Turn.25
契約破棄
河合さんのボディガードを始めて3日が経った。
私とうまのすけさんの気まずい空気と、河合さんのやたらうまのすけさんにベタベタする態度は続いていた。
段々と心のどこかでどうでも良くなってきたと思うのは、彼との心の距離が空いてしまったからだろうか。
今日も胸にモヤモヤを抱えながら、河合さんを駅まで迎えに行く。
不安だった。
2日目の昨夜、私達の後を尾けている足音は増えていた。5人くらいは居ただろう。うまのすけさんが気付いていたかは知らないけど。
「お疲れ様です。今日もよろしくです〜」
キャピッという効果音が聞こえた気がした。さっさとこの依頼人の仕事を終わらせて次の仕事に取り掛かりたい。そうしたらきっと、うまのすけさんとの微妙な空気も払拭出来ると思うのに。
そして一言、ちゃんと謝りたい。
あの時の謝罪なんて、きっとうまのすけさんには届いていない。素直になってもう一度、うまのすけさんに伝えたい。
私はいつから、こんなに自分勝手な考えをするようになってしまったんだろう。自責の念にかられて胸がギュッと締め付けられる。あんな偉そうな事を言っておきながら、仕事に集中出来ていないのは私も同じだ。
「……でね、ナイトさん〜」
「へいへい」
河合さんは全く口を閉じる気配もなくうまのすけさんに話しかけている。うまのすけさんも流石に相手をするのに疲れてきたのか生返事だ。
角を曲がり、暗い一本道へ出た時だった。数人の男が私達の行く先を塞いだ。
「「――ッ!!」」
私とうまのすけさんは河合さんを守るようにして身構える。2、4、6、……9人か。この男達が河合さんを尾けていた犯人に違いない。
「失礼ですが、何の用ですか?」
「お、お前らこそ何だよ! 急に現れて俺達の邪魔しやがって!」
「ストーカーに言われる筋合いはありませんね」
「はあ!? 俺達はストーカーなんかじゃねえ!」
そうだそうだ、と他の男達も声を上げる。
どういうことだ、と私は河合さんの方を見ると、怯えた表情でうまのすけさんの腕を抱くように掴んでいた。それを見てまた苛立つ。
「私、わかりません! ねえ助けてナイトさん!」
河合さんの言葉に、男達は更に怒り狂って怒鳴り散らす。
「ふざけんな! 俺達はその女に騙されたんだ!」
「そうだ、何かやり返さないと気が済まねえ!」
「俺なんか50万近くも貢いだのに、その後連絡なしだ!」
……なるほど。
彼らはきっと、河合さんに騙された哀れな男達だ。そして、その被害者の会のようなものだろう。
「……確かに、彼女はあなた方に悪い事をしたかもしれません。しかし、たった1人の女性に寄ってたかって仕返しするなんて、褒められたものではありませんね」
「おい苗字……」
「その根性叩きなおしてあげます」
ちょうどいい。非常にムシャクシャしていたところだ。うまのすけさんの制止も聞かず、私は指の関節を鳴らしながら前へ出た。
「お、おい……どうするよ……」
「いや、相手は女だぜ……?」
「ていうか俺らそんなつもりじゃなくて、ただそこの女と話せればって……!」
男達はそれぞれ戸惑いや言い訳の言葉を口にする。どちらを信じるかと言われれば、仕事上、依頼人であるべきなのだが。
「……と言っていますが、河合さん、あなたはどうなんですか?」
「ハンッ! 知らないわよこんな男ども」
吐き捨てるように言う河合さんの言葉に男達は「なんだと!」「ふざけるな!」と次々に抗議の声を上げた。
「あれっぽっちでアタシを手に入れようなんて甘いのよ。今、私にはこのボディガードさんがいるからアンタ達は用無しよ! ふふふふ、ご苦労様!」
ああ、これが彼女の本性か。
ここで男達の神経を逆撫ですればどうなるかは目に見えているはずのに、わざわざそうするのは勝ち目があると確信しているからだ。
「この女、絶対許さねえ!」
「やっちまえ!」
男達がその声を合図に一斉に走り出した。私は腰を落として迎撃の態勢をとる。
「苗字!」
「うまのすけさん、河合さんを安全な所へ!」
河合さんという荷物に引っ付かれている以上、うまのすけさんは自由に動けないだろう。ここは私が食い止めなければ。
「馬鹿かお前!? 1人でその大人数を倒せるわけねえだろうが!」
「良いから早く! 依頼人を守るのが私達の仕事でしょう!」
「んふふ、行きましょ。ナイトさん」
「くそっ……!」
うまのすけさんは舌打ちをしながら、河合さんを連れて後ろへ走り出した。……そうです、それで良いんです。
幸い、この通りは狭いので囲まれる心配はない。相手の攻撃を見切り、確実に一人ひとりの急所を突いていく。捕まってしまえば終わりだ。複数人を相手にするのであればより集中力が必要となる。
……けどね、そんな事はどうでもいいんですよ。
守りたくもない相手を守る為に戦い、そしてその相手に大切な人を奪われるかもしれない不安、それらが今の私に力を与えていた。
大切といっても別に変な意味ではない。きっと私はうまのすけさんとのペアが一番仕事しやすく、本当は安心して背中を預けられるんだ。
5人ほど気絶させたところで、他の男達は動きを鈍らせた。
「どうしたんですか? もうお終いですか?」
「お、お前いけよ……」
「嫌だよ、怖え……!」
"怖い"か……。今の私は彼らにそう見えているのだと思うと、自ら取った行動なのに何故か少しだけ胸が痛んだ。
このまま引き下がってくれればいいんだけど……。あれ、男達の人数が少ない? 最初に見た時に9人居たはず。倒れているのは5人、目の前で怯えているのは2人。あと2人足りない。……まさか!
嫌な予感がして、私はすぐにうまのすけさん達の元へ向かって走り出した。河合さんの悲鳴が聞こえてきたので、そう遠くはないだろうと声を頼りに向かう。
そして2人の姿を見つけたが、相変わらず河合さんはうまのすけさんの腕に……いや、体に抱き付いていた。
それを見た瞬間、私の中で何かが切れる音がした。
一層速度を上げて2人に向かって走る。そんな私に気付いたうまのすけさんが慌てて河合さんを離そうとするが、河合さんは私の顔を見て悲鳴を上げるばかり。
「うおっ、苗字!? いや違うんだこれは、ちょっ……離せ!」
「いやあああ怖いいいいぃ!!」
私は2人にぶつかる手前で思いきり膝を曲げて跳んだ。
「伏せろ!」
「きゃああっ!」
うまのすけさんは河合さんの頭を押さえて一緒に伏せ、私は2人の頭上を行き、反対側からうまのすけさんに殴りかかろうとした男に飛び蹴りを喰らわせた。男は首をガクンと揺らして倒れ、もう1人は倒れた男を揺さぶりながら声を掛けていた。
私はスーツについた汚れを手で払い、着衣の乱れを直しながら声を掛ける。
「ふう……。大丈夫でしたか、河合さん」
「え……ええ……」
「悪い、苗字」
「いえ、うまのすけさんのせいではありません」
いつの間にやら男達は逃げ出していたので、私とうまのすけさんは仕事を再開。河合さんを家まで無事に送り届けたところで本日の警護は終了した。
「今日はありがとうございました〜。かっこよかったですぅ」
「河合さん。あなたはもう少し自分の行動を改めたほうが良いと思います」
「……え?」
私が発した突然の厳しい言葉に、河合さんの笑顔にヒビが入った。依頼人だろうと容赦しない。私は今回の件で非常に頭に来ている。
「彼らはストーカーではありませんでした。原因を作ったのは河合さんです。あなたの男に甘える態度が彼らをそうさせたのです」
先程の乱闘騒ぎで拾った数枚の宝石店や有名ブランド店の領収書を河合さんに見せる。それらは顔合わせで部屋に招かれた際に見たブランド物と一致していた。
「私は同じ女性としてあなたを許せません。人を馬鹿にするのもいい加減にしてください」
「……うるさいわね。どうしてそこまで言われなければいけないの? いいじゃない、結果的に助かったんだから!」
全く悪びれる様子もなく彼女はそう言い放った。険悪なムードが3人を取り巻く。
その時、うまのすけさんの携帯に着信が入った。
「はい、こちら内藤。ああ、リーダー。……了解。失礼します」
短い電話を終え、うまのすけさんが顔を上げた。そしてきっぱりと河合さんに告げる。
「河合さん、申し訳ありませんが本日であなたの警護を終えさせて頂きます」
「なっ……んですって!?」
河合さんは驚きの声を上げた。
「失礼ながら昨日、上司へ諸々を報告させて頂きました。結果、あなたの件は我々ボディガードが介入すべきではないと判断しました。後は警察と弁護士へご相談ください」
「なっ……!?」
「あなたは警護される身として非常に適応外であります。ボディガードに対しての態度、複数人から狙われる事件性の有無等……」
私達が今まで警護してきた依頼人は、いつも見えない相手に怯えていた。守って欲しいと心から願っていた。
でも彼女は違う。明らかに何かの悪意を感じる。
「お、お金ならいくらでも払うわ!」
「そういう問題ではありません。それに依頼料を払う余裕があるなら、まず彼らに返金すべきでは?」
「くっ……!」
「それでは、本日限りで失礼させて頂きます。請求書は後日、お送りします。行くぞ、苗字」
「は、はい」
河合さんに背を向け、ぶっきらぼうに私の名前を呼ぶうまのすけさん。そして背中越しに一言。
「それと香水は控えめにした方が良いですよ。キツすぎて警護に支障が出ます」
「くううぅっ!!」
うまのすけさんの容赦ない捨て台詞に、河合さんは顔を真っ赤にしていかにも悔しげな顔をした。
玄関を閉めた後も背後から何やら罵り文句が聞こえてきたが気にせず、私達は彼女の家を後にした。
静かな住宅街を2人で静かに歩く。
私は意を決して歩みを止め、うまのすけさんを呼び止めた。
「うまのすけさん!」
「……何だ?」
振り返ったうまのすけさんは、先程河合さんに向けた嫌悪感を微塵も感じさせない表情で私を視界に捉えた。それに幾ばくか安心を覚え、丁寧に頭を下げて謝罪する。
「酷い事を言ってしまって、すみませんでした。今回の依頼人との件でも……」
「気にすんなよ。お前らしくねえな」
うまのすけさんが私の頭に優しく手を置いた。それに合わせて頭を上げるが、やはり申し訳なくてもう一度謝る。
「……ごめんなさい」
「だから良いって。それにあの女は依頼人の器じゃなかったしな」
行こうぜ、と促されて再び共に歩きだす。うまのすけさんはギュッと眉間にシワを寄せて舌を出しながら言った。
「俺はああいう女は大嫌いだ」
「……最初、騙されていませんでしたか?」
「ねえよ! いいから帰るぞ!」
「……はい」
河合さんみたいな女性に騙されてしまう男性もやっぱり世の中には居るわけで。でも、もしうまのすけさんがそんな女に引っかかるような人だったら……私は今、彼の隣に立っていないだろう。
「……お前になら、騙されちまうかもしれねえけどな」
「え?」
うまのすけさんの呟いた言葉がよく聞こえなくて、もう一度とお願いするが断られた。代わりに手を握られて「とっとと行くぞ」と引っ張られる。握られた手は一気に熱を帯びて、どちらの体温なのかわからなくなった。
その手は会社に着くまで繋いだままで、私はずっとドキドキして何も話せなかった。
けど繋いだ手からはきっと、お互いの気持ちが溢れ出していた。
(20120201)
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Smotherd mate