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 世の中ほとんどの職業が信用商売なのだろうけれど、退治屋シロクロに限ってはそうではない。


 そもそもが退治屋なんて言う怪しげな職種であるし、事務所も持たずに自分たちの身一つであっちこっちを駆け回っている退治屋に依頼をする時点で依頼者は精神的にも肉体的にも相当追い込まれていることが多い。大抵は神社や寺などに相談を持ち込んでどうにもならないと判断をされ、行き場のなくなった依頼者が泣きながら電話を掛けてくるのが退治屋シロクロなのだ。狭く人の少ない除霊界隈における駆け込み寺みたいなもの。

 しかし駆け込み寺と言えど前述の通り事務所というものを持たずにその身一つと武器数本を使って仕事をしているので、形のない駆け込み寺になる。依頼の電話が来たらひとまず現在地を教えて貰ってそちらに向かい、依頼内容や交通費や報酬に関して話し合ってさっさと除霊して終了。手順を踏まずとも物理でどうにか出来ると知っているので、七面倒臭い儀式なんてものはすっ飛ばして即除霊だ。時折数日から数週間掛かるケースもあるにはあるが、大抵は数秒から数分で終わる。なので基本的に二人は暇をしている。

 加えてそこまで熱心に仕事を求めているわけでもないので、積極的に自分たちを売り込むこともしない。それでも一応顧客の獲得を目指してネット掲示板のオカルトスレで退治屋名義で書き込みをしてみたり、野良の人ならざるものを祓ったり、同業者とヤバそうな案件を共有したりして日がな一日を過ごしている。後は気紛れに帰省してみたり、観光地で遊んでみたり。割合でいえば休んでいたり遊んでいたりする方が七割近いだろうが、結局暇なので仕方ない。
 退治屋シロクロのクロこと黒川イザナの妹には「本当に働いてるの?」と心配そうに聞かれる有様だ。まあ一応働いてはいる。ヤのつく仕事とはまた違った意味でアウトゾーンではあるが。


 閑話休題。

 これまでの話からは分からないことだが、退治屋が信用商売でないと断ずるには複数大きな理由がある。そもそも二人が信用されるような行動をしていないこと、更にその上で二人がここまで生き残っているということだ。

 退治屋と言うだけあって、仕事は基本人ならざるものを退治すること。除霊屋を名乗るよりも退治屋の方がポップな気がするというシロクロのシロの方こと山導茉白の意味の分からない意見を採用して退治屋を名乗っているが、やっていることは要は除霊だ。物理に頼りきっていたとしても祓えていればそれはもう除霊であるからして。


 そしてこれまた当たり前の話だが、除霊と言うだけあって霊を除くわけだ。人ならざるものと相対することとなる。


 そもそもこの世の大多数の人間はまず人ならざるものが見えず、そして人ならざるものが見える人間にも強弱がある。所謂、見えて祓える人間と見えても祓えない人間。茉白とイザナは前者であり、かつ人と似た形をしているからなんだとばかりに殴り掛かることが出来る中々稀有な人間だった。人ではないことを確認した上でそれならばとバットやらスパナのようなものやらでゼロ距離殴打をぶちかますのだから、界隈の中でも「シロクロは人の心を失っている」と密やかに噂されるのも無理のない話だ。
 これまでの歴史において、人ではないと分かっていても人に似た形をしている人ならざるものを祓えずに命を落とした除霊師はそれなりにいる。
 そんな除霊界隈において、若い上に見えて祓えて躊躇がない──イザナは「おばけ」が普通に怖いけれど、躊躇は持ち合わせていない──二人は稀有かつ貴重な人材として重宝されている。百年に一度どころか五百年に一度現れるか否かの実力を持つ期待の新人(除霊歴は中堅や古参に並ぶレベル)ともなれば、界隈の面々も優秀な若人への嫉妬心などかなぐり捨てて保護及び捕獲へと走るものだ。


 その待遇が確約された時点でもう二人には他とは比にならない程の価値があり、やらかして死ぬまでは一生職には困らないだろう。人に依存して生まれる人ならざるものが絶滅するのは人が絶滅する時であり、その時には人である茉白とイザナも漏れなく死ぬ。
 よって、人の絶滅を待たずしてシロクロが除霊の最中に不祥事を起こして死ぬか、もしくは事故事件に巻き込まれて死ぬかのどちらか以外でシロクロが仕事を失うことな有り得ないわけだ。除霊界隈から干されることもまず有り得ないし。


 ある意味でこの仕事は、自分たちの生存を持って信用を買う究極の信用商売と言えるのかもしれないが、一度手にした信用が離れることがない以上信用商売を名乗るのは不適切だ。

 そこから導き出される結論として、退治屋シロクロは信用商売ではない。



 そんな退治屋シロクロは起業理由「なんとなく」、存続理由「なんとなく」なめちゃくちゃな方針で日々日本全国津々浦々を駆けずり回っている。そうする内に元々素晴らしかった腕は磨かれ続け、今となっては界隈でも上から数えた方が早い実力を持つ。対価さえ寄越されれば基本的にどんな案件でも請け負うことが経験に繋がり、その経験が二人を生かす。その二人を信頼して厳しい案件が回され、また経験を積み。素敵な無限ループはもう完成しているのだ。

 まあ、それほどに実力や生存力が評価されていなければ駆け込み寺にも頼みの綱にもなれないし、同業者たちだって自分はやりたくないけれど放っておくと寝覚めの悪い案件をシロクロに回したりはしない。適当なことをやっても許されるだけの積み重ねと実力と有り余るほどの生命力があるから、二人は自由気ままに適当なことが出来ている。


 とは言え、そんな二人にだってやりたくない案件は存在しているわけで。


「パス」
「無理」
「そこをなんとか……」

 平日の十五時過ぎ。都内某駅を出て数分ほど歩いた場所にある定食屋にて。
 礼儀もクソもない明け透けな一言でそれぞれ拒否の意を示した茉白とイザナは、少し遅い昼食であるサバの味噌煮定食に箸を付けて舌鼓を打つ。店構えは立派とは言い難い上に駅ビルやおしゃれなカフェに周囲を囲まれてはいるが、この店の定食は全て一級品だ。かく言う二人も幼少の頃に知人に連れられて初めて訪れて以来、ずっと贔屓にしている。

 アユは塩焼きサバは味噌煮と食の嗜好の似通った二人が揃って黙々と食事を進めている間にも、本日の依頼者である男はペコペコと頭を下げながら「そこをなんとか」「どうにかなりませんか」と繰り返している。ランチタイムを少し過ぎた時間かつ店内に客は三人しか居ない上に店主が茉白とイザナの職業に理解があるからまだいいものの、これが昼時で他にも客が大勢居たのならなんとも迷惑な客になってしまう。今の時点でも重々迷惑な客だし。

 店主も幼い頃から見守ってきた故か茉白たちに良くしてくれているとはいえ、気に入りの店で出禁扱いは避けたい。箸を動かす手は止めずに視線を交わして見つめあった二人は、一拍置いて茉白の方が箸を下ろした。無礼ポイントを稼ぐことに余念のない二人ではあるが、無礼ポイント(物騒)の獲得が得意なイザナではなく無礼ポイント(めちゃくちゃ)の獲得を得意とする茉白をぶつけて依頼者を追い払う魂胆である。


 箸を下ろしてお茶をひとくち飲んで暫く。一目見て分かる程に高級そうなスリーピースを見に纏った、お世辞にも綺麗とは言えない定食屋には似合わない風貌の年上の男相手に茉白が口を開く。

「食べたら?」
「え?」
「せっかく頼んだんだし、食べたらどうです? ここのサバの味噌煮はすごく美味しいですよ」

 注文時にも言ったことを再び繰り返し、またお茶で口を潤すと敢えて音を立てて湯呑みを机に戻した。視線を一度も手を付けていない定食に落とした男が、その音に僅かに肩を震わせて茉白へと視線を戻す。
 その後に茉白の左隣で食事を続けるイザナにも視線は向けられたが、イザナは視線に気付いてもそちらを見ようとはしなかった。代わりにもう一度視線を向けられた茉白が小さく笑って目線だけで食事を促す。

「……これを食べれば話を聞いていただけるんでしょうか」
「話を聞く対価に食事をするとか、お店の方にも作っていただいた料理にもすごく無礼な気がしますけど」
「しかし……」
「礼儀は大切ですよ」

 畏まって忠告でもするかのように告げられた言葉にお前が言うなとイザナは思ったけれど、ツッコミと食事なら食事優先だ。家庭の味を持たない二人にとってはこの定食屋で振る舞われる料理こそが家庭の味に最も近い。しかも近々案件が立て込む予定であるし、味わえるうちに味わっておきたかった。訪れた先で追加の案件を任されることも多い退治屋としての定めではあるが、今度ここに来れるのがいつになるかも分からないのだ。


 茉白も茉白で早く続きを食べたいなあ、出来ればお味噌汁おかわりしたいなあと呑気に考えながら、どうにか目の前の男を追い返せないかと試行錯誤している。
 分かりやすく適当かつ舐め腐った態度で応対する? それだとドン引きはさせられても追い返す決め手には欠ける。じゃあやっぱり私たちには無理ですと断言する? それは茉白は勿論、イザナのプライドも許さない。だってやろうと思えばやれなくもない、というかやれてしまえる案件だ。本人の口から詳細が話されていないから二人の勘での判断ではあるけれど。


 礼儀を説かれた男はあからさまに顔色を悪くさせて、微かに震える手で箸を掴む。茉白はそれをしばらく見つめた後に、黙って自分の食事を再開させた。
 何となく食事中は無言になってしまうのは、茉白もイザナも人生の大半を過ごしてきた「あおぞら園」のルールのひとつに黙食が掲げられていたからに違いない。守っている人間の方が少ないルールではあったが、容姿と言動もあってか当時から周囲で浮きがちだった二人には食事時に会話をしてくれるような相手はお互いとあと一人ぐらいしかいなかったのだ。その一人も今はここにいないし、揃って施設を出てからの二年も何となく黙食文化は続いている。


 暫し三人での無言の食事が続き、途中で茉白とイザナが味噌汁をおかわりしたり米をおかわりしたりしたものの、依頼に関しては誰も何も触れようとはしなかった。数ヶ月に一度店を訪れる馴染みの客として歓待を受けた二人と、それからついでに男にも特別サービスとして杏仁豆腐が振る舞われたが、これも特筆するほどのことでもない。すごく美味しかったの一言に尽きる。


 さて、二人に遅れて男も食事を終えて暫く。普段ならば依頼者とは言え見ず知らずの男など置いて帰るところだが、今回に限ってはそうもいかなかった。何せこの男、渋る二人を追いかけ回して定食屋まで着いてきた前科があるのだ。本日はイザナの妹の実家に泊まる予定でもあるし、そこまで着いてこられたら最悪だろう。そうなれば人相手にも暴力という手段を躊躇わないイザナがキレ散らかすことは自明の理だ。警察沙汰は避けたいと言うのが二人の本音。

 だからと言って、この案件を受けるかと言われれば、うん。まあ受けたくないわけだ。

「それで、あの、話は聞いていただけますよね……?」
「うーん……うん、ちゃんと話してくれるなら、聞くぐらいはいいですよ」
「ちゃんとだからな。一から十まで嘘なしで、だ」

 畳み掛けるような二人の言葉に男はまた顔色を悪くさせ、目線を逸らして下を向く。ハッキリとしないその態度にイザナは眉を寄せ、茉白は興味がなさそうに机の上に両手を乗せて伸びた爪を眺めた。イザナの妹の実家に行くといつもお揃いだと言ってネイルを施されるから、帰省前には気を使って伸ばすようにしているのだ。今回も綺麗に伸ばせているし及第点は貰えるだろう。

 久々に会う年下の女の子のことを考えて僅かに頬を緩ませる茉白をぼんやりとイザナが眺めていると、意を決したのか男が顔を上げた。茉白は元より興味が無いのでそちらを見ようともしない。仕方なくイザナが目線だけ男に向けて話を促す。


 昼下がりの定食屋。客は三人きり。店主が食器を洗う音と付けっぱなしのテレビから流れるニュースキャスターの声だけが不思議と響くそこで、男が語り出したのは正に退治屋向けと言えるような話だった。
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