Turn.21
ハグの日
仕事が終わり、自宅のマンションへようやく到着した。ロビーにある自分の部屋のポストを確認すると見覚えのない大きな封筒が入っていた。
「これは……? って、ああーっ!」
封筒の文字を見て驚愕の声を上げた。こうしちゃいられない。急いでエレベーターに乗り込み、自室の階で止まったのを確認して一目散に部屋へと走る。ドアの鍵を開けて靴を脱ぎ捨てる。部屋の電気をつけ、リビングのカーペットへタッチダウン!
封筒を開けて中身を見るとニヤニヤが一層大きくなる。逸る鼓動を押さえながら携帯を取り出し、うまのすけさんに電話をかけた。
「おい起きろ! 起きろコラぁー!」
朝から騒がしい声が部屋の外で響いている。全く、どこの誰だろう、こんな迷惑な人は……と思いながら重い瞼を開ける。
意識がはっきりしてきて、その傍迷惑な人物は私の部屋の前で何回もチャイムを鳴らして居ることがわかった。
「苗字! 起きろつってんだよ!」
「!!」
この声はうまのすけさんだ!
私は昨夜の記憶が蘇り、勢いよく飛び起きた。髪の毛をサッと整えて玄関を開けると、そこには不機嫌そうなうまのすけさんが居た。
「おまっ……パジャマって、寝起きかよ! ふざけんな!」
「ご、ごめんなさい! 今すぐ支度します! リビングで待ってて下さい!」
私はすぐにまた寝室へ戻り、クローゼットから洋服を取り出す。
うまのすけさんは寝室のドアの前で「早くしろよ」と言ってきた。私が着替えている部屋のドアのすぐ向こうでうまのすけさんが待っていると思うと……急に恥ずかしくなって鍵を閉めた。
「覗かないで下さいね!」
「鍵閉めて言う台詞じゃねーだろ!」
ドアの向こうからはブツブツとうまのすけさんの文句が聞こえてくる。リビングで待っていてと言ったのに……困るなぁ……。
「ったく……お前が『トノサマンの劇場版のチケットが手に入ったので一緒に行きませんか!? いえ行くべきです!』なんて言うからわざわざ来てやったのに」
「すみません、楽しみすぎて寝れなくって……でも気付いたら寝ていました!」
「お前は遠足前の小学生か!」
そう、昨夜、私の部屋のポストにあった郵便物は劇場版トノサマンの無料招待チケット。二枚入っていたのだが、あいにく私の周りにはトノサマン好きがいない。そもそも知り合いすら居ないのだ。
しかし以前、トノサマンショーの警護を一緒に行ったうまのすけさんならと思い、昨夜電話で誘ったのだった。まさか本当に誘いに乗ってくれるとは思わなかったけど。
「よし、支度出来ました!」
「うおあああ!?」
私は寝室の鍵を開けてドアを思いっ切り開く。寄りかかっていたうまのすけさんは盛大に床に転んだ。
「あれ? なに寝てるんですか?」
「お前のせいだ! お前の!」
「もー早く起きてくださいよぉ!」
「ふざけんな! いい加減にしろよお前!」
「ひゃあああああ!」
うまのすけさんは勢いよく起き上がって私に襲いかかってきた。反射的にうまのすけさんから離れて逃げ出す。
リビングへ逃げ込むと、その直後にうまのすけさんがやってくる。うまのすけさんの顔はどうしても何か仕返しがしたいように見える。誤魔化そうと、私は壁に掛かっている時計を見て大きな声を上げた。
「あっ、うまのすけさん大変! 時間が!」
「チッ! 仕方ねえな……」
「ね! 急がないとですね!」
うまのすけさんは納得行かないといった表情で構えを崩した。そして私がうまのすけさんに近付くと彼の手が私の顔を捕らえた。
「ぎゃああ!」
「おらあ!」
頬を強く押さえられ、私の顔は間抜けに変形する。
「ひゃめへふははいよお!」
「お前が先にやってきたんだろ!」
「わひゃほひゃないへふー!」
しばらくの間ぐにゃぐにゃと弄られてからようやく顔を開放された。……ほっぺがじんじんする。
それから急いで支度の続きをし、私とうまのすけさんは部屋を出た。
***
「はあ……やっぱり素敵ですね、トノサマンは!」
「まあ、なかなか面白かったぜ」
「素直じゃないですねぇ……」
「うるせえ! いきなり劇場版から入る俺には展開についていけないんだよ!」
私とうまのすけさんは無事に上映時間前に到着し、劇場版トノサマンを見終わった。大満足な私は、上機嫌でうまのすけさんと映画館の出入り口へ向かって歩いて行く。
その時、見覚えのある人物を見かけた。
あの赤い服に首もとのヒラヒラ、グレーのセンター分けの髪型に、眉間の皺。そうだ、彼はひょうたん湖公園でトノサマンショーの警護の時に、マシスさんから助けてくれた方だ。
私が記憶を掘り返していると、彼は視線に気付いたのかこちらへ向かってきた。
「こんばんは。以前、トノサマンショーでお会いした方……ですよね」
「うム。君は確か矢張にしつこく声を掛けられていた……名前さん、と言ったか?」
「はい! ええっと、御剣さん?」
「覚えていてくれたのだな。しかし、今日の君は一段と綺麗なので、一瞬気付かなかった」
「えっ……!?」
私は御剣さんの思わぬ褒め言葉に頬を染める。
例えリップサービスだとしても、綺麗だなんてあまり言われた事がなくて嬉しかった。
「それと君は……一緒に居た警護の者か」
「内藤だ」
ムッスーとした表情でうまのすけさんが答えた。御剣さんはうまのすけさんを見て、更に眉間にしわを刻んだ。お互いに睨み合い、どこか不穏な空気を漂わせながら見えないはずの火花が散っているように見える。うわあ……目つきが悪い人同士が睨みあうとなんだか怖いな。
「行こうぜ苗字」
「あ、はい……っ」
「待ちたまえ。名前さん、良ければこれから食事へ行かないか? あの時の矢張の非礼を詫びようと思っていたのだ」
御剣さんはキザな手つきで私へ一礼する。
「えっ……」
「あいにくそんな暇はないんでね」
私が返答に困っているとうまのすけさんが勝手に答えた。
「貴様には聞いていない」
「なんだと?」
またも御剣さんとうまのすけさんの間に火花が散り始めた。もしかしてこれは、"私の為に争わないで!"とかいう、女性なら誰もが一度は言ってみたい台詞の場面かもしれないが、私にはそんな命知らずな真似は出来ない。というか、うまのすけさんはいちいち相手に噛み付き過ぎですよ。
私がおろおろとしていると、知らない男性が笑みを浮かべながら二人の間に割り込んできた。
「あれー? 怜侍君じゃなーい」
「信楽さん!」
御剣さんはその男性を知っているようで何やら驚いている。
「どうしてあなたがここに?」
「オジサン、実はトノサマン好きなんだよ」
信楽さん、と呼ばれた男性はニッと歯を見せながら笑い、人差し指と中指を揃えて伸ばしたり曲げたりしている。
「で、この子は?」
「彼女は名前さん。私の知り合いだ」
「初めまして、よろしくお願いします」
「おや、怜侍君ってば隅に置けないなぁ」
「か、彼女とはそのようなアレでは……!」
信楽さんの言葉に御剣さんは狼狽える。御剣さんの否定に「そうなんだ」と言うと信楽は私に視線を移し、両手を広げた。
「初めまして、信楽です。可愛らしいお嬢さん、良かったらお近づきのシルシにハグを!」
「え?」
「はあ!?」
「信楽さんっ!」
信楽さん以外の三人の声が見事に重なった。海外に居た頃は挨拶代わりによくハグをするもので、あまり抵抗は感じなかった。あの頃を思い出してちょっと懐かしい。
「いいですよ、ぜひ」
「よーし、ぎゅーだ!」
私の承諾が予想外だったのか、うまのすけさんと御剣さんは驚きの声を上げる。
「おいこら待て! ふざけんな!」
「早まるな名前さん!」
二人の制止も聞かずに私は信楽さんの胸に飛び込むと、彼の腕が優しくを包み込んでくれる。そしてすぐに離れようとしたが、おかしい。信楽さんは私を離してくれない。
「すみません信楽さん、そろそろ……」
「んー嫌だなぁ、オジサンこのまま名前ちゃんをお持ち帰りしちゃおっかなー」
なんという笑えない冗談。私が信楽さんの腕の中で困っていると、うまのすけさんが人差し指を信楽さんの頭に突き付けた。
「ここがアメリカだったらアンタ今頃蜂の巣だぜ」
「ちょ、ちょっと嫌だなぁ、軽い冗談じゃない!」
自分より10cm近く身長の高い男に凄まれ、信楽さんは慌てて私を離した。直後、うまのすけさんが私の腕を掴んで引き寄せる。
「あばよ」
「ちょっ、うまのすけさん! 歩くの速いです! ご、ごめんなさい! また今度!」
まだお別れの挨拶もしてないのに、うまのすけさんは私の腕を掴んだままズンズンと外へ出て行ってしまった。御剣さんと信楽さんは何も言えずにポカンとしていた。
「ったく、お前は誰とでもあんな事すんのか!?」
近くの公園に到着するやいなや、うまのすけさんに怒鳴られる。
「だって、海外では挨拶でしたし……」
「ここは日本だ!」
う……確かにそうですけども。
不機嫌そうに唸るうまのすけさんは何か閃いたような顔をして、私に言った。
「じゃあ俺にハグしてみろ。挨拶なら出来んだろ」
「うえっ!? は、はい……」
私は腕を広げるうまのすけさんの正面に立つ。その広い胸板を見つめると、何故か急に意識をしてしまい、私はその場から動けなくなった。
「……無理です!」
「何でだよ」
「だって、うまのすけさん相手だと何だか恥ずかしいんですもん!」
「なッ!?」
私の言葉にうまのすけさんは顔を赤くした。なんとなく微妙な空気が2人の間に流れる。私はただ恥ずかしくて俯いていると、うまのすけさんの手が私の頭に手を置いた。
「バーカ、冗談だ」
わしゃわしゃと頭を撫でられるが、私はまだ少しドキドキしたまま。気持ちを落ち着けようと、一緒にベンチに座るが、お互い黙っている。
うまのすけさんと居ると楽しくて嬉しくて幸せで、……それなの何故か、胸が苦しくなってしまう。
この気持ちは一体、どういう事だろう。
初めての感覚に私は戸惑うばかりで、自分が一番不思議で仕方ない。
でも今は、何と言えばいいのかわからない感情に答えを出すよりも、うまのすけさんと一緒に居られる時間を大切にしようと思った。
(20120127)
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Smotherd mate