Turn.27
初めての
ショッピングモールへ行き、お菓子の材料を探し回る。作る物は決まっているから、後は味の問題だ。
うまのすけさんはそんなに甘い物が好きじゃなさそう。ちょっと大人な味のお菓子でも作ろうかな。
私はふらりとコーヒーショップへ向かった。
「う、う〜ん? わからない……」
コーヒーショップへ入ったはいいが、何の豆がいいのかさっぱりだ。棚に並んだ無数の缶を見比べながら店内の奥へ進んで行く。
その時、誰かにぶつかってしまった。
「あ、すいません」
「クッ、大丈夫かい? コネコちゃん」
「は、はい……」
その人は淡いグレーの髪色で、顎髭がよく似合っている30代くらいの男性だった。変わったことに、顔の上部を覆う仮面を付けていた。
ニヒルな笑みを浮かべ、なんともムーディな雰囲気を醸し出している。
「コネコちゃんは何を探しているんだい?」
「その、実はコーヒーの事はよく知らなくて……」
「クッ……知らないのに来ちまったのかい? 変わった迷子のコネコちゃんだぜ」
変わっているのはあなたの方だと思う。さっきからコネコちゃん呼びされるのが妙にむず痒い。これ以上変に絡まれるのは困るので、逃げようと試みる。
「では失礼します……」
「待ちな。何なら俺がオススメを教えてやるぜ」
「本当ですか!?」
この人はどうやらこのショップの常連で、コーヒーにとても詳しいらしい。それならお菓子に合う豆もわかるだろう。
「私は苗字名前です。よろしくお願いします」
「俺はゴドー。自らブレンドを作り出す、コーヒーのように底の見えない男だ」
自分で言っちゃったよこの人。確かにあなたの底はまだまだ見えそうにないけども。
「……で、どうして豆が要るんだ?」
「お菓子作りに使おうと思いまして」
「コネコちゃん。コーヒー豆っていうのは擦った瞬間から香りが失われていくのさ。味にちょっとしたクセをつけるのなら、良いかもしれないが」
「そうなんですか……じゃあどの豆なら良いんでしょうか?」
私が問い掛けると、ゴドーさんは棚に並んでいる缶の1つを手に取った。
「そうだな……モカが良いと思うぜ」
「モカ、ですか?」
「こいつはフルーティな匂いと独特の酸味があり、コクと甘みもある。お菓子作りなんかにゃ打って付けで、よく使われているんだぜ?」
「なるほど……わかりました。それにします!」
早速その缶を手に取ってレジに向かおうとすると、ゴドーさんが私の腕を掴んで止めた。
「待った。コネコちゃん、コーヒーは飲まねえんだろ? お菓子作りにしちゃその量は多すぎる」
「でもこれしか無いので……」
「ちょいと待ってな」
ニッとゴドーさんが笑うと、私の手から缶を取ってレジで会計をした。店員さんに袋を貰い、買ったばかりの缶を開けてスプーンで何杯かそこに入れる。それに封をして私に手渡した。
「これくらいで十分だろう」
「えっ、悪いですよ。ちゃんとお支払します」
「今日はモカが飲みてえ気分だったのさ。あばよ、コネコちゃん」
ゴドーさんは缶の入った包みを手に取ると、私に背中を向けて行ってしまった。
「あ、ありがとうございました!」
慌てて彼の背中に向かってお礼の言葉を告げた。
「不思議な人だなぁ……」
買い物を済ませて帰宅し、私は早速お菓子作りを始めた。作ろうと思っているのはクッキー。お手軽簡単で、手作りお菓子の代表的存在だ。
「よーし、やるぞー!」
これを渡したら、うまのすけさんはどんな顔をするだろうか。喜んでくれるかな。
うまのすけさんが受け取ったときの顔を想像するだけで、なぜだか笑顔になってしまう。
こんな風に誰かの為にお菓子を作るなんて久しぶりで、自然とやる気が湧いてきた。
翌日、出社した私は隣の席のうまのすけさんに挨拶をする。
「おはようございます」
「……フン」
うまのすけさんはまともな挨拶を返さず、不機嫌そうに鼻を鳴らした。この人の機嫌は本当にわかりやすいな……。
「うまのすけさん。良かったら今日のお昼、ご一緒しませんか?」
「んなっ!?」
うまのすけさんの椅子がガタッと揺れる。こちらを向いてニヤニヤと嬉しそうに笑いながら、いつものように上から目線で言ってくる。
「仕方ねえな。付き合ってやってもいいぜ?」
「あはは……ありがとうございます」
一気に上機嫌になるうまのすけさんに、私は笑いそうになるのを我慢する。体は大きいけど、中身は子どもっぽくて……なんか可愛いな。
昼休みになり、私とうまのすけさんは近くのお店にやって来た。ランチを食べている間はずっと緊張していて味なんてわからなかった。
食後、未だ解けぬ緊張感を味わいながら、テーブルにダークブラウンのギフトボックスをそっと置く。
「……何だこれは?」
うまのすけさんが怪訝な顔をして尋ねる。
ああ、ついに渡してしまった。大丈夫……落ち着いて、ゆっくり話そう。
けど、うまのすけさんの顔を見るのが怖くて、私は俯きながら口を開いた。
「今まで沢山お世話になりましたので。お詫びとお礼を兼ねて……お、お菓子を、作りました……」
「……」
これまでに何度かご飯を作った事はあった。なのにどうして、お菓子となるとこんなに胸がドキドキするんだろう。
しかし、うまのすけさんは黙ったままで、反応がない。ちらりと目線を上げて確認してみる。
「!」
うまのすけさんの顔は耳まで真っ赤に染まり、驚きと喜びの入り混じった表情をしていた。
そんな彼を目にした私は、一層鼓動が早くなって頭が真っ白になってしまった。
気を取り直して、名前を呼んでみる。
「……うまのすけさん?」
「おっ、おう! その、なんだ、こういうの貰うの初め……い、いや、お前の手作りか! ありがたく貰ってやるよ!」
私以上にうろたえているうまのすけさんが可笑しくて、つい吹き出してしまった。
「ふふっ、味見はちゃんとしたので安心を」
「笑うんじゃねえよ!……食ってもいいか?」
「ええッ! ここで!? い、良いですけど」
今度はこちらが不意を突かれ、咄嗟に承諾すると、うまのすけさんは慣れない手つきで赤いリボンを解き始めた。
家でゆっくり食べると思っていたから、目の前で食べられると思うとまた別の緊張感が走る。
「すげえな、チェック柄のクッキーか」
「はい。うまのすけさん、チェスが好きですから」
1つ手に取ってそれを口に運ぶ。もぐもぐと口を動かし、飲み込んで一言。
「……うん、美味え!」
「う、あ、ありがとう、ございます……」
この羞恥プレイはいつまで続くのだろうか。ああ、すごく顔が熱い。そろそろこの場から逃げたくなってきた。
でも、幸せそうなうまのすけさんを見ると、逃げるのが惜しく感じる。
「サンキュー、苗字」
「な、何言ってるんですか! お礼を言うのは私の方です。それに、お口に合ったようで何よりです」
うまのすけさんはクッキーの入った箱を閉めて、赤いリボンは胸ポケットにしまった。
「残りは家で食うことにする。今まで食ったモンの中で一番美味いぜ」
「お、お世辞はもう良いですから……」
「……俺はんなもん言えるほど器用じゃねえよ」
そんなこと知ってる。うまのすけさんはいつだって本音で接してくれる人だ。
でも今は、うまのすけさんのたった一言に、たった一つの動作に、胸が高鳴って、苦しくて、顔が火照って、上手く話せなくなってしまう。
これじゃあまるで、本当にうまのすけさんに恋をしているみたいじゃないか。
……恋? そんな馬鹿な。そんなのありえない。
だって、うまのすけさんはすぐに私をからかってくるし、デリカシーはないし、腕っ節もそれほどでもなくて……でも最近は強くなってきて、本当は一番頼りにしていて、格好良……って、私は何を!
「苗字、どうした?」
「何でもありません!」
うまのすけさんが私の顔を覗き込んできたので、驚きながら速攻で否定してしまった。
「そうかい。ところでこのクッキー、なんかコーヒーみてえな味がするな」
「そうなんです! 実はコーヒー豆を少々……」
「へえ、粋な事をするじゃねえか」
うまのすけさんは目を細めて嬉しそうに笑った。その笑顔に、また胸の奥が締め付けられる。
うまのすけさん、私は……
「ん? どうした苗字」
「いえ、うまのすけさんも味がわかるんだなって」
「バカにすんなよ。これぐらいわかるっての」
喉まで出かけた言葉を飲み込む。
何言おうとしてるんだろ、バカだな私。
こうして、短い昼休みは終わりを告げた。
会社に向かって並んで歩くうまのすけさんとの距離感に、切なさは募るばかりだった。
(20120207)
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Smotherd mate