりして。いや、ないか。分かりやすいぐらいにお互いのこと好きなんだし、突っ込んでってちょっかい掛けるのは気が引けるのは誰だって一緒だろう。
 特に幼馴染みの方なんて、口を開けば「真ちゃん真ちゃん」しか言わないから、もうみんなアイツの好きな人が「真ちゃん」だと知っている。あの場地にすら知られているんだから相当だ。

「アイツが姉ちゃんになるかもしれないのか……」
「姉ちゃんって、それはまだ早いだろ」
「どうだか」

 兄は何を想像したのか照れているけれど、早くて五年、遅くても十年とかそこらだろう。幼馴染みが義姉になる可能性はかなり高い。

 照れ照れと幼馴染みに関して何か言っている兄に適当に相槌を打ちながら、奥歯で飴を噛み砕く。本当に前途多難な恋だ。大切な兄とずっと好きだった女が結ばれていく過程をこんなにも近くで見ていなければならないとは。


 これまでずっと、誰よりも近くでナナの「恋心」を見てきたのはオレと場地だ。最近は特にオレが今日みたくシンイチローの店で話している二人と合流することが多くて、その度にどんどん強まっていくナナとシンイチローのお互いがお互いに向ける感情を見せつけられる。

 二人のことはもちろん好きだ。兄で家族で、幼馴染みで友人。それでも、その好きな二人に幸せになってもらいたいと思うのと同じだけ、何故自分ではないのだろうとも思ってしまう。どうしてオレではないのだろうか。


 シンイチローは弟のオレが言うことじゃないけど、良い奴だ。誰からでも愛される。喧嘩は弱いし、ナナのことが好きなくせに他の女に告白してフラれてみたりするし、感動するとすぐ泣く。だけどそういう所もまるっと含めてシンイチローは良い奴で、オレもナナもそんなシンイチローが好きだった。その好きの形が違うだけだ。
 ナナだってそうで、誰からだって好かれて大切にされる。そうされた分だけその人を好いて大切にすることが出来る。その兄とよく似て一目見ただけで頭にこびり付いて離れなくなるような美しさはもちろんだけど、それを抜きにしたってナナの心は綺麗だ。シンイチローはナナのそんな所を好きになったんだろう。そしてオレも、ナナのそういう所を好きになった。その好きの形が一緒だった。


 ナナはシンイチローが好きで、シンイチローはナナが好きで、オレはナナのことが好き。ナナとシンイチローの両方を知っている人ならほとんど皆が二人が想い合っていることを知っている。知らないのは当事者二人だけで、だけどオレがナナのことを好きだと知っている人は数えられるほど居ない。オレだけだ。

 何せ、これは恐らく知られてはならないことだろうということはオレ自身がよく分かっているのだ。もうずっと前から分かっていて、だからこそ誰にも気付かれないようにナナと幼馴染みで友人でいることを選んだ。オレと場地とナナの間には友情しかないのだという顔をし続けてきた。成立する余地のない「恋心」を葬り去るのは難しかったけれど、隠すことは簡単だ。

 そうして隠し通したまま、いつかナナはオレの義姉になるのだろう。オレの望まなかった形でオレたちは家族になり、それでもオレの大好きな二人は結ばれて幸福になる。オレと場地とナナはずっと幼馴染みのまま、それだけは変わらないまま生きていく。


 好きな人二人が幸せならばそれでいいと割り切ったとして、ではオレの「恋心」はどこに行くのか。ナナがシンイチローを思い続けてきたのと同じだけ、オレはナナを思い続けてきた。その間にも増えて膨らんで、隠すのでもうやっとだ。なかったことにするという選択肢を取れるほどの大きさではなくなってしまっている。
 だけど正解も、オレの取るべき選択肢も、今となっては隠して捨ててなかったことにするだけだ。そもそもオレは土俵にすら上がれていないのだから、それが当然なのだろう。

 とは言え、繰り返している通りこの感情を捨てることは容易ではない。きっとこの先もオレはナナを好きなまま、誰よりも近くで二人の変わり行く関係を見続けることになる。


 本当に不毛で手遅れで、どうにもならない相手に恋をしてしまったものだ。前途多難も何も、オレの「恋心」にはもう前がない。あったのだとしても、進むことを許されていない時点でないも同然だ。
 そんなオレに許されることは、大切な兄とずっと好きだった女がどうか幸せになってくれることを願うことぐらいだろう。オレが幸せにしたいなどと思うことは許されそうにもない。
ふたつおりのひとひら